暇潰し
神の代行になって数日。私は今日も職務に励んでいる。
「ふあぁ~……ああふ……」
大欠伸をしつつ、世界を眺める。今日も何もなし。よし、今日の業務終了。
どう見てもサボっているように見えるかもしれないが、本当に、本っ当に何もないのだ。
もちろん、力を使って何やらやることはできる。ただその結果が、ほぼろくでもないことになってしまうのだ。
そりゃあ雷落としたり地震起こしたり津波起こしたり、そんなことしたらひどい結果になるなんてのは理解できる。でも、じゃあそれならと、死にそうな人を助けようとしても、何かしら良くないことが起きるのだ。
たとえば、行き倒れの旅人を助けたら実は病気持ちで、たどり着くはずのなかった村が滅びて、さらにどんどん他に広がって国が滅びかけたりする。
その病気治したらどうかと思ったけど、やっぱりその人のせいでトラブルが起きて、罪のない家族が死んだりするのだ。
これはもう本当に何もすることがない。
もちろん、個人的には大歓迎する事態だ。することなんて、何もないに越したことはない。
ただ、若干暇なのも確かである。そんなわけで、何か暇潰しになることはないかなと、本日第二の業務を開始する。
他人様の過去を覗くのは結構面白いけど、本当に面白い経歴を持っている人なんてあまり見つからない。力を使うと割と大事になりやすいので使いたくない。
かといって、私自身が何かしようと言う気も起こらない。トランプ一つ、ボール一つないこの空間だし、やっぱり力を使って何かしたい。
ああでもない、こうでもないとウンウン頭を捻っていると、雲の下を一羽の鳥が猛スピードで飛び抜けて行った。それを見送って、はたと気づく。
――視点を、あの鳥に合わせられるかな。
思った瞬間、視点がぐわんと動き、一瞬後には雲が凄まじい勢いで流れていた。
「おおおおおおっ!」
思わず声が出た。すごい、本当にすごい。まるで私自身が鳥になったかのように、左右には鳥の翼が見え、風を切る音も凄まじく聞こえる。
鳥が空を飛ぶのって、こんな感じなんだ。普段なら絶対経験できない体験に、私はついついはしゃぎまくった。
海の上に出た時、鳥の目が、はるか上空から魚の影を捉えた。てかすごい、あんな風に望遠鏡みたいな視界になるんだ。目が良いとは聞いてたけど、想像以上だ。
次の瞬間、風の音が一層強くなり、視点が急降下を始めた。風がごうごうと唸り、みるみる海面が近づいていく。
そして、狙いを付けた魚に襲い掛かる瞬間。とんでもなく巨大な影が動いたかと思うと、目の前に巨大な歯が並んだ口が広げられた。
「ぎゃあああぁぁぁ!?」
慌てて逃げようとするも間に合わず、禍々しい口が閉じられる。全身から血が噴き出し、視界が赤く、そして白く変わり、やがて黒く変わっていく。
そのまま海中に引きずり込まれ、いよいよ私を飲み込もうと、大きな口が――。
「って、終わり終わり!鳥さん終了につきこっちも終了ー!!」
ぶわんと視界が動き、周囲の景色が雲の上に戻った。それを確認してから、私はハアハアと荒い息をつき、胸に手を当てて鼓動が鎮まるのを待った。
……いやぁ、怖かった。てか、あんな上空から降ってくる鳥を襲う海の生き物なんていたんだね。一つ賢くなったけど、あんなスプラッターな観劇はごめんだ。なまじ、視界が完全に鳥の視界だったせいで、本当に自分が食べられてるみたいだった。
とりあえず、鳥はどっちかというと弱い生き物だから襲われることも多いみたいだし、別の生き物の視界を見てみよう。
そう思い、今度は森の上へと移動する。そこで情報を探ると、生まれたばかりの猪の赤ちゃんがいることがわかった。
猪。成獣は畑を荒らしたり、気が立って人を襲ったりと厄介な動物だけど、同時に貴重なお肉でもあった。身近と言えば身近な生き物で、そしてどんな生き物であっても赤ちゃんは可愛いものだ。
そこで、私は赤ちゃんの一匹に意識を集中した。
再び視界が変わり、寝転んだかのように低い位置の視点になった。そこは薄暗い巣穴の中で、周囲には兄弟と思しきウリ坊が見えた。
「ふわああぁぁ……かわ……ん?」
巣穴の入り口に、大人の猪が寝転んでいる。寝転んだまま、ズリズリと巣穴の外へ出て行く。やがて、ズリズリという音が止まると、巣穴にのっそりと巨大な熊が入ってきた。
兄弟の一匹が、警戒心もなく熊に近づく。そして前足の匂いをふんふん嗅いでいると、熊がその兄弟に鼻を近づけた。
ゴキッ!と嫌な音が響き、兄弟の首がおかしな方向へ曲がる。熊は哀れな兄弟を口の中に収め、ゴリゴリと咀嚼を開始する。
口から兄弟の血を垂れ流し、熊が私の目の前に立つ。そして、血に濡れた口を大きく開き――。
「よしやめ!おしまい!終了!戻れぇぇぇ!!」
私は再び胸を押さえ、自身の鼓動を鎮めるのに必死だった。
さっきから何なのほんと。動物の世界ってここまで過酷なの?それとも私の選び方が悪いだけ?野生の世界は厳しい、なんて話は聞いてたけど、ちょっとこれは想像以上かな。何にしろ、もう動物の視点はお腹いっぱいだ。
そうか、動物の視界を得ようとするから悪いんだ。視点が自由に動かせるってことは、私自身が空を飛ぶように動かすこともできるはず!
