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無彩色の願望  作者: 哀川
第四章 屍の器

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第二十一話 生と死

 その後の帰路は至極平穏なものだった。白瀬さんの足取りはとても軽く、幽霊が彼女にとってどれだけ重い存在だったのか、羽澄楊絵を突き放したことがどれだけ重要だったのかが伝わった。

 白瀬さんを家に送り届けて別れ際、彼女が言った。


『また明日、学校で』


 僕は「うん」と手を振り返した。


“平気で嘘をつくもんね”


 久留田の声が聞こえてソファーから起き上がる。携帯には桜内からのメッセージがあった。


『微塵も手がかりなし。一応今日も調査はしてみるけど期待はしないで。そっちは今日も白瀬と一緒?』


 これに対して『案外楽に済む。学校には行かない』と返した。

 さて、七月十三日月曜日の午前七時。嘘つきの僕は学校へ行く支度をしない。

 白瀬さんと別れてすぐ、僕は久留田頼人の話すことが事実かどうかを確かめるべく光野さんへ電話をした。


『杉野さんに調べて欲しいことがあるんです。できれば早くに』

『明日までに調べさせてやる』


 と言うわけで、僕は学校に行かずに私服で喫茶店へと向かう。


“のんびりし過ぎる奴よりはマシだけど、あまり焦りすぎんなよ? 油断してなくとも隙は生まれちまうからな”


 焦る──焦っているだって? この僕が?


“そうともさ。どうにも落ち着きがない様子だ。藍歌、おまえの心の乱れは俺に筒抜けなんだぜ?”


 そう言われて歩くペースを遅らせる。見透かされた言い分がどうにも気に食わなかった。

 何故だ? 僕はどうして焦っている?

 そんな自問に久留田が口を挟む。


“失いたくないって思っちまってるのさ。井宮奏斗、桜内桃春、そして白瀬九織。藍歌にとってあいつらはどうしようもないくらいにいい奴で、代替不可能な友達だ。そいつらに少しでも危害が加わる可能性があるものは排除しなくては──っていう焦燥感だろ”


 ……屍の器ってのは、僕と白瀬さんだけだろ。


“世界の定義はな。しかし、『教団は生きたままに死人を運ぶモノ』を屍の器としている。あちらさんはあちらさんで世界を隔離してんだよ。だから無茶苦茶をしやがるんだ”


 僕が保身だけでなく他人を思って行動しているって? 似合わないな、どうにも……。


“別にいいじゃないの。今時他人を想って動ける人なんてそうそういない。それは誇れることなんだぜ? 変なところで意地になんなよ”


「…………」


 僕は素直に納得した。どれだけ似合わないとしても、それはきっと変化がもたらした違和感だ。

 ならばいい。

 それを拒絶する理由はどこにもない。


 ×


 カウンター席には既に杉野さんが座っていた。目元のクマが酷くなっている。髪の毛も整えられていない。そしてテーブルに置かれているのは見るからにお酒の注がれたグラス。

 月曜朝の社会人の姿なのか、これが……。

 僕が隣に座っても気づいていないようで、死んだ顔のままグラスに口をつけている。


「少しそっとしてやってくれ」


 カウンターの光野さんはいつになく柔らかい顔をして言った。


「ええ、もちろん。こっちが無理言ってる訳ですからね。……しかし、そこまで人手不足なんですか? 魔術世界ってのは」

「人手不足なのはそうだが、この有様になるレベルじゃねえな……基本は。こいつは転職してから一年と経ってない。不慣れってのが大きいんだろうよ」

「へえ。前職はなんだったんです?」

「フリーライターさ」

「そりゃあ、なんというか……」


 よく知らないから反応に困る職だ。しかし同時に納得もできる。情報収集能力に長けていそうだし。


「働くってね、死ぬってことなんですよ」


 突然と杉野さんが言った。


「わたし、好きなことをして生きている人が憎い。その人が社会から消えたところで誰も困らない。スーパーの店員が一人いなくなったらすごく困るけど……。なんで必要とされる職についている人の給料が低くて、消えても変わることのない人がお金持ちなの?」


