運命のアリアドネ4
シャロンがアトリエ(仮)に着いた時、中には誰もおらずひっそりと静まりかえっていた。
まだアレクが来ていないことを悟ると、シャロンはふらふらとソファへと直行する。
確かに長い講義ではあったが、それだけでこんなに疲れるのは珍しいことだった。
教師の言っていることは殆ど納得できなかったし、聞き流しても良かったのだけれど、不思議と無視することができなかったのだ。
争いきれない眠気が襲ってきて、シャロンの瞼は閉じていく。
悪魔、ティターニア、精霊、星霊、乙女ゲーム、これらが頭の中で星のように瞬いていた。
しかし思考が麻痺しているのか、結びついて形になることはなく、ただシャロンを見下ろしているだけであった。
まあ、起きてからまた考え直せばいい。
あっさりと諦めたシャロンは、意識をも手軽に手放した。
バンっ‼︎
「アレクシス様、税金をもっと丁重に扱ってください。壊れます」
「公共施設を税金と呼ぶな。生々しいだろ」
再びシャロンを叩き起こしたのは、勢いよく開かれた扉の音であった。
慌てて背後を振り返ると、アレクとカストールの2人が書類を抱えてやってきたところだった。
大半の生徒は顔に騙されているが、2人は常にそこそこ中身がスライスされた会話をしている。腹の下りあいが必須スキルの貴族達の将来がだいぶ不安になってきた。
「シャロン、もう来ていたのか‼︎」
虚無顔でカストールと戯れていたアレクの表情が、シャロンと目があった瞬間に華やぐ。
しかしそれは一瞬でつゆと消え、秒で取り繕ったすまし顔に切り替わった。いつも通りのその様子がかえって実家並みに安心する。
「い、いえ、別に僕はシャロンの顔が見たかったわけでは無いんですよ。驕らないでください」
「アレクシス様、それでは喧嘩を売っていらっしゃるだけですよ。もっとピースフルでチャーミングなお言葉を選んで使ってください、私のように」
「揃いも揃ってフルスイングで煽ってきやがって……」
綺麗なホームランが決まったことはさておき、アレクとカストールは所定の席へ腰を下ろす。
机の上に脇に抱えた紙束を広げると、それらを素早く捌き始めた。
……アレクシスなど入学して3ヶ月ほどのはずなのだが、すでに10年くらい勤めた会社員の貫禄である。
「今日も頭おかしいな」
「書類がという主語をつけろ、俺たちの頭がおかしいみたいだろ」
即座にアレクが切り返してきたあたり、今回はなかなか大変な作業量なのだろう。くわばら。
「というか、そんだけの量2人で分担してるって、どう考えても人手足りて無いんじゃないか?もっと生徒会の役員増やせばいいんじゃないの?」
そう、別に何もこの2人が演出のために常に書類仕事させられてるわけではない。
生徒会に所属している2人には、こうした雑事も役割のやらなくてはならないことだ。
だがしかし、シャロンの記憶違いでなければ生徒会は今4人しかいないはずだ。
そのうちの1人はポルクスなのだが、体を動かすことが得意な彼はもっぱら動き回る仕事をしている。
あと、頭を使うのはあまり向いてないようで、正直そんなに戦力にはならない。
残りのもう1人だが、こちらも乙女ゲームの攻略対象の男だ。
しかしタイプで言えば一匹狼型らしく、あまりこちらの部屋には顔を出さず、1人図書室に入り浸っているらしい。
「それなんですよ、聞いてくださいますかシャロン様?
アレクシス様に何度も申し上げているのに、全然人員を増やしてくださらないのです」
「え?なんでわざわざ自分を首を絞めるようなことを……?労基に報告飛ばすか……?」
訳が分からなくてシャロンはこてりと首を傾げた。
掲示板にアルバイトの募集でもかけたら、実質ホストみたいな生徒会に入りたがるやつなんて入れ食いだろうに。
すると、書類からは目を外さないまま、アレクシスがため息混じりに理由を語り始めた。
「当然ですよ。生徒会に選出されるのは、家柄と魔力の実力を鑑みて、適任だと判断された生徒のみです。
自治会も兼ねているので、何かしら魔法による事故が起きた場合に対処できねばなりませんから」
生徒会への負担がデカすぎやしないか。
そういうのは普通に警備の人を雇えばいいのではないかと思う。
未来の国王にやらせちゃいけない仕事トップテンに入る事案だ。
……おそらく、例の如く乙女ゲームでイベントが起こしやすいからとかなのだろうけど。
「現状、我が国はそもそも魔法使いの排出率が低下傾向にありますから。
僕らの婚約が決まった経緯も、そうしたものだったでしょう?
