別れた夫がほぼ毎日、番の私に会いに来るのを止めさせたい
「サニア。やっぱり三年は短いと思うんだ」
今日も夫のイレイアスは私に会うなり、そう切り出した。
その話題をするのは、もう五回目よ。良い加減、聞き飽きたわ。
いいわよ。あなたが好き勝手に喋るように、私も好き勝手に喋るから。
「三年だよ? 僕らが出会って、色々あって結婚して、そこから三年。新婚のころの情熱が落ち着いて、将来を考えながら生活していく時期じゃない? それなのに君は、僕を置いていったわけだ」
そうね。まあ、結婚生活が短かったことは、私も後悔しているわ。
イレイアスは瑞々しい花を私に見せた。
真っ白な尖った花びら……トレオン草ね。今年はまだ咲いていないと思っていたわ。
わざわざ山に登って取ってきたの? あなたなら飛んでいけるから、簡単だったかもしれないけれど。花びらを落とさないように運ぶのは、大変だったんじゃないの?
「大変だったよ。風と振動を遮断してあげないと、すぐに散るからね。薬草に使うものは、新月の日に摘んで乾燥させるんだ」
手間がかかるのね。
「薬草を調べるようになってから、この花の花言葉を知ったよ」
勇気、忍耐、高貴、だったかしら。
「崇高、初恋の感動、大切な思い出、だよね」
そんな恥ずかしくなるような意味もあるの? あなたが読んだ本を教えてよ。絶対に、私が読んだ本と違うはずよ。
「この花ね、消化器とか呼吸器に効くんだって。君の故郷では風邪薬の材料だったね」
知らなかったわ。苦いだけの薬草茶だと思っていたもの。甘いのは香りだけなのよ。私は嫌いなの。
「また来るよ」
もう来なくてもいいわよ。私とあなたは、もう別れたんだから。いい加減、自分が幸せになる方法を考えて。
イレイアスは大切そうに花を抱えて、背中の翼を広げた。
便利よね。それ。私も翼が欲しかったわ。
飛び去っていくイレイアスを見送って、私はため息をついた。
人間の私と、竜人のイレイアス。運命のイタズラってやつかしら。番だったのよ。
神様って本当に意地悪だと思うわ。イレイアスには私が番だと分かるけれど、私には番なんて分からないのよ。受け入れるまで時間がかかったわ。
想像してみて。人間しかいない町で育った私のところに、ある日いきなり角と尻尾と翼が生えた美形が来て、僕の番だなんて言ってくるのよ。悪魔が生贄を探しているのかと思ったわ。
私が竜人の存在を受け入れるまで一ヶ月かかった。その間、イレイアスはほぼ毎日、私のところへ来たわ。まず無害な存在だとアピールするところから始めて、隣近所の人と仲良くなったりもしたわね。彼って、外堀をしっかり埋める性格だったのよ。
番の本能って可哀想よね。面倒なことでも、番のために行動したくなるんですもの。私が竜人だったら良かったのにって、イレイアスは思ったでしょうね。同じ種族なら生活を変えなくてもいいし、いちいち番のことを説明しなくても本能で分かるんだから。
でも、もう過去の話よ。イレイアスは私のことなんて気にせず生きればいいんだわ。
「うちの孫と、あんたの夫は再婚するわよ。間違いない。孫はね、あんたと違ってとても美人なんですもの」
また隣のお婆さんが妄想を垂れ流しているわ。
あの人、いい加減にあの世へ旅立ってくれないかしら。遠くを見ながら同じことを繰り返し喋るのよ。しかも、そこら中を徘徊しながら。まるでゾンビだわ。怖いのよ。
いっそのこと、死霊術師あたりが連れて行ってほしいわ。ここに活きがいいのがいますよって叫んでみる? ダメね。あの人達には会いたくないわ。何をされるか分からないもの。
「そもそも、あんたと結婚したのがおかしかったのさ」
そうかもね。私を彼の番にした神様へ言いに行ってくれないかしら。
お婆さんは言いたいことを言い終えると、自分の居場所へ帰っていった。
今日の災難は、それだけじゃなかった。お婆さんの孫が来たのよ。わざわざ私へ会いに。
「いい加減に、私の夢に出てくるのはやめてよ!」
孫は私へ向かって水をかけてきた。
当たってないわよ。力不足か、距離の見積りが甘かったのね。
言っておくけど、私には夢枕に立つ能力なんてないわよ。私のことばかり考えているから、出てきたんじゃないの? さっさと帰ってくれる?