 真顔にはどこか迫真さを感じさせる。

 この人やべえ。あと酒臭え。


「藍歌くん! 君にゃ未来があるんだから就職しちゃあダメだよぉ!」

「若者になんてことを言うんですか」


 僕は流れるように突っ込んだ。

 社会……というか世界に対しての不満が止まらない杉野さんの額にデコピンを喰らわせる光野さん。


「仕事モードになれ。今のお前は必要とされる側だ」

「……はっ! わたしは何を……え、朝からお酒? あれ?」

「………………」


 ダメな大人の例がすぐ側にある。こうはなりたくないなぁ。


「まあいいや! では気を取り直して。おはようございます! 本日は九月二十日に起こった殺人事件と久留田狼虎さんについて調べてきました。

 昨年九月二十日午後十時半、木漏れ日の宿という民宿で二人の子供が殺害されました。被害者は久留田頼人十七歳と久留田さなえ二十歳。第一発見者と通報者は久留田狼虎三十歳。彼女は神戸まで仕事で出向いていたそうです。最初は対策機関に通報したそうですが、後に表裏教会を通して警察行政の担当としていますね。魔術世界と関係はなしと決定されたようです。……わたしがわざわざ言うまでもないですけど、屍の器の殺され方に類似していますね。こんな事件を見落としていただなんて……お恥ずかしい」

「……それで、久留田狼虎は?」


 久留田の話が嘘偽りのない真実と分かった今、さっさと話を進めたかった。杉野さんのどうでもいい懺悔に反応することなく僕は言う。


「彼女は今何をしているんですか? まだ民宿を?」

「いえ、市余いちよ町の病院で入院生活をしているようです。よほどショックだったようですね……自殺未遂だそうです……」


 一瞬、心が大きく揺らぐ。正確には久留田頼人の動揺だ。


「車に撥ねられたそうです。明らかに意図的な飛び出しで……」

「容態は?」

「記憶障害が残ったそうです。過去が虫食い状態で、頼人くんとさなえさんに関しては名前しか覚えていないらしいです」

「……そうですか」


 念には念を狼虎さんに話を聞きたいところではあったが、その状態では叶うまい。

 そもそも久留田の話通りの事件が実在している時点で嘘が混じっていることはないだろう。


「ところで、どうしてこの事件のことを?」


 杉野さんは何故知ったのか、何故調べさせたのかと問う。久留田のことは光野さんに話したのだが……この人には共有できていなかったのか。

 光野さんに目をやると、いつもより鋭い一瞥が突き刺さった。

 疑問に思いつつ、僕が久留田頼人と教団についてを話そうとした時、


“待ってくれ!”


 と、悲痛の叫びが聞こえた。


「な……」

「な? なんです?」


 杉野さんがさらに近づく。僕の思考の裏側まで見定めまいとする観察の目つき。完全に仕事の顔だ。


「なんでもないです」

「いやいや、その反応で『なんでもないです』はさすがに──」


 詰められているところに光野さんが「仕事はいいのか」と割り込む。


「は! もうこんな時間でしたか!」


 杉野さんは慌てて酒を飲み干すと席を立った。


「では! 勝さん、姫乃くん、またいつか!」


 彼女が去った後の沈黙は僕の心に安らぎを与える。

 どうして誤魔化してしまったのだろう。そんなメリットどこにもないはずなのに……。


「メリット? そりゃあおまえにはないよ。俺にもない。奏斗にも桃春にも、九織にだってない。メリットがあるのはお前の中の久留田頼人だけだ」


 はっきりと言って光野さんはタバコを口にあてる。


「姫乃。おまえにも分かっているはずだ。『蓬に情報共有をしなかった』その選択をしている時点でな。それも変化なのかな……あまり褒められたことではないが──」


“そうさ”


 今度は久留田が言う。


“俺の持っている情報を機関に提供すれば、きっと連中の確保に動けるはずだ。だが、それじゃあダメなんだよ……俺が殺さないと、ダメなんだよ”


「そうか……そういうことか。お前の目的が果たせなくなる可能性があったから」


 光野さんは久留田の思考を読んで杉野さんに情報共有をしなかった。

 ……だとしてもおかしくないか? 久留田一人の為に捜査を遅らせるような真似をする意味はない。たしかに教団や殺人鬼が捕まったらこいつは満たされないし、成仏もできない。だけど、言ってしまえばそれだけのことだ。

 光野さんは僕を試しているのか?


