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無彩色の願望  作者: 哀川
第四章 屍の器

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第二十四話 墓場

「白瀬九織の物語のオチ。市余町に着いたはいいものの、姫先輩がどこにいるのか分からず、そもそもまだこの街にいるのかすら不明。彼女は新天地にてまさに五里霧中なのでした」

「総括をやめて……」


 ベンチに座る風荻くんは楽しげに言った。

 彼の言うことは正論だからこそ胸に刺さる。この町に着いたところでわたしはさてどうしたものかと駅前の広場で足踏みしているところだった。


「張り詰めても仕方なしっすよー」

「……それもそうだね」


 彼の隣に座る。一度冷静になろう。


「白瀬先輩と姫先輩って似ているところがあるから、案外推測で居場所分かったりとか?」

「似ている──か」


 梅花さんにも言われたな。宿泊研修を思い出す。


「一体どこが?」


 ミステリアスでまとめるのだろうかと思ったが、


「それは、ほら、えーと……なんかこう、とりま似てます!」


 説得力に欠いた曖昧な言葉でまとめた。というか、まとまっていなかった。

 風荻くんといるといい具合に力が抜けるな……。決して悪い意味ではない。


「あ! あれですよ! 屍の器って共通点! 似てるってか、同じですよね。器の近くだと体が振動する、みたいな機能はないんですか?」

「機械じゃないんだから。残念ながらわたしには──」


 ………。

 わたしにはあるじゃないか。

 あの時──三人目を祓った、あの町の廃墟を目指した時の感覚。


「わたしには、ある」


 確信して立ち上がる。藍歌くんに惹かれる感覚があの時と同じと言うのなら、あまりにも簡単な事──


“ほら、自覚さえすれば、あなたはいつだって最高なんだ”


 うん。ありがとう。


「こっちだ」

「へ……?」


 歩き出すと、風荻くんは遅れてついてきた。わたしの顔を覗くようにして、「まさか」と続ける。


「便利機能、あったんですか?」

「あった。君のおかげで自覚できたんだよ」

「わー。よかったじゃないですか」

「軽いね……」


 とにかく、わたしは足早に感覚に従って進み続けた。

 惹き寄せられる感覚があるからといって、それは器の生存を意味することではない。廃墟の彼女は死んでいたのだから。

 焦燥したところで、それはわたしを鈍らせるだけだ。冷静に行こう。

 ──やがて建物は疎ら、田畑に囲まれた道に着く。わたしたちの視界の遠くには一軒の洋館が入っている。


「あそこに居る。たしかに感じる……」


 走り出そうとした時、風荻くんがわたしの手を掴んで静止を強制した。


「待ってください! なんだか危険な臭いがします……一度様子を見てからにしましょう」

「危険? だというのなら尚更だ。足踏みはしていられない」


 一刻も早く彼の元へ──。


「哀れ」


 ふと、道路の傍から声がした。

 存在に気付いた時、世界が止まったと錯覚した。空気の動きから自転すらも、その先までも全てが停止したように思った。

 世界は彼女を中心に回っている。

 馬鹿げた存在感への抵抗に、わたしは彼女に目を向ける。和服を着ていた。小紋だろう──漆黒の生地には真っ赤な花柄が散りばめられている。暗紅色の髪を肩のあたりでバッサリと切っており、同色の双眸はわたしのことも風荻くんのことも映さず、ただ地面を見つめていた。

 なんて美しい少女なのだろう。年齢はわたしと大差ないだろうに、こんな存在感を放つことができるなんて。


「せめてカケラほどの温情があるのなら、大人しくその首を落とそうとは思わなかったのか」


 風荻くんがわたしの手を離す。彼もまた彼女の存在に驚きを隠せないようだ。

 彼女の存在は明らかに敵。何があっても風荻くんは傷付けさせない。

 わたしは彼を庇うように一歩踏み出し、声を振り絞った。


「それは……わたしが屍の器だから?」

「否。貴様が還すべき死者を封じ込めたから。これに尽きる」


 視線の一つ動かさないまま彼女は答えた。


「それは理不尽だよ……わたしたちは好きで彼らを取り込んでいる訳じゃない」

「理不尽を盾に逸脱を正当化するなど、なんて戯言。貴様が被害者になろうとも、その主張を曲げないと言うのか?」

「……理不尽が全ての物事に適応されるわけじゃない。突然殺人衝動に突き動かされて赤の他人を殺した──その衝動の発生が理不尽か? それは違う。そうした線引きは心得ているつもりだ。わたしたちは、ただ生きていただけなんだ! 君たちに殺される筋合いなんて……!」

「殺しはしない」


 淡々とした言い方に、わたしの感情にもブレーキがかかる。

 危機感が奪われる……とてもやり難い。


「構える必要はない。わたしは嘘の概念が消失している。この身、純粋にして純白。真実で満ちているのだ。『今の』貴様を殺すつもりなど毛頭ない」


 嘘には聞こえない。そもそも本気で殺そうとしているのなら、こんな嘘をつく意味が一切ない。

 ──そうか。この人達の目的は『屍の器の排除』ではなく『死者の解放』だ。今のわたしに幽霊は入っていない。在るのはわたしの狂気もとい楊絵の置き土産だけ……。いや、楊絵が亡くなった後に彼女の魔術が適応したのだから、冥土の土産ならぬ冥土からの土産だ。

