虚空の額縁3
入学式は無事にとど懲りなく終わり、翌日、心地の良い天気に包まれながら学園生活は幕を開けた。
メイド長に起こしてもらったおかげで、余裕を持って初日登校ができたシャロンである。
ところが、学園についたところで1つ、問題が浮上してしまった。
「これ、教室どこだっけな…」
流石に学内で召使い同伴、は認められていないために、ここからは1人でなんとかしなくてはならない。
さて、アレクシスでも通らないものか、と完全に他人丸投げ思考で教室が続く廊下を突き進んでいく。
前世の頃は少子化問題があったため、こんなに教室があるというのは些か不思議な気持ちであった。
ひとつひとつ、開いた扉から中を除いて回り続けて、4つ目の教室を通り過ぎた時だ。
「貴方のような庶民が、わたくしたちと同じ机に座るなんて、身の程を知りなさい!」
5つめの教室の開け放った扉から、甲高く鋭い声が漏れ聞こえてきた。
何事かと、慌ててシャロンは教室の中を覗く。
教卓の最も手前にある席、そこに数人の少女が集まって誰かを取り囲んでいた。
皆一様に厳しい表情で、ピリピリと肌を刺すような空気を纏っている。
一体どこの誰だ、そんな可哀想かつ面倒くさい状況の渦中にいるのは。
半ば憐れみながら、シャロンは中央で縮こまっている人物に目を凝らす。
そして、次の瞬間、真っ赤な目を大きく見開いた。
なぜならそこには、見覚えのある桃色の髪をしたあの少女の姿があったからである。
「あぁ⁉︎アンタ入学式のときの女の子じゃんか‼︎」
思わず口をついて出た盛大な横槍に、教室中の視線がシャロン一点に集まった。
そうなると、当然先程の少女たちや、桃色の女の子もこちらを驚いた様子で凝視してくるわけで。
完全にやらかしたな、と悟ったときにはもう何もかも遅かった。
「なっ、何なんですの、貴女!いきなり大声をあげて、みっともない!だいたい言葉遣いも粗暴ですし、それが貴族のレディに話しかける態度なのかしら?」
少女たちのうちの1人が、矛先をこちらに転換して金切声を浴びせてくる。
言ってることは至極まともだが、言い方が人の怒りを煽る才能に満ち満ちていた。
「いきなり入ってきたのはごめんなさい。
でも、大声なら皆さんだって負けず劣らず、ではないですか?教室の外に響いてましたよ、さっきの声 」
もちろん、売られた喧嘩はばっちり買うスタイルである。
すると案の定、赤い布を振り回された闘牛の如く、先程の少女がさらに目を釣り上げて応戦してきた。
「お黙りなさい!生意気ですこと!
貴方、名乗りもせず突然割り入ってくるなんて、いったい何様のつもり?
わたくしをローゼライ伯爵家の令嬢と知った上での狼藉かしら?」
クルクルの巻毛を靡かせて、最高級のドヤ顔を披露するローゼライお嬢様。
何故か特に一言も喋ってない取り巻きたちも得意げな顔をしているのがシュールだ。
とりあえず、名乗ればいいのだろうか?
戦前の武士と貴族の喧嘩も同じなんだな、と脱線したことを考えながらシャロンは口を開いた。
「私は、シャロン・アルドリッチです。
父はアルドリッチ公爵で、今日から皆さんと一緒にここで学ばせてもらいます。」
よろしくお願いします、とシャロンにしては丁寧に締め括る。
その瞬間、これまで静かに成り行きを見守っていた教室中が一斉にざわめき始めた。
意味がわからず慌てたシャロンだったが、驚いたのは相手の少女たちも同じであったらしい。
鋭い棘が鳴りを潜め、ただ驚きから出る素っ頓狂な声で少女が叫んだ。
「あ、貴方が、シャロン・アルドリッチ⁉︎アレクシス王子の婚約者の⁉︎
しかもアルドリッチ公爵といえば、魔法の研究において、数々の実績をあげた、あの⁉︎」
「あぁ、なるほど。たしかにそんな感じです…」
ここでようやく、何故驚かれているかピンときた。
つまりはこちらの方が、目の前の少女より身分やらなんやらが上だったのだろう。
しかしこういうのは虎の意を借りた狐状態で、何とも居た堪れなかった。
己で売り買いした喧嘩に、親とか肩書きを使うのはフェアではないような気がする。
流石に少しだけ、謎の申し訳なさを感じてしまった。
「…ふ、ふん!身分振りかざして、いい気にならないでくださるかしら?
