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乗り物革命

 神の代行となって50年。嫌でも時の流れを実感する。

 アイシャとスコットはもうお爺さんお婆さんだし、その子供達も大人……と言うよりおばさんとおっさんになっていて、娘の方は子供までいる。

 あの二人が子持ちどころか、孫持ちになるなんて想像もしてなかった。そして彼等の息子は農民ではあるんだけど、やたら作物の品種改良に興味を持っていて、その結果として病気に強い麦を作ることに成功していた。

 そのおかげで、麦の病気が流行った時もあの村の麦にはほとんど被害がなく、結果として周辺の村まで救うことになっていた。

 つくづく、あの時スコットを爆発させないでよかったと思う。

 そのスコットは、もう寿命が近い。アイシャだって、もう10年も生きられない。

 私だけが、別れた時の姿のまま、こうして二人を見ている。

 その事に一抹の寂しさを……なんてことはなく、むしろ気分は最高だ。不老不死ってみんなが憧れるけど、実際なってみると……うん、やっぱり最高だね。私だけ永遠の若さ。永遠の命。永遠のだらだら。ビバ、神代行。

 そんなこんなで、私は今日も神の代行に励む。具体的には下界を眺めてだらだらすることだ。


 暇潰しに色んな人を見ていると、その中の一人に目が留まる。これはまた、結構面白そうだ。

 どうやら、両親が早世してしまった男爵家の長男のようだ。歳はまだ十歳。小さいながらも領地があり、そこの運営をしなければならなくなってしまったようだが、本人はいたってやる気なし。

 究極の面倒臭がりのようで、自分の代で家が滅びてもいいとすら思っているようだ。しかし、両親に彼を任された騎士団長や、三代に渡って仕えてきた執事は、とてもではないがそんなことを容認できるわけがない。

 何だか親近感の湧く相手だが、彼は世界全体の幸福値に大きく関わってくる存在だ。そして、ちょっと変わった方法でそれを達成できる。ただ、そこそこ長い間付き合うことになりそうだが。

 とはいえ、基本的には暇だし、長い間暇潰しができると思えば悪くない。それに世界の幸福値を増やすのは、神としてぜひとも達成したいことでもある。

 そんな訳で、まずは第一の矢。彼の家庭教師となるはずだった者達を、悉く邪魔して辿り着かせない。殺す必要はないので、馬車を出払った状態にしたり、近しい人に不幸があったり、盗賊に遭って身包み剥がれたり、といった具合だ。

 家庭教師になるはずだった人々は、やむなく諸事情によりお断りするとの連絡を男爵家に入れる。すると、せめてきちんとした教育を、と考えていた人々は、目に見えて落胆する。