 とにかく、わたしも風荻くんも殺されないと言うことはわかった。

 しかし、それでハイ安心と終わることはない。


「わたしは洋館に行かなくてはならないんだ。その場合も、君はわたしを殺さないの?」

「勿論だとも。殺しはしない。しかし、目的の邪魔をする者は手足を削いででも足止めしよう」


 やはり殺伐とした答えが返ってきた。

 鼓動が加速する。

 いまだに彼女の視界に入らないわたしがどこまでやれるのか、あまりにも未知だ。


「風荻くん。君は逃げるんだ」

「何でです? 俺だってそこそこ戦えますよ!」

「そこそこで済む相手じゃない……」


 常軌を逸した相手には、正気をぶつけたところで敵わない。狂気を遣わなければ勝てない。


「そりゃあそうでしょうけど……えー……ここまで来て逃げるのはやっぱなしですよ」


 先ほどとは反対に落ち着いて──厳しい言い方をすると呑気な態度で彼は言う。


「ちょっと離れてみてますね! どうやら殺しはないってことなんで」


 と、彼は十数メートル離れたところに体育座りになった。


「…………………………………………」


 もはや風荻くんの一貫したキャラクターには感服する他ない。学ぶ必要性は……分からないけれど。

 とにかく、わたしはわたしのできることに集中するだけだ。


「その敵意──。己の手足すら無関心になれると?」

「なれる。この恋心にはそれだけの価値があるんだ」


 狂気を発現させる。

 この人を倒す為に。私利私欲の為に。

 一切の常識を蚊帳の外へ。


「ほお。これは──」


 ここで初めて彼女は視線を上げた。その目を大きく、暗紅が揺らぐ。双眸だけで驚愕の感情が取れた。


「そんな物まで遣おうと。なんて傲慢だ。己が欠点からこうも目を逸らすことができるのか。なんと救いようのない阿呆」

「……逸らしているわけじゃないよ。嫌と言うほどに自覚している。けれど、そんなのは誰にだってあるんだ。完璧が当てはまる人なんて存在しない。心の奥底でひっそりと自覚しながら、それでも生きているんだ。そんな人達を勝手な理由で傷付ける君たちこそ、救いようのない悪党だ」

「ふむ」


 驚愕という動揺は消え、痛みすら覚えそうなほどの殺気が放たれる。視線だけで人が殺せると言うのは、彼女の前では比喩で済まされないかもしれない。


「かつて、貴様のような大口を叩いた者がいた。表しか知らぬ其奴は大層な正義感を持っていた。しかし、爪の一枚剥いでやったら音を上げ、我々には近付かぬことを確約した。……貴様はどうだろうな? その威勢──簡単に折れてくれるなよ」


 勿論痛みが怖くてこんなところまで来るわけがない。

 わたしが望むのは藍歌くんの無事だけ。その過程でこの体がどれだけ破損しようと、結果がついてくるのならば構わない。


「既に壊れているわたしが、一体どう折れるというの」


 認めるとも。

 だから狂気を遣って戦おうとしているじゃないか。


 ×


 九織にとって、自らの意思で狂気を操作するのはこれが二度目だった。

 姫乃に危機が迫った時、完全に概念を操作する感覚を掴んだのだ。

 肉体が分裂するという錯覚──そんな安いものではない。白瀬九織は白瀬九織のままそこに存在しており、狂気は狂気でそこに存在している。それぞれの意思は九織の支配下にある。

 一人の精神に二つの肉体。世界を二つの視点から見て、その情報は一人で背負わなければならないのだ。少しの器用で済む問題ではない。常人の域を超えた集中力に精神力が必要なのだ。ふと気を抜けばすぐに狂気は消えてしまう。

 九織はこれらを本能で理解していたが、しかし分からないこともある。それはこの狂気でどこまでやれるのかということ。どこまでの破壊ができるのか、こればかりは理解の及ばない範囲にあった。

 ──否。それこそが答えになり得る。

 わたしの想像以上のことができる。あの時彼らが分が悪いと判断し、次がないことを願うと逃走したほどなのだから。

 九織は確信して、女に敵意をぶつける。

 狂気が地面を蹴る……正しくは、地面を抉る。九織すらも予想外のスピードで女の懐に潜り込み、鋭利な爪を立てた右手を振り上げる。

 女は体を逸らして回避する。そんな動作すらも、九織には美しく感じた。


「は──悪くない」


 顔色ひとつ変えずに女は言う。

 その後も立て続けに攻撃を繰り出すが、それらは全て躱されてしまう。

 そんな中で九織は気づく。彼女は一歩たりともその場から移動していない。だというのに、空気のように、ゆらゆらと、のらりくらりと無傷で居続ける。


「怯懦という言葉はなるほどわたしに相応しい」

「顔色ひとつ変えずによく言う……!」


 言い返す九織にこそ怯懦の心があった。相手がこのまま防戦一方で終わる訳がない。一体どんな反撃が来るのか、果たして自分がどれだけの痛みに耐えることができるのか、全ては未知。未来視など所持していないのだから。

