神に愛される者 後編
その年、王国はかつてない干ばつに苦しんでいた。作物は出来ず、飲み水も不足し、涸れた川すらある。当然、いくつもの村が滅び、王都ですら水が制限されるほどの事態だった。
私としては、あまりにひどい状況に手を貸したかったのだが、この干ばつにも大きな意味があるのだ。これにより、灌漑技術、また海水から真水を作る技術の研究が始まり、その技術は数百年後には、この国になくてはならないものとなっている。
今、私が手を貸せば、それが出来なくなる恐れがある。つまり、神頼みから抜けられなくなってしまうのだ。今後の人類の発展を考えると、それはあまりに惜しい。後々の幸福値にも大きな影響があるため、私は見守ることしかできない。
「お願いです、神様。雨を降らせてください」
パンと果物と共に、そんな願いが私に届く。このパンや果物だって、彼女にとっては貴重な食べ物のはずなのに、必ず私に届いていた。ものすっごく胸が痛むけれど、私はそれに応えることができない。
何日も、何週間も、日照りは続く。そして、私にはもうわかっている。
このままいけば、彼女はもうひと月も持たない。飢えと渇きで、その生涯を終えてしまうのだ。
もちろん、彼女一人を救うことはできる。というか、村全体を私……というか、神の力で無理矢理救うことはできるけど、それをやると神の加護のある村という噂が広まり、結果としてとんでもない災厄を引き起こすため、とてもではないが手が出せない。ディシー一人だけを助けても、他の村人全員が死に絶えることに絶望してしまい、彼女は長く生きられない。であれば、最初から手を出さない方がいい。
「神様……お願いです。雨を……降らせてください」
嗚咽混じりの願いに、心が激しく掻き乱される。私だって、できることなら助けたい。でも……世界全体を考えたら、助けるわけにはいかない。
いよいよ、彼女の寿命はあと数日。村はすっかり干上がり、食料もほとんどなくなってしまっている。そして、ディシーは起きることもできなくなり、両親が置いてくれた食事に震える手を伸ばす。
次の瞬間、パンと干からびた果物が私の元に出現した。
「神様……お願い……」
もはや涙を流すほどの水分も残っていないのか、ディシーの目には虚ろな光があるだけだった。
「……たす……けて……」
パァン!と、私は自分の両頬を思いっきりぶっ叩いた。
何が世界のためだ!何が幸福だ!500年以上も、誰も私に何もしてくれることはなかった!だけど、この子はこんな状況でも、私に食べ物をくれた!
何が神だ!何が全知全能の力だ!私を慕ってくれる小さな子供一人も救えないで、神なんて名乗れるか!
私は人生最大の集中力を使い、世界中の情報を一気に集めた。もう、世界のために働く神なんてやめだ。影響は小さくするけど、私は何としてもディシーを助けてやる!
まずは近くで戦争していた軍を、村の近くの平原に呼び寄せる。
「頼もう!村長はいらっしゃるか!」
突然現れた軍団に、村は恐慌状態に陥ったものの、どちらの軍団長も紳士的な対応を崩さない。
「すまぬ。我々は故あってこの近くに陣を移した。村には被害を出さぬようにする故、ご安心頂きたい」
「昨夜、この平原にて決着を付けよと神からの啓示があってな。手早く済ませるので、ご容赦願う」
「は、はぁ……左様で」
うん、そうとしか言えないよね。ほんと何言ってるんだこいつらって思うよね。でもマジなのよ。この僅かな資源の取り合いをしていた軍には、ここで壊滅してもらいます。
それから、両者は激しくぶつかり合い、平原は血に染まった。最後の一人までが激しく戦い続け、一日のうちに両軍は生存者ゼロとなった。
村人はあまりに凄惨な現場に恐れおののいていたが、やがて若者の一人がポツリと漏らした。
「あいつらの食い物……残ってねえかな」
それからの動きは非常に速く、村人達は手分けをして食料を探し出し、村人全員が数日は過ごせるだけの水と食料を得ることができた。ディシーはというと、食料を得られたことを喜びもせず、兵隊さん達を埋めてあげようと言っていた。くそぅ、いい子すぎる。絶対助けてあげるからね!