「マナーの講師も、馬術の講師も、それどころか学問の講師まで断られるとは……神は、我等を見放したのでしょうか」

「仕方ありません、我等で出来る限りの手を、尽くしていくしかないでしょう」

 だが、当の本人はその報告に狂喜乱舞しており、暇になったんだから領地視察に行こうなどと言い出す始末。うん、なかなかいい性格してるわこの子。

 執事と騎士団長は反対するも、領地視察そのものは悪いことではない。そのこともあって、彼にいいように言い包められてしまい、数日後には馬車を仕立てて出発する。

 そしてわずか数分後、街に出てすぐに彼は不満を訴えだした。

「おい、馬車が揺れすぎじゃないか!?もっと揺れないようにはできないのか!?」

「申し訳ありませんが坊ちゃん、それは無理でございます。石畳にしろ土にしろ、道に凹凸がある限りは馬車は揺れますので」

「だったら平らに均せばいいだろ!?もう尻が限界だぞ!」

「極力、そうはしております。しかし、限界がありますので」

 どうやらだいぶデリケートなお尻のようだ。でも、馬車は意外と揺れるというのは聞いたことがある。ちょっと興味が湧いたので、彼の視点に同化してみることにした。

「うおっと!ああっ、また尻が……くそぅ、誰だ領地視察なんて言い出したのは!?」

「坊ちゃんでございます」

「知ってるわ!くそぉ、まずは領地視察の前に馬車をどうにかするぞ!いったん帰れ!」

 うん、確かにかなり揺れてる。石か何かを踏むと、結構強めにガクンと跳ねるし、正直に言ってあまりいい馬車でもなさそうで、乗ってるだけでそれなりの苦行になりそうだ。

 そして、彼は屋敷に戻ると、まず馬車を飛び降り、その車体をじっくりと観察し始めた。

「坊ちゃん、何をなさっているので?」

「馬車を改造できないか考えている。衝撃を和らげることができれば……」

 おお、この子とんでもない事考え始めたな。しかし、執事の人は呆れたように溜め息をついた。

「鎖で吊り下げるような物もあるとは聞きますが、とてもとても、我等が買えるような代物では……」

「鎖で……ふむ、悪くは……だが、それだと揺れがひどそうだが……?」

 ぶつぶつ言いながら、彼は馬車をじっと見つめる。そして何を思ったか、何度か馬車に乗り降りすると、腕を組んで目を瞑る。

「坊ちゃん、屋敷へ戻りませんと……」

「じい、待て。今いいところだ」

 言いながら、彼は馬車のタラップに足をかけ、グッグッと体重をかける。馬車はギシギシと軋み、車体が揺れる。

「……よし。じい、木材の加工ができる者を連れてこい」

「は?木材、で、ございますか?」

「そうだ。馬車の職人でも大工でも何でもいい。とにかく木を扱える者だ。それと、それが終わったら筋肉野郎と一緒に書斎へ来い」

 それから十分後、書斎には執事と騎士団長、そして幼い当主の姿があった。

「それで、執事殿はともかく、どうして私まで呼ばれたのです?」

 騎士団長の問いに、彼はまっすぐに視線を向ける。

「揺れない馬車を作る」

「揺れない馬車?ええと……ますます、なぜ私まで?」

 すると、彼は失望の色を湛えた目で騎士団長を見つめた。

「揺れない馬車だぞ!?それに何も感じないのか!?」

「いや、羨ましいなとは思いますが……私が一体どのような役に……」

「馬鹿お前っ……いや、そうか、馬車と言ったのが悪いのだな。揺れない荷車……ならどうだ?」

 すると、騎士団長は驚いたように目を見開き、すぐにその眼がスッと細められた。

「是が非でも、欲しいものですな。それで、坊ちゃまは作れるのですか?」

 その言葉に、彼は満足気な笑みを浮かべた。

「さすが、気付いたか。作れる……とは言えない。だが、作る」

「し、しかし坊ちゃん、揺れない馬車など作っている余裕は……」

 執事の言葉を制したのは、騎士団長の方だった。

「いや、執事殿。これは起死回生の一手にもなり得ます。前当主様が亡くなり、今の我等が領地は、飢えた獣の前に投げられた肉と同じ……しかし、何か一つでも他領に真似のできないものがあれば、そう簡単に食われることはありますまい」

