あたしに赤ペンを下さい
瑞月風花さま主催の
『誤字から始まるストーリー企画』参加作品です
(*'▽')ノ
「うわぁ……
いつにも増して真っ赤っかですねぇ……」
詩乃先生から受け取った原稿を手に、僕は思わず呟いた。
「うぅ、
やっぱり今朝までには間に合いませんでした。
校正は終わったんで、後は誤字脱字とかの最終チェックお願いしますぅ。」
「完徹ですか?
どうせろくに食べてないんでしょ? 何か簡単なもの作ります?」
僕の言葉に彼女は緩慢に首を横に振る。
PCの横に置かれたマグカップ。半分ほどカフェオレが残っていたが、察するに今朝まで継ぎ足し継ぎ足し、何杯目かの残りだろう。
「すみません。
チェックが終わったら起こしてくださぃ。一気に直しますんでぇ。」
そう言って彼女はソファに倒れるようにして横になった。
「……、了解です。」
僕は本腰を入れるために、一旦そのプリントアウトされた原稿をテーブルに置き、飲みかけだったマグカップをもって台所へと向かい、手早く洗う。
冷蔵庫を開ける。勝手知ったるなんとやら。
開けた冷蔵庫にはろくなものが入っていない。前回僕が置いていった缶のウーロン茶がまだある。うん、勝手知ったる冷蔵庫の中の、なんと侘しきかな。
ウーロン茶を手にテーブルに戻ると、詩乃先生はすでに眠りに落ちていた。すーすーと微かに吐息が聞こえる。傍らにあったブランケットをかける。顔にかかった髪の毛をすいてあげたい衝動に駆られたが、どうにか踏みとどまった。
ここまで深く踏み込んでいるけれども、きっとここがボーダーラインだと思う。
彼女が寝ているソファに寄りかかるように床に座り、一つ深呼吸をついてウーロン茶の缶を開けた。
さて、読ませて頂きますか。
詩乃先生はPCで原稿を打つものの、校正等のチェックはプリントアウトした紙で行う癖があった。
毎回プリントアウトした原稿に自ら赤ペンを入れ、修正し、そして「直すのはいっぺんにやりたいから」という理由で、赤文字の入った原稿を編集者の僕に渡す。
今回はいつにも増して赤が多い。はっきり言って読みづらい。だがそれも仕事と割り切るしかない。それに、生まれたてのこの「赤い原稿」を読めるのは僕だけの特権とも言えた。
直筆の丸っこい字も好きだったし。
そもそも論なのだけど。
普通ならメールなどで作家先生とやり取りし、直接会うことなど滅多に無い。原稿にしたって紙ベースでのやり取りはまず無い。そんなん校正が大変だ。
これはまるで、昭和の作家のようではないか。
僕は「昭和の編集者」のように、適当な手土産をもって締切日に毎回、彼女の家へと訪れていた。
お陰様で勝手知ったる部屋の中、だ。
彼女は執筆以外の能力が欠落している。何というか、ほっといたら餓死するんじゃないかというレベルで生きていく最低限のことしかしない人だった。
デビュー前も今も、「食事が出るから」という理由だけで週3、4回飲食店でバイトしている。
そう、小説だけで食べていくには、まだまだ先は遠いのだ。
詩乃先生は駆けだし作家。書籍化は2本目に過ぎない。
2ページ、3ページと読み進める。彼女の寝息、遠くから聞こえる電車の去って行く音、ウーロン茶を飲む音。そういった音が徐々に消え去り、静寂が訪れる。
代わりに少しずつ増えていく音色、色彩、感情。彼女の原稿に僕は入っていく。
◇
「編集長、二次落ちしたこの作品なんですけど。」
「ん? あーそれな。
お前、どう思うのよ。」
「まぁ今回の趣旨からはちょっと外れてますが。」
「それな。」
詩乃先生と初めて会った、いや彼女の作品に初めて触れたのは、ウチの会社がやってた小さなコンテスト応募でだった。
読みやすく抵抗を感じさせないその文体に僕は、すぐに魅せられた。
残念だったのは応募が「恋愛系」なのに対して、ちょっと推理もの要素が強かったせいだ。謎解き部分はガチだったし。
ウチは推理小説は扱っていない。だがこの読みやすい文体から、恋愛系謎解きものに昇華出来るのではないかと、今後磨き上げることができるのではないかと感じた。
「アポ取っていいすか。」
「お前が担当するならな。
当然、今迄の仕事も減らさねぇし、これからの仕事も減らねぇ。」
編集長がニヤリと笑う。
全く意地の悪い人だ。絶対に自分だって気に入ったはずだし、僕が食いつくタイプの作品だって最初から知ってて言っている。
「オーケーボース。
趣味のえんちょーせんじょーで、
やりまーす。」
無駄に長音で僕は返答する。
「それな。」
再び編集長がニヤリと笑う。