 それにしても妙だ。女の存在そのものは言わずもがな、なぜ彼女にかすり傷ひとつ付けられないというのか。

 狂気の繰り出す攻撃はその爪を振るう瞬間を目で捉えることすら難しい。動きの減り張りが人智のそれを超えている。代わりに精度が劣っているなんてこともない。

 だと言うのに、一歩引かせることすら叶わないなんて。

 この停滞は敗北だ。


「藍歌くん──」


 彼が危険な目に遭うことも敗北につながる。

 焦燥が思考と動きを加速させた。

 狂気が地面を踏み砕く。それは止まることを知らず、絶大的な破壊をもたらした。

 足場の崩壊で女はバランスを崩す。

 この隙を逃す手はない。

 浮き上がる周囲の瓦礫を弾き飛ばし、それに紛れて女の喉に爪を伸ばす。この手数で無事と言うこともないはずだ。

 ──女は動揺を見せずしてただ待った。……否。待つことすらしていなかったかもしれない。ただその場に、ありのまま存在していただけ。

 その理由に九織は納得がいった。


「なッ──⁉︎」


 確実に命中したであろう瓦礫が女を避けて行った。まるで無生物に意思を与えたかのように、とにかく不自然な軌道。

 世界が彼女の味方とでも言うのか?


「まさかそんな……」


 確実に届いたであろう狂気の右手もいよいよ不自然な流し方をされてしまった。


「どれ。試してみよう」


 と、女は横を過ぎる狂気の首を掴む。掴む──その表現には語弊がある。二人(この表現にこそ語弊があるのだが)の間にはたしかな空白が存在しているのだ。

 女はいとも簡単に首をもぎ取った。

 反射的に九織は自身の首に触れる。

 無傷だった。

 しかし、死の実感はすぐ隣にある。

 ──女がこちらを凝視していた。


「ふん……コレを殺したところで、貴様に影響はないのだな」


 そんな訳がない。

 白瀬九織そのものが無事とはいえ、狂気を意のままに操ることは第二の身体を得ることに等しい。それを破壊されておいて尚平気でいられるものか。


「覚悟はしたつもりだが……これは慣れそうにないな」


 汗を流す九織を見て女はつまらなそうに言う。


「未知と未知を掛け合わせたとてこの程度と言うのか……? なんとたわいない」

「……ああ! 何とでもいいなよ。所詮わたしは見せかけだけの女さ」


 たわいない。その通り。他人にとって気持ちの良い鏡でしかない存在には相応しい評価だ。

 しかし、その内側では叫び続けている。

 願望。欲望。切望。混ざり合って、それらは狂う。

 ──それがどうした。


「こんなわたしに小紋を散らされないように、せいぜい気をつけなよ」


 女がその殺気に気づいた時──既に狂気は復活していた。

 冷めた顔に合わず、女は即座に振り返ると、狂気が中央の横一線を開く。

 黒い円の穴。このブラックホールの様な口で一体何ができるのか?

 九織には理解できていた。ふとした瞬間には知っていた。


 狂気は声を出した。


 正確には音。断続的な風を切る音。

 あまりにも高く、そして大きく鳴り響くそれを間近で耳にした女は遂に一歩引いた。

 逃げた。

 それが一歩で止まったのは、彼女が大きく体勢を崩したからだ。

 これ以上の好機はない。

 狂気の爪が女の首に迫る。


「────」


 女が息を呑んだ。

 狂気の爪が見えない壁を越え、女の首を掠める。

 大きく後方に跳躍して破壊の跡から脱し、一呼吸したところで出血する。致命傷には遠い。それでも少なくない血の流れは女の存在がちゃんと人間なのだという安心を得るには足りた。


「いける」


 九織は確信する。

 狂気の声は、まさに人を狂わせる。当人の魔術因子に影響が出るほどに。女に攻撃が当たらないのは、魔術で空気の流れを操作しているからだろう。術式を乱すことができるのなら、攻撃が通るのは必然だ。

 魔術……視認したことのない不思議に対してなぜ確信できるというのか。


“そんなのどうだっていいじゃない。わたしだって生まれて初めて日本語を文章として扱った瞬間を覚えていない。そう考えると、無意識の覚醒なんて驚くほどのことでもないよ”