軍から物を奪うなんて、と怖がる人もいたので、そこは私がきっちり手を回す。
二日後、村に国の使者がやってきて、突然近くで戦闘を行ったことを謝罪した。また全員が丁重に葬られていたことに感動し、そのお詫び及びお礼として、武具以外はすべて村の物にして良いと伝えた。
その間に、私は西の海上に強烈な日照りを発生させる。目的は果たせるよう、けど世界的な影響は最小となるよう、限界ギリギリの範囲での日照りだ。これだけ範囲を狭めれば、巻き込まれる船も……あ、やべ、いた。
一応調べる。既にほとんどの人が干物になっているが、一部の人は辛うじて無事。水を求めてるけど……ごめん、貴方達までは助けられない。
ふと、積み荷に妙な気配を感じて調べてみる。すると、どうやら巨大な魔石というものを積んでいるらしく、これが無事に届けられると、将来的に全人類が回復魔法を使えるようになり……うわ、単位頻波羅とか初めて見たし聞いた。幸福値すっごいな。
で?もしこれがこのまま漂うと……幽霊船状態になって西の国に辿り着き、そこで一部の人間の欲望のままに使われるように……よし、要らん!沈め!
船を覆い尽くす雷で、一瞬にして塵も残さず……いや、魔石がまるまる残ってる!?どんだけ丈夫なの!?あ、でもそのまま海底に……見つかることはないのか。うん、なら良し。
多少アクシデントはあったが、強烈な日差しは海水を蒸発させ、水蒸気は空に上って雲となり、雲は風に流されて地上に雨を降らせる。
雲の成長度合い、風の強さと方角、気圧の状態。そういったものを全力で操作し、ディシーの村に雨雲を運ぶ。
ここまでで、既に一週間が過ぎている。軍から奪った食料も底をついてたけど、まだ誰も死んではいない。そしてもう、誰も死なせない!
「ディシー、お待たせ!遅くなってごめん!」
思わず口に出して言うと、まるでその声が聞こえたかのように、ディシーはきょろきょろと周囲を見回し、そして家の外へと出ていく。不思議に思った両親がその後を追って行くと、既に村の上には真っ黒な雲が広がっていた。
ポツン、と、見上げたディシーの頬に水滴が落ちる。ポツポツと、そしてザアザアと、久しぶりの雨は村に降り注いでいく。
激しい雨音に、村人全員が外に出ていた。彼等は喜び、泣き、踊り狂い、村中の壺や甕を引っ張り出して雨水を溜めた。
そんな中、ディシーは豪雨に打たれながら、泥の中に跪いて静かに手を合わせていた。
「神様、ありがとうございます」
その隣に、私も座る。まあ、実際いるわけじゃないんだけど、気分の問題だ。
「ご飯のお礼だから、気にしないで」
祈り続けるディシーの肩を叩……けないので、そのフリだけして、私は雲の上に戻った。今まさに、村の救いとなっている雨雲だ。
そこに寝転び、溜め息をつく。
「……ねえ、文字さん。私って、神様失格かな」
そう問いかけると、すぐに返事があった。
『神は何をするのも自由です。従って、貴方が何をしようと、失格などということはありません』
「でもさ……結構、幸福値増やしたんだよ。でも、今回のことで、それほとんど無くなっちゃって……すっごい幸福値増えるのもあったのに、それも海に沈めちゃった」
『繰り返しますが、神は何をするのも自由です。気に入らないからと、世界を滅ぼして作り直すことだってできます』
「そ、そこまでする気はないけど」
『まして、口先だけの感謝を述べる者、それすら無い者、真摯な祈りと共に自分の食事を分けてくれる者。この中で誰かを助けるとなれば、答えは一つではありませんか?』
「それは、まあ、うん」
『そこは、神も同じです』
これまでとは少し違う、気遣ってくれるような言葉に、私はじっと光る文字を見つめる。
『まだこの世界が生まれたばかりの頃は、神も色々と手出しをしました。その際、世界の安定よりも、自身を信じてくれる者を優先して助けることも多々ありました。ですので、貴方の行動は神失格どころか、実に神らしい行動でした』
うん、やっぱり気遣ってくれてるみたい。人の心とか一切ない相手だと思ってたけど、気遣いくらいはできるんだね。少なくとも、文字さんのおかげでちょっと救われた気分になった。
