月の王子様6
アレクの指先から小さな炎が現れる。
薪やマッチようなものを使っていないのに、だ。
(なるほど、これが魔法か)
風に揺らめく淡い光を前に、思わず私の筆も止まってしまう。
別の日、魔法の訓練を行うというアレクについてきた私は少し離れたところからそれを見ていた。
魔道王国を謳うわけであるから、日常にその力は溢れているし、私も何度か勉強させられている。
しかしこうも間近で見たのは初めてことだった。
この世界で魔法とは星霊と呼ばれる目には見えない存在からの祝福だ。
一部の例外を除けば我が国の国民は、力量差はあれど大抵がこの祝福を受ける魔道士である。
いくつかの種類があり、どの星霊から祝福を受けたかにより扱える力は変わってくるのだ。
因みに私は水の魔法、アレクは炎の魔法を使う。
「流石筋が宜しいですね、アレクシス様」
「ありがとうございます、危ないので別室でお待ちしていてもよろしいのですよ?」
言い聞かせるようなもの良いだったが、ここ数日でこれはスルーして良いやつ、という判断力を身につけたのでなかったことにする。
アレクもこめかみが少し動いたくらいで、もう無駄だと判断したらしい。
姿勢を教師の方へと向き直し、そのまま訓練を開始する。
(にしてもほんと凄いな、魔法の訓練って今の年齢なら基礎までしかやらないはずなのに。)
素人目だが、それでも今行われているのはかなりレベルの高いものだ。
魔法に限った話ではなく、アレクがこなしていることは勉強からダンスのレッスンまで子供がやるものじゃない。
それを涼しい顔してこなしていく姿は流石の一言につきる。
「それでは本日はここまでとしましょう」
教師の合図がかかり、訓練は終了した。
メイドがアレクへタオルと飲み物を差し出しす。
受け取ったアレクが礼を述べれば、メイドの頬がほのかに桃色に染まった。
そのやりとりを特に意味もなく眺めていれば、ふいに笑顔を掻き消してアレクがこちらへとやってきた。
初めの頃は私にも向けられていた笑顔は、最近その回数を一刻と減らしている。
より正確にいえば「この子こんなんで大丈夫なのかな?」「またこいつか」みたいな冷や水の目が増えていた。
本当に失礼な話だと思う。
「僕はシャワーを浴びて着替えてからバイオリンのレッスンがありますので、着いてくるのなら先に向かっていてください」
「シャワーも付いて行きますよ。デッサンは絵の基本なんです」
「かろうじて保っている淑女の称号を、音速で投げ捨てようとしないでください。
では先に行きます」
まったくあの女!という失礼な言葉を背負ったまま、小さな背中は遠のいていく。
私も向かおうと椅子から立ち上がると、ふいにくすりと笑い声が聞こえてきた。
振り向けば先程のメイドがとても暖かい笑みで私を見ている。
視線が交差すると慌てて謝罪してくるが、柔らかな雰囲気はそのままだ。
「別に良いんですけど、どうかしました?」
「ふふ、王子とシャロン様は本当に仲がよろしいのだなと、微笑ましくなってしまいまして」
そうだろうか?と首を傾げる。
アレクの眉間のシワは深まってるかもしれないが、仲良くはなっていないような。
訝しげな私を察したのか、「王子は…」とメイドが語り始める。
「いつも完璧で、この国の次期後継者としてふさわしい人であろうと努めておられます。
ですが、それゆえに年相応の子供らしさを見せることがあまりないものですから。
シャロン様といるときの王子は、なんとなく伸び伸びとしていらしてるように思えて」
本当に心の底から嬉しそうだ。
たしかに最近はあの機械業務的な反応が減ってきているようには思う。
けどあれがアイツの本性ならだいぶ性格悪いと思うんだが。
果たしてメイドさんのその認識はいいんだろうか、と若干気は遠くなったが細かいことは気にしない主義なので、まあ、いいか。
さて、今日のおやつは何かなと軽い足取りで私は歩き始めたのだった。
一方身支度を整えたアレクシスはレッスン室へと向かうために長い廊下を歩いていた。
早くいかなければ、あの目を離すと何をするかわからない少女が心配でならない。
そんな気持ちが後押しして、ついつい早歩きになってしまう。
ここ数日彼女は本当に毎日城へやってきては、大抵の時間アレクシスにびっちりと着いてきた。
その間に彼女が起こした奇行の数々は思い出しただけで頭痛がする。
先日は「私にも古代文字が読める才能がある気がします」と突然宣い、最終的に全ての文字に因縁をつけてまわっていた。
…………前々から思っていたが喧嘩を売らないと死ぬ体なのだろうか?
再び疑問が浮かび上がるが、理解しようとするだけ無駄だなと切り替えていくことにした。
(レッスンが終わったらハイティーの時間だから、それが終わったら帰るのだろうか。
今日はこの前気にいっていたブリオッシュが出るから、お茶の時間まではいるだろうな
それとも晩餐も食べていくんだろうか)
ああ、でも今日は彼女の父親が迎えにくると言っていたから、レッスンの間に帰るのかもしれない。
そう思うと体の温度がほんの少し、下がったような気がした。
でも、この前もそれで全力の駄々を捏ねていたから、やっぱりお茶くらいは…。
思考を巡らせていたため、向こうから近づいてきた人物に彼は気が付けなかった。
「おや、殿下これはこれは。お忙しいようで何よりですなぁ」
粘着質な、耳触りの悪い声だった。
ずんぐりむっくりとした体に、ギラギラとセンスの悪い装飾をした男が嫌な笑みを浮かべている。
それでも、そんな相手でもアレクシスはお手本通りの綺麗な笑顔を向けるのだ。
「サウス大臣、貴殿こそお忙しいようで」
「全くですよ、優秀な殿下がはやく国王になってくだされば、こちらは楽になりますのに」
そこにあるのはただの悪意。
本当に忙しいというのなら、こんなところで油を売らずに机に向かっていればいいのだ。
しかしこんなのは日常茶飯事なので、適当に捌いてとっとと戻ろう。
失礼します、と会話に区切りをつけて立ち去ろうとした時、男が大声で彼に言う。
「それにしても、最近の殿下は婚約者殿と仲睦まじいようで何よりですな。
まるで子供のようで、微笑ましい限りですよ」
その言葉で小君よく響かせていた足音が、静かに鳴り止む。
大臣の男が去った後も、アレクシスはすぐには動くことができずにいた。
まるで、子供みたいだなんて、そんなふうに自分は見られていたのか。
それは、まずい。
拳に知らずのうちに力が籠る。
青いはずの彼の目に赤い炎がチラついたような、そんな錯覚を覚えた。