「そんなに私と彼が付き合うのが嫌なの? でも生憎ね。あんたはもう終わった人なのよ」
無駄だと思うわよ。だってイレイアスは、露骨に色目を使うあなたが苦手ですもの。竜人ってプライドが空よりも高いから、娼婦みたいな色仕掛けには死んでも乗らないのよ。
彼の妻だった私が言うんだから、間違いないわ。
「見てなさいよ。絶対に、あんたから奪ってやるんだから」
見ないわよ。うっとうしい。イレイアスがあなたを選ぶかどうかなんて、私には関係ないの。
孫は言うだけ言って帰っていく。隣のお婆さんに行動が似てるわ。しつこいところもね。
今日のイレイアスは赤いバラを私にプレゼントしてきた。
「山の麓に狼が出たらしいよ。君は大丈夫だった?」
私を何だと思っているのかしら。大丈夫に決まっているでしょ。私ばかり心配してないで、自分の安全を考えなさいよ。
まあ、竜人を襲う獣なんていないけど。
それより、ちゃんと休んでいるの?
「君に言われそうだから先に言うけど、食事と睡眠の時間は確保してるからね」
あら。立派ですこと。でもね、確保することと実行することは違うのよ?
やだ。説教臭くなったわ。まるで隣のお婆さんみたい。
ちょっとイレイアス。そこで笑うのはやめてくれる?
「サニア。実は、引っ越すことにしたんだ」
好きになさい。
「あの家は思い出が詰まってるけれど、研究には向かないんだ」
隣の孫に押しかけられたのね? あなたの表情で分かるわ。
もともと、あなたは人間の町で暮らすのは無理だったのよ。私に合わせて、定住しただけですもの。家の構造が合わないのに、よく我慢したわね。
翼がドア枠に引っかかって、恥ずかしそうにしているあなたを見るのが、私の日常だったわ。
「僕が出ていくって聞いて、みんな引き留めてきたよ」
良かったじゃない。人間に好意的に受け入れられてた証拠よ。イレイアスが移住した当初は、色々あったもの。
いつだったか、イレイアスが風邪を引いたときは大変だったんだから。
体内の魔力が不安定になって、くしゃみをしたら家の壁を吹き飛ばしてしまうなんて、誰が想像できるの? 竜人の国では、風邪を引いたら結界に閉じ込められるって、この時に知ったのよ。大切なことなんだから、早く教えなさいよね。
すぐにお詫びの品を持って、隣近所に謝罪をしに行ったっけ。
みんな、あなたが原因だと知ったら許してくれたわ。あなたは「みんな良い人だね」なんて言っていたけど。あれね、あなたが竜人だから怒りを買わないように謝罪を受け入れただけよ。
今さらになってネタばらししても仕方ないけど。
「引っ越しても、君に会うのはやめないよ」
そろそろ止めたら?
