月の王子様5
それからというもの、私はその日一日をアレクと共に過ごした。
跳ねるようなピアノを奏でるアレクの傍で、その尊顔をひたすら描き殴る。
またある時は教師から指導を受け真剣に何かを書き留めるアレクを、紙の上に描き付ける。
その度アレクは何か言いたくてたまらないという顔をしていた。
しかし人の目が多いほどに完璧王子としての対応が優先されるようで、結局はそれを黙認するしかない。
周りの大人たちも、初めは奇妙な子供2人に訝しげな態度を見せていたが、次第に微笑ましい以外の感情が感じられなくなっていたので詰みである。
「はぁ…本当にずっとついて回るんですね」
半日でゲッソリした様子のアレクが、うらめしそうな目をよこす。
真上の太陽光が降り注ぐ東屋で、王城のシェフが作ってくれたサンドイッチをほう張っていた私は笑顔でそれに応えた。
折角だからとメイドさんや執事さんが外でのピクニック昼食を提案してくれたのだ。
「もう十分でしょう?帰りの馬車を出しますから、今日はおかえりになられてはいかがです?」
帰ってほしい、という気持ちが伝わる心からの完璧スマイルだ。
これはまさしく、京都で客人に出されるお茶漬けと同義。いうなればお茶漬けスマイル。
しかし私も負けじとそれに応戦する。
「いえ、まだ足りないくらいです。
良いアイディアが出るまでは、ぜひお付き合いさせていただきたいですね」
火花でも散りそうなデットヒートが微笑みのみで繰り広げられていく。
一歩も譲らない冷戦は、時間を重ねるごとに加熱していく一方だ。
「それにお城の方々からは婚約者として親睦を深めるのは良いことだと思われています。
これはアレクシス様にとっても悪いことではなのではないでしょうか?」
「たしかに、それは認めましょう。
しかし、そもそも事前の許可もなく忍び込んで、王子に付き纏うというのは少々おてんばがすぎるのでは?
僕の婚約者を名乗るのであれば、それを鑑みた行動をしてほしいものです」
こちらがああいえば、アレクも負けじと応戦してくる。
互いに絶対に負けたくない、という気概から笑顔も口も衰えることがない。
向こうが意思を崩さないのなら、意地と根性で立ち向かうしかないのである。
顔も筋肉痛とかなるのだろうか、と嫌な心配が思考をよぎるが無理やりかき消した。
「あら、でしたらより一層、アレクシス様を観察して学ばせていただきたいですわ!
アレクシス様は何せ完璧な王子様。
今日少しの間だけでも学べることは多くありましたもの」
「ふふ、ありがとうございます。
ですが、僕などよりもお家に帰って、マナー講師からご指導を受ける方がよっぽど身になると思いますよ。」
この野郎、ほんと口が減らない子供だな。
テーブルの下でスカートを掴む手の力がぐっと強まる。
おそらく向こうも全く同じようなことを考えているとは思うが、腹立つものは腹立つ。
先に舐めた真似をしてくれたのはあっちなので、絶対に譲ったりしたくない。
不毛な会話が続く中、ここでアレクが先手を打ってきた。
「それで、午前中の間に何か学べたことはありましたか?」
紅茶をお手本のような仕草で唇へ運ぶ姿は余裕綽綽だ。
何も言えないならそのまま追い出す腹づもりだろう。
どう返そうかと私は思考を逡巡させる。
「そうですね…」と最後の一つとなったサンドイッチを摘んで、ゆっくりと口の中で咀嚼した。
イチゴのサンドイッチはほのかな甘味と酸味が絶妙で、いつまででも味わっていたいほど美味だ。
なるほど、これはたしかに。
コクリと飲み込んで、私はニヤリと笑う。
「とりあえず、アレクシス様は苺がお好きなのはわかりました」
虚をつかれた様子で、アレクから溢れていた余裕が鳴りを潜めた。
サンドイッチは各種3つ用意されていた。
そのほとんどは紳士アレクくんが私の好きなように先に選ばせてくれたわけだが。
こと苺のサンドイッチに関しては、彼が真っ先に手を伸ばした上に、3つのうち2つをペロリと平らげてしまったのである。
流石に全部を食べるのは気が引けたのか、最後の一つはお皿に残してくれていたけれど。
しかし他のサンドイッチを食べている様子と比べれば、一目瞭然だろう。
「…えっと、一体なんのお話で」
「これ美味しいですし、気持ちは大いにわかります。
にしても、結構可愛らしいとこありますね!」
ごちそうさまでした、と手を合わせて鼻歌交じりに紅茶を啜る。
アレクが渋面を浮かべながら横目に視線を送ってくるのが、愉快で仕方なかった。




