第二十七話 告白
「何も特別なことはしていない」
病室で彼──土師林善介先生は言った。四十手前の容姿。失礼極まりないが、光野さんの倍以上の悪人面。視線で人を殺したことがあると言われれば納得してしまいそうなほどだ。しかし、それに合わずとても優しい声色をしているものだから調子が狂う。
「傷を埋めただけなんです。人体複製に用いる素材──もっとも生物に近い非生物、『血空』を結合素材に用いただけ。こちらの世界では主に欠損した人体の修復に使います」
「義手とか?」
「その通りです。完全な欠損の場合だとかなり時間はかかりますが、メンテナンスも不要な域に達する。人形医療というのは、こうした類の欠落に対する医療でね。君と、そして白瀬さんのような、『再生の促進を図る為の処置』として使われることはあくまで応用。それは本来の領域ではありませんから」
「再生の、促進……」
「魔術の適応経過を見ないことには断言できませんが、藍歌さんの怪我は一週間で運動の問題はなくなり、一ヶ月で完治まで進むでしょう」
これだけの怪我が一ヶ月で完治──そう聞いて、思わず僕は「すごいですね」と口にした。
「すごくないですよ。遅いか早いか、跡が残るか残らないかの違いです。医療魔術なんて簡易なモノなら多くの人が使える……本当にすごいというのなら、この技術だって表立つことでしょう。表に比べれば、とても小さく些細なことだ。……、……それでは、二週間後にもう一度いらしてくださいね」
土師林先生は席を立つ。
僕は彼を呼び止めた。別に訊かなくていいことだとは理解しているけれど、なんとなく、口に出してしまった。
「あなたにしてみれば、僕が殺し合ったことも、白瀬さんが殺されかけたことも、小さく些細なことなのでしょうか?」
「ええ。とても小さいことだ。しかし、世界の捉え方は最低でも人の数だけ存在します。私の意見なんて、それこそ小さいことなんだよ」
大人らしい意見だと思った。ただ歳をとるだけでなく、その目で自分の周りを視続けたらからこそ言えること。
「聡明な方だったね」ベッド横のパイプ椅子に座った白瀬さんが言う。「無駄なく生きてきた雰囲気がある」
「同感だ」
そう感じさせる人の話を聞けば、たしかに僕のしていることなんて小さいのだと思う。
人を殺して、人に殺されて。そんなの、世界中で毎日のように行われているじゃないか。僕がしていることなんて何一つ特別じゃない。
「しかし、一週間か……」
大きく息を吐く。右腕の包帯の下を覗けば、痛々しい縫合の跡。その上には緑色の文字式が書かれている。螺旋状に傷を覆う蛇模様のようだ。
……一週間は僕にとって長すぎる。恋毒と想圏が消えた今、教団は指揮が取れずにいることだろう。そんな瓦解した状況を杉野さんが見逃すとは思えない。魔術対策機関捜査一課──彼女の嗅覚は侮れない。
教祖が機関の手に落ちてしまえば接触は叶わなくなる。それよりも先に逃亡されても僕の負けだ。
彼ら彼女らにとっては短い一週間なんだろうな。
「君は、本当に教祖と戦うのかい?」
白瀬さんが顔を近づける。
「目覚めた時に言っただろ。全てその為の行動だよ」
「……君がやるべきなのか?」
「僕を育てた人なら、僕のすべきことだと言うだろうね。なんにせよ、寝覚が悪くなる要因を排除することは大切なことだよ。誰にとっても」
白瀬さんは苦い顔をした。腹の内では必要なことだと分かっているのだろう。最適人が僕だと言うことも。
この人は真剣に悩んでいることだろうけど、滅多に見ることのない表情は退屈しなかった。
「しかし、これからすぐにってことはないだろう? その怪我だ。何も出来ずに終わるのがわたしにだって視える」
