託されたもの
「……落ち着いた?」
「……はい」
再び魔女の塔の最上階に転移したエレナは椅子に座らせてもらっていました。
ずいぶん憔悴した様子でしたが、しばらくするとだいぶ落ち着いたようでした。
「「はいこれをどうぞ」」
「あ、ありがとうございます」
うつむいていたエレナがステレオ音声のように同時に発せられた声の主を見上げると、4人の魔女のなかの2人がそれぞれ飲み物とおしぼりを渡してくれていました。
お礼を言ってそれを受け取ると、2人はまたすっと元の立ち位置に戻っていきました。
2人を見てみると顔立ちがよく似ていて、どうやら双子のようでした。
「……ふう」
エレナはもらったおしぼりで手を拭き、温かい飲み物を口に含むと、ようやく先ほどの出来事について話せるようになりました。
「……あれは、いったいどういうことなのでしょうか」
「……」
自分の足を見つめながら呟くエレナに、始まりの魔女は少し間を置いてから口を開きます。
他の魔女たちはそんな2人を心配そうに見つめています。
「……彼らはだんだん、自分たちは魔女の力がなくても生きていけるのではないかと思い始めているのです」
「……」
エレナは顔を上げることなく始まりの魔女の話を聞きます。
彼女の顔を見なくとも、エレナにはその声が寂しさを伴っていることが分かりました。
「……実際、それは事実です。現に彼らは私たち魔女が現れる前からこの世界で生きていましたから。
それに、外の世界ではすでに人は魔女の手を離れつつあるのでしょう?」
「……っ」
エレナは魔女を排斥しようとする人々を思い出し、体を強ばらせます。
ここにはそれはないと思っていたのに。
こんなにも人と魔女は手を取り合って生きていけるのに。
そう思うと、エレナはなんだか悲しくなってきました。
「……魔女は、もういらないのでしょうか」
それは、今まで口には出すまいと思っていた言葉でした。
言葉にしてしまえば、何だかそれが真実になってしまいそうでエレナは怖かったのです。
エレナの呟きに、始まりの魔女はことさら優しい笑みをエレナに向けます。
「……それを決めるのはあなたよ」
「……え?」
エレナは顔を上げますが、その優しそうな顔からは言葉の真意を感じ取ることが出来ませんでした。
「……かつて、人は科学という力をいかんなく発揮したわ」
始まりの魔女はすっと立ち上がると、昔の話を語り出しました。
「その力で人は空に花火を咲かせ、遠くの人と会話をし、夜でも明るくて、時には空さえ飛んだわ」
「……それは、魔法なんじゃ……」
「……そして、その力で人は人を殺した」
「……」
すんと表情を落とした始まりの魔女に、エレナは言葉をはさむことが出来なくなりました。
それからは淡々と事実だけを話す機械のような彼女の話をエレナは黙って聞いたのでした。
「……どこで道を誤ったのか、人は人を殺すことに重きを置き始めたの。最後の方には重力なんかも自由に扱えるようになっていたし、労働からも解放されつつあったから、単純な取り合いしかやることがなくなってしまったのかもね。
そして、ついにある国が世界を終わらせる力を発明するわ。
それは人を超える頭脳を持つAIよ」
「……」
エレナには意味が分からない言葉もありましたが、エレナはとりあえず最後まで話を聞くことにしました。
「それを造った人はそれに願ったの。
自分たちが世界の頂点に君臨できるようにしてくれ、と。
そして、それはさまざまなものを造ったわ。
大きな爆発を生む装置。
お金を塵芥から作り出す装置。
賢者の石による真理の鏡。
でも、それを造った人は満足しなかった。
もっと。もっと。もっと。
そして、AIは世界中を覆う規模の嵐を発生させる巨大な巨人を何体も作ったの」
「……巨人」
エレナは前に空飛ぶ島で出会った鉄の人のことを思い出しました。
彼は昔はもっと大きかったらしい。
もしかしたら、彼がその生き残りなのかもしれない、と。
「AIは知っていたわ。その嵐が起きたら自分も巨人も終わると。でも、自分たちがいたら創造主は永遠に頂点に立つことが出来ない。
創造主よりも自分や巨人の方が優れていることをとっくに分かっていたAIは自分たちごと滅ぼす嵐を起こすことで自分たちをもこの世界から消そうとしたのです。
そして、それは実行されたわ」
「……」
「人の科学の力の要がそれによって破壊され、誤作動で次々と爆発が起き、その衝撃で噴火や地震が発生し、世界は終わったわ。
世界は、砂と灰にまみれた腐った世界になってしまったの。
そしてその嵐によって人は世界から呪いを受けた」
そこまで言うと、始まりの魔女はエレナのことを見つめました。
「ここまで詳しくではなくても、あなたも魔女なら少しは話を聞いたことがあるでしょう?」
世界が一度滅びた話は魔女だけに伝えられる話でした。
「……はい。それでそのあと、人にかかった呪いを解き、その滅びた世界を再び甦らせたのが始まりの魔女だと」