「そっか……ありがとう」
『また何かありましたら、いつでもお答えします』
そして、文字さんは消える。最後はいつもの調子だったけど……うーん、実は気遣いしてる風なだけで、もしや円滑な業務のために最低限それっぽく振る舞っただけの可能性も……まあ、私の心は軽くなったし、別にいいか。
地上では、まだまだお祭り騒ぎが続いている。村中の入れ物を引っ張り出して、雨水をきっちり溜めてるから、この村はもう問題なさそう。調べてみても、雨雲はこのまま川の上流部に向かうし、ひと月以内には干ばつも終わるみたいだし。
私は意識を村から離し、国全体の様子を探る。すると、ごく一部の範囲を除いて、干ばつの影響はやっぱり甚大なものだったため、灌漑技術と海水から真水を作る技術の研究は始まるらしい。技術の完成は少し遅れるみたいだけど、影響を最低限にした甲斐はあったかな。
再び、意識を村に戻す。ディシーもお祈りが終わって、両親と一緒に喜んでいる。値千金の笑顔、と言いたいところだけど、千金どころか驚くほどの幸福値と引き換えなんだよね。でも、この子のこんな笑顔が見られたんなら、まあ悪くはなかったかな。
嬉しそうなディシーの笑顔を見て、私は改めて決意する。
「よし!ここまできたら、この子は全力で幸せにしよう!」
毒を食らわば皿まで。もう世界全体の幸福は二番目の目標にして、私はディシーの幸福値を最大化することに、全身全霊で取り組むことに決めた。
鎌で指を切る、虫に刺されてほっぺたが倍くらいに腫れる、毒蛇に噛まれて生死の境を彷徨う……避けられる危険は、徹底的に排除する。もちろん、包丁で指を切るけど、それによって今後気を付けるようになる、といった後の幸福値が増えるような事態はそのままにしとく。
ディシーは健やかに、元気よく育っていく。結構お転婆なところがあるので、正直見ていて冷や冷やする場面もあるけど……というか多々ある。毎日ある。だけど、本当に危ないことからは守れるし、本人も本気で危ないことはあんまりしないので、真の意味で危ない事態はない。
「神様、今日も一日、ありがとうございました」
お供えは毎日欠かさず。干ばつの一件以来、たまに果物が二つ付いてくることがある。果物の数が、最近の私の楽しみだったりする。
ディシーはあっという間に大きくなり、いつの間にやら10歳になった。
年齢一桁の頃と比べると、さすがに多少は落ち着きが出てきて、あんまり危険な遊びをすることはなくなった。ただ、今度は家の手伝いで料理するときなどに、細かい怪我をすることが増えた。
家の手伝いを嫌な顔一つせずにこなし、朝晩と食事の前にお祈りをし、夜更かしせずに眠る。いよいよもってどこのシスターだと言いたくなるけど、やっぱり彼女は農民である。
変わり映えのない、平和な生活。かつては私も送っていたような、何の変哲もない村の生活。ディシーにずっと付いているおかげで、ひっさびさにそれを体験して、少し懐かしい気分になった。私も、本当はこうやって、ずっと普通の生活を送るはずだったんだけどなあ。それが、今やこうして神の代行として、数百年に及ぶぐうたら生活。うん、やっぱり今の生活の方がいい。
平和に時が過ぎていき、ディシーは12歳になっていた。その頃、彼女とよく一緒に遊んでいた男の子が、彼女に告白した。そこらで摘んだ花束を持って、顔を真っ赤にしながらの告白。ディシーはそれを聞いて、同じく顔を真っ赤にしながら、花束を受け取った。うーん、ものすごく初々しい。告白と同時に人ん家でおっぱじめた、どこぞの国王直属植物学者の先祖は見習ってほしい。
そのまま、二人の初々しく可愛らしい恋を見守るのも一興だったけど、彼女が15歳になる頃に転機が訪れる。うーん、ちょっと悩ましいけど、まあ最終的にはこっちの方が幸せだし、やるかぁ。
ある雨の夜、ディシーの恋人は16歳になったお祝いにお酒を飲み、その際ちょっと多めに飲まされ、千鳥足で家に帰る途中泥で滑って転倒し、失神したところに雨が降り注ぎ、本人も気づかぬままに窒息死した。