「そうだね、楊絵……」


 幻聴に不安を感じることはない。九織にとって楊絵との対話はどんな形であろうと有益なのだから。


「は──はは」


 女は笑う。

 冷めた鉄仮面はどこへ──本当に楽しそうに、可笑しそうに、高らかに笑った。

 破壊跡の中心に立つ狂気に向かって跳ぶ。

 彼女の放つ右拳、正確には数センチ先の空気が頭部に当たり、またも吹き飛んだ。

 が、瞬時に再生する頭部。間髪入れずに女の身体を裂く狂気。

 尚も叫び続けていたというのに、女の魔術は途切れることなく発現している。


「なら──狂わせ続けるだけだよ」


 再び音を放つ。

 怯むことなく殴り続ける女。

 切り裂き破損し続ける狂気。

 正気とは縁遠い衝突は常識の速度を上回っていた。


「すっげ……」


 体育座りをしていたはずの吉野も気づけば腰を抜かしている様だった。

 そんな彼を気にも止めず九織はこぼす。


「いける……」


 女の魔術は無くなりつつある。傷口も増え、当然ながら出血も増えている。

 慢心はない。ただ勝てるという現状を客観視できているだけだ。

 藍歌くん。わたしにだってできることがあるよ。


「白瀬先輩!」


 心の中の宣言に吉野が割って入る。

 九折の横に立ち、必死の形相で肩を揺らした。


「何──なにを! こんなに血が……」

「血? 血を流しているのは奴だ! 何を混乱して……」


 ポタポタと。

 液体が地面に衝突する音が近くで聞こえた。


「……?」


 近くではなく、間近。

 真下にはいくつもの血痕があった。九織はそれが己の鼻から流れているものと知り──膝をつく。激しい頭痛と痺れる足には遅れて気づいた。


「なんで、こんな……」


 辺りが静寂に戻っていた。

 狂気の声もしなければ女の笑い声もしない。

 視線を上げると、すぐ前に女は立っていた。狂気は──症状を自覚してからだろう、九織の中に戻っていた。


「娘。久しく心躍ったぞ」


 と、冷めた顔をして言う。

 全身傷だらけで出血も止まらない中、呼吸すらも乱さないままだ。服ははだけているが──


「己の血液を見ただけで正気を取り戻すとはな。惜しい……非常に惜しい。そのまま狂い続けていたのなら、きっと勝機があっただろうに」

「わたしが、まともだって……?」

「真に狂っているというのなら、立ち上がってわたしを殺して見せろ」


 九織には何を答えることもできなかった。

 体が動かない。経験したことのない傷みに順応できない。

 この正常が、この正気が、敗北の要因だというのか。

 ……その通りなのだろう。こうして一時の撤退すら臨めない浪費だ、九織の敗北以外の何でもなかった。


「そう怯えることはない。先も言ったが、殺すつもりはない。器としての機能が発揮されていない人間は殺す必要がないのだから」

「必要……必要だって?」


 怒りと呆れの入り混じった複雑な感情が九織の顔に表れる。


「殺される必要のある人間ってなんだ? それを決めるのは誰?」

「殺すべきか否か。それを決めるのは殺す側にある。必要性の有無を説いたところで、貴様は納得すると言うのか?」

「……できないね。わたしと君とでは立場が違う。すまない。訊くまでもなかった」

「……、……殺しの必要性についての議論は無意味だが、娘、一つ興味が湧いたぞ」


 女が更に近づき胡座をかく。一切警戒心がない様子だ。


「立場が違うと言ったな。それは当然だが、しかし舞台は同じでなかったか?」

「舞台──」

「そうとも。わたし達は殺し合いをした。器でない貴様を殺すつもりはなかったが、狂気に呑まれていた以上、あのまま続けていればどうなっていたか。貴様にもわたしを殺せる可能性があった。さて、訊かせてもらおう。貴様がわたしを殺せたとして、正気に戻った後にその事実を悔やむか?」

「悔やまない」


 九織は確信を持って即答する。そこに虚勢は微塵も含まれていなかった。


「わたしが後悔するのは、彼に会えなくなった時だけだ」

「それが言えるというのか。まったく恨めしいものだな」

「なんで?」


 唐突に割り込んだのは他でもない吉野だった。いつのまにか彼も胡座になっている。血だらけの女二人と純粋無垢な顔の男が一人、こんな集まりを他人が見たらどう思うのだろう、と九織は密かに思った。