「はっきり言うね」
まあ、土師林先生だって無理をすればすぐに傷口が開くと言っていたし、その通りなのだけど。
……なにかしらはできると思うけどなあ。
「明日、君の時間をくれないか?」
「は?」
「明日、君の時間をくれないか?」
息づかいまでまったく同じだった。なんて迫真な顔……。
「白瀬さん……何を言ってるんだ? 明日は休むべきだよ。昨日のことがあったんだ、君だって疲れているだろ?」
「え? 学校行かないの?」
校内男女の人気を集める美女がキョトンとした。しやがった。
「……マジか? 学校行くつもり?」
「うん。たしかにこの両手だと不便だけどね。重い荷物を持つのは当然無理だし、文字を書くことだって一苦労だ。右手は一週間もすれば日常生活に支障がないほどに回復するらしいが、左手は二週間近くかかるそうだ。でも、学校を休むほどのことでもないだろう?」
「全然休むべきだ」
僕ならそれを言い訳にひと月休むかもしれない。それは過剰としても、さすがに少しは休むべきだ。
それに……
「……他人に殺されそうになったんだ。一度ゆっくりするべきだろ」
「君は優しいな」
「誰だって同じ事を言うよ」
「そっか。……じゃあ、休もうかな。家族への言い訳もあるしね。この傷、なんて説明したものか」
「…………」
痛々しい傷を見て、白瀬兄の言葉を思い出す。
『藍歌くん。妹を頼んだぜ』
別に感じる責任なんてない。あの人が勝手に期待して、僕がその勝手に応えられなかっただけのこと。第一死ななければ安いものだろう。
……ま、言い訳くらい一緒に考えてあげるか。
「交通事故はどう?」
「大事になるよ」
「じゃあ、ファッションとか」
「精神科に一直線だ」
「それなら──」
と、僕たちはどうすれば昨日の一件を誤魔化せるのかを語り合った。
時に脱線し、また戻り、脱線しての繰り返し。退屈というには程遠いこの時間は現実逃避にはもってこいだった。
殺伐と凄惨に埋もれた過去、或いは未来から目を背けることが卑しいことだとは承知している。しかし、そんな自覚、今更持ったところで何がどうなるというのか。この人からの好意すら、僕には重すぎるというのに。
「それで……どうだろう。明日、少しだけ、時間を貰えないか?」
「うん」
即答した。こうして僕が快諾すれば何か裏があったり悪どい感情が働いたりと思われるかもしれないが、それらはまったくない。単純に流されてしまった。今までの会話で沈黙の一つでも挟んでいたのならしっかりと断っていただろうに。
「じゃあ、明日の十二時に──。……いや、未来視には反動があるんだったね。夜にした方がいいかな?」
「夜にすら起きるかわからないけどね。寝てたらまたいつかってことで」
「分かった。なら、八時あたりに迎えに行くよ」
破られるかもしれない約束を結んで笑顔でいられるのはちょっとだけ羨ましい。誰が相手でもというわけではないだろうが、それができたらどんなに楽なことか。
なんにせよ、ここで流されたことは僕にとっても都合がいいかもしれない。いつまでも見て見ぬ振りはできないし、誤魔化し続けたところで疲弊するだけだ。
それに……昨日だけで二人殺している。少しくらい、方向性を変えた休みがあったところでバチは当たらないはずだ。
×七月十五日 午後七時五十七分
「おお」
自室の時計を見て感心した。まさかこんなにもタイミングのいい目覚めがあろうとは。
口をゆすいで顔を洗う。着替えを済ませて丁度三分後にインターホンが鳴った。
「これも感心だ」
出迎えてみると、当然白瀬さんが居た。髪を短く編み込んでいる。服装は黒のブラウスに黒のパンツ、ブーツまでも黒色だった。黒一色でまとめているにも関わらずこの着こなし……。さすがだな。