「ふふふ、私もすごい伝説になったものね。あの呪いも、一応科学的に説明は出来ても、突然体が崩れて灰になってしまうのだから、やはり呪いだったのでしょうね」
「……」
目の前で笑う少女。
その生きる伝説が自分の目の前にいることにエレナは改めて驚かされました。
「そういえば……」
「ん?」
エレナは聞こうと思っていたことを思い出し、尋ねてみることにしました。
「この前、空飛ぶ島で鉄の人に出会いました」
「!」
「その人は花を咲かせようと一所懸命お世話をしていたのですが、その花壇には土地を死滅させていく魔法がかけられていました。
そして、その魔法の詠唱はさっき皆さんが唱えていたものと同じでした。
……あれはいったい、なんでなんですか?」
それを見たときはなんて酷いことを、とエレナは思いましたが、いま目の前にいる始まりの魔女は到底そんなことをするようには思えませんでした。
だからこそ、エレナはその真意を聞こうとまっすぐに彼女に問い掛けることにしたのです。
「……そう。テネリに会ったのね」
エレナに尋ねられた始まりの魔女は悲しいような寂しいような顔をしてみせました。
「……あの子はさっき話した巨人の生き残り。本当なら世界とともに終わっていたはずの造られた命。
なんの因果か、彼だけが生き残ってしまったのね。彼は本当はこの世界にはいてはいけない存在なのよ」
「……だから、あんなことを?」
「……本当はね、花を咲かせてあげたかったのよ」
「!」
「でもね、あの花を咲かせようとする行為はあの子にとって生きる縁。あの子は本当はとっくに死んでいてもおかしくない体なのよ。
それを繋ぎ止めていたのが、もう一度だけあの花を咲かせたいという気持ち、未練だったの」
「……そんな」
エレナは自分がその魔法を解除し、再び花が咲けるようにしたことを思い出しました。
「あの魔法、きっとあなたなら解除してくれたのでしょう」
「……はい」
「大丈夫。気に病まないで。
私はずっと残酷なことをしてしまったと思っていたの。今にも滅びそうな体を懸命に保って、咲くことのない花を永遠に咲かせようと世話を続ける。そんな酷いことをさせていたのだから。
それに、いずれは土地の力が完全に尽きて土が死んでいたわ。そうなればあの子も気付く。それはそう遠くなかったはずよ。
遅かれ早かれいずれはそうなってた。
それなら、最期にもう一度花を見てから逝けるなら、あの子も本望でしょう。
だからあなたが気にすることはないわ。ありがとね」
「……はい」
優しくも悲しい話に、エレナはこくりと頷くことしか出来ませんでした。
「……ねえ、エレナ。手を出して」
「……? はい」
始まりの魔女に優しく言われ、エレナは両手を前に出します。
始まりの魔女は手のひらを上に向けたエレナの両手に自分の両手を優しく重ねると、目をつぶって呪文を詠唱し始めました。
【白檀の根折れ
深淵の欠片
クチナシの咆哮
落涙の連鎖
始まりから終わりへ
終わりなき旅を渡す
エレナからエレナへ
終わらない環は廻る】
「……きゃっ!」
始まりの魔女が魔法を唱え終えると、エレナの中に何かが入ってきました。
「……これ、は?」
「それは私が持つ不老不死の魔法よ」
「……不老、不死?」
「人は数百年もの記憶の累積に耐えられない。だから私たち魔女は無意識に、魔法空間に脳とは別の記憶のストレージを作って、そこに記憶を保管しているわ。
さらには細胞分裂の回数が決まっている人体においてテロメアの修復を行い、その制限回数の上限を引き上げてる。
魔女たちは私のその不老不死の魔法を無意識に継承して使用してるの」
「……?」
エレナには始まりの魔女が何を言っているのか理解出来ませんでした。
「そうね。何を言ってるのか分からないわよね。まあ、とにかく、あなたに渡した魔法はその完全版。
使えばあなたは永遠に死ぬことがない肉体を手に入れるわ」
通常、魔女の寿命は長くて500年ほど。
10代で肉体の成長はほぼ止まり、そこから本当に少しずつ年をとっていき、450歳ほどで急激に老化が始まります。
これは不老不死の魔法が中途半端な状態だからなのです。
「……そして、この魔法を渡してしまえばもう私は不老不死ではなくなるわ。そして、人々からの返礼がなくなりつつある今、私の命の灯はすぐに消えてなくなるわ」
「……! なんで!」
「これでいいのよ。
始まりがあれば終わりがある。
じつは、あなた以外の魔女にはね。もう新しい魔女を生むことを禁じているの」
「えっ!?」
「魔女はもうこの世界には不要。世界がそう断ずるのならそれに従おうと思ってね。
でも、やっぱり魔女の魔法を必要とする人がいるのも確か。
だから私はあなたがどうするかに託そうと思ったの」
「……なんで、私なんですか?」
「……あなたが、私と同じ名前で、同じ髪と眼をもって生まれたからよ」
「……」
「私の名前も、エレナなの」
「……そう、なんですね」
エレナを見るその眼は、今までの何よりも優しい瞳をしていました。
