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第115話 提案

「あなた!珍しい人が来てますよ」

エドウィンの妻メラニーが、どこか複雑な笑顔を浮かべて書斎へ入ってきた。

「ん?珍しい人?」

「お父様、ご無沙汰しております」

入ってきたのは娘のエリザベスだった。

工場の仕事に就いて以来、年に二、三度しかロンドンのチャドウィック家本邸に顔を出さない娘を見て、エドウィンは目を丸くする。

「なるほど、珍しいだけじゃなく、親不孝な娘だな」

「ひどいわ。ウィットフィールド村で会えるんだから、それでいいじゃないですか?」

「まぁ、たまには顔を見せなさい。それで、なんだ?ベス……」

そう言って、いかにも人の悪い笑みを浮かべる。

どうせ何か頼みごとがあって帰ってきたに違いない。

エドウィンはそう直感した。

「安心してください。“お小遣いください”なんて言いませんわ」

「実はあなた、ブラウンロウ卿とオリバーも来てますの」

「なに!急な用か?」

エドウィンが眉を曇らせる。

「いえ、ロンドンに用があったそうで、ブラウンロウ卿のお宅へご挨拶に伺った際、ベスがお茶でもどうかと誘ったそうです。このまま帰るのも何ですから、ご挨拶だけでも、という話になったんですよ」