「恨めしいんすか? なんで?」

「……なんだ貴様。馴れ馴れしいな」

「あ、ごめんなさい。でもなんで? 恨めしいって、嫉妬の意味合いで使いましたよね? どこに嫉妬する要素があるんすか?」


 九織の体力が回復するための時間稼ぎには思えない。吉野は至って真剣に質問をしている。


「誰かを好きになること? 好きな人の為だったら殺しすらも後悔しないこと? それって、誰にでもできることじゃないっすか?」

「誰にでもできるのは殺すことだ。目的達成の為に障害を排除するのは生物として当然のこと。わたしにとって理解できないのは他人への想いを伝えることにある」

「それこそわかんないっすねー」

「当然だろう。立場が違うのだから」

「なんかあったんです? 失恋とか。そんな可愛い顔して失恋って、結構信じられないですけど」

「随分と踏み込むね、君は……」


 思わず言ってしまった。緊張感が砕けた雰囲気になったのは果たしていいことなのか、九織にはわからなかった。

 しかし。


「でも……失恋に歪む女の人っていいですよね」


 子どものような濁りない瞳が、黒く沈んだ気がした。


「蹴り飛ばしたらぶっ壊れそうで」


 ×藍歌姫乃


 時間の感覚はすでになかった。今が何時何分何秒なのか、それを考える思考すらも殺し合いの未来で埋め尽くされている。

 どれだけの間この館で暴れていただろう。

 どれだけ最低な状況が続いているだろう。


「簡単にはいかないって分かってたけどさ」


 連続して未来視を使えたのは上々。少女の動きも大凡が予測の範囲に収まっていた。

 しかし、雫下さんが全ての可能性を破壊する。これを共闘とは言えない。

 彼の動きは予測不能だった。好機も危機も、構図が再現される直前で木っ端微塵になる。

 そもそも以前は殴る蹴る以外に手がなかった筈なのに、彼は厄介な魔術を使いやがる。


『影工作』


 そう言っていた。

 己の影の姿形を自在に操り立体化する。武器として扱うこともできれば、生物として意思を与えられるようでもある。


「面倒だ……」


 と、シャンデリアを眺めて言う。

 現在──とにかくだだっ広い食堂の長テーブルで仰向けに倒されていた。食堂と勝手に思っているものの、テーブルの上にそれらしき物は一切置いていないのだが。

 えっと、どういう流れでここに倒されたんだったか。何十回と未来を視たせいだ記憶が曖昧だ。

 瞳を瞑って考えるが、館に響く破壊音が思考を妨げる。

 少女は非常に素早く、とても人間の速度ではないのだが、攻撃手段がナイフのみなのでやりやすかった。雫下さんさえ居なければ決着は早かったのではないだろうか。

 身体の損傷は首と手首をかすめた程度。既に出血は止まっている。


「さて……」


 状況は進展しないので、とりあえずテーブルから降りる。

 そしてバストバンドを外して投げ捨てた。今更感があるが、さすがに動きにくすぎる。もしも最初から外していたのなら、未来も変わっていたのだろうか。

 ……どうだっていいさ。今こうして遅れをとっている現実があるんだ、全ては言い訳にしかならない。

 深呼吸して、

 息を吐けば未来が視える。この食堂で、僕が少女の背中に破壊の魔術を喰らわせる様子だ。首から下が動かなくなった彼女に尋問をしようとしたところで未来が途切れたが──。

 どうせ失敗に終わるんだろうなあ……。嫌になるよ。


“生きたければ死に続けろ”


 先生はそんなことを言っていたような言っていなかったような。

 今思えば無茶苦茶だ。きっと『成功の為の失敗を恐れるな』という意味を持つのだろうけれど、もっと他の表現があるだろうに。


「ここで死ぬつもりはない」


 僕は天井を見上げて宣言した。

 そこには天井に立つ少女の姿があった。ロングヘアもコートも垂れてこない。

 ──重力の支配。


「それが気に食わないと言うのなら、君になら殺されてもいい──そう思わせてみろ」


 少女がこちらに降りてくる。

 ……薄々気づいていたが、この娘は重力の操作を可能としている。頭抜けた身体能力とそれが合わさってこの高速移動を可能としているのだ。

 攻撃、回避速度の緩急。

 これに適応さえできればなんのことはない。水神筒子の方が何倍も厄介だった。

 少女の突き出すナイフを僕もナイフで弾く。背後に回った彼女を振り返れば、横壁に着地をしており、再び突進してきた。

 違う。このタイミングじゃない。

 ナイフを弾く。

 角度が違う、方向が違う、速度が違う。違う違う──。

 飽きるくらいに攻撃を流して未来を待つ。

 またしても首を切られた次の突進だった。

 未来視の光景と全てが完璧。

 ここだなと確信を持つと同時にそろそろ来そうだなと懸念する。

 水平に迫る少女に対し、先ほどよりも早くに横へ回避する。僕にだって緩急はつけられるんだよ。

 なんて思っていたところ、少女の影から人影が、立体的な影が現れ、少女の横腹に蹴りを喰らわせた。

 かなり鈍い音がしてドアまで飛ばされた少女だが、うまいこと受け身をとって棒立ちに戻る。

 だいぶ長いことやり合ってると思うんだけどな。体力底なしかよ。

 焦りと苛立ちを覚えている中、人影──人を模っただけの暗闇が僕の肩にトントンと手を置いた。


「いや、僕が落ち込んでるのはお前のせいなんだけど」


 わざとらしく肩を揺らす影。


「うぜえな。さっさとご主人様のところ還れよ。というか、あの人どこに居るの? 僕が横になってる間もしばらくはやり合っていたみたいだけど……」


 影は少女を指差し、鳩尾の辺りに拳を当て、両手を合わせて頬の横に持っていき傾く。


「え? 鳩尾殴られて気絶したって? へえ……あの娘、体術も相当なんだな。僕にはナイフしか使ってこないよ。……、……」


 ……おっと。容姿も性格もその一切が存在しない相手は話しやすいものだから、ついつい状況を忘れて慣れてしまう。

 それにしてもいいものだ。顔のない相手というのは。


「──人間が見えないって話は君も同じなんだけどな」


 直立不動の少女を見る。せめて会話が叶うのなら、他にやりようもあるってのに。

 いやしかし、雫下さんの妨害がなければ決着が付くであろう瞬間はいくらでもあった。この調子で続けられるなら、きっと制圧はできる……その後に口を割らせることができるかどうかはともかくとして。