未練がましい男は嫌いよ。
……ウソよ。
私がどう思っているかなんて、分かってるでしょ。
イレイアスは引っ越しの報告から四日ほど、姿を見せなかった。
眠れなくて大変だったのよ。イレイアスを狙っていた、隣の孫が私に文句を言いに来たから。
私にイレイアスの行動を操る能力なんて、持ち合わせてないのにね。そんな力があったら、私に執着しないようにするわよ。
雪と一緒に空から降りてきたイレイアスは、寒さで赤くなった耳を手のひらで温めた。
「初雪だね。見た? 今日はね、アル・シオネ山の頂上にあった雪の結晶石を採取してきたんだ」
私の苦労なんて知らないイレイアスは、透明な結晶を見せてきた。雪の結晶石という名前の通り、六角形の花みたいな形ね。
ねえ。ちゃんと寒くないように、厚着してる? 私はもう、あなたの看病なんてしないのよ。自分のことは自分で管理しないと。
まあ、イレイアスなら看病してくれる女性を応募したら、すぐに集まってくるでしょうけど。私がいたときから、狙っている人が多かったもの。人の夫に手を出そうとするなんて、非常識よね。
「昨日は僕の兄弟が来たんだけどね、酷いこと言うんだよ。君のことは忘れろってさ」
奇遇ね。私も同じ意見よ。
あなたのことだから、怒って追い返しそうね。
「もちろん。すぐに帰ってもらったよ。僕は君以外、ありえない」
重いわよ。あなたの気持ちは重いわ。
私のことなんて、本当に、もう忘れていいのよ。私だけを愛するなんて言っていたけど、長い人生? 竜生を一人きりで過ごすなんて寂しいじゃない。私は別に気にしないわ。だってもう別れたんだから。
「サニア。ごめんね」
それは何に対しての謝罪なの? ちゃんと言ってくれないと、分からないわ。
「研究に集中するよ。だから、しばらく会えない」
最初からそうしなさいよ。変なところで気を使うんだから。
あなたは私が言っていることなんて聞こえてないのよね。それが悩みだわ。
宣言通り、イレイアスは来なくなった。
どれくらいの月日が流れたのかしら。
別に、寂しくなんてないわ。私はもう彼の人生には関係ないから。
そう思っていたけれど、イレイアスの姿が見えると懐かしくなったわ。私、まだイレイアスに未練があったみたい。
髪が伸びたのね。あなたのお兄さんそっくりよ。翼が青白くなかったら、間違えていたわ。
尻尾の鱗に金色が混ざるようになったのね。あなたの母親が喜びそうだわ。顔立ちが全然似てないって、悩んでいたもの。
暗い顔をしているのが気になるわ。どうしたのかしら。
「サニア。やっと薬が完成したんだ」
あら。おめでとう。私がいた時から研究していたやつね。
「君がいる時に完成させたかったなぁ……」
イレイアスは私の前に小瓶を置いた。
私もね、これが気になっていたのよ。これが完成しないと、あなたは研究を止めないって分かっていたから。
あなたってば、集中したら周りが見えなくなるし、食事も睡眠も忘れて没頭しちゃう性格だもの。ほら、今も目の下にくまができてるでしょ?
私には分かるのよ。あなたの自己申告は信用できないって。ちゃんと食べて寝てほしいわ。
「サニア。怒ってる?」
怒ってるわよ。あなたが自分の健康を粗末にするから。
体が頑丈な竜人でも、体調を崩すのよ? 自分の体力を過信しないでほしいわ。
「ごめんね」
許さないわ。
「今は怒っていても、最後には許してくれそうな気がするんだけど」
失礼ね。その通りよ。
悔しいぐらい、私のことを理解している人ね。
「これが完成するまでの経緯、聞く?」
聞かないわよ。どうせ私には半分ぐらいしか理解できないんだから。難しすぎるのよ。あなたの研究は。
「分かっているよ。君が興味ないってことぐらい」
意地悪な人ね。
さあ、もう行って。その薬の使い道を考えないといけないでしょ?