メラニーが説明すると、エドウィンは「なるほど」と頷いた。

「すぐに応接室へ行く」

そう言って、机の上の書類の束を片づけ始める。


応接室は重厚なオーク材のテーブルを囲み、ガス灯の穏やかな光が室内を柔らかく照らしていた。

エドウィンは、ブラウンロウとオリバーが並んで座る様子を眺めながら、まるで祖父と孫のようだと感じる。

実際、この二人にはどこか似たところがあった。

「ブラウンロウ卿、ご無沙汰しております」

「いや、急に押しかけてしまってすまんかったの。お邪魔ではなかったかな?」

「とんでもありません。卿とお話しできる機会は、私にとっても貴重です」

「ところで、オリバー。ハムステッド村のほうはどうだ?」

「はい。絹の生産は安定しています。現状の工場需要は十分まかなえています」

「そうか……」

「工場では混紡繊維の歩留まりが八割を超えました」

エリザベスが誇らしげに報告した。

「そうか!ついに八割を超えたか」

エドウィンは満足そうに頷く。

絹を含んだ混紡繊維の生産を始めたのは、わずか三年前のことだ。

これほどの成果を得られたのは、教育制度と昇給制度の導入による。

そのうち教育制度を担うのが娘エリザベスであり、彼女の活躍を誇らしく思わずにはいられない。

さらにウィリアムとアランが始めた「職業訓練制度」も技術の向上に大きく貢献していた。

工員たちに無償で技術習得の機会を与えることが、結果的に工場の利益を押し上げたのだ。

これは長年、行政に関わってきたエドウィンにとっても目を見張る成果だった。


ふと、ブラウンロウとエリザベスの間に座るオリバーを見る。

やはり、何か言いたげな顔をしている。

こいつはいつもそうだ。

自分の前に座ると、決まってその目でじっとこちらを見つめてくる。

その視線に、エドウィンはいつも「なにか大切なことを怠っている」と責められているような気分になる。

「なんだ、オリバー。何か言いたいことでもあるのか?」

つい、言葉に棘が混じる。

だが、オリバーはそれに動じる事はない。

「そうじゃな、オリバー。せっかくの機会じゃ、ここで早めにチャドウィック卿の了承を得ておいたほうがよかろう」

ブラウンロウが促す。

「ん?やはり何かあるのか?」

エドウィンは腕を組んだ。

オリバーの才能と行動力が突出していることは認めざるを得ない。

だが、このまま放っておけば必ず政界の目を引く。

権力者に敵視されれば、すべてが水泡に帰す。

この国に“自由”など存在しない。

力ある者がすべてを決める。

どれほど優れた技術を開発しても、社会に受け入れられるには“承認”という儀式が必要なのだ。

しかしオリバーは、まるで経済活動が完全な自由競争で成り立つと信じているようだ。

あれほどの理解力を持ちながら、その一点だけが抜け落ちている。

妥協に妥協を重ねて、ようやく一つの政策が実施される。

だが、オリバーには異論があるらしい。

この国の中核をなす富裕層とその他大勢の格差が、あまりに大きすぎる。

これが潜在的な国益に反している。

もっともな話だが、言うは易し、行うは難しだ。



ブラウンロウから話を振られて、オリバーは説明の順番を頭の中で再度整理した。

ヨーダと何度もシミュレーションを重ね、今回の戦略目標をはっきり決めている。

それは……

ウィットフィールド村とハムステッド村の繁栄を“現状維持”にとどめること。

大きなシェアは取らない。

無闇に拡大すれば、必ず既得権の反発を招く。

だから、あくまで“成長より安定”を選ぶ方針だ。

そのために混紡繊維の技術は、いずれ広く公開する。

要請があれば、他の工場からも職業訓練校へ人材を受け入れるつもりだ。

ただし、その前提として……

この技術が“導入に値するほど優れたもの”であると広く認知させる必要がある。


そのためにはまず、オリジナルブランドの開発までを行い、ファッション性の高さを社交界で証明する。

もし上流階級の間で評価が高まれば、一時的にシェアは拡大する。

そのタイミングで技術を公開するのだ。

結果として、多くの企業が国産の混紡繊維に関われば、チャドウィック家の工場は既得権者にとって“脅威”ではなく、“仲間”となる。

それが、ヨーダと自分が導き出した“生き残るための方程式”だった。


ちなみに、サイラスたちの襲撃事件のあと、

オリバーは『天眼智』を使って依頼主を追跡した。

浮かび上がったのは、三人の大物だった。

その一人、マンチェスター繊維連盟会長――バーナビー・フィッチ。

シミュレーションの結果、彼は技術の公開に強い興味を示す可能性が高い。

つまり、彼に“大きな利益の機会”を提供できれば、この三人の均衡は崩れる。

だが、その均衡は放っておいても回復する。

この三人の間で必ず調整が行われることは容易に想像ができる。

それこそがヨーダの膨大な演算速度が導き出した結論だった。

…つまり、争わない。奪わない。共存する。...

オリバーは心の中でそう呟く。

「ご存じの通り、デザイン工房のデザイナー採用が順調に進んでいます。

 そのうち二人はかなり高いレベルだと思っていただいていいでしょう。

 それと、職業訓練校にもデザイン科を設けて、養成にも努めています。」

有名デザイナーの多くが興味を示したが、やはり既得権に縛られて、簡単には動けない者が多かった。

ホリーは絹糸工場からデザイン工房への転属に応じた。

彼女には確かな才能がある。

そしてもう一人、意外な人物がとてつもない才能を見せた。

ウィンザー家のミリアム。

以前から絵がうまいことは知っていたが、

デザイナーとしての独創性は予想をはるかに超えていた。

両親の反対を振り切り、今ではウィットフィールド村に家を借りて暮らしている。

彼女らしい行動だ。

親のほうはさぞ心配しているだろうが。

さらに、「メダン・エリーヌ」のお針子のうち、数人が解雇されていたため、

工場で彼女たちを採用した。

その中の二人にもデザインの素質があることが分かり、職業訓練校のデザイン科で学ばせている。

当面、ミリアムとホリーがいれば、ファッション性の高いドレスを作ることは十分可能だ。

問題は、知名度のなさだった。


だからこそ、目立ったマーケティングが必要だった。


「それで、オリジナルブランドの販売を始める準備は整ったと考えています。」

エドウィン卿が頷いた。

「なるほど。つまり、以前からの予定通り、原材料の生産からドレスやガウンの販売までを一気通貫で行えるようになったということだな。それは分かった。」

「はい。そして、次の段階に進みたいと思うのですが……」

「次の段階とは?」

エドウィンが首を傾げる。

「つまり、混紡繊維の“ファッション性”を売り込むのです。」

自分でもわかっていた。

この言葉は、単なる商談の一言ではない。

“戦略の核心”だ。

だからこそ、オリバーは慎重に、相手の表情をうかがった。

「ちょっと待て。特にファッション性を売り込まなくても、そこそこの見栄えと耐久性、快適性を備えた衣服として、それなりに売れれば良いのではないか?」

予想通りの反応だった。

この国の行政官は、派手なものを本能的に恐れる。


オリバーは深く息を吸い、視線をまっすぐ向けた。

「実は……混紡繊維の技術をイギリス国内で広く公開しようと思っています。この技術は、世界でも最先端の繊維生産技術です。もし広く普及させれば、主幹産業の一翼を担うことができる。だからこそ、公開前に“ファッション性の高さ”を示しておく必要があるのではないかと考えています。」


エドウィン卿の瞳が、はっきりと揺れた。

驚きと、そして何かを測るような沈黙。

…やはり、この提案は彼にとっても衝撃だ。..

自分の声がわずかに震えていた。

それは緊張でも不安でもない。

“賭け”の始まりを、自分の中で感じていたからだ。

「一体、今度は何をやるつもりだ?」

「ファッションショーです。」

「ファッションショーだと?」

「はい...」


...さて、エドウィン卿。あなたはこの提案をどう受け止める?..

オリバーは息を詰めて、その返事を待った。

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