真っ白なキャンバス3
さて、前世の記憶を取り戻したシャロンだが、ひとまず絵を描くならそれなりの環境を整えなくてはいけない。
今世は全くご縁がなかったのだから、絵具どころか筆すら持っていない始末だった。
そうとなればやることは一つである。
「シャロン、具合はどうだい?」
シャロンから見ればかなり若い今の父親は、気遣うように優しい視線をよこしてきた。
ウィリアム・アルドリッチ、温かな印象の茶髪に赤褐色の目をした妙齢の男が、現在のアルドリッチ家当主でありシャロンの父だ。
因みにシャロンは亡くなった母親似であるのであまり似てはいない。
髪の毛は癖毛の黒髪だし、釣りあがり気味の目は鮮やかで血のような赤色。
シャロンはこの髪の毛が割と悩みの種だが、この娘に甘々な父親は「子猫ちゃんみたいだね」と曰う。仮にシャロンが反抗期で転生していたら確実に「うるせぇ!クソ親父!」と言ってしまっていたことだろう。
「はい、お父様。もう何ともありません。ご心配をおかけしました」
「それは本当によかった!もうお父様はお前が心配で、昨日は一口も食事を取れなかったよ…」
父親の輝くような笑顔に、お茶を運んできたメイドがうっとりと目を奪われていた。
たしかに目尻に涙を浮かべているその姿は大層麗しいが、兎にも角にも愛が重い。
ちなみに、比喩とかではなく多分ほんとうに何も食べてないのである。
過保護という言葉では言い表せないほど、この父親は1人娘に拗らせていた。
割と前世が放任主義な父親だったのもあり、この愛情の大波は今のシャロンにとってはかなり居心地が悪い。
「大事なお体なんですから、ちゃんとご飯は食べてくださいね。私も心配になります」
「病み上がりなのに私のことを気遣ってくれるなんて、シャロンは本当に可愛いだけじゃなく優しい子だね!ああ!やはり君は私の娘として生まれ変わった天使なんだ‼︎」
いいえ、不摂生な死に方をした画家です。
この父親がモテるのに再婚できないのは、主に重量のある愛情のせいなのではないか。
日々浴び続けている身だから言えるが、毎日濃すぎる愛を向けられるのはそこそこめんどくさい。
だが突っぱねようものなら、後々もっとめんどくさい事になるので、微笑みで誤魔化す事にした。
「それにしても急に倒れてしまうなんて、もしかしてアレクシス王子との結婚、いやだったかい?」
「え?王子がですか?」
キョトンとシャロンは瞳を瞬く。
なんのことかと思ったが、あの時シャロンは王子の姿絵を見て卒倒してしまったのだった。
たしかに、あのタイミングで倒れてしまったら、王子への拒否反応と思われるのも無理はない。
しかし王子に関しては「ゲームの攻略対象らしい」以外のことを何も知らないわけで。
そんな相手には特にこれといった感想も思い浮かばなかった。
婚約に関しても政治的な意味合いが強く、ぶっちゃけ今王家は強い魔法使いの排出に難航している。
魔導王国を謳う国のトップがこれではメンツが立たないのだ。
そこで国でもトップクラスの血筋であるアルドリッチ家と子供を儲けたいとか、概ねそんなところだろう。
「いえ、特にそんなことはありませんが。素敵な絵姿でしたし、まだ直接会ったことはないですけど、嫌だなんて思うはずありません」
強いて言えば結婚したら国母になるのは嫌だが、王子とヒロインが結ばれたらシャロンはさよならバイバイなのだ。
なのであまりその辺のことを考える必要はないだろう、知らんけど。
10人中10人が「雑すぎる」と評価することを考えているとも知らずに、父親は気遣わしげに口を開く。
「そうなのかい?もしどうしても嫌なら断ることも考えていたけれど……」
「はあ……それは、その、お父様の立場上よろしくないのでは……」
あきらかに王家にとって打算的な婚約をあっさり断れるものではないはずだ。
十中八九、婚約せざるおえない条件を突きつけられ、いわゆる王妃教育だの難しい勉強だのをさせられるのは目に見えている。
しかし結局ヒロインが登場すれば、シャロンがさせられるであろう努力は無意味になってしまうのも事実だった。
女王になりたいとも思わないため、どちらにせよ今のシャロンには割りに合わない。
ならばこちらもそれ相応の条件をつけさせてもらってもバチは当たらないだろう。
つまり、少しの我儘くらいは看過してもらえるかもしれない。
心の中でニヤリとほくそ笑む。
「いいえ、問題ありません。お断りなんてする必要ありませんよ。王子様の婚約者だなんて、とても光栄なことですから!
代わりと言ってはなんですが、1つお願いを聞いていただけないですか?」
媚を売るために浮かべた笑顔は、あまり子供らしさの感じられないものになってしまった。
前世もだが、今世も笑い顔はあまり得意ではないらしい。
だが、この親バカ侯爵様にとっては些細なことだろう。
「そうか、立派な娘を持てて父さんは嬉しいよ!
お願いごともなんでも叶えてあげよう!婚約祝いだ!」
案の定、特になんの疑問も戸惑いもなく父親はあっさり承諾してくれた。
これで金持ちで優しいパトロンをゲットしたも同然である。
画家にとっては、支援をしてくれるパトロンは生命線といっても過言ではないのだ。
折角ゲットしたのだ、絶対に逃しはしない。
思考回路があまりにも貪欲すぎて、全国の悪役令嬢もドン引きであろう。仮にも父親を金蔓にするな。
しかし話はここからが本番である。
出来る限り声のトーンや表情に気を配りながら、シャロンは可愛らしくおねだりをした。
「私、絵を描いてみたいのです。
だから画材道具一式と私だけのアトリエをいただけませんか?」




