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01

 豊かに実る黄金色をした短くも柔らかな猫髪に、この国のすべての翡翠よりも透明度の高い新緑の森を宿したような瞳。金装飾に彩られた深紺の装束は彼の優れた容姿を引き立てる役割を担っていた。

 その指先が銀のフォークをおもむろに口へと運ぶ。メインディッシュをまずは一口。


(くっそまずい…)


 外見だけなら華々しくも美しいエルダレン王国の王子ルーカス・デ・ブロームは、大層に口が悪い。

 だが、彼もこの春で齢十九となった。その口の悪さを表出して良いと時とそうでない時の区別ぐらいはついていた。

 だから今、頭の中で飛び交う罵詈雑言を口に出すことはしないし、一旦口に入れた食べ物を吐き出したりもしないのだった。


(まずいまずいまずい!)


 言葉に出さないにしても、まずいものはまずかった。

 冷めきった鶏料理は、皮はぶよぶよベタベタしている一方で肝心の身の部分はぼそぼそした食感。冷えたせいで固まった、ざらっとした嫌な感触の脂がとてつもなく舌触りが悪い。義務感で咀嚼するうちになんとかその嫌な食感が消えていくといった有り様。


(あーまずい、くそ。なんも味がしねえ)


 料理人は塩をするのを忘れたのだろうか。

 焼いたら、茹でたらそれで終わりなのか。まるで味気のない肉を、どうにか飲み込める程度まで噛み潰したルーカスは、顔をしかめないように無理やりごくんと喉に押し込んだ。

 それからすぐに赤ワインをなみなみ注いだゴブレットを掴んで嫌な後味の残る口内を洗って水分で肉の塊を流していく。

 いつも、いつも、いつもそうだ。

 このホールには一般的な給仕のほかに、青白い顔をした毒見役が三人も控えている。

 そんな見世物のようなテーブルで、一人きり、口に入るまでにゆうに一時間以上は経っている冷めきった料理を口に運ぶ。

 それもこれも、エルダレン国を治めるブローム王家のお家芸ともいえる『毒殺』対策のせいだ。

 その始まりは、建国とほぼ時を同じくする。

 初代国王が建国わずか五年足らずで突然死。原因は王弟派の宰相による毒殺とされ、二代国王には初代王の弟が即位した。

 しかしてその二代目も、十年後に祝宴の席で大量の血を吐いて死亡。これは初代国王の遺児によるものだったらしく、父の仇を討ったと堂々宣言した彼が三代目となった。

 以来、ゆうに四百年を超える歴史の中で、数え切れないほどの王族が、互いに盛りあった毒によって命を落としてきた。

 お陰でこの国では数多の毒と解毒剤の開発が盛んで、『エルダレンの毒』といえば、外国では露見し難い暗殺手段として重宝されているとかなんとか。

 現王の唯一の男子であるルーカスも小さい頃から毒の脅威に晒されて来ており、瀕死の状態になったことも一度や二度でないが、毎度優秀な薬師でもある乳母と乳兄弟のお陰で命を取り留めてきていた。


(毒じゃなくとも、こんなもん食いたいわけねーだろ)


 内心舌打ちしながらすべての料理を一口ずつ『飲み込んだ』ルーカスは、ナフキンで口元を拭って席を立った。

 テーブルの上には、見た目ばかり豪勢な料理がまだまだずらりと並んでいる。

 ルーカスの胃におさまったのは、そのほんの一口分なわけだが、きっと残りの料理はゴミとなって処分されるのだろう。いくら毒見役のチェックを越えているにしても、毒が入っているかもしれない食べ物に手をつけたい使用人もいるまい。

 ダイニングホールを後にして自室へと引き上げるルーカスの後ろに、サッと影のようについてきた男がいる。

 彼はルーカスが見上げるほどに背が高く、胸板も厚い。ひどいくせ毛の黒髪を後ろでぐしゃっと一つ括りにしている。

 これが何度も毒からルーカスの命を救ってきたうちの一人、乳兄弟エドモンドだ。

 ルーカスより四つ年長の彼は上背でも体格でもルーカスを圧倒するほどなのに、まるで女のように口うるさい。

 三年前に亡くなった彼の母親、つまりルーカスの乳母であるマルセラも、それはそれは口うるさいタイプだったので、彼は過剰に母親似といえるかもしれない。

 今もしかめた顔の様子から、絶対に小言が来ると予測してルーカスは再び内心舌打ちをした。


(『もっと召し上がりませんと』だろ)

