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《閑話》 若き日の女王夫妻

 それは、連日の曇り空にようやく光が差し、春の兆しが感じられたとある冬の午後……。

 王宮の中庭、寒椿の咲く隣で、ベンチに腰かけている女性がいた。


 深くヴェールを被った彼女の顔は見えない。はみ出た黒髪が、シックな紺色のドレスの肩口にかかっている。女性は何やら分厚い書物を膝に開いており、淡々とそれを読み込んでいるようだった。

 そこへ、どたどたと騒がしく駆けてくる足音と、「エリザベス嬢~!」と呼ぶ大きな声が聞こえてきた。


 現れたのは、金の薔薇が刺繍された赤マントをつけた、紅騎士団の騎士。

 しかし、その華やかな騎士服と鎧は、あちこちが破れ傷を受けていた。


 満身創痍な様子の彼はしかし、女性の姿を見つけると、ぱっと表情を輝かせた。


「あっ! やっぱりここにいた! 俺を待っててくれたんだろ~? やだもう、俺照れちゃう~」

「寝ぼけてるんですか? 過酷な戦いで睡眠をとる暇もなかったようですね。わたくしが安らかに眠るためのお手伝いをして差し上げてもよろしいんですよ? この学術書の角で後頭部をえいっと」

「それ、永眠しちゃうやつ~。というか、今回の遠征ってエリザベス嬢が裏で仕組んだよな? 俺のこと合法的に殺そうとしたっしょ~?」


 彼はにこにこと笑顔を浮かべて、ベンチにどっかり座った。女性は小さくため息を吐いたようだったが、騎士を拒みはしなかった。


 しばらく、沈黙が続いた。小春日和の暖かな風が中庭を吹き抜けた。騎士のすっきりとした金髪が木漏れ日を受けて輝き、人懐っこそうな紫水晶の瞳を細めた。

 書物の表紙を閉じた女性が、そっと口を開いた。


「……殺そうとしたとは人聞きの悪い。戦うしか能のないあなたが活躍できる、絶好の舞台へ送り出してあげただけです」

「ま、いいけどな~、実際生きて帰ってこれたし、海賊どもは血祭りにあげてきたし! ただ、あくまで王都騎士団にいる俺が、どういうアクロバティックな経緯で南領の防衛に駆り出されたのかとか、人生で初めて海を見る俺がいきなり海賊討伐はさすがに無理がありすぎるんじゃないかなーとか、かなり思ったけどな!」

「あら、海戦は初心者だったんですか? それにしては、ずいぶんご立派な戦功を立てられたものですね」


 女性は退屈そうにヴェールの端をいじりながら、ぷいと横を向いた。

 そして、それまでつらつらと皮肉や毒舌を述べていた女性は、急に声の勢いを落として、やや口ごもりながら言葉を紡いだ。


「今回の功績で、あなたには国境防衛師団の最高司令官のポストと、私的直轄領が与えられるとか。良かったですね、弱小領主の家の三男坊がここまで劇的な大出世をすることは前代未聞ですよ。司令官なら、もう戦場に出て傷つくこともないし……高額なお給料に、領地まで手に入って……」

「それで俺が幸せになれると思ってるんだとしたら、そりゃとんでもない見当違いだ」


 さっきまでの陽気さから一転、急に冷ややかな声で騎士は女性の話を遮った。

 そよ風もやみ、木の葉がそよぐ音も消えて、中庭には静寂が訪れた。


 一瞬、かみそりのような鋭さを見せた騎士は、黙ったままの女性をしばらく見つめていたが、やがて返答を聞くことを諦めると、首を傾げて考え込んだ。


「……おかしいな。俺とエリザベス嬢は両想いだと思っていたのに……」

「あなたの白昼夢ですね。それか、疎ましい気持ちが両想いなのでは?」

「でも遠征に行く前、ここのベンチでうたた寝してたら、エリザベス嬢がこっそり近寄ってきたじゃん? 頬っぺたにキスして『生きて帰ってくださいよ』って……」

「頬っぺたにキスはしてません! 捏造しないでください!」


 こらえきれずに叫んだ女性は、言ったそばから頭を抱えた。騎士の笑顔はより輝きを増した。


「キスはしてないんだな? キス『は』してないんだな?!」

「こんなありきたりな罠に引っかかるだなんて……一生の不覚、人生の汚点……」

「そこまで言うか~? エリザベス嬢は完璧主義すぎるんだよな~!」


 落ち込む女性の背を叩いて騎士は笑った。そして、ひとしきり女性をからかった後で、穏やかな調子で切り出した。


「で? 自分で俺のことを死地へ送っておきながら、健気に生存を願ってくれるアンビバレントな態度の真意を教えておくれよ、エリザベス嬢」

「……」


 ぎゅっと膝頭のあたりでドレスの布を握り込んだ女性は、なおも顔を背けて寒椿の方を見ながら、ぽつりぽつりと話しだした。


「別に。……ただ、わたくしと結婚できる望みなんかある訳がないのに、熱心にわたくしのもとへ通うあなたが滑稽で可哀想に思えただけです。あなた、さんざんド・バーグの親族からも陰口を叩かれたでしょう。社交界でも居場所がなくなって……。あなたの不憫な境遇に、ちょっと責任を感じたんですよ」