「どうしたんだい?」
ぼうとしていた僕の前で手を振る白瀬さん。
「ああ、うん。カッコいいよ」
「……? ……⁉︎ あ、ありがとう」
赤面する白瀬さんを見てから別に感想なんて聞かれていなかったことに気づく。しまったな。寝起きだからか会話が適当になる気がする。
今日はきっと面倒な時間になるぞ……さっさと覚醒しろ僕の頭。
「……で、どこへ行くんだ?」
靴を履いて問うと、白瀬さんは得意げな顔をした。
「山に行こう」
「………………山、ですか」
「うん。よく考えてみたんだけど、長い間住んでいるこの街を俯瞰したことがなかったと思ってね」
「まあ、僕もないけど……」
それはつまり必要がないってことじゃないか。今から山か……あまり気は乗らないな。何なら乗るんだって話だけど。
「それはよかった。新鮮の共有ができる」
微笑む彼女の背中を追う。移動手段はバスか地下鉄かどっちなのかを訊くよりも先に、白瀬さんはアパートのすぐ前に路駐していた車の横で立ち止まった。
クリーム色の軽自動車……パイクかな? 運転席を見てみると、凛々しさの極まった顔がそこにはあった。白瀬兄だ。左目を瞑って敬礼のポーズを取る彼を見て、僕は思わず「うっわ」と漏らしてしまった。
「ごめん……怪我のこともあって、この人を追い払うことができなかった」
白瀬さんは心底呆れたふうに言う。
「都合のいい足と思ってくれ。……いや、都合の悪い足か」
「……じゃあ、お世話になるかな」
この人苦手なんだけど、なんて小学生のようなわがままは口にしない。車の方が移動は楽だし、実際のところありがたいのは事実だ。
白瀬さんの後に続いて後部座席に乗り込むと、「揃いも揃って傷だらけだこと」なんてニヤニヤする白瀬兄がミラー越しに見えた。
×
車は法定速度をわずかに上回って進む。目的の山(正確には展望台らしい)まではおよそ三十分ほどで着く。妻城市内にはいくつかの展望台があるが、今から向かう所はその中でも小さく、あまり知られていないらしい。
「──と、梅花さんが言っていたよ」
「うめばな……?」
珍しい名前だ。それに聞き覚えもあるような……。
うめばな──梅花水薙か。漢字を思い出したら、それから次々と彼女との古い記憶(一年前を古いと思うのは個人差があるだろう)が連想されていく。
宿泊研修で同じ班だった。梅花さんは目が合うたびに一言二言交え、すぐに別の人のところへ消えていく、そんな忙しい人だった。
宿泊施設では一睡もできなかった。気の許せない相手に寝顔を見せることが気持ち悪かった。
天井のシミを数えることにも飽きた四時頃に僕は部屋を出た。何を目的とするわけでもなく施設内を徘徊し、大窓の前に設置されているベンチに座った。静寂と孤独が合わさると睡魔が襲ってきた。
そんなところに、
「おはよーっす! おはようだね! おはようが極まってるね! まだ四時だよっ!」
静寂クラッシャーが僕の隣に現れた。とても寝起きとは思えない顔色だった。髪の毛はたしかいつもと変わらない(いつもを知った気になっているだけなのは確実だ)ウェーブボブだった。セットしているのではなく地毛のようだ。
「いきなりなに……」
「ダメだよ! まずはおはようをしましょう」
「はあ、おはよう。それで、何の用なの、こんな朝から」
「こんな朝からって、藍歌ちゃんが言う⁉︎ マジで面白い! ……そだね。わたしはどうにも寝付けなかったんだ。興奮し過ぎて。だからお喋りしようよっ。お互い四時に建物を徘徊して遭遇するだなんて、これは何かしらの縁だからさ!」