「で、ですが、それでも馬車では……」

「いえ、馬車だからこそです。何も、馬車で運ぶのは人でなくとも良い……たとえば、行軍に欠かせぬ水では?」

 そこまで言うと、執事もハッとしたように目を見開いた。

「揺れないのなら、甕も割れない。荷崩れもない。大量の荷物を、それも今まで運べなかった物を、運べるようになるな?」

 幼い当主の言葉に、一同は言葉を失っていた。とても、怠惰な彼から出た言葉とは思えなかった。

 と、そこにメイドの一人が、彼等に来客を告げた。書斎にそのまま通すように伝えると、明らかに緊張した職人達が書斎へと入ってきた。

「みな、ご苦労。挨拶も礼儀もいらぬ。俺が求めるのはただ一つ、たわんだ木材を作れないか?」

「は?たわんだ木材……ですか?」

 訳が分からないと言うように聞き返す職人。普通、木材はまっすぐであることが求められるため、なぜわざわざ使えない木材を求めるのかがわからないのだろう。

「さらに言えば、そのたわんだ木材をこう……」

 言いながら、彼は小さな腕をいっぱいに使い、楕円の形を作って見せる。

「こんな感じで組み合わせることはできないかと思ってな。そして、その上に馬車を乗せるのだ」

「は、はあ……それは、その……」

 職人達は顔を見合わせ、戸惑った表情を浮かべている。やがて、誰ともなく顔を突き合わせ、相談を始めた。

「……おい、馬車の車体って作れるか?」

「そっちは何とか……ただ、たわんだ木材ってのはなぁ……」

「それは俺が何とかしてみる。組み合わせるのはちょっとわからんが……」

「なら、それは俺達がなんとかする」

 話がまとまり、職人達は当主へと顔を向ける。

「何とか、やってみましょう」

「よし、頼むぞ!これが成功すれば、お前達は歴史に名を残すぞ!」

 何を大袈裟な、と職人達は笑っていたが、執事と騎士団長は真面目な顔だった。彼の言葉が、大袈裟でも何でもないことを知っているからだ。


 その日から、職人達はたわんだ木材の制作を始めた。とはいえ、木材は乾燥させる必要があるため、すぐに作れるわけではない。

 そのため、木材制作と並行して、木材を楕円に組み、その上に車体を乗せる実験をしていた。

 何度も何度も実験を繰り返し、何度も何度も失敗した。車体の重みに耐えきれず、たわんだ木材が折れてしまったり、弾力が足りずに木材が潰され、ただの馬車と成り果てたり。

 試行錯誤を繰り返し、一年後、幼い当主の前に一台の馬車があった。

 一見すると、普通の馬車と変わりがない。ただし、他の物よりやや背が高く、車軸の上にたわんだ木材が合わさって楕円となった物が置いてあり、その上に車体が乗っている。

 その馬車に、当主が乗り込む。執事が御者を務め、ゆっくりと馬車が動き出す。

 屋敷の庭の中を、ゆっくりと回る。その途中にはいくつか大きな石が置いてあり、馬車は何度かそれを踏んだ。その度に、車輪は大きく傾いたものの、車体はそれほどの動きもなく通過することができた。

 庭を一周し、元の場所に戻ると、職人達は歓声を上げた。だが、当主の彼は若干不満げな顔で馬車から降りてきた。

「いかがでしたか、坊ちゃま?」

「うん、悪くはない。悪くはないんだが……やっぱり、全然揺れない馬車が欲しい!」

 ちなみに、家庭教師が誰か一人でも到達していると、この馬車は出てこなかった。マナー講師が居ると下々の者とは気軽に喋れなくなるし、馬術講師が居ると馬車に乗らない。学問全般は単純に時間が無くなってしまう。

「坊ちゃん、それはもはや我儘でございます。このわたくし、こんなに乗り心地のいい馬車は初めてでしたぞ」

 私も、彼の視点を借りてこの馬車に乗っていた。初めに乗っていた馬車と違って、こっちは揺れが半分以下に抑えられていたけど、彼にはまだ不満だったらしい。

「荷車にはいいだろうけどさ、やっぱり細かい振動は来るし、意外とボヨンボヨンしたりするし……こう、全然揺れないって馬車、作れないかな」

 あくまで乗り心地を追及する彼に、執事は大きな溜め息をついた。

「無理でございましょう。道に落ちている石を全て取り除き、全てを石畳に変えたとしても、凹凸はありますからな。よっぽど、全ての道を板で作るでもしない限りは……」

 その言葉に、彼はバッと顔を上げた。

「じい!今何と言った!?」

「は?い、いえ、揺れない馬車は無理だと……」

「そうではない!道を板で、と言ったな!?」

「そ、それは、はい……いえ、ですがそれは……!」

「じい、お前は天才だ!そうだ、その手があった!」

 また何やら、彼は思いついてしまったらしい。新作の馬車お披露目会は、そのまま次期新型馬車相談会になってしまった。

「板で道を作ると言うのは不可能か?」

「木材が圧倒的に足りませんな。馬車が通る道だけでも、この街の中だけでどれだけ必要になるやら……」

 職人達は一年間、領主の彼に付き合ってきた結果、今では忌憚なく意見を言える関係となっていた。

「そうか……薄くしてもダメか?」

「薄くしては、重量に耐えられないでしょう。さすがにこれは……」

 どうやら今回の思い付きはうまくいかなかったようで、騎士団長もやれやれと言うように首を振った。

「棒であれば、調達も容易いでしょうがなあ……棒で道など……」

 そうぼやいた瞬間、当主は騎士団長の大きな手を両手で握った。

「筋肉野郎!素晴らしい、素晴らしいぞ!お前も天才だな!」

「そ、その呼び方はやめていただけますかな?しかし、今度は一体何を思いついたので?」

「お前の言ったことそのままだ!棒だ!棒で道を作るんだ!」

 またぞろ何を言いだすのやらと言う顔で、全員が彼を見つめていた。しかし、珍妙な思い付きから揺れない……もとい、揺れの少ない馬車を作った実績があるため、彼等はまたしても新型馬車の作成に取り掛かることとなった。

 まず始めたのは、棒の上に馬車を乗せるという作業だった。しかし当然、丸い棒は物を乗せるには向いておらず、車輪は滑り落ちるばかりだった。そこで、家具職人の男が丸ではなく、やや四角い物に変えたところ、今度は棒が折れてしまった。