翌日、それを知ったディシーはひどく取り乱した。どうして彼が死ななきゃいけないのか、どうして誰も彼を送って行かなかったのか、どうして彼を助けてくれなかったのか……。
ディシーは本当に彼のことが好きだった。だから、泣いて、泣いて、泣き続けて、ようやく涙が涸れる頃、大雨が降る村に一人の貴族が立ち寄った。
彼は男爵家の長男で、突然の大雨に馬車が進めなくなり、一夜の宿を借りに村を訪れていた。その対応をしたのがディシーであり、彼は陰を帯びたディシーに一目惚れしてしまった。そして猛烈なアタックが始まり、最初こそ恋人を忘れられずに断っていたディシーも、最後には根負けするように彼を受け入れた。
本来なら、貴族と平民の結婚は大変らしいが、爵位が低いおかげで二人の結婚は比較的すんなり決まった。慣れない貴族の生活に戸惑いつつも、ディシーは少しずつそれに順応し、数年も経つと立派な淑女になっていた。
貴族のご飯には結構興味があったのだが、元の恋人が死んでからディシーはお供えをしてくれなくなってしまい、それらは眺めるだけだった。うーん、残念。まあ、正直私が殺してるから、ねだるのも気が引けるしね……。
男爵家にしては裕福な家ということもあり、ディシーは何の不自由もなく、また当主となった彼はディシーを深く愛しており、ディシーは少しずつ本来の性格を取り戻していった。
庭の一部を菜園にしたり、平気で野良仕事をして日焼けしたり、庭師とディープな植物トークを繰り広げたり、ディシーの活躍は留まるところを知らない。
当主の彼は、庭を菜園にされた時にちょっと頬を引きつらせたが、そこで採れた野菜がなかなかおいしかったため、今ではすっかり歓迎している。庭師と仲が良いことにも、最初は少し嫉妬していたようだが、二人が作り上げる庭がこれまた見事だったため、何も言わないことに決めていた。
他の貴族家からは、最初こそ日焼けした貴族と嘲笑されることもあった。しかし、彼女の快活な性格と、庶民仕込みの満面の笑みは人を惹きつけ、いつしか蔑称だった元平民の貴族という呼び方が、親しみを込めて呼ばれるようになり、彼女の周りには笑顔が絶えなかった。
平民からの視点は、領地運営にも良い影響をもたらした。彼等の領地は派手な発展こそないものの、領民の不満が異様に少ない領地となっていった。だんだんと住みやすくなることに、最初は大きく育ててからばっさり刈り取られるのでは、と怯えていた領民達も、妻となった女性が元平民だと知ると、一転して大きな感謝の念を抱き、自慢の作物を食べてもらおうと領主の館へ持参する者まで出る始末だった。
子宝にも恵まれた。男の子三人、女の子二人の計五人の子供がおり、幸いなことに皆、仲が良かった。彼等は共に助け合い、領地の発展に尽くした。次男以降が婿や嫁に行った後もそれは変わらず、彼等はずっと仲が良かった。
そうして孫ができ、親が逝き、当主の座を退いていた彼も逝った。それから数年が経ち、いよいよディシーの寿命も尽きようとしていた。
その日は、朝から雨が降っていた。窓ガラスに伝う雨粒を見ながら、ディシーはベッドに寝ていた。
「おばあちゃん、何を見てるの?」
彼女の孫が尋ねると、ディシーは静かに笑った。
「私の人生はね、雨が降る日に、大きく変わってきたの」
「雨が降る日?」
「そう、雨の時……」
静かに呟き、ディシーはそっと目を閉じる。
「知ってるかい?私が、まだ小さな子供だった頃に、ひどい干ばつが起きたんだよ」
「あ、知ってる!おじいちゃんも、すごく大変だったって言ってた!」
孫の言葉遣いは貴族らしくないものだったが、ディシーは咎めることもなく、静かに頷く。
「そう、大変だった。ずっとずっと雨が降らなくて、作物は枯れて、井戸も干上がった。ひどいところは、川まで干上がったって話だった」
「川が、なくなるの……?」
「そうだよ。だから、いくつも村が滅びた。私の村も、本当に滅びる寸前で、私も死にかけてた」
心を落ち着けるかのように、ディシーは大きく息をついた。
「……だから、神様に祈り続けた。雨を降らせて、助けて……って。そうしたら、私が本当に死にそうになる頃、声が聞こえたの」
「声?」
声!?え!?私のあの時の声、聞こえてたの!?
