エピローグ ある女の一生
ある日、ある村で、一人の女の子が生まれた。特に難産でもなかったのだが、生まれた女の子はまったく泣き声を上げず、ただすやすや眠っていた。
一応、お尻を引っ叩いてみたところ、何をするんだ、とでも言いたげに、ふにゃあぁ!とだけ声をあげ、また寝てしまうという大物ぶりを見せつけた。
ひどく面倒臭がりの子で、何をするにも必要最低限の動きしかしなかった。ハイハイすらほとんどせず、転がって移動し、かと思えば必要に応じてひょいと立ち上がったりもし、とにかくものぐさな子なのだろうと皆が言っていた。
だが、彼女が怠惰でいられたのは、ほんの生後二年程度までだった。
彼女の両親は、悪い人間ではないのだが、しばしば彼女の面倒を見ることを忘れた。そのため、彼女は食事を得るために、自分で台所まで向かう必要があった。おむつを替えるのも、体を洗うのも、三歳の頃までには自分で出来るようになっていた。
自分で出来るのなら手がかからなくて良いなと、両親はますます放任し、彼女は五歳になる頃には料理までできるようになっていた。
まるで一度生まれたことがあるかのように、あらゆることをどんどん覚えていく彼女は村でも評判となり、様々な仕事を任されるようになった。
口では嫌だ面倒臭いやりたくないと言いつつ、押しに弱すぎる彼女はあらゆる仕事をする羽目になった。そこで能力が足りないのであれば、仕事の数も減ったはずなのだが、手が抜けない上になまじ能力のある彼女はすべての仕事を完璧にこなし、どんどん仕事を増やしていった。
機織り、縫い物、農作業、計算。彼女に死角はなく、ありとあらゆる仕事が持ち込まれ、根が怠惰な彼女はたまに本気で泣いていた。その姿に心を痛める人もいたが、仕事が完璧であるため遠慮なく頼った。
平民出身の彼女は、そうして領主の館で仕事をするようになり、ますます忙しくなった。
また、彼女は不思議な言動をする時があった。
ある時、数百年前の王国で大干ばつが起きたという資料が見つかった。現在の技術ならまだしも、当時の人々がそれをどうやって乗り切ったのかという話になったところ、彼女はどこか上の空で喋りだした。
「ううん、乗り切れなかった……ただ、神様に縋るしかなくて……生き残ったのは、運がいい人達。それと、神に愛された人……『ディシー、お待たせ』って、助けられた人……」
そこまで言って、彼女はハッと口を押さえた。先程の言葉について尋ねても、一体自分が何を話したのかわかっていないようだった。
その言葉を誰かが調べたところ、ある男爵家の先祖に『ディシー』という名を見つけ、しかも元平民ながら数奇な運命をたどって貴族となったことが判明し、彼女は更なる仕事を呼び込むことになった。
彼女は霊媒体質なのではないかと疑われもしたが、そんなことは一切無いようで、ならばなぜあんな言葉が出てきたのかと、今度は好奇の視線が増えていく。
仕事で頼られ、仕事が終われば好奇心から様々な相手に様々な質問を受け、家に帰れば家事はすべて彼女の仕事。
まったく休む暇など無く、しばしば彼女は死んだ魚のような目をしていたが、身体も非常に丈夫だったため、幸か不幸か体調を崩すようなことは一度もなかった。
あまりの重労働に、上司なり神なりを恨む言葉が出てもおかしくないところ、彼女は決して恨みごとを言うことはなかった。
「上司は、別に……神様は、なんか……そういうの、言っちゃいけないような気がする……怒られそう、すっごく……貴族の笑みで……」
それが、彼女の言葉である。事実、彼女は教会に通う様な人物ではなかったが、妙に信仰心が篤く、しばしば食事の時間に祈りを捧げていた。そういった日は決まって、自身の食事の一部を部屋に持ち帰っていたのだが、その理由を尋ねると彼女はこう答えた。
「なんか……神様も、欲しいかなって……ずっと、一人で仕事して、大変だと……思うし、うん。仲間意識……なのかな?違うような気もするけど……食事くらい、楽しみがあってもいいはず……」
彼女が持ち帰った食事をどうしているのかは謎だったが、部屋で腐らせているようなこともなかったため、特に誰も気にしなかった。
10年経ち、20年経ち、彼女は結婚もせずに働き続けた。結婚はできなかったというわけではなく、そもそも本人が望まなかっのだ。彼女曰く、自分の部屋に誰かが常にいるなんて無理、とのことである。さらに言えば、彼女自身があまり美しい女性ではなかったことが非常に大きかった。ある男性は、彼女が毎日家にいるなんて無理だ、と失礼極まりないコメントを残して、彼女の世話になった人達から手加減されつつも殴られていた。
彼女の仕事は、多くの者の助けとなった。税収計算は早く正確。魔道具設計は使用者と設計者の観点の擦り合わせが絶妙。考古学ではなぜかその国の隠された歴史をトリップ状態で述べる。家事全般はプロの域。
そうして、彼女はついに未婚のまま、80歳で働き詰めの生涯を閉じることとなる。結婚こそしていなかったものの、葬儀には彼女の仕事に救われた者達が数多く参列した。
「これで……これでやっと、私……お休み、できるんだね……」
彼女の最後の言葉に、涙しない者はいなかった。そして、生きているうちにもう少し休ませてやればよかったと思うも、休ませていたら仕事がこんなに捗らなかったなと思い直し、働いてもらったのは正しかったと、自身を正当化するのだった。
安らぎに満ちた彼女の顔を見つめ、神の代行者は小さく息をついた。
「……お疲れ様。私の気は晴れたから、次の人生は好きに生きてね」
『80年間、体調を崩させこともなく働き詰めにさせるとは、なかなかの鬼畜ぶりでしたね』
「あら文字さん、お久しぶり。でも、彼女の好きに生きさせると、幸福値は今の三分の一程度だったのよ?むしろ感謝してほしいぐらいね」
『いつか、同じような言葉を、彼女自身も言っていました。それにその呼び名、懐かしいです』
「そうなんだ……それじゃ、貴方の呼び名は、私の後任にもずっと引き継いでいくわ」
『てっきり、彼女の痕跡を消したいと思っていると考えていましたが』
「……感謝することは、いっぱいあるしね。彼女が助けてくれなかったら、私は子供の頃に死んでたんだし。それに、ご飯……こうなってから、唯一の楽しみだったんだ。これを、あと920年続けていくとか、その先も続けたいと思ってたとか、狂気の沙汰だわ」
『もし望むなら、いつでも人間の世界に戻ることはできますよ』
「やめとく。だって、千年後にはきっと……」
そこで一度言葉を切り、ディシーはフフッと笑った。
「また、最高の代行者が、ここの仕事したがるだろうから。それまでは頑張ってみるわ」
『十二分にあり得ますね。ではその日まで、よろしくお願いします』
そして、光る文字は姿を消し、代行者は雲の上へと移動する。後には、80年間、正確には1080年、働き続けた彼女の葬儀が、厳かに続くのだった。
以上で完結となります。お読みいただきありがとうございました。




