神に愛される者 前編
かなり長くなったので前後編に分けます。前編はちょっと短め
私が神の代行になって、早くも500年以上が経過した。
今や世界は私が生きていた頃とは大きく変わっており、様々な魔道具という物が活躍している。何でも、魔法の効果を道具の中に閉じ込めたものだそうで、たとえば光の魔法を封じてランプを作ったり、水の魔法を封じて大量に給水できるポットを作ったりといった具合だ。
これは皮肉にも、私が大失敗して駆除することになってしまった彼女の元親友が、突然の彼女の死を悼んで、その力の一端でも残そうとした結果生まれた物だった。
ただ、私のせいであの修道院は神に断罪された修道院として認識されてしまい、それに関わる人が漏れなく白い目で見られるようになっていた。おかげで魔道具が普及するまでは大変だったけど、せめてものお詫びに親友への風当たりは弱くなるよう援護した。
街と街を繋ぐ鉄道馬車に、巨大な魔道具のランプを載せて、夜でも人や荷物を運搬できるようになり、世界は飛躍的に発展していっている。かつて私が関わった人達の残した物が、こうして受け継がれ、進化していく様は見ていて非常に楽しい。
ちなみに、私が生まれた村は、今は消滅している。150年前後は新たな生贄が必要かと戦々恐々としていたのだが、まったくその気配がないままに時が過ぎ、やがて人々は洞窟の存在を忘れ始め、そうなるとあんなド田舎にいる理由が無くなり、今では住人が誰もいなくなってしまったのだ。
スコットとアイシャの子孫達は、今ではもう追いきれないぐらい存在している。ただ、例の品種改良マニアだった息子の家系は、代々国王直属の植物学者となっていた。
そうそう。この『王国』も今ではだいぶ変わっている。というのも、400年目前後で王族の直系が途絶えてしまったのだ。そこで急遽、王族の血が入っている人達が集められ、その中でも比較的血の濃い男性が王にされたのだ。
で、そんなごたごたで国王となってしまった彼は大いに嘆いていた。というのも、彼は堅苦しいことは嫌いで、偉い人になるより自分の好きに生きたいと思っていた人物だったからだ。そんな理由から、彼は王というものをただのお飾りに変え、政治や経済、農業などの専門家を育成し、実務はすべて部下に丸投げするという暴挙に出た。
とはいえ、それはそれで一つの完成形だったようで、専門家達は知識を本にして共有し、次代に伝え、子供達がそれを元にさらに発展させる、という好循環を繰り返している。そのため、以降の王国では大きな問題が起こることもなく、平和な時代が続いている。
昔、神の代行になる時に『安定した世界は神がいなくても問題ない』って聞いた覚えがあるけど、今の下界を見るとそれも納得できる。人間達はほとんどの問題を自分達で解決してるし、神が手を貸さなきゃいけない場面なんて、もはや想像もつかない。
そんな訳で、今日も今日とてぐっだぐだと怠惰に過ごしている。ここ100年以上はこれといった仕事もないし、本当に最高だ。
さて、今日はどんな風に過ごそうかなと、思いを巡らせている時だった。
ぽん、と、目の前にパンと果物が現れた。無造作に置かれたそれに、視線が釘づけになってしまう。
「え……何?食べ物?え、え、なんで?」
思わず声が出てしまった。でも、それも仕方ないと思う。ここに来て500年を超える年月が経ったが、今まで食べ物なんて出たこともなかったのだ。この快適空間唯一の欠点である。
そして、食料を得る方法は文字さんから聞いて知っているが、とてもじゃないが手に入れられるものではないということも知っている。それがここに来て、突然出てきたのだ。混乱するのも仕方ないと思う。
恐る恐る、パンに触れる。思った以上にしっとりと柔らかく、冷めてはいるがいい匂いがする。スコットの息子の成果かな。果物の方は、どうやら桃らしい。それなりに熟れているが、個人的にはもう少し早い段階で取った方が好み……いや、文句言うのも良くないか。