 最終的には台形に近い形の棒に落ち着き、今度はその上を走らせるとなると、やはり曲がり角で車輪が滑り落ちる。

 すると、当主は車輪側を加工することを思いつき、外側を少し削ることによって脱落を防いだ。

 そして、ここで第二の矢、長雨を降らせる。

 雨でぬかるんだ地面は、馬車の乗った棒を飲み込んでしまい、無駄に車輪の尖った馬車はその場で動けなくなってしまった。

「くそっ……せっかく算段が付いたと思ったら、こんなところで諦めねばならないのか……!?」

「雨で壊れる道では、使い勝手が悪すぎますな……」

 一同がすっかりしょげている中、騎士団長は埋まった棒をじっと見つめていた。やがて、彼はおもむろにそれを地面から掘り返し、練習用の木剣を数本持ってきた。

「おい、何をしているのだ?」

「雪の中、どうしても行軍の必要がある時、我々はかんじきというものを利用します。それがあれば、雪で滑ることも、埋まることもなくなるのです」

「そのかんじきを、この棒に履かせるとでも言うのか?」

「まあ、そんなところですな」

「え?ほ、本当にそんなことができるのか?」

 冗談で言ったことを肯定され、彼は驚いたように聞き返した。それに対し、騎士団長は黙々と作業を進め、数本の木剣を置き、その上に道となる棒を配置した。

「さて、これで皆の努力が結実するか、無となるか……勝負ですな」

 泥だらけになった騎士団長は、その腕力で馬を使わず馬車を押し込み、棒の上に乗せた。すると、棒は若干沈んだものの、埋まることなく耐えて見せた。

「うおおおお!筋肉野郎、今日ほどお前が輝いて見えたことはないぞ!」

 言いながら、彼は泥だらけの騎士団長に飛びついた。

「い、いけませんぞ!お体が汚れます!」

「構うものか!これで、これで揺れない馬車が作れるのだ!お前のおかげだぞ!」

 こうして、最大の難問もあっさりと乗り越え、やがて街中に奇妙な物が敷設され始めた。

 数本の横木の上に、二本の棒を乗せる。それを固定すると、そのまま次々と同じような物が繋がっていく。

 やがて、街を縦断するように棒の道が作られると、領主による新型馬車のお披露目会が行われた。

 それは木道馬車という、新しい乗り物だった。棒の上を進むため、揺れず、木道だけを進むため、事故も起こりにくいとされる。

 そして驚くべきことに、これは領内に住む平民にも、気軽に使える乗り物だった。街中にはいくつか駅が設けられ、駅ごとに乗客の乗り降りができる。運賃は距離にもよるが、最も近い駅までなら銅貨数枚。一番遠い場所でも銀貨一枚で足りてしまうほどだった。

 数人が乗合いで使うことになるが、それでも揺れない馬車という画期的な乗り物は、たちまち市民の足としての地位を確立していく。やがて、貴族用の豪華な馬車や、新たな木道及び駅の敷設など、街は大きく発展していく。

 さて、この揺れない馬車を、なぜ彼が使わなかったのかということだが、この馬車ができた時、彼は根本的な問題に気付いたのだ。

「……そういえば、木道しか走れないのでは、視察には向かないのでは……?」

「そうですな……自由度はまったくありませんからな」

 議論の結果、この馬車は市民の足となることが決定した。移動手段があれば、利用したいと思う者は多いはず。また、このような馬車があれば、今まで動かせなかった多くの物を動かすことも可能となる。

 そう考えた領主の考えは見事的中し、物珍しさから観光客も呼び寄せることとなり、街は飛躍的に発展していった。

 そしてもう一つ、予想外の効果があった。木道を走る馬車は、普段より少ない力で動かすことができたのだ。妙に馬が元気だな、という疑問から始まり、やたら重い荷物も軽やかに引く姿が話題になり、人間が引いて試したところ、普通なら引けないような重さの荷物も簡単に引きてしまった。