「……本当はあなたのお母さんがその役目を担うはずだったんだけど、あの子はその役目は自分じゃないと言って、違う名前を名乗ってあなたを生んだわ」
「……お母さんが」
「エレナ。あなたは新しい魔女を自由に生んでいいわ。でも生まなくてもいい。
世界を回って、魔女が必要なのかどうかを確かめなさい。
魔女を新しく始めるのか、それとも終わらせるのか。
それを決めるのはあなたよ」
使命。
きっとこれが自分に与えられた使命なのだと、エレナは感じました。
「……エレナ。最後の私の子。
どう生きるのかはあなたの自由よ。
世界を見て、好きに生きなさい」
「……!」
その時、他の4人の魔女を自分を慈しむように見ていることにエレナは気が付きました。
きっと彼女たちも知っていた。
自分以外のすべての魔女が、このことを。
都で師の代わりを務めてくれた2人の魔女が。赤毛の魔女が。
どうして自分だけは逃がそうとしてくれたのか。
エレナはこのとき、それを理解しました。
すへでは始まりの魔女を継ぐため。
ここに来るために、自分は皆に助けられていた。
「……」
エレナはそこで実感しました。
その使命の重さを。
すべての魔女の、ひいては世界の在り方さえも決めるような使命。
自分からまた始めるのか。
それとも自分で終わらせるのか。
「……私は、どうしたら……!」
その重圧に押し潰されそうになるエレナを始まりの魔女が抱きしめます。
「……ごめんね、こんな大変なことをあなたに託して。私にはもう分からなくて。魔女が必要なのかどうか。
肉体的には平気でも、心がもう疲れちゃったのよ。
それに、私と同じ形を持つ子が生まれたら、その子にすべてを託すことは始めから決まっていたの。
だから、あなたにすべてを任せることになってしまった。
本当に、ごめんなさい」
「……」
始まりの魔女は震えていました。
こんな小さな少女が今まで何百年何千年もこの世界を見守り続けてきた。
それは、いったいどれだけのプレッシャーだったのでしょう。
エレナは抱きしめられていましたが、端から見ると、それは母や姉にしがみつく幼い少女のように見えました。
「……わかりました」
「……え?」
優しく抱きしめ返すエレナに、始まりの魔女は泣き腫らした顔を上げます。
「私に何が出来るのか分かりませんが、私はこれからも世界を巡り、世界を見て、どうするか決めたいと思います。
始めるか、終わるかを」
「……うん。ごめんね、ありがとう」
そうして抱きしめあう2人はまるで姉妹のようでした。
「あ、そうそう」
去り際、始まりの魔女がエレナに耳打ちをします。
「私はもうすぐ逝くのだろうけど、じつは少し楽しみなのよ」
「……楽しみ?」
「私が魔女になる時、死んでも待っててやるって言ってくれた人がいるの。だから、その人に会うのが楽しみなの」
そう言って屈託なく笑う少女は、本当の少女のように輝いて見えました。
「だから、あなたもいつかそんな素敵な人と出会えたらいいわね」
「……わ、私は、そんな……」
「あら、魔女だって恋をしていいのよ。男性との性行為なら普通の子を産めるもの」
「や、やめてください!」
「ふふふ、うぶなのね~」
いたずらな笑みを浮かべる始まりの魔女と真っ赤な顔のエレナ。
この時は2人の見た目の年齢が逆転したように見えました。
「エレナ! もう行くのか?」
魔女の国をあとにしようとするエレナに、門番のグランが声をかけてきました。
「はい。お世話になりました……」
「……あのよ」
ぺこりと頭を下げるエレナにグランが言葉をかけます。
「心配しなくても、始まりの魔女様に感謝してる奴はまだまだたくさんいる。たとえば俺だ!」
「……え?」
グランの言葉にエレナは顔を上げます。
「魔女様たちのおかげで俺たちは在る。分かってる奴は分かってるさ。
じつはよ、俺は昔、始まりの魔女様にプロポーズしてんだ」
「ええっ!?」
驚くエレナに、グランは照れくさそうに頬をかきました。
「ま、あっけなくフラれたけどな。
で、そのよしみで少しだけ魔女様方の事情は聞いてる。
だから少なくとも俺の目が黒いうちは心配すんな。魔女様が、エレナ様が本当にお休みになりたいその時まで、精一杯感謝するからな!」
「……はい、ありがとうございますっ」
にかっと笑ってみせたグランの思いに、エレナは嬉しくなりました。
魔女が必要な人はまだいる。
それだけで自分は旅を続けられる。
エレナは大きく手を振るグランに同じように手を振り返すと、結界を抜けて再び広大な海へと戻りました。
「……」
振り返ると、そこにはもう空間の裂け目はありませんでした。
「……いこう」
そうして、エレナは再び空を飛んでいきました。
魔女は1人で旅をします。
自分に課せられたあまりに大きな使命。
その重圧に押し潰されてしまいそうですが、それでも魔女は空を飛びます。
いろんな世界が見たいから。
いろんな魔女に会いたいから。
いろんな人に会いたいから。
きっと、魔女を必要とする人が、そこにはいるから。
魔女は、今日も1人で旅をします。