 今度は少女のナイフに両眼を抉られる未来を視、僕から動き出したのを機に他二人も動き出す。

 ここで初めて、ようやく共闘と言えるような状況になった。僕と人影は基本的に少女を挟むようにして立ち回っている。お互いに決定機の妨害に手を抜くことはないが、それでも着実に少女を追い詰められている。

 僕のナイフも、人影の打撃も、確実にダメージとしては通っている……はずだ。

 自信がなくなるのも仕方ないだろう。この娘、マジで一言も声を出さねえ。たしかに皮膚を裂いて流血も確認できていると言うのに、まるで痛覚が遮断されているかのようだ。

 まったくさ……感情表現の乏しい奴ってのはこれだから嫌いだよ。

 同族嫌悪に陥っているところ、僕が殺されるであろう未来はとうに過ぎ、また新たな可能性が流れてくる。

 ──視界の潰れた閉鎖空間。黒くて黒くてどこまでも黒い闇。視界が馴染んできたその時、僕の視界の左半分が潰されて未来が途切れる。


「……?」


 館の全体を見て回った訳じゃないが、少なくともあんな部屋は無かったし……あるのか? あそこまで歪な部屋が。カーテンで暗くしているなんてもんじゃなかった。完全に窓のない造り。

 僕と、おそらくは少女が居たとなれば完全な密室ではないのだろうが……あの未来に辿り着いたとして、僕は殺される直前だった。

 さっき視たものは目指すべき未来ではなく危惧すべき未来だ。

 ……だけど。

 あそこまでの暗闇──間接光一つ存在しないあの空間であれば、影の妨害を受けることはない。あの可能性は好機にも危機にもなり得る……。

 まあ、乗りますか。

 攻撃を流しつつ、思考を進める。

 あの部屋はどこにあるんだ? そもそもなんのための部屋だ?


“ヒント教えたろーか? 今の未来には結構な希望がありそうだからな”


 死人は悠長に語る。

 あほか。答えを言え、答えを。


“下だよ。真下。おかしいと思わなかったか? 保管庫なんだぜ、ここは。何を保管するか? 屍の器だよ。拉致拘束し、幽霊を解放するまで拷問する。館はあくまでフェイクとしての役割を担っている。もし足がついた時に誤魔化せるようにな……”


 ……言われてみれば納得だ。無意識のうちに『どこが保管庫なのか』を考えていたからこそあの未来が視えたのかもしれない。


“一階西端の部屋。そこの床に隠し扉がある”


 では早速移動を。

 そう思って距離をとった時、食堂の扉が豪快に破壊される。

 木屑や埃が立ち込める中、侵入してきたのは無数の蝙蝠──これもまた影だった。

 少女の相手、未来視の情報、今後の立ち回りと既にいっぱいいっぱいだったものだから、思わず立ち尽くしてしまった。

 そして当然、僕は蝙蝠の大軍に呑み込まれ吹き飛ばされた。壁に打ち付けられたところで一瞬呼吸を忘れたが、すぐに冷静さを取り戻す。……うん。考えることが一つというのは楽でいい。

 座ったままの僕の目の前から蝙蝠が消え失せる。

 入り口には頭部から血を流した雫下さん、彼の周りに飛行する数匹の蝙蝠、隣には人影。僕と彼の中点となる位置の天井には少女が立っている。どうやら蝙蝠を見事にかわしたようだ。


「敵に当たってませんよ」


 彼に向かって言う。裏では別の思考を進めながら。


「ごめんね。影工作は本来俺の力じゃないんだ。ただの支給品。あまり責めないでくれ。それに……ちょっと苛立っていてね。あまり丁寧に制御できていない」


 笑顔を作って口から血を吐く雫下さん。つまりはただの八つ当たりなのだった。


「………やっぱり無理ですね。あなたとの共闘は」


 僕は大きくはっきりと続ける。


「雫下さん。ここは譲ります。僕は手を引きます。やはりあなたとの共闘ってのは無理があった」

「はっきり言われると案外悲しいね。仲良くなれると思っていたんだが」

「まさか。僕らは敵対で丁度いい関係ですよ。……しかし、どうしてもと言うのなら、一方的に協力してくれませんか?」

「うん?」

「この場所を知れただけでも十分だ。だから僕は生きてここを出て行かなきゃならないけれど、この娘がそれを見過ごすこともないでしょう。ですから、僕がこの食堂を出る間守ってください。この娘を食堂から出さないでください。もしも僕と仲良くなりたいって言うのなら──いつか来るその時まで生きていてほしいって言うのなら、僕に恩を売ってください。高く買いますよ」

「うーん」


 彼の視線は微妙に僕を疑っていた。

 さっさと決めろよと思いながら立ち上がると──途端、少女は僕に向かって一直線に飛んできた。

 反応が遅れた。しっかり死ぬなと思ったのだが、その予想は僕の影から現れた人影によって裏切られる。

 人影は少女の攻撃を流し、手首を掴んで拘束した。その奥では笑顔の雫下さん。

 つまりは、それが答え。

 即座に駆け出して彼の横を通り過ぎる。破壊音が響く中、西端へと走る。


“案外良い奴だな、あいつ。まあ未来が再現されるとなった場合、あいつはあの娘を逃すことになる訳だけど”


