真っ白なキャンバス4
Q、どうしてタイトルはキャンバスなのにカンバスなの?
A、アロエヨーグルト
それから、1ヶ月後のこと。
「お嬢様、アトリエの用意ができました」
家庭教師からの課題に撃沈していたシャロンのもとへ、メイド長が速報を届けに来てくれた。
父親は想定よりも早く頼んだもの全て取り揃えてくれたらしい。
早速、新しいアトリエを拝見することにしたシャロンはメイド長の後に続いた。
シャロンのために作られたアトリエは、赤い屋根のドールハウスのような出来栄えだった。
少々可愛らしすぎやしないか?と感じたが、使えればなんでもいい。
わくわくと弾む気持ちの赴くままに、シャロンは金色のドアノブに手をかけた。
中もこれまた随分と可愛らしい仕上がりであった。
全体的に淡い赤がベースになっており、大きな窓からは庭師が丹精込めて世話をしている薔薇園が見渡せる。
前世で使っていた部屋よりもスペースが広く、ここなら伸び伸びと絵を描くことができそうだ。
上機嫌でアトリエの中を見廻して、ふと視界に入ってきたものに目線が止まる。
それが何かを理解した瞬間、シャロンの脳裏に駆け巡ったのは端的に言えば〝ウッソだろ〟であった。
「…これが、画材道具?」
「はい、最高級の素材を使ったものを一式ご用意させていただきました!」
メイド長はニコニコと満足げだが、シャロンの方はとにかく絶句だった。
驚いたことに画材道具の文明が、前世に比べて全く発展していないのだ。
まさか顔料を砕いて油で固めるような頃の文化がまだ根付いてるのか…。
チューブの絵具なんて夢のまた夢といったレベルだ。
ちょっと思い返してみたが、この国では魔法を使った空間芸術が主流だったように感じる。
絵を描くということ自体が姿絵くらいでしか見ないマイナーなものなのかもしれない。
つまり乙女ゲームに関係のない文化は進んでいないのだろう。
専門学校時代にやり方を本で読んだ程度だが、ここは腹を括るしかなかった。
今から文明開花させる‼︎とかははっきり言って時間の無駄だと感じたからである。
「ありがとう、後でお父様にもお礼言わなくちゃ……!
それで、早速だけど絵を描いてみたいから、暫くここには1人で居させてほしいの」
「お嬢様お1人ですか?ですが、いくら敷地内といえどそれは……」
「大丈夫、私もう12歳なんだから心配しないで!それに1人の方が集中しやすいのよ。どうしても心配なら、アトリエの近くにいてくれて構わないから!」
メイド長はしばらく渋ったが、説得の末どうにか首を縦に振ってアトリエから退出していった。
それじゃあ、早速やってみるかとシャロンはいそいそと腕まくりをする。
とはいえ、なれない道具を使っていきなり本番というわけにもいかないので、まずは庭の風景画でも描いてみることにした。
早速絵にするのに良い位置取りを決め、そこにカンバスを組み立てたてる。
あとは木炭を削り、そのままガリガリと写生を始めた。
こんな風に1人で絵の世界に閉じこもっている時間は好きだ。
世界中の音が遠のいて、ここには自分だけしかいないという錯覚。
あの感覚の中にいる間は、なにも考えずに浸っていられる。
ふうっと軽くため息を吐いてシャロンはようやく手を止めた。
まだラフの段階だが、やっぱりブランクがあるせいか少し時間がかかってしまう。
ちらと見れば白い手が真っ黒になっていた。
お次は色つけといくことにしようと大量に置かれた顔料の塊を前に、シャロンは気合を入れ直す。
結局、一つの色を砕くのにとんでもなく時間を要してしまうことになった。
慣れない作業なうえに幼い子供の力では限界が早く、手がジンジンと痛む。
これは絵が完成するのはまだまだ先のことになりそうだとシャロンは途方に暮れた。
とはいえ、最終目標としている絵に関してはいまだに何も思い出せていない。
例えどれだけ道具の使い方が慣れようが、結局そこがわからなければ意味がなかった。
何かきっかけでもあればそこを足掛かりに思い出せそうだが、それすら何の案もない。
「シャロン、どうかしたのかい?」
父親の声で我に帰ったシャロンは今の状況を思い出す。
目の前には人の手で作られた美味しい料理が並んでいるのに、よそ見をして味合わないのは勿体ない。
「何でもないですよ。そういえば、お父様、アトリエありがとうございました!」
「そうか、気に入ってもらえたならよかったよ!」
素直に礼を述べれば、父親ことパトロンはたいそう嬉しそうに喜んだ。
今日もパトロンのご機嫌取りは絶好調であった。得意げな気分でシャロンは料理を頬張る。
ふと何でもないことのように父親が一言口にした。
「ああ、そういえばシャロン。
二週間後にアレクシス王子とお会いすることになったよ」
急転直下の展開にシャロンは思わず飲んでいたスープで咽せた。
口から吐き出さなかったのは褒めて欲しい。
「大丈夫かい!?だれか医者を!国一番の名医を今すぐここに連れてくるんだ‼︎」
「ごほっ…いえお父様、大丈夫です。そこまでして頂かなくても結構です…」
本当に医者を500人は並べそうなので、即座に引き止める。スープむせたくらいで呼ばれちゃぁ医者もたまったもんじゃないだろうよ。
父親はまだソワソワしているが、大事にはならなさそうだ。
しかし絵の方に意識が向いていて、王子のことなんてすっかり頭から抜け落ちていたなぁ…と考えてシャロンはひとつピンときた。
記憶を思い出したのは、アレクシス…長いから姉が呼んでいたアレクと呼ぶとして、彼の姿絵を見たことがキッカケだ。
もしかしたら直接会えば、また何か思い出せるかもしれない。
割と悪くない線をいってるのではないかと感じた。
そもそも生活の中で前世のことを色濃く感じられるのは乙女ゲームか絵くらいだろう。
記憶を取り戻す手がかりとして上等じゃないだろうか?
「シャロン、最近体調が良くないのかい?
アレクシス王子には悪いが、予定を変更して」
「いいえ、お父様。ぜひ、私も早く王子様にお会いしたいですわ」
父親の言葉を遮って、シャロンはご令嬢らしく優雅に微笑む。
実際には悪役のようだった、と後日デザートを運んできたメイドが震え上がっていたらしい。