運命のアリアドネ5
開かれた窓の向こうから、茹だるような暑さと運動部の清々しい掛け声が運ばれてやってきた。
見上げる空は青く、日差しは無駄に強い。
いよいよ季節が本格的に夏へと移ろい始めているのだ。
一方シャロンはそんな炎天下とは無縁の涼しい図書館に入り浸っていた。
楽しい用事などではなく、今月末に迫ってきた期末テストの勉強をするためだ。
しかし今は大きな大理石の机に書物を散らかすだけして、シャロンは頬杖をついている。
誰が見ても既に集中力は底を尽きていた。
これでも何度か勉強に取り組もうとはしてみたが、結局どうにも集中できない。
一文字も頭に入ってこないことにいよいよ嫌気がさして、本日何度目かに顔を上げる。
シャロンが向けた視線の先には本を物色するロビンの姿があった。
ロビンは、小柄な彼女の2倍ちかくある本棚から何かを探している様子だった。
やがて御目当ての書籍を発見したのか背伸びをして手を伸ばしたが、指先が掠めるだけで足りていないらしい。
手を貸そうかとシャロンが席から立ち上がると、その横を人影が通り過ぎていく。
濃い藤色の髪と黒縁メガネがトレードマークのイケメンは、二言三言ロビンに声をかけたあとあっさりと一冊の本を取りだした。
手渡された本を受け取ったロビンが微笑みながら礼を述べる。
男の方もツンっと澄ました顔はしていたが満更でもない様子だ。
お察しかと思われるがこの男は攻略対象の一匹狼くんである。
今のやりとりが乙女ゲームのイベントかどうかまではシャロンには計りかねる。
しかしどうやら双方知らぬ仲という訳ではなさそうだ。
親しげな様子で会話を続ける2人を眺めながら、シャロンは眉根を寄せてため息を吐いた。
やはり乙女ゲームは間違いなく進行している。
なのに春先以降シャロンの記憶がひとつも戻らないのはどういった了見だろうか。
常にロビンに張り付いてるわけでもないが、もうちょっと成果があっても良いのでは?と思ってしまう。
乙女ゲームの進行度は既に4分の一を過ぎてしまった。
そのことがシャロンにいくばくか、焦りを感じさせる。
こんな状態なので勉強なんてものは全く身に入らなかった。
それに他にもおかしな点もいくつかある。
ひとつは生徒会の人数が本編よりも少ないことだ。
本来なら入部しているはずのロビンともう1人の攻略対象は、未だスカウトを受けていない。
その2人特別に親しいわけではなさそうだった。特にリーガス側の反応が悪い。
あのリーガスとかいう男は「ふーん?君って面白いね〜ぼく気に入っちゃったよ」とか抜かす輩じゃなかったのか。パッケージと違うことするなよ。
つまりは現実が乙女ゲームとズレてきている。
このままだとそのうち乙女ゲームイベント自体が発生しなくなる恐れがあった。
シャロンからしてみれば絶対に避けたい事態なのだが、肝心の原因がさっぱりわからないので対処のしようもない。
それに気にかかることは他にもあった。
「シャロンちゃんお待たせ!魔法薬学の本見つかったよ」
ウンウンと唸りながら状況を整理していると、漸く戻ってきたらしいロビンが目の前に腰を下ろす。
先程まで談笑していた男の方はどこかへ行ってしまったようだ。
「あー……そっか、見つかったならよかった
………あのさ、ロビン」
「ん?なぁに?」
上機嫌なロビンにシャロンは恐る恐る抱えていた疑念を開示した。
「その、ロビンってアレクシスのことは知ってるんだよね?ほら、前にお互い自己紹介もしてたし」
「うん、知ってるよ。シャロンちゃんの婚約者さんだよね。それに自国の王子様の名前なんて国民ならみんなわかっちゃうよ」
「それも、そうか……じゃあ、あの後ってアレクシスと話したりとかってしたことある?それだけじゃなくて、例えば一緒にお茶会をした、とかさ……」
お茶会はかなり初期に発生するシャロンが覚えている数少ないイベントだ。
時期的にはもうこなしていないとおかしいはずである。
しかしロビンの方はピンとくるものがないようだった。
「ううん?クラスも違うし、私から話しかけるなんて恐れ多すぎて……お茶会っていうのも招待されたことないかな」
それがどうかしたの?とロビンに顔を覗き込まれる。
一方のシャロンは完全に気が遠くなっていた。
いや、まだだ‼︎まだ希望を捨てるには早すぎる。
ここから爆速でイベント巻き上げていけば間に合うだろ、maybe‼︎
それはそれとして、シャロンはさらにロビンへとたたみかける。
「じゃあさ、一個上の先輩にいるカストールって知ってる?顔だけが綺麗な男の先輩で、ポルクス先輩と双子の兄弟なんだけど」
「カストール先輩?名前は聞いたことあるけどお話ししたことはないよ。それがどうかしたの?」
どうかしたも何も貴方の運命を握る系男子です。
力強く下唇を噛み締めてシャロンは言葉を飲み込んだ。
まさかカストールに至っては面識すらないとは……。出会いイベントまだなの?この時期に?
何してるんだカストール怠慢だぞ。
あまり当たってほしくなかった現実を直視したくないシャロンは心の中で力強くシャウトする。
恐らくだが、カストールは生徒会に所属することで初めて接点ができるのだろう。
だから「ロビン」ではなく「ティターニア」呼びだったのかあの男。
「いや、慌てるには早い‼︎ロビンはその人たちのこと気になるな〜とか、実は私って生徒会メンバーの予感!とかしない??天文学的に」
「よ、予感はしないかな……?」
勧誘が下手すぎてかえって不信感を煽ってしまたらしい。
これがアレクシスならもっと巧みな話術で洗脳してのけるのだろう。失礼、勧誘してその気にさせるのだろう。
しかしこの現状を看過していてはいつまで経っても記憶は戻らない。
どうしたものかとシャロンが沈黙していると、不意にロビンが話題を切り始めた。
「……シャロンちゃんは、私とアレクシス様達が仲良くなって欲しいの?」
「え?うん、ちょっと、色々あって」
「そうなの……」
視線を下に向けたロビンの様子がどこか拗ねているような、寂しげなような気がしてシャロンは困惑する。
自分は何かロビンに悲しいことを言ってしまったのだろうか。
すると、流れるように自然な動作で、ロビンがシャロンの指先をそっと掴んだ。
「私、シャロンちゃんと一緒にいられるだけで幸せなの。だからシャロンちゃんとお話しする時間が少なくなっちゃうのは、嫌だな……
もっと2人だけで居させてほしいの、だめ?」
「ダメじゃないです!!!!!!!!!!!」
反則級の口説き文句にシャロンは容易く陥落する。
なおここは図書館なので、とんでもない声を轟かせたシャロンに「そこ、うるさいぞ‼︎」と先程の紫野郎から叱責が飛んできたのは言うまでもない。




