第104話 夢の継承
ウィットフィールド村の工員寮のそばにある小さなコテージに、メアリーの妹、ホリーは落ち着かない様子で立っていた。
彼女の胸は期待で膨らんでいた。
オリバーが姉を助け出し、長らくの苦労を経て、ようやく一緒に暮らせる。
メアリーが戻り次第、工場に新設されたデザイン工房のデザイナー第一号として迎え入れる手筈になっていたのだ。
ホリーは、姉からもらった黒いドレスを思い浮かべる。
あのドレスのデザインをメアリーはここで描く。
そんな幸せな暮らしの未来を夢見ていた。
遠く、石畳を叩く馬車の鈍い蹄の音が聞こえた。
音は次第に大きくなり、それは間違いなくチャドウィック家の所有する馬車だった。
ホリーの顔に笑みが広がった。
待ちに待った瞬間が今訪れようとしていた。
喜びに胸の高鳴りを抑えることができない。
馬車がコテージの前で止まる。
「メアリー!」
ホリーは思わず馬車に向かって駆け寄っていった。
御者台からディック弁護士と、白衣を纏ったトーマス医師が降り立った。
二人の顔は硬く、悲痛な色に染まっていた。
「トーマス先生!メアリーは?」
ホリーが駆け寄る。トーマスは何も答えず、馬車の後部扉を開けた。
中から、布に包まれた、小さな、重々しい塊を慎重に抱きかかえて降りてくる。
彼の背中からは、深く切ない悲しみが伝わってきた。
「メアリー……?」
ホリーの期待は、瞬間的に凍り付いた。
トーマスは何も言わず、包まれた布を捲って見せる。
「えっ...」
トーマスの腕の中にあるのは、待ち望んでいた再会ではなく、静かに眠る、変わり果てた姉の亡骸だった。
メアリーの顔は、苦しみから解放されたかのように、不思議なほど安らかだった。
ホリーは一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
あまりにも現実離れした光景に、思考が停止する。
「うそ……」
絞り出すような声が喉から漏れる。
そして、堰を切ったように、激しい慟哭が炸裂した。
「姉ちゃん...」
彼女は泣き崩れ、その場に膝をついた。長い間、心の奥底で押し殺してきた不安と、残酷な現実が、ホリーの魂を砕いた。
そのとき、通りを走る足音が聞こえた。人影が近づいてくる。
黒い普段着に、血と埃で薄汚れた姿。
オリバーだった。
ホリーは顔を上げ、憎悪に満ちた目でオリバーを睨みつける。
「オリバー……あんたぁ!」
ホリーは全身の怒りを爆発させ、立ち上がると、オリバーに向かって飛びかかった。
「貴様ぁ~、お前のせいで姉ちゃんは...なんで死ななきゃなんねえんだよ。お前が...」
馬乗りになって何度も殴りつけた。
オリバーの顔は腫れあがり、唇が裂け血が飛び散る。
やがて、殴りつけるのに息を切らせて、オリバーの顔を見るとその悲しそうな目が自分を見つめていた。
「ホリーもう良いだろう。気が済んだか?」
トーマスがホリーの肩に手をかけて立たせようとするが、その腕を振り払う。
「オリバー、てめぇ、よくものこのこと一人で戻ってこれたな。」
再び拳を振り上げるホリーの腕をオリバーが掴んだ。
その目には強い光が宿っていた。
「ホリー立てよ。」
オリバーの強い意志に押されたかのようにホリーがたじろぐ。
二人は立ち上がって睨みあう。
「オリバーお前...」
「黙って聞け!」
オリバーの目には真摯な光が宿っていた。
懐から折りたたんだ紙を取り出して、ゆっくりとそれを開く。
それはメアリーが最後に残した未完のデザイン画であった。
「メアリーの最後の願いだ。お前はそれを知っているはずだ。」
ホリーは昨日の夜、見た夢を鮮やかに思い出した。
そして目を見開く。
夢の中でメアリーと二人で完成させたそのデザインが目の前にあった。
「ホリー、しっかりするんだ。俺のことは恨んでくれてもいい。だけど、お前にはこれを完成させる義務がある。お前はメアリーの夢を受け取ったはずだ。頼む、ホリーわかってくれ」
ホリーはデザイン画を食い入るように見て、大粒の涙を流した。
オリバーの目から強い光は既に消えていた。
「ホリー、ごめん...俺なにも出来なかった。ごめん...俺は...」
ホリーの前に跪き、項垂れて子供のように泣き崩れる。
そのオリバーの頭を胸に抱きしめてホリーも泣いた。
この悲しみは時間と言う万能薬が癒してくれることを、その場にいた皆が祈るしかなかった....