パンを手に取り、そっと口に運ぶ。一部を小さく噛み切ると、ふわっと小麦の香りがした。
「……あ~、うん。まあ、うん……うん」
正直に、本当に、本っ当に正直に言うと、期待したよりは美味しくなかったけど、でも何百年も前に食べたきりの食事がまたできたってだけで、まあまあ美味しく感じる。まあ、匂いは結構いいんだけど、その匂いから連想されるほどではないというか……うん。
次に桃を齧る。こっちはもう思った通り、いや、思ったより甘くて美味しい。桃も品種改良されたのかな。すっごく美味しい。
桃を水代わりに、パンも美味しく頂く。ジャムとかバターとかあればより良かったけど、もうもらえるだけで感動ものだし、この際贅沢は言わない。
と、そこでこの食事をくれたのは誰だ、ということにようやく思い至り、私は慌てて力を使った。
すると、どうやら王国の南の外れにある小さな村に住む、まだまだ小さな女の子がくれたようだった。決して裕福な家庭ではないけど、それでも自分が食べて美味しいと思ったものを、私にくれたようだ。
「私達が、毎日おいしい食事ができるのも、神様のおかげよ。だから、神様には感謝しなきゃダメよ」
そんな母親の言葉を、彼女は素直に聞き入れ、なおかつ自分が美味しいと思っているものを食べてほしいと、本気で思ったらしい。おかげさまで、私は実に500年以上ぶりの食事にありつけたわけだけど、この場合はこの子自身に感謝するか、母親に感謝するか悩ましい所だ。
私が悶々と悩んでいる間に、時刻は夕暮れとなり、再び私の前にパンが現れる。いまいちなおいしいパンをもそもそ齧りつつ、私はこの子に注目していくことに決めた。
この子の名前はディシー。元々素直で信心深く、物心ついてから母親に神の存在を聞き、感謝の念を抱くようになったようだ。
まあ、正直言って謂れのない感謝を受けている状況だけど……代行だから、しっかり代わりに受けないといけないよね!
で、感謝の印として、自分のご飯を神様にも分けてあげよう!と、いかにも子供らしい結論に至ったらしい。でも、おかげで純粋な気持ちで捧げられた物として、本当に私が食べられるようになったんだし、私の方こそ感謝しかない。
ディシーはよく働き、よく笑い、よく祈る子だった。太陽のような笑顔を浮かべ、家の農作業を嫌な顔一つせずに手伝い、朝起きた時と食事の前、夜寝る前に神への祈りを捧げ、何かいい事があった時も、いちいちお祈りをするような子だった。
まるで修道院の一日を見ているようだったけど、彼女はれっきとした由緒正しい農民である。ただの農民なのに、これほど信仰心が篤い人も珍しい。
そんな感謝の念を受けることは、決して気分の悪いものではない。むしろ、何百年も誰にも顧みられることのなかった私の存在を認めてもらえたみたいで、すごく嬉しい。
だから、私はディシーをずっと見守ることに決めた。さすがに傷一つない人生を!とはできないけど、大きな事故や災害には絶対に巻き込まれないよう、かなり気を使った。
巨大な台風が来た時は、床下にいい物が埋まっている夢を見させた。本当に何かあるかもしれないと床下を掘りまくったおかげで、家が吹き飛ばされても家族はその穴に避難していて無事だった。
馬車が暴走して下敷きにされそうなときは、横倒しになったときにちょうど窓部分に来るよう調整したおかげで、頭にたんこぶを作っただけで済んだ。
そんな偶然という名の、私の庇護が続いた結果、ディシーはますます信心深くなり、周囲も彼女には神の加護があるのではないかと噂するようになっていた。
このまま、穏やかに一生を終えられれば良かったのだけれど、それが起きたのは彼女が十歳の時だった。