「お前は思考が追いついていないだけで他人を想える心がある。さて、冷静に頭が使えている今に訊こう。お前はどうするんだ? 一人の復讐か、世界の平穏か」


 ×


「バカじゃないの、本当に。頭が悪いなんて話じゃないわよ」


 姫乃が去った後、店内で柩が口にする。その罵倒は姫乃に向けられたものでもあるのだが、二本目のタバコに火をつけている光野勝に向けられたものでもあった。


「悪口を言う時だけは元気だねえ、お前さんは」


 勝はふざけたことを言いながらも、その顔には確かな真摯さがあった。

 彼の問いに姫乃は答えた。


『一生久留田が僕の中に居るってのも気持ち悪いので、復讐を優先します』


 彼らしい捻くれた回答。心を読むまでもなく知れていた回答。


「姫乃は確実に変化していっている。その根を摘むことが大人のすることだとはどうしても思えない」

「木漏れ日の宿に依頼を持ちかけた異邦人。どうせ何かしらのヘマをして連中を見逃してしまった、だから日本に情報を公開しなかったんでしょ。でも、被害が出たとなればそいつも黙っているわけにはいかない。対策機関にはどの道情報が渡る。杉野……あの女はかなり動けそうね。数日──もしかしたら数時間後にはあんた達が隠した情報を掴むかも知れない。でも、その差が命取りよ。一秒もあれば人は殺せる。それはあんたが可愛がってる奴らかもしれない。分かっているの?」


 耳に痛い正論が止まらない。


「たしかに姫乃が幽霊に取り憑かれたままだったら厄介なことになるかも知れないけど、それだけでもないわ。勝、あんた、顔も知らない同業に同情してるのね」

「……俺も歳かねえ?」

「二十過ぎたら歳なんじゃない?」

「……仮に教団が確保され、そして外に出た時──或いはどこかに潜む関係者によって、あいつらが危険になる可能性はゼロじゃない。それを封じる。その方法を姫乃は思いついていた。本気で教団と縁を切るには、たしかに機関の連中よりも先に接触しないといけない」

「できるの? 姫乃に」

「できるさ」


 短く答える勝に、柩はこれ以上何も言わなかった。納得と諦めの両方が入り混じった無言に勝は顔を歪めた。

 実際、姫乃がやろうとしていることは十分に説得力がある。これから先の絶対的な安全を確保するに他の方法も見当たらない。


「──そこに俺の私怨はあるのか?」


 勝の力ない呟きに柩は舌を打った。


 ×藍歌姫乃


 血の契約。魔術師が己の命を代償に成立を強制する絶対的な誓い。東条さん曰く、その効力は未来永劫とのこと。

 僕が──僕らが絶対的な安心を手に入れるためにはこれしかない。

 契約にありつくには相手……教団の親玉に『勝てる』という余裕を与えなくてはならない。だから、僕は誰の力も借りるわけにはいかない。『藍歌姫乃一人なら何とかなるだろう』という慢心なしで契約は成立しないのだから。

 外の熱気にあてられながらも、思考は惑わされたりしない。

 冷静に、

 冷徹に。

 殺されない為の殺し合いに向かう覚悟を目にして僕は街を歩く。

 その直後だった。


“なあ、狼虎さんに合わせてくれねえか”


「…………」


 ひどく気を落とした久留田に出鼻をくじかれた。思考はクリアなまま、心だけが陰鬱としていく。

 まったく……こいつ一人で僕にすら影響があるってのに、白瀬さんは五人だもんな。本当にすごい人だ。

 思わず止めた足を動かしつつ僕は心に言う。

 会う意味がない。僕なんかが顔を出したところで、都合よく記憶が戻るなんてこともないだろう。それに、自殺する程過去に追い込まれていたというのなら、記憶は戻らない方がいいんじゃないか。


“……そうだな。その通りだ”


 続きはなかった。気持ちの悪い沈黙だけが僕の心に充満する。

 ……くそ。この状態で殺し合いだなんてゴメンだ。殺し合いをしないにしても、こんなストレスが継続するのだとしたら晴らす以外にない。

 分かったよ……行ってやるともさ。行けばいいんだろ。

 ヤケクソ気味に言うと、僕の心は瞬間に軽くなった。


“なあ、おまえ、やっぱりただのいい奴なんじゃね?”