僕は子供のころから本を読むのが好きだった。自分でも書いてみようと思ったのは高校ぐらいからだろうか。残念ながら僕には文才は無かった。それは悲しく思う必要も無いくらい、当然に自覚した。
それでも僕は、多少の批評が欲しくて何度かコンテスト応募を繰り返していた。
大学での就活中、企業説明会でOBとして訪れたのがウチの編集長だった。
『小説を読むことは楽しい。
小説を書くことも楽しい。
そして小説家を育てることも、同じぐらい
いやそれ以上に楽しいよ。』
その一言で僕はウチの会社を就職希望するに至った。その時はなんだか啓示を受けた気分になったのだ。
あれよあれよと言う間に事務的な手続きやら何やらが進められ、気が付いた時には働いていた。バイトで。
勿論、大学卒業と同時に正社員にはなれたわけだが。
あとから聞いた話しだけれど、ウチの会社はこの就活生を採用することを「一本釣り」と呼んでいる。要は最初から狙いをつけて釣ってくるわけだ。
あとは釣った魚が鰹か鮪か、はたまた逃げられるか。
ちなみに会社が僕のことを知ったのは、ウチのコンテストに僕が応募してしまったからというのは言うまでもない。僕としてはちょっとした黒歴史だ。
「騙された」と最初は思ったが、今ではこの仕事が好きで続けている。
おそらく僕は産むことよりも育てることの方が向いている。いや好きなんだろうと思う。
育てるとは言っても、会社色に染めるだとか流行りに乗せるというのとは少し違う。作家先生の良いところを見つけ引き出し、表現がわかりづらいなどの修正部分はヒントや選択肢を与え、自主的に成長するように促す。せいぜい「直す」のは誤字脱字ぐらいだ。もちろんそれも、作家先生に確認してもらってからにしている。
時には資料を揃えたり探すのを手伝うこともあるし、モチベーションアップのために色々とすることはある。だがやはり、僕はサポーターであって主役は作家先生なのだ。
人が成長していく姿を見るのは楽しい。
なにより、成長した作家先生が新たな作品を生み出すのが嬉しい。
それの手伝いができるから僕はこの仕事を続けられている。
……。
まんまと編集長に乗せられてるかもしれないことは、見ないようにしている。
◇
『そうなんだ、それを証明するには証拠画ないんだ。』
中盤に差し掛かったところで、微妙な一文に出会った。
これは誤字だろうか。証拠となる「絵」や「画像」、あるいは「映像」のことを指しているのか? いやしかし、絵などの話は今のところ出てきてはいない。ひょっとしたら今後出てくるかもしれないが、ちょっと唐突だ。
僕は割といつも通りに、原稿には直接書かず「画 → が」と付箋に書き、すぐわかるように原稿の端に貼った。
もしこの後に「証拠となる絵」のような話が出てきたら剥がせばいい。
再び僕は原稿を読み進める。徐々に赤文字が増えてきている気がする。
これは詩乃先生の集中力が切れてきたのが問題か。それとも逆に、終盤に向けて推敲に推敲を重ねた結果だろうか。
『僕は黄身に期待しているんだよ。この謎を解くことができるとね。』
おそらく……、卵の黄身じゃあないだろう。
確かに卵かけご飯は僕も詩乃先生も好きだ。前に僕がお土産に持ってきた高級な卵と専用醤油の組み合わせはとても旨かった。詩乃先生が食べ終わらぬうちに「また買ってきてほしぃ」と、泣きながら言っていたのを思い出す。
だが前後の文を見るに、やはり卵の話は出てきていない。もちろん主人公の決めセリフという感じもない。「黄身 → 君」と付箋を貼る。
いかん、僕の集中力が切れてきた。余計なことに思考が流れていく。
目をつぶり深く深呼吸する。耳へと微かな寝息が届く。
そうだ。僕は詩乃先生の作品に、この世界に没頭しなくてはならないのだ。
『僕には自信がないんだ。うん、そう。これはただのつぶや期、』
これは間違いなく誤字だろう。直接原稿に書きたくもなるが、既に赤文字だらけで書くスペースは残されていない。当たり前に付箋を貼る。
さて問題は「呟き」と修正すべきか「つぶやき」と修正すべきかだ。
これまでの文章を思い返す。割とすらすらと読めるように、難読な漢字は避けていたように思う。そしてセリフは特に「ひらがな」を多めにしていた気がする。文字から受ける印象は大事だ。それにこれまでの文章や、その後のセリフから見て句読点も間違いだと思われる。もちろんこの後の言葉が「脱字」なのかもしれないが、その辺りの予測は僕には不可能だ。
僕は付箋に「期、 → き。」と記入した。
『そして僕は鉱物の卵かけごはんをかき込んだ。』
ここでかー、ここでくるかぁ、卵かけごはん!