私もそろそろ、次のことを考えないといけないのよ。
今日だけはお別れのキスをしてあげるわ。
それぞれ、別の道を行くの。寂しくてもね、そうするのが自然なことなのよ。今みたいな関係は、不完全なの。
でもね。
もしもの話よ。
あなたがどうしてもって言うなら、生まれ変わったらまた番になれるように祈っておくわ。
生まれ変わった私のところに、あなたが迎えに来たら、今度は私から言うの。愛してるって。
イレイアスは頬に何かが触れたような気がした。
懐かしい感触だ。
「……サニア?」
名前を呼んでも、答える声はない。
分かりきっていた結果にため息が出る。
限界まで背伸びをした妻がイレイアスの頬にキスをして、背が高すぎると不満を言ったことを思い出した。それが彼女の照れ隠しなのは明白で、愛おしかったのに。
全部、思い出の出来事になってしまった。
「この薬、どうしようか。本当は君に使ってほしかったな」
イレイアスは墓石の前に置いた薬を拾い上げた。
病気になってしまったサニアを治すために着手した研究の成果だ。間に合わなかった後悔と、番を失った現実から逃げるために続けていたら、完成してしまった。
もう何もしたくない。生きている理由すら消えた。
「次の目標を決めろって、君なら言うだろうね」
イレイアスは小瓶の表面をなでて考えていた。
「もし、君が許してくれるなら、もう一度会いたいな」
今の気持ちは「番の本能」などという乱暴な言葉で一括りにしたくない。サニアだから会いたい。彼女が番ではなかったとしても、同じように恋をしていた気がする。
サニアを追いかけて、人間の町で暮らし始めたときは、全てが手探りだった。彼女に会える嬉しさとは別に、知らなかった種族や文化に触れる楽しさで毎日が忙しかったのを覚えている。
竜人に会ったことがないサニアに、信頼してもらうのが大変だった。初対面では悪魔だと思われて怯えられたから。なんとか誤解を解いて、普通に会話できるようになるまでが長かった。
ようやく友人と言えるぐらいの関係になってから知ったのは、サニアは異種族との婚姻を考えていないこと。人間しかいない社会で育ったから仕方ない話ではある。
人間とは違う特徴に悩んだこともあった。
彼女を狙う男がいると知ったときは、竜人の本能が出そうになった。もしあの時、人間を攻撃していたらサニアは絶対に心を開いてくれなかっただろう。
苦労してサニアに関心を持ってもらって、ようやく結婚までこぎつけたのに。
「うん。三年は短い」
結婚して二年経ったころ、サニアの心臓に魔力の結晶ができた。竜人なら高い自己治癒能力を利用して、心臓に穴を開けて排除する。とても人間に流用できる治療法ではなかった。
病気の進行を遅らせつつ、他の治療法を探していると、結晶を元の魔力に戻す方法があると知った。人間の体にも応用できる方法を模索しているうちに、時間切れとなってしまったのが悔やまれる。
「人間の寿命は短いから、ある程度は覚悟してたよ? でもさ、短すぎるよね」
イレイアスは小瓶を上着のポケットに入れた。
「たとえば、死霊術師みたいに君の魂を召喚したら、君は怒ると思うんだ。用意した入れ物に魂を移したら、きっと殴ってくるだろうね。死者を冒涜しているから。だからね、転生した君に会いに行くのが、落とし所かなって思うんだ」
転生したサニアが番になる根拠は、どこにもない。
「君なら、そんなことしないで別の幸せを探せって言うだろうね。自分でもどうかしてるって思うよ。兄弟が言っていたことも、まあ、理解してる。納得できないだけで。納得できないからさ、君の転生が早くなるように働きかけるぐらいは、許してほしいな」
サニアが人間や竜人に転生しなくてもいい。言葉が通じない獣だろうと、サニアだった魂に会えるなら幸せだ。
「もう一度愛して、なんて言わないよ。言わないけれど、もし番だったら、また僕を選んでね。番じゃなくてもいいよ。そんな関係に縛られずに、君と恋がしたいな」
イレイアスは重い腰を上げて、また来るよと言った。
風の音しか聞こえない。だがイレイアスは、サニアの声が聞こえるような気がした。きっと呆れた顔で「仕方ない人ね」と笑っているはずだ。
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