「だから俺に、目に見える戦功を立てさせて、エリザベス嬢の手腕で適当なポストに出世させてやろうってか~? まったくなあ、俺の恋心もなめられたもんだぜ」


 よっと、騎士はベンチを降りて、女性の前に立った。何事かと訝しむ女性に対して、彼は騎士らしく膝をついて跪き、胸に手を当てた。

 騎士は真剣な眼差しを驚く女性に向けて言う。


「俺は王都を出ていくつもりはない。最高司令官の話は断った。俺は紅騎士団長になるんだ。そんで、貴女のそばから離れないよ」


 懐から小箱を取り出す。開いたその中には、一対のラピスラズリのピアス。


「エリザベス嬢、俺と結婚してくれ」

「……っ、ふふ」


 女性はおかしさと悲しみと密かな喜びをにじませて笑った。


「本当に馬鹿な人。王都を直轄領とするド・バーグ家の令嬢と、へんぴな場所の弱小領主モールポール家の三男の結婚なんて、そもそも社会が許さないと何度言ったら分かるんですか?」


 そう言って女性はピアスの入った箱を毅然と突っ返そうとした。が、思いとどまったのか、ぴたりと動きを止めて、手に乗せた小箱を覗き込んだ。


「しかし、そうですね……。二人で駆け落ちでもすれば、できないことはありませんけど……。でも、せっかくあなたは実力のある騎士で、わたくしと違って皆に好かれているのに、そんな未来をふいにするようなことは……」


 途方に暮れたようにぼそぼそと言う女性に、騎士は「ん~?」と首を傾げた。


「駆け落ちなんかしなくて大丈夫だよ。だいたい俺さ、出身家ごときのことで好きな人と結婚できないの、マジで理解できないしムカつくんだよな~。もっとパンチの効いたことしてさ、偉そうな上流階級の連中にカウンターかましてやらない?」

「あなた、のほほんとしてるようで、わりと考え方がアグレッシブですよね……。そういえば、このピアスも悪くないですけど、こういう時に渡すのは指輪が一般的なのでは?」

「だから~、結婚指輪はエリザベス嬢から貰うんだよ」


 え? と頭を上げた女性に、騎士はにっこりと笑いかけて、ベンチに置かれた分厚い書物の表紙をとんとんと示した。

 豪華な装丁がされたその本は、予言者……つまり、セント=エルド大王国の王が行う占星術のことが記されたもの。


「次期王選抜試験に出るんだろ? だったら、今までエリザベス嬢のことを高慢で気に入らないとか言ってた有象無象どもを見返して、王座をもぎ取っちまおうぜ」


 息を呑む女性に、騎士はさらに瞳をいたずらっぽく光らせて畳みかける。


「そんで、エリザベス嬢が王位についたらさ、俺のことを無理矢理愛人にでも夫にでもすればいい! これだと誰も文句言えないぜ!」

「なっ……なんですかそれ、やってること暴君じゃないですか!」

「大丈夫、俺、暴君なエリザベス嬢も大好きだ! むしろエリザベス嬢の、ちょっと暴君でプライドが高いところが好きだ!」

「そんなことは聞いてないんですよ! ちょっと、この変態!」


 ぺしぺしと頭を叩いてくる女性をなんとか宥めて、騎士は跪いたまま、再び彼女に告げた。


「だから、エリザベス嬢。俺のために王になってくれ。そしたら俺は紅騎士団長として、貴女を守り仕える」


 騎士は小箱からピアスを取り出した。

 そして、きらめく星空のようなラピスラズリを女性の耳に近付けた時、春めいた風がタイミングよく吹いて、女性のヴェールをめくった。

 あらわになったのは、彼女の美しく怜悧な顔立ちと、思慮深げな藍色の瞳。

 騎士は楽しそうに笑って「ほら」と言った。


「そういう訳で、結婚指輪はエリザベス嬢から貰いたいな。その代わり、俺はこのピアスを送るよ。うんうん、やっぱり似合うな! 俺、エリザベス嬢の瞳って、ラピスラズリみたいだーってずっと思ってたんだ~」