などと訳のわからないことを言われた。それからどんなやり取りをしたのかは覚えていないが、きっと、覚えるまでもなくくだらない内容だったのだろう。
ただ一つ、僕は何かを言った。そして何故か梅花さんは大きく笑った。
回想終わり。
「梅花水薙か。仲良いんだ」
「うん。あの娘は一緒に居て楽しいからね」
「ふうん……」
「彼女がよく行く展望台らしい。さすがに今日鉢合わせることはないと思うが……」
「そんなことがあれば最悪だな」
「ほんと素直だな君は」
呆れられてしまった。いや、もしかすると感心されたのかも。
「俺抜きで盛り上がらないでよー」白瀬兄がとうとう口を開いた。「運転手を差し置いてずるい。運転手を退屈にさせないのがお荷物の役割でしょ」
そんな横暴に白瀬さんは表情を消した。
「足が喋らないでくれ」
「マジで酷くない⁉︎」
「なんならそろそろ降りて」
「誰が運転するんだい、それ……」
兄妹でここまで似ていないのも珍しい。お互いの口を封じればさぞ高貴な家族に見えるだろうに、まったく惜しいことをする。
「いや、実際のところ不安で仕方ないんだよ。連絡なしに帰ってこないと思えば怪我してるし。俺が父さんと母さんを言いくるめてなきゃ即警察行きだったんだよ?」
正論パンチで殴られた白瀬さんは流石に暗い顔をして俯いた。
しかし……言いくるめた、か。それだけを聞かされてしまうと、どうしても何故を質問したくなる。
「言いくるめたって、どうして?」
「信頼だよ。大事にする方が厄介になるってね」
バックミラー越しに目が合った。勝ち誇ったように浅黒の瞳を細めて、一体何を勘違いしているのか。
……別にいいけど。どうせこの人も賢いことだ、勘違いなんてすぐに解ける。ここで僕が出しゃばらなくたって、人が死ぬことはないだろうさ。
僕は「そうですね」と雑に返した。
「そうかな」
今度は白瀬さんが悪態をついた。
「信頼している割には監視をつけるじゃないか」
「ほんと可愛くない奴だよ、おまえは」
こんな感じの会話がずっと続いた。時折飛んでくる流れ矢を回避しつつ、僕は傍観に徹底した。
面白い訳でもつまらない訳でもなく、そして不愉快でもなかった。
こんな時間が続けばいい。殺し合いとは相対的に見てマシな今が、しばらく、或いはずっと続くなら、どんなに楽なことだろう。
そんな想いを胸に、僕はこれから出さなければならない応えを考えた。
×
山中の駐車場には白瀬カーを除いて一台も停まっていない。そりゃあそうだ。今日は平日で、明日も勿論平日。そんな中夜に展望台へ行こうという発想にはならないのが当然だ。
ま、僕にとっては休みなのにわざわざ山へ行くってのも理解できないけど。
「俺は寝てるよ。ちょいと疲れた」
なんて白瀬兄が見え透いた気遣いをした。僕は礼を言って車から降りる。
白瀬さんは十秒あまり遅れて降りてきた。そして「……ありがと」と車内の白瀬兄に照れながら言った。
「それじゃあ、藍歌くん。行こうか」
「そうだね……」
森を歩く。
車内での雰囲気とは打って変わり、特に会話もなく、白瀬さんの表情は硬い。歩調も安定せず、先を行ったり後ろに下がったり。大丈夫かよこの人……。
やがて森が開け、一帯に草原が広がる。
ほとんどが黒に呑まれた緑のその奥に広がる妻城市はたしかに絶景だった。
不均一に輝く光の数々は宇宙の星々のようだ。都会の煌びやかさが、こうして俯瞰しただけで見方が変わる。
「なんだ──綺麗じゃないか」
思わず口にした。
ここに座って眺めろと言わんばかりのベンチに座る。
「視点一つで変わるものだろう?」と、いつもの声色の白瀬さんが隣に座った。「いつも居る街はあんなにも綺麗なんだよ」
「そうだな。明日には今日のことなんて忘れているだろうけど」