 これにより、資材の大量輸送が可能となり、木道沿いには石造りの丈夫な建物がいくつも建っていった。

 一度、領土と新型馬車の技術を狙って隣の領地から攻められたことがあったが、それには緩衝器付きの馬車が大活躍し、あっさりと撃退していた。

 大量の荷物が高速で輸送でき、また悪路にも強いという特性まであったため、軍全体の機動性が段違いだったのだ。そして筋肉野郎こと騎士団長が、びっくりするほど強かった。

 戦にも使える揺れない馬車の活躍は、彼等に更なる発明をもたらした。何を隠そう、この領地侵攻が第三の矢だったのである。

「坊ちゃん、僭越ながらわたくしめも、馬車の足回りを考えたのですが……」

「え、じいが、か?一体どのような物だ?」

「かんじき馬車、とでも言いましょうか……揺れない物ではないのですが、ぬかるみも走破できる馬車があれば心強いな、と思いまして」

 そうして差し出された紙を、当主はじっと見つめ、そして口角が吊り上がる。

「じいっ……お前、本当に天才か!?」

「坊ちゃんの影響でございますよ。それに最近は何やら、こういう物作りが楽しく感じられましてな」

 彼が提案したのは、二本の紐に平行となるよう多数の木材を通した物を、車輪に噛ませるもの。つまり、常に枕木を踏んで走行する馬車だった。

 もはや恒例行事となった職人達との会議を終え、第三の馬車を作り出す。こちらは少々苦戦したが、左右の車輪を独立させ、前後の車輪の間にいくつかの転輪を入れ、車輪を歯車にしてしまうことで解決していった。

 そうして完成した馬車は、曲がり角はやや苦手だったものの、泥の地面でも雪の中でも走り抜けることができ、天気に関係なく輸送ができるようになった。

 乗り心地に関しては、そのままだと自分でガタガタさせて最悪の部類であるため、柔らかめの緩衝器を使うことで乗り心地を確保していた。

 この頃には、彼はもう既に成人しており、数々の新型馬車を開発して、交通の常識を塗り替えた当主として君臨していた。

 緩衝器付き馬車を王都に納品し、王の覚えもめでたく、男爵から子爵への陞爵が決定し、領地はさらに拡大された。その拡大した領地を木道馬車で繋げ、各町への迅速かつ大量の輸送を実現し、それによって大規模な治水や開墾が可能となり、領地はますます発展した。

 こうして、数々の発明を用い、領内の発展に努めた彼は、稀代の名君として記憶された。しかし100年も経つと、その存在をほぼ忘れられていた。

 というのも、子孫にとって彼の名前はあまりに重く、常にそれと比べられることに辟易してしまい、意図してその家名を隠し、やがて消えてしまったのだ。

 それでも、彼の発明品は残っている。もはや木道馬車は当たり前の物となり、多少大きな街なら王国のみならず、各国で必ず見かける物となっている。それどころか、木道では耐久性に難があると、それを鉄道に改修したところまで存在する。

 緩衝器付きの馬車はそれこそ世界中で走っており、緩衝器のない馬車は一番安い物となっている。

 かんじき馬車は橇と競合するため、それほど多くは作られていないが、雨の多い地域やたまにしか雪が積もらないような地域では、貴重な交通手段として根強く残っている。

 そんな改革を成し遂げた彼は、その名君ぶりを称えられることは多々あったが、その度にこう言っていた。

「自分は楽がしたかっただけで、別に領地を発展させようなんて思ってなかった」

 多数の者は、それを彼なりの謙遜だと思っていたが、どっこいそれは100%彼の本心である。

 言うなれば、彼は有能な怠け者だったのだ。

 人並み外れた発想力に、それを実現するため、身分を気にせずあらゆる者と対等に話す柔軟さ。楽をするためならどんな苦労も厭わないという、ある意味矛盾した考え方。

 それは周囲に頼れる者がいれば決して発揮されず、常識という固定観念があってもダメだった。とにかく、何かしらの苦難に晒されれば、彼はその能力を如何なく発揮して、それを乗り越えるのだ。

 全ては、自分が楽をしたいがために。

 彼の最終目標は、自分が何もせずとも領地が運営され、金が入り、勝手に発展していくようにすることだった。そして、自分自身は家でずっと怠惰に過ごすという壮大な計画をしていたのだ。

 ところが、新型馬車を作って以降、あらゆる面で頼られることとなってしまい、しかも常にそれを解決してしまうため、彼は死ぬまで怠惰な生活を送ることはなかった。

 もちろん、そう仕向けたのは私なのだが、ちょっと親近感があっただけに、ほんのり罪悪感を覚えてしまう。

「ま、それでも家庭教師招いて、田舎貴族として過ごすよりずっと幸福値も高かったんだし、むしろ感謝してほしいところね」

 そう独り言ち、視点を彼の墓から雲の上へと動かす。これでまた、世界に幸福が増えた。

 私だって怠惰な生活をしたいと思ってたけど、こうやって神様の代行を何年も務めることになってるんだし、たかだか数十年くらいは我慢してほしい。

 まあ、実際は結構怠惰な生活なんだけどね。

 さてと、今回もいい仕事した。私は大きな満足感とともに、恒例のお昼寝を開始するのだった。

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