 騎士はそうして、愛おしそうに女性の頬に触れると、今更照れたように笑った。


「でも、エリザベス嬢が王になったら、その綺麗な目も金色の瞳になっちゃうんだな。それがちょっぴり残念だぜ~」

「……」

「あれ? エリザベス嬢、どうした~」

「……」


 うつむいた女性を、騎士が心配そうに覗き込んだ。

 彼女は肩を震わせていたが、ばっと顔を上げると、すっかりいつもの冷静さを失っているのか、真っ赤になって騎士に吠えかかった。


「あ、あ、あなたは……! わたくしが女王になるかも知れないから、青田買いでもするつもりで、わたくしに言い寄ってたんですか……! わたくしの与える地位が、王配の地位が目当てだったんですか!」

「え、ええー! 俺の渾身のプロポーズそう受け取っちゃうのか?!」

「だって誰かから好きだって言われたの初めてだったんですよ! だ、だから、せめてそのお礼に、わたくしがあなたに出来ることはないかって、いろいろ画策してたのに……! わたくしの純情を踏みにじりましたね!」

「違う、違うよ! 誤解だ、エリザベス嬢ってば!」


 必死で訴える騎士の言葉も耳に届かないのか、女性はぶつぶつと独り言のように呟いていた。


「ああ、このエリザベス・ド・バーグが、こんな風にコケにされるだなんて……。いいでしょう、暴君にでもなってやりますよ、それであなたのことを王宮の塔に幽閉して何がなんでもわたくしのことを好きにさせてやるんだから……!」

「やばい、エリザベス嬢がなんか危険な方向に壊れちゃった」


 しかし、椿の花を握りつぶしながら呪詛の言葉を吐き続ける女性を見て、騎士は少し考えてから「ま、いっか! 俺ってば愛されてる~」と大胆に開き直り、ぎゅーっと彼女を抱きしめた。


「アレクサンダー・モールポール! 覚悟していなさい!」

「あっははは、覚悟するする~」


 そんな賑やかな様子を、二階の窓から見下ろしている人影があった。

 王宮に勤め始めて数年、中堅どころと見られる侍女と執事の若夫婦である。


「あれが次期王最有力候補のド・バーグ家令嬢と、海賊討伐の名将アレクサンダー殿か……」

「私たちの未来の主人って、あんな感じなんですね……」


 彼らは顔を見合わせると、疲れたように深いため息を吐いた……。




「……と、いうのが、私がスティアート老夫婦から聞かされた女王陛下と王配殿下の馴れ初めだ」

「ツッコミどころしかありませんね」


 とある山奥のコテージにて、私はマチルダさんからちょっとした昔話を聞いていた。テラス席にいる私たちに、外からオリバーが「おーい! ルイーゼもドッジボール参加しないか? というか、参加してくれ、そろそろパトリックも俺も限界に近い!」と声をかけた。


 クラリス様の気まぐれで開かれたドッジボール大会(権能の使用可)の行方もいよいよ佳境に入ったらしい。新人たちは地面に倒れて死屍累々、フィーバーした先輩たちが砲丸のようなボールを投げ合って過酷な様相を表している。

 今からあそこに入って行ったら死ぬ。私は生暖かい笑顔をオリバーに返して、スルーさせてもらった。ごめん、朋友たち……。


 今日は、ここのところ代王となったクラリス様の各領地訪問について行き、護衛の仕事が忙しかった紅騎士団の騎士たちに与えられた、束の間の休暇だった。代王補佐として尋常じゃない量の業務をこなしているマチルダさんをなんとか休ませるというのも、このバカンスの目的だ。そのため私は、暇さえあれば溜まった書類に向かって伸びるマチルダさんの手を止めさせて、雑談でもして気を紛らわせる役目を仰せつかったのである。


 マチルダさんは暖かな日差しに目を細めて言った。


「ここのコテージはな、アレクサンダー王配殿下が海賊討伐の褒章として、結局ちゃっかり手に入れた私的直轄領に建てられてんだ。まあ、女王夫妻の別荘みたいなもんさ」

「別荘ですか。確かに、自然豊かでのどかで、素敵な場所に建ってますよね」

「ああ。人里離れていて、エリザベス女王陛下がアレクサンダー殿下を監禁するのにもってこいな場所だったらしい。逆も然りだ」

「いきなり物騒なこと言うのやめてくれません?」


 清閑な田舎のコテージが、急にサスペンスな雰囲気に包まれたように感じた。なんて殺伐とした愛の巣だ。

 私たち、これからそんな所に泊まるのか……。


「……なんか、話を聞いていると、アナスタシアがあんな感じになったのも、血筋の問題な気がしてきます」

「認めたくないが、少なからずそれもあるだろうな」


 あの親にしてあの子あり。

 私とマチルダさんは顔を見合わせると、深いため息を吐いた。

 ドッジボール大会をしている外からは一際大きな悲鳴と、クラリス様の高笑いが聞こえる。


「わっはっは! お前たち、これからさらに速い球が行くぞ! 覚悟しろー!」


 そう言って笑うクラリス様の耳には、母親と父親の形見である、ラピスラズリのピアスが光っていた。


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