謎解きが終わった余韻に浸る間もなく、ここで卵かけごはん来るかぁ!
いやまて、そこじゃない。
まずは先程の「黄身」が、これを理由に誤字でなくなるわけじゃない。やはりここまで読んだ感じだとあれは誤字だろう。そして「卵かけごはん」は鉱物じゃあない。これは明らかな誤字だと思う。
僕は付箋に「鉱 → 好」と書いて貼り付け、ラストの1ページを読む。
途中からどうも集中力に欠けた気がする。もちろん、誤字脱字の類はちゃんとチェックしたが、肝心の物語が頭に入ってこなかった。別の要素が僕を揺さぶっていた。
そもそも今回は誤字が多かった気がする。仕方がないか。連載最終話、クライマックスだけに力が入ったからかもしれないしな。
これは一度、清書してもらって読み直すしかなさそうだ。今度は僕が完徹する番か。
乱雑になってしまった原稿を揃え直し、テーブルの上に置く。
僕は背伸びをし、残り少なくなったウーロン茶を飲みほした。
立ち上がり、置いた原稿を見て僕は気が付いた。
付箋が奇麗に縦に並んでいる。まるで書類のインデックスのように。
◇
「あの……
あたしに赤ペンを下さい。」
詩乃先生と直接会い、僕が詩乃先生の応募作品に可能性を感じたこと、これから共に良い作品を作り上げていきたいということ、直ぐにとはいかなくとも書籍化を目指して頑張らないかということを僕は一通り説明した。
その時に彼女が発した、最初の言葉が「赤ペンを下さい」だった。
どういう意味かと思いながらも僕は内ポケットから赤ペンを取り、差し出した。
「使いかけですけど、これでもいいですか?
それでよろしければ差し上げますよ。
んまぁ、文房具屋に行けば普通に売っている代物ですけどね、書きやすくて良いペンです。」
「あ……、
ご、ごめんなさぃ。そういう意味じゃなくぅ……。」
「?」
「あの、
あたしの作品に、至らないところがあったら赤ペンを入れてほしぃ、なって。」
彼女は僕から受け取った赤ペンを大事そうに両手で握りながら、小動物のようにお願いしてくる。
僕はたぶん、この時にはすでに恋に落ちていたのかもしれない。
「あぁ、そうでしたか!
勿論ですよ、それが僕の仕事でもありますから。一緒に成長していきましょう!
そ、そのペンは差し上げますよ!」
僕は自分の心を見られないよう、朗らかに笑いながら話を締めくくった。
◇
さて、彼女が起きたらもうひと頑張りしてもらわないと。でもきっと起きてすぐ「お腹がすきましたぁ……」って言うだろうな。
見下ろした彼女の原稿に僕の貼った付箋、インデックスが奇麗に並ぶ。ページ順はバラバラだが、上から均等に並んでいる。そこには僕の字で「君 が 好 き。」と書いてあった。
僕は付箋にメッセージを書き、原稿の最終ページのインデックスとして貼った。
『僕もですよ。』
さて、ちょっと買い物に出かけるか。
味噌汁の具とお新香、そして高級な卵を買いに。
静かに寝息を立てる詩乃先生を見つめ、そして起こさぬようにゆっくりとドアを閉めた。
「卵かけごはん」の下りは、少々直してもらいたいな、とか思いながら。
二人だけの秘密にしておきたいな、とか思いながら。
誤字報告を頂きました!
「誤字から企画」なのに!!
どちら様でございましょうか
ありがとうございます(^ー^)ノ