もちろんこの学園にいる限り、全ての生徒に魔法使いの素養はあります。
ですが、それがトラブルに対処可能なほどの実力かと問われれば……現状はこの4人を抜いて他にはいないんですよ」
なるほど、思ったよりも明確に実力主義で決められたメンバーだったのか。
ふんふんと納得するシャロンだったが、ひとつ大きな穴があることにも気がついていた。
「なら適任が2人いるじゃん。えーと、あの、名前忘れたけど、赤髪で癖っ毛の……」
「ああ、リーガスですか」
リーガスとは同学年の可愛らしい相貌をした少年だ。
爵位と背丈はそれほど高くないが、魔力の素質は抜群だと聞き及んでいる。
そして例に漏れず、彼も乙女ゲームの攻略対象のはずだ。
「一度声は掛けたんですけどね、断られてしまいましたよ。面白くなさそうだからと」
シャロンは目を瞬いた。
確か彼も生徒会に属していたはずだったのだが、まさか自分の記憶違いだろうか?
いやでも、可愛い系担当がいないのはおかしいと思う。絵的に。
そして何より、残りのもう1人がいないというのはもっとおかしかった。
「ていうかロビンじゃん。そりゃ家柄は平民の出かもしれないけどさ、魔力量も将来の有望さもダントツでしょ」
そう、ヒロインたる彼女がいないなんて設定破綻にも程がある。
攻略対象とクラスが誰一人として同じじゃないのだから、課外活動で接点がないと話にならない。
しかしロビンの名前が出た瞬間に、アレクシスは苦いものを噛み潰したような顔でこちらを見てくるのだ。何だその顔は。
「………ええ、まあ、そうですね……」
「すぅっげぇ嫌そうな顔する……何がそんなに不満なんだよ。ロビン可愛いし、男ばっかりでむさ苦しいよりいいだろうが‼︎」
「いいえ、べつに………」
ここまであからさまなアレクは珍しいため、たじたじとなりながらもシャロンは言葉を返す。
取り繕う様子もないあたり、本当にロビンを誘うつもりがないのだろう。
どうしてそうなったのか、シャロンには検討もつかないが。
「……生徒会に彼女を入れると、この部屋にも入り浸るじゃないですか……」
「?ああ、うん、そうだな。それがどうかしたのか?」
生徒会室は別にあるのだが、シャロンがアトリエをとして利用するようになってから、アレクはこのサロンで仕事をこなしている。
最近はそこにカストールも加わっており、ロビンが入会すれば彼女もここへ来ることは明白であった。
しかし人手が足りてないんだから、これ以上なく適任のロビンを勧誘しない理由にはならないと思うのだが。
アレクシスもそんなこと分かっているのだろうに、頑なに彼女を生徒会には入れないつもりらしい。意味がわからなかった。
「ああ、なるほど、そういう理由でしたか」
ところがだ、カストールのほうは今の態度で合点がいったらしい。
2人の方を眺めるその顔は、天才的に腹の立つニヤケヅラであった。
「ニヤニヤするな、とっとと仕事を」
「アレクシス様は紳士ですから、普段はティターニアにシャロン様を譲ってらっしゃったわけですか。であれば、サロンまで乗り込まれてはシャロン様と話すチャンス減ってしまいますからね」
食い気味に図星をどつかれたアレクの体が、わかりやすく硬直した。
一方、話題に挙げられたシャロンの方は、生徒会と自分の繋がりが見出せずさらに疑問符を浮かべる。
「⁇どゆこと⁇私とロビンが一緒だとなんかあるの?
まさかロビンと生徒会室に入ると、ショック‼︎爆裂‼︎ボーン‼︎みたいになるのか?」
「そんなわけないだろ‼︎血管が導火線か何かなのか君は⁉︎」
つい渾身のツッコミと共に、アレクが椅子から立ち上がる。
視界の片隅でカストールが机の下に笑いながら沈んでいくのが確認できた。
「いやなんか、私の知ってる流れとか設定と色々違ってきてるから、バグかなぁと」
「何のことを言っているのかぜんっぜんわからないが、俺が言ってるのは君と2人で話せる時間が減るってことを………‼︎」
流暢だったアレクの口がぴたりと止む。
アトリエ(仮)に、天使が通り過ぎていった。
完全に墓穴を掘ったアレクは、再び座り直して書類に向き合う。
その横顔を無言で眺めていたシャロンだったが、やがて不思議そうにぽつりと呟いた。
「別に、アレクが喋りたいって言ってくれるならいつだって付き合うよ」
「だあああああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎はいはい、もうこの話は終わりだ終わり‼︎‼︎‼︎」
感情の処理が追いつかなくなったアレクシス爆弾が火を噴いて沈黙した。
なお、カストールが机の下から這い出てくるまでにおよそ20分ほどを要したという。
正直アレクの方が悪役令嬢の素質あると思っている