さっきの鳥の視点を思い出し、視点が動くように念じる。思った通り、まるで自分で空を飛んでいるように視点が動いた。
せっかくなので、鳥のように腕を広げて飛んでみようと、地面に腹這いになろうとする。すると、足の方がふわっと浮き上がる感覚があった。
「な、何これ!?」
『貴方はこの場所においては、自由に動くことが可能です』
あ、文字さん数日ぶりです。
『空中に寝転ぶことも、天井に立つことも可能です。もちろん、慣れない、不安だというのであれば、今までのように動くことも可能です』
「説明ありがとう」
『また疑問があればお答えします』
そうか、そんなことできたんだ。もっと早く知ってれば空中で寝ることもできたのに……って思ったけど、よく考えたら洞窟のはずなのに床冷たくないし、微妙に浮いて寝てたのかも。
気を取り直し、前を見ると鳥のように腕を広げる。そして再び視点を動かすよう念じると、景色があっという間に後ろへ流れていく。
「ぃやっほおおぉぉ!!」
爽快だった。雲がびゅんびゅん後ろへ流れ、編隊を組んで飛んでいた鳥達をあっという間に追い抜かす。右へ、左へ、身体を傾ければ思った通りに旋回し、空を自由自在に動くことができる。
まるで鳥、いや、神になった気分だった。作り上げた箱庭に入って、その箱庭の視点で遊ぶ神のような。いや、気分じゃなくてある意味そのものか。代理だけど。しょうがない、神様の代わりに全力で遊ぶしかない。
雲の上から急降下し、海面すれすれを飛ぶ。やがて陸地が見え、草原を飛び抜け、森の中へと突入する。
「うわっ!?とっ!む、むずっ……!」
あまりにも速すぎて、木を避けるのがとんでもなく難しい。けど、それができてしまう辺りが神の力だろうか。
なんて事を思っていたら、目の前に大木が迫っていた。気が逸れたせいで、気づくのが遅れたらしい。
「うわああっ……あ?」
するん、とすり抜ける。すり抜ける時に木の内部がばっちり見えたけど、私は無傷。木も無傷。一瞬考え、私はポンと手を打った。
「そっか、視点動かしてるだけだから、何にもぶつからないんだ」
あまりの臨場感に、本当に飛んでる気分になってたけど、これはあくまで視点が動いてるだけ。つまり、障害物を避ける必要なんて全然ない。
そうと気づけば、もう何も怖いものなんかない。私は森を一直線に飛び抜ける。
木をすり抜け、蔦をすり抜け、何だかよくわからない草やら花やらも全部避けずにすり抜ける。その時に内側が見えるのもちょっと面白い。
森の中を一気に飛び抜け、もうすぐ森を出ると思った瞬間。
ひょいっと、木の陰から一人の猟師が飛び出してきた。いきなりすぎて避けることもできず、でも避ける必要はないと思って、しかし避ける必要があると気づいて――
「……おぇ」
吐きそうにはなるけど、実際には何も出てこない。もう数日間何も食べてないから当然だ。
知らなかった。人間の内側ってあんな風になってるんだね。知りたくなかった。
やっぱり雲の上が一番いい。もう二度とあんなの見たくない。心臓が動いてる光景とか……うう、夢に見そうだ。寝なくてもいいんだけど。少なくとも数日は何も食べたくない。食べたくっても何もないけど。
ごろんと、雲の上に横になる。退屈だからたまにはやるにしても、もう人のいる高さは絶対に飛ばないと誓う私だった。