「忘れないよ」
視界の右端に映る彼女は、目の前の世界を見ながら断言した。
そして、何を恥じらうこともなく、極々自然に続けた。
「藍歌くん。わたしは、君のことが好きだよ」
「うん。知ってる」
「……そっか。まったく……どうにもロマンスに欠けるな」
「白瀬さん、僕は──」
「いや、いい。すまない。その答えは全てが終わったら聞きたい。落ち着いた時に聞かせてくれ」
全てが終わったら。
教祖との決着がついたら。
「意外だな。君ならただをこねると思ったが」
「……藍歌くんの行動によって恩恵を受けるのはわたし──いや、わたし達だ。何をしようとしたところで邪魔にしかならないのは悔しいが、だからと言って、君を止めるだけの資格はわたしにない」
「…………」
「だからせめて、今はこのままで──」
ベンチに置いた僕の手に、白瀬さんの手が重なる。
とても熱い。
逃げ出したくてたまらないだろうに、よく自分からその退路を断とうと思ったな。
いや。
それができるから。
だから僕は、君に遠く及ばないんだ。
白瀬さんに顔を向ける。美術品でも鑑賞するかのような目つきは景色に負けないくらいに眩しい。
うん。僕にはとてもできない顔だ。
「凄いな」
不意に声を漏らす。
白瀬さんは満面の笑みで「本当に、すごくきれい」と答えた。
──あどけなさが含まれた完璧に対する破壊衝動が生まれる。そんな言い方をすれば壮大に聞こえるが、実際のところ誇張表現でしかない。
「いや、手汗。凄いね」
ちょっとした悪戯心。そんな僕の意地悪に応えるように、白瀬さんは噴火途中の火山にも負けない程に顔を赤くする。
すぐに手を引くとも思ったけど、白瀬さんはらしくもなく笑って誤魔化し、
「今日だけは許してくれ」
その手を退けなかった。
不完全すら不快感を抱かせない完全な存在。こんな人、理想の対象にしかならないだろう。
風荻吉野。
こんな人を壊せる神経のおまえは死んで正解だよ。
×七月十六日 朝
学校へ行く支度をするだけのことに懐かしさを感じた。土日を挟んで五日も休んだからというのもあるだろうけれど、何より密度の濃い時間だったからというのが実際のところだろう。
良くも悪くも。
その比率についての言及はともかく、これだけ休んだ後で全身に包帯を巻いて登校というのも不良少年がすぎる。まだ完全に治ってる訳じゃないけれど、比較的傷の浅い頭部の文字式はすでに消えていたので、せめて頭の包帯は取ることにした。これで少しは悪目立ちもしなくなる。
「さて」
荷物の確認。勉強道具一式に、折りたたみナイフ。
問題なし。
人を斬る感触も確かにある。
「行きますか」
×
『いつに闘うの?』
白瀬さんにそれを問われ、僕はその時『未来視次第さ』と答えた。しかし、それは家に帰った後で否定される考えとなる。
未来を待ち続けて殺されてしまったら元も子もない。それに、不意の未来を視るには僕の行動も必要な情報になることだろう。
なにより、無理ができないこの体の状態は、教祖を舞台に上げる為の良い餌になる。
今日だ。
今日の放課後に教会周辺を調査し、夜に全てを終わらせる。
この意気込みがトリガーとなったのか、視界が割れた。薄暗い教会の中、教祖の遣う死体に腹を貫かれている僕が居た。
しっかり負けてるじゃねえか。
流石にやるせない気持ちになるが、その反面、戦っていると言うことは血の契約自体は成立している安堵もある。
なんにせよ死んでしまっては意味がないし、全ては予測の域を超えない。断定するには情報が足らなすぎる。
「いや、予想外に期待しないと道はないのか……?」
予想外の予測。こんな矛盾の処理を僕の脳で行えるのか?