「ああ、何て言ったのかはわからなかったんだけどね。だけど、私に呼びかけるような声が聞こえて……外に出てみたら、雨が降り始めたの」
「ふーん?誰が呼びかけたのかな?」
「あれはきっと……神様が呼んでくれたんだと、私は信じてる」
正解です。確かにあの時、私呼びかけたからね。うーん、ただの偶然か、それとも本当に聞こえてたのか……。
そんな私の苦悩をよそに、ディシーは語り続ける。
「そして、12歳になったとき、私は将来を誓った相手ができた」
「それがおじいちゃん?」
「ふふ、違うよ。平民の……ずっと一緒にいた、素敵な人だった」
「えー、最初からおじいちゃんが好きだったんじゃないの!?」
「おじいちゃんと会ったのは、その後だからね。私が15歳になった頃、雨が降る夜に……その人は、死んだ」
「ええっ!?なんで!?なんで死んじゃったの!?」
「慣れないお酒を飲んで、周りに飲まされて、その帰り道……転んで気を失って、雨水が空気の通り道を塞いでしまったの。寝てるような死に顔だったのだけが、唯一の救いだったわ……」
どうやら、あの出来事は未だに彼女の中で大きなしこりとなっているらしく、ディシーは大きく大きく深呼吸をした。
「……好きだった人が死んで、ずっとずっと泣いていて、ようやく涙が引っ込む頃に、大雨が降った。そこで出会ったのが、おじいちゃんだよ」
心配いらないというように、ディシーは目を開けて孫に笑いかけた。
「塞ぎ込んでた私に、それはもう熱烈に求婚してきて……しまいには私も根負けして、結婚することになったの」
「んーと……無理矢理、結婚させられちゃったの?」
「ううん。根負けはしたけど、結婚すると決めたのは私。それに、結婚したことは後悔してないし、あの人は私をすごく大切にしてくれたし、本当にいい人生を過ごせたと思ってるよ」
そこまで言うと、ディシーは少し疲れたらしく、小さく息を吐いた。
「……少し、疲れちゃったみたい。お母さんを、呼んできてくれる?」
「うん、わかった!」
元気よく返事をすると、孫はタタっと駆け出して行った。それを微笑みながら見送ると、ディシーは疲れ切った溜め息をつき、枕元の手を付けていない朝食に触れた。
「……神様。ずっと、私を見守ってくれた神様。これはもう、私には必要ありません。どうか、お上がりください」
スッと、触れていた朝食が消え、私の目の前にそれが現れる。でも、私は全く嬉しくなかった。
「思うところも、ありますけど……ずっとずっと、見守って、くれて……」
もう呼吸が苦しいのだろう。途切れ途切れに、しかしはっきりした声で言うと、ディシーは最後に大きく笑った。
「いい、人生でした……あり、が、とう、ご、ざ、い、まし……た……」
一際大きく息を吐き、ディシーの体から力が抜ける。もう目を開くことも、呼吸することもない彼女の手に私の手を重ね、私も目を瞑った。
「……お疲れ様、ディシー。私の方こそ、ありがとう」
私は雲の上に戻り、最後にディシーがくれた朝食を食べる。びっくりするほどおいしかったけど……だけど、なぜか、昔食べたパンと果物の方が、おいしかったような気がする。
彼女以外に、私に食べ物をくれる人はいない。唯一くれた彼女は、もう死んでしまった。別に一人が寂しいと思ったことはなかったけど、今回は世界に一人だけ取り残されたような気分になり、私は少し泣いた。
でも、泣いてばかりはいられない。いつかは彼女みたいな人がまた出るかもしれないし、その時に神の元へ……いや、来てないな。天へ……登ってないな。ん~……亡くなった彼女に、胸を張れるぐらいには頑張りたい。
だけど今日くらいは、人間じみた感傷に浸らせてほしい。それくらいしたって、バチは当たらないと思うから。