「殿下。もっと召し上がりませんと、お体が」


 案の定、想像に違わぬ小言をこぼしてエドモンドが溜息をつく。

 各皿から一匙きりで食事を終えたのを見てもわかる通り、ルーカスは食が細い。

 そのせいで彼は背丈こそ父の血を引いて高い一方で体格には恵まれていなかった。端的に言えば、痩せているということだ。

 こういう小言に対して逆らうような返事をすると、三倍ほどの小言が戻って来るのが常なのでルーカスは無視を決め込むことにして廊下をひたすら歩いていく。

 後ろでこれ見よがしにエドモンドが大きな溜息をつこうが、知ったことか。


(食いたくねーんだよ)


 ケッと、王子らしからぬ雑言を内心で漏らしたルーカスは、乳母のことを思い出した。

 王家に仕えるため、ひいては毒から主人を守るため、薬の知識を身に着けて王城へ上がったハウデン伯爵夫人マルセラはもともと母である王妃の侍女をつとめていた。

 そして第一王子のルーカスが生まれるのより少し早く、娘を生んでいた彼女はそのためにルーカスの乳母に選ばれた。

 ただ、残念ながら彼女自身の子、すなわちエドモンドの妹は生まれてわずか半年で病にて命を落としている。

 それもあってか、マルセラはルーカスに対して非常な愛情を注ぎ、稀に見る献身ぶりで仕えた。毒と薬について学び続け、ルーカスが不調となれば不眠不休でその治療に当たった。


(侍医より、マルセラのほうがよっぽど医者らしかったな…)


 とてつもなく口うるさい乳母ではあったが、ルーカスへの愛情が本物であった証に、彼の食が細いのを案じて特別の料理を作ってくれていた。

 ルーカスが一日中ほとんど食べずに過ごした時など、夜に粥を煮てくれるのだ。

 もちろん毒が入り込む余地のないように、彼女は材料も調味料も調理器具さえも自分が持ち込んだものを使っていた。

 それらは常に彼女の目の届くところに置いてあり、その上で更に調理を終えた粥を、鍋を手元に置いたまま、まず自分が口にする。

 食味に違和感がないかを確かめたら、遅効性の毒の可能性のないようにしばらく時間を置く。


『マルセラ、まだ? 早く食べたい』

『まだですよ。お待ちくださいな』


 こういうやりとりを何度したか分からない。

 それで問題ないとなったら、ようやく再び火を入れて温め直した粥をルーカスに食べさせてくれるのだった。

 もっとも、王子に王城の料理人以外が調理したものを食べさせるなど、普通はあってはならないことなので、これは乳母とルーカスの間の秘密であった。このことは彼女の実の息子であるエドモンドにでさえ話したことはない。


『さあ殿下、残らず召し上がれ』


 差し出された匙から立ち上る湯気が、いつも嬉しかった。

 温かいものを食べたのはマルセラが病で亡くなる少し前が最後だったかもしれないとルーカスは思い出した。

 腹に腫瘍が出来る不治の病となったマルセラは、それでも最後まで城勤めを全うした。最後の最後までルーカスを案じていた。

 物思いに耽りながら歩いているうちに、気がつけば自室の前にたどり着いていた。さっと前に出たエドモンドが扉を押し開く。

 室内に入ったルーカスは、その場でくるりと踵を返してエドモンドに向き直った。


「寝る。入ってくるな」


 当然のように共に入室しようとしていたエドモンドが急停止して、不服げな顔を見せる。

 きっと『食べて寝てしかしないのですか』とか言おうとしているんだろう。

 予想がついたので、ルーカスはにっこりと笑って自分の手で内側からバタンと扉を閉ざしてやった。

 小うるさい乳兄弟を追い払ったルーカスは、そのまま長椅子へとどさりと倒れ込む。体を伸ばして欠伸を噛み殺し、クッションを抱えて嘆息する。

 少食なせいもあってルーカスは体力がない。本来なら剣の稽古などすべきところ、体を動かすとすぐ不調が出るということで免除となっていた。

 そのかわり読書はよくする。勉学については、どんな分野に関しても教師が驚くほどの高い評価を得ていた。

 つい最近も、この国有数の高名な数学者を招いて話した際、学者は王子が自分の弟子として本格的に数学を学べば、この国の算術が飛躍的に向上するのではないかと、お世辞でもない様子で言っていたくらいだ。

 そういう実績のお陰で剣や乗馬といった体を動かすことを蔑ろにしても許されているといっても過言ではない。

 昼食を食べてすぐの昼寝も、だから許される。


(疲れた。眠い…)


 ルーカスはクッションに顔を埋めて、そのまま眠りに落ちていくのだった。

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