「無理だろうな」
自己完結して鞄を持つ。
×
さて。学校では予想内と予想外の出来事が起こった。いずれも未来視は関与していない。
予想内は白瀬九織からの接触の増加。授業の合間に彼女はくだらない雑談をしに僕の席にやってくるのだ。周囲の視線を気にすることもなく……。それでも彼女は元からの人間関係を崩す真似はしない。これからも賢くあり続け、愛され続けるのだろう。
予想外は井宮と桜内が欠席しているということ。その事実は今、昼休みの食堂で薔薇から聞かされた。
「あの二人が揃って休みとなると、何かしら並々ならぬ理由があるとは思いませんか?」
分からなくもない。井宮にしろ桜内にしろ、体調を崩すなんて状態が想像できない。桜内に関しては崩したところで欠席なんてしなさそうだ。
喫茶店に依頼が入った。そんなところだろう。
「ま、あいつらも忙しいだろうしな……」
と、僕は正面の薔薇に濁して返す。もちろん薔薇を相手に誤魔化したのではなく、隣に座る榊麻衣美と灯火花を相手に誤魔化したのだ。
……食堂で独り栄養摂取しているところに、このいつもの三人が絡みに来たという訳だ。
「独りで食いたいんだけど」
僕が言うと、三人は何を感じさせることもない固い表情で黙々と咀嚼をする。そして灯が、
「先輩は宿泊研修どうでしたか?」
などと僕の発言を堂々無視しやがった。
……うん? 宿泊研修?
「あ、来週からか」
「そうなんですよ!」斜め向かいから大きく身を乗り出す灯。「カップル乱立イベントの一つが宿泊研修! 次の日を迎えてみればなんだかあの人とあの人がいやらしい雰囲気に? 話を聞けばあの夜にあんなことが! そんなワクワクドキドキで満ちたイベントなんですよ!」
「夜にそんなことをすれば停学モノだ」
「先輩の時はどうでしたか! なにかしら面白いことがあったのでは?」
「なかったよ」
「またまた! そんなわけがないでしょ。だって、青春の一ページを飾るイベントですよ? ……本当になかったんですか? 周りの人とかも……」
今以上に視野の狭かった僕に知る由もない。白瀬九織のことすら記憶の外に追いやった事実を踏まえると、何かしらはあったかもしれないが、それを思い出すには至らない。
本当に──世界がどうでもよかったから。
なんてことを思っていると、榊が口を開いた。
「火花。それをこの人に訊くのは酷でしょ。この人友達居ないんだし。なんでそんな悪意に満ちた発言ができるんだ」
どこまでも生意気なボブ野郎だ。正論だから素直に怒れないのだけど。
「ちょっとした旅行ってだけで人を好きになるのもおかしい話だろ。仮に僕の周りに人がいたとして、別に変化なんてなかっただろうぜ」
「そうですかね?」
と、真っ先に否定に入ったのは灯ではなく薔薇だった。
「案外、人を好きになるのはその程度の理由で十分かもしれないですよ」
悪意のない顔でそれを聞いてしまえば、連想せざるを得ない。
「なんか、風荻みたいなこと言うね! いばらん」
灯がその名を口にする。
とうに殺した彼の名を。
三人は笑う。
僕は笑わなかった。
薔薇が魔眼封じを外したその一瞬のうちにでも、風荻の過去を覗いてしまう可能性は十分にある。その時不必要な責任を感じ、どんな顔をするのか。
視るまでもなく視える結果に、ただただつまらない感情を覚える。
「そういえば、風荻のやつ学校サボってるんですよねー。火曜日水曜日と今日で三日間連続! 一体何をしてるんでしょうね? あいつ、あんな性格で学校には毎日来てたのに」
「健全な少年は学校くらいサボるものなのさ」
僕は風荻の死に顔を想起しつつ、薔薇に答える。薔薇と灯は苦笑を浮かべていたが、僕の隣の榊が「不健全がなんか言ってる」と生意気を言うのだった。