 良い奴が人殺しをするかよ。

 何の変哲のない西端の扉。鍵が掛かっていたので蹴り破った。内部も変わったところはない。……どころか、物が何一つ無かった。あまりにも綺麗なその部屋は『何にも使用していません』と大きく宣言しているようにも見え、かえって怪しさが増している。


“中央の床に少し厄介な結界が張ってある。けど、手順を踏めばそこまでの時間は……”


 僕は久留田の発言の一切を無視して中心に手を当てる。


「exitium」


 迷うことない詠唱。


“はい⁉︎”


 驚きの声の直後の破壊。

 床の下には地下へと続く階段があった。


“な……なにしてんのおまえ!”


 闇へと続く階段を降りながら僕は答える。

 モタモタしていられないよ。未来が過ぎたらどうするのさ。


“それもそうだけどさ……俺の記憶は過去のものなんだぞ? 結界に新しい細工があったらどうするつもりだったんだよ、まったく。いやマジで恐ろしいよ姫様”


 狭く冷たい空間を進む。視覚からの情報はほとんどと言っていいほどにないが、聴覚と嗅覚は正常だ。徐々に戦闘の音が近づく。少女はまだ食堂に居るようだ。

 そして、におい。嗅ぎ慣れた血のにおい。


「死体を見てぶっ倒れることもないんだろうな……」


 良くも悪くも。

 やがてひらけた場所に出た。中央には木製の椅子が置かれている。手足を拘束できるようになっているそれは、明らかに拷問器具と合わせて使うものだった。

 壁を見れば歪な器具──武器とも言えるが、大量に立てかけられていた。

 戦闘の音がなくなる。これはいよいよ未来の再現が近い。死なないためにはどうすべきか。とりあえずは手数を増やすか……。

 壁まで行って鉈を手に取る。騙し討ちに発展されられるかどうか分からないけれど、とりあえずは隠し持つべきだろう。

 僕が鉈を腰にしまった直後だった。


 天井が崩壊した。


 光と瓦礫が降り注ぐ。

 衝撃と危機を感じるべきこの状況において、僕は今まさに好機を感じていた。

 僕に背中を向けて少女が落下してきたのだ。完全に受け身を取れていない、重力操作も叶っていない状態。

 しかし更にその上には雫下さんと十数の──蝙蝠ではなく人影が迫って来ている。

 本当にまったく。この人は予測を尽く破壊してくれる。

 僕は今までにないレベルの身体強化を施して跳躍した。

 先に制圧した方の手柄。横取りはなし。このルールを彼に守れるかは分からないけれど、とにかくやるしかない。

 殺意を殺し、雫下さんしか眼中にない少女の背中に迫る。彼女の向こうで雫下さんが『逃げてねえじゃん』と言いたげな表情をしたのは愉快だ。

 そんな思いを胸に、僕は容赦なく少女の背中を、脇腹を、手首を切りつけた。通り過ぎる一瞬の間に、しっかりと、深く。

 空中で振り返る。彼女は声を出さないが、流石に不意打ちには驚いた顔をしていた。痛みを初めて知るというのか──俊敏に動けていた彼女が瓦礫と共に落下している。

 よかったよかった。これじゃあ無事ではいられまい。

 勝ったつもりでいたところ後頭部に衝撃が与えられる。

 視界が暗転した。

 瓦礫のせいか、それとも雫下さんのせいか。どちらにせよ、こんなオチは僕らしいと言ったものだ。

 ……決して誇れることではない。


 ×


  目が覚めた。

 僕に生があることそれ自体が意外過ぎる出来事であり、周囲の崩壊具合はひどいものだが冷静でいられた。

 全身が軋む感覚に唇を噛みながらも立ち上がる。

 辺りに雫下さんの姿はない。気を失った僕を殺さずにいるだなんて本当に忠犬だ。

 それはそれとして、すぐ近くには少女が仰向けで倒れていた。四肢が潰されている。瓦礫だけでここまでなるのだろうか……もしかすると雫下さんが八つ当たりに破壊したのかも知れない。この娘を殺さないでいたのはあくまでルールに則ってのことだろう。