では、わたくし、ここで失礼させて貰います 」
ところが、それまで攻撃体制であったローゼライお嬢様が、あっさりと撤退していくではないか。
同じように、取り巻きの女の子たちもすごすごとその後を追いかけて逃げていく。
なるほど、身分を傘に着せてる相手なら、なかなか便利かもしれない。
秒で考えを改めたところで、シャロンに強張った様子で声をかけてきた人物がいた。
「あ、あの!助けてくださり、ありがとうございます!」
それはいつの間にか目の前にいた、あの桃色の女の子である。
白い頬に少しばかり、赤みを刺しながら佇む姿は、庇護欲をそそられる。
濁流のような勢いのローゼライお嬢様と、面と向かって喧嘩をするなんて想像もできない愛らしさだ。
「そんなつもりでも無かったんだけど、結果的にアンタの助けになれたなら良かった 」
安心させる意図も込めて、シャロンは慣れない笑顔を少女に向ける。
どうやら少しは効果があったようで、少女の小さな唇から柔らかなため息が零れ落ちた。
落ち着いたところで、今度はシャロンのほうから尋ねてみることにする。
「ねえ、記憶違いじゃなきゃ入学式の時の子だよね?
あの時はいきなり話しかけて、驚かせさせちゃった?だとしたら、ごめんね 」
「いいえ、そんなこと!私の方こそ、うまく話せなくてすみません!」
そういうや早いか、体を折り畳むように頭を下げられてしまう。
思わずギョッとしたが、すぐさま上げられた彼女の顔は淡く微笑んでいた。
「私、ロビンって言います。
もしかしたら、噂とかは聞いたことがあるかもしれないんですけど、この学園で唯一、平民の学生です。
その、お貴族の方々に囲まれて過ごすなんて、恐れ多いのですけれど… 」
なるほど、それで先程絡まれていたわけか、とシャロンは1人納得する。
正直、そんな話は初耳で、なぜここに入学することになったのかは少しばかり興味があった。
しかし先程あんな騒ぎがあったのだし、下手な詮索をすると、かえって恐縮させてしまうかもしれない。
なのでここは、特段気にしていないことが伝わるような返答を選ぶことにした。
「へぇ、なんかわからないけど、そういうこともあるんだな〜!
私はシャロン。今日から同級生なんだし、ロビンが他の友達と話す時と同じような感じで頼むよ 」
無意識のうちに手を差し伸べると、ロビンは大きな瞳をさらに見開いて、シャロンの手と顔を交互に見比べ始めた。
その顔には戸惑いの色がありありと浮かんでいる。
「いけないんじゃ、ないんですか?シャロンさんは王子様の婚約者様ですし…私のような者が馴れ馴れしくするなんて 」
「でも、学園で肩書き付きなんて、正直そんなに意味ないと思うしさ。
あと、同級生に距離取られるのは、友達いないっぽくて寂しい 」
ダメ押しでもう一度微笑んでみると、ゆっくり、ロビンの手がシャロンの手を掴んだ。
ゆるく繋がれた手を力強く握り返せば、今度こそ彼女もしっかりとそれに応えてくれる。
そして、桜が一斉に咲き綻んだと錯覚するような、満開の笑顔を向けてくれた。
「じゃあ、そうする!今日から私たち、お友達だね、シャロンちゃん!たくさん、たくさん仲良くしてね 」
「もちろん、こちらこそ。
あーところでさ、私のクラスとか、わかったりなんかしないよね…」
折角の良い雰囲気をぶち壊してこそのシャロンである。
しかしチラッと視界に入る時計の時刻に、少しばかり焦りを覚えてしまったのだ。
あと5分もすれば、教師陣がやってきてしまうことだろう。
ダメ元での質問であったが、返答は思いのほかしっかりとしたものだった。
「それなら、シャロンちゃんは私と同じクラスだよ!
席も私の後ろだから、毎日一緒に勉強もできるね 」
「おぉ、そうだったんだ!助かる〜!
ていうか凄いな、クラスメイトの名前も席も全部覚えてるの?」
自分のクラスすら危ういシャロンには、到底信じられないことである。
感心するシャロンをよそに、ロビンは悪戯っぽい表情を浮かべた。
「まさか!近くの席がシャロンちゃんだったから、覚えていただけだよ 」
「あ、そっか。後ろくらいならわかるもんか…… 」
確かに、前後の席くらいなら覚えていてもなんら不思議なことではない。
というか、普通それくらい覚えておいて然るべき、なのである。
「ほらほら、早く席に座ってよ!
先生が来るまで、一緒におしゃべりして待ってよっか! 」
本当に嬉しそうに手を引いていくロビンに抗うことなく、シャロンはその身を委ねた。