《手柄の横取りはなし》


 ……なんだ。案外義理堅いじゃないか。

 僕は使用することなかった鉈を取り出して少女の首に突きつける。僕の斬撃もかなり痛むだろうに少女は変わらず無表情のままだ。


「君みたいなのには無意味だと思うけどさ……一応脅迫させてもらうよ。質問に答えなければ殺す」


 どうせ答えは沈黙だろうと思ったのだが、


「はあ」


 と少女は息を吐いたのだった。

 とてもわざとらしく。そう感じたのは、きっとその顔に変化がないから。


「どうせ殺すんでしょ?」

「…………」


 不貞腐れている。こういうところだけは年相応だな。


「殺さないよ」

「殺さないことができる人が、刃物を使った脅しなんてする?」

「……しないか」


 僕は鉈を捨てた。結局マジで使わなかったな……。

 少女の横に座る。


「お兄さん、油断しまくりだね。一発逆転の必殺技で殺されたらどうするの?」

「君にそんなことができるとは思わない」

「……、……『もし』の話」

「もしそうなれば……それはとても滑稽だ」


 他人事のように言うと、少女はまたわざとらしく息を吐く。こうして話をしてみれば意外と通じる……この調子ならいけるかもしれない。


「脅迫が無意味という確認も取れたところで、次に交渉といきたいんだけど……君、僕に何かして欲しいことはある?」

「何か……」

「殺さないでほしいとか、殺してほしいとか、僕に叶えられる程度なら何でもいいよ。その代わり僕の質問には答えてくれ」

「…………ずっと、満たされなかった」


 会話になっていない。しかし、この娘から何かが語られると言うのなら、耳を貸す以外にない。


「わたしの世界は虚無だった。虚無で満たされていたものだから、押しつぶされそうになっていた。『壊さなければ死ぬ』──そう直感したその時既にわたしは人を殺していた。眠りから醒めたようだったよ……初めて生を実感した。生を奪うことで生を得た。それまでのことは覚えていないけど、それからはただただ殺し続けた。……すごく満たされたよ」

「気がついていたら殺していた──ね」

「納得するの?」

「…………ん」


 遅れて気づく。確かに納得している自分がいた。改めて考えると、あまりにも常軌を逸した話じゃないか。


「……適当したのかな、この世界に。会う人会う人頭おかしいから」

「不憫ね」

「君に言われちゃおしまいだ」


 人を殺さなければ満たされなかった少女に哀れまれる覚えはない。

 それに、僕は僕で納得しているつもりだ。賢くない人間なりに妥協を重ねる。順風満帆の人生とはいかないけれど、それができなければもっと悲惨な目に遭ったであろうことは明白だ。

 ……なるほど。この娘は僕と対の存在だ。虚無を恐れた結果にそれを破壊して人生を満たすなど、僕にできた思考ではない。


「わたしとあなたは対極なんだね」


 同じ想いを口にした少女。地上から差し込む光を呆と見ながら、やはり無表情で続ける。


「わたしみたいなのがもう一人、器の破壊を請け負っている」

「君みたいなの──生きる為に人を殺す人……」

「そう。殺したくて殺す人」

「…………」

「奴……教祖はわたし達に人を殺す環境を。わたし達は人を殺す罪を。そういう関係」


 穏やかさとは無縁の関係だ。


「奴らに会いたいんでしょ? 場所は恋毒しかしらない。その恋毒に連絡できるのは保管庫の門番だけ」

「その門番は君が殺した」

「ごめんね」

「謝るくらいなら殺さないでくれよ」

「でも、あなたが器ならわざわざ探す意味なんてない。彼女達は例外なく器を捕らえに行く」


 ……それじゃダメなんだ。待っている間に僕の知人が死んだら全て無意味に終わる。

 などと言って少女に八つ当たりするつもりはさらさらなかったのだが、彼女は見透かしたような瞳を僕に向けた。それは初めての表情の変化だ。


「どうしてもというのなら、妻城の雑居ビルに向かいなさい。石白駅近くの潰れているビル」

「……?」

「恋毒は相当計算高い女だから、殺し担当に欠員が出ることを見越して動いているはず。わたしが雇われた場所がそこだから、もしかしたら……」


 自分が助からないことを悟っている。聡明な娘だ。


「……ありがとう。その情報、きっと未来に繋げるよ」

「そうしたら?」


 心底どうでもよさそうする少女の返事を聞いて僕は立ち上がった。このまま去ろうとしたのだが、対極の存在に名残惜しさを持ってしまった。


「君、名前は?」


 だから訊いた。これから死ぬ相手に意味のないことだと知りながら。


「りんな。どこにでもいる中学二年」

「君みたいなのがどこにでもいてたまるか」


 りんなちゃんは口角を上げる。あくまでもわざとらしい、試してみただけの笑顔。目も細まっていないし、すぐに無表情に戻った。

 そうか。忘れてしまったのか。そこだけは同じなんだね。


「……どうして教えてくれるんだ? 君は門番を殺してまで情報の秘匿を望んだ。なのに……」

「どうせ死ぬんだし、最後に状況を──世界をかき乱してやろうと思った」

「伊達に虚無を嫌っていないね」


 そこまで初志貫徹できる人は珍しい。変な壊れ方をしなければ有益な人種だったろうに。


「りんなちゃん。僕が死んだ後も君のことを覚えていたら、その時はまたお喋りしよう」

「うん。友達になろう」


 お互い無感動に目を合わす。

 身体強化すらできないほどに疲弊しているので、足を回して来た道を戻る。

 ……すぐに足を止めた。わざわざ振り返ったりはしない。


「そういえば、りんなちゃんは血の契約で縛られていないんだね」

「当然。死に場所くらいは自分で選ぶ。わたしの墓場はここで良い」

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