 そうだろうね。

 適当に流してから僕は妻城駅に向かった。

 市余町……電車とバスで二時間のところだ。しっかりと腹が立つ距離にうんざりしていると、知らない番号からの着信が来た。

 応答してみると、


「おはようございます。浅沼あさみです」


 意外な人の声だった。この人、あさみって言うんだ……。


「どうしたんです? 先生から電話だなんて」

「『どうしたんです?』って、それ、私のセリフですよ。以前に連絡が面倒な時はメールをちょうだいって言ったのに。忘れてました?」

「……はい」


 さすがに誤魔化せる自信がなかった。そうか……メアド教えてもらったんだったな。すっかり忘れていた。

 微かに笑う声が聞こえた。きっと呆れているのだろう。


「それで? 今日はどうしました?」

「ええと……」


 どんな言い訳をしたものか……。

 ──言い訳? 言い訳ってなんだ? たしかに以前はサボりが多くて印象が悪いのは分かっているけれど、最近に限って言えば仕方のない場合が多いのではないか?

 ……なんか、面倒になってきた。


「死んだ人の願望でそいつの親族のお見舞いに行くことになったんです」


 ──と。思わず言ってしまった。


“八つ当たりだな”


 うるせえよ。


「そうだったんですね」

「……え?」


 予想外の反応だった。

 浅沼先生の言葉には確かな感情が含まれており、それは決して呆れなどではない。勝手なことを言うのなら、確かな同情だった。


「遅刻でも来られそうですか?」

「い、いえ……市余までなので、結構かかります……」

「分かりました。気をつけてね」

「はあ、どうも」


 では、と通話が切られる。

 少しばかり放心した後に僕は携帯をしまった。

 改札を通って人混みを離れたベンチに腰をかける。


“いい女じゃん”


 まあね。


“普段そっけなく対応してる相手から優しくされたらどうしようもなくなる気持ちは誤魔化しようがないからなあ……。真面目な話、小さい後悔も残さないようにしろよ。死んだ時に死に切れるようにさ”


「…………くそ」


 軽口も反論も出なかった。

 死にきれなかった奴の言葉にはどうしようもないほどに説得力がある。

 顔を上げてホームに並ぶ顔を見る。

 当たり前に生きている老若男女を見て僕は考える。もし、だ。彼ら彼女らを線路から突き落として殺したとして、その時に後悔もなく死に切ることができるのだろうか。

 ──きっとできない。何も考えずにのうのうと生きている人でないと、どんな小さな後悔でも拾ってしまうのが当然だ。

 こんな勝手を思って、僕は何がしたい? 僕は普通の人間だとでも言いたいのか?

 笑えるよ。普通は人殺しなんてしないってのにさ。

 やがて電車のブレーキの音が鼓膜を大きく刺激する。


 ×


 なだらかな平地と開放感ある空の元に降り立った。海に近く山の遠いこの町は高い建物もなく、空の青を邪魔する障害は白い雲に限られている。

 些細なことかもしれないが、世界が大きく感じられた。

 そんな町の病院のセキュリティはそこまでのものではなく、お見舞いをするのに求められるのは個人情報の記載だけ。身分証の提示はなかったので、ぼくは平気な顔をして羽澄楊絵の名を借りてデタラメな住所を書いた。

 病室は一階の個室だった。

 扉をノックすると「どうぞ」と声がした。


「失礼します」


 入室してすぐに上半身を起こした彼女と目があった。明るい茶髪を腰まで伸ばした、とても二十代後半には見えない彼女は鋭い眼光となって言う。


「君は見ない顔だな。座りなよ。君の知る私はどんな人間か教えてくれるかな」


 なんだか威圧感に富んだ人だ。

 とりあえず手招きされるがままに、ベッド横のパイプ椅子に座る。


「こうして病室に来た以上、わたしの自己紹介は不要だね。しかし、君の存在がわたしの記憶にない以上は初対面としか思えないんだ。自己紹介を頼めるかな?」

「ええ。僕は羽澄楊絵と言います。……一度、民宿で泊めてもらって、それだけの関係です。ほんと聞いて驚きましたよ。車に撥ねられたっていうんだから」

「ふむ。そうなのか。ところで、わたしの家には来客リストなるものがあったそうでね。母が届けてくれたんだ……少しでも思い出すきっかけになればと。それをわたしは血眼で記憶するほどに読み通したわけだが──『羽澄楊絵』か。その名前に覚えはないよ」

「……うーん」


 どうしようこれ。

 狼虎さんは僕の目をまっすぐに見たまま防犯ベルのボタンに触れる。こんな状況だってのに久留田は一切の反応を見せないし、さて……一体どうしたもんか。警察や学校に連絡が行くのは確実だよな。デタラメな個人情報を書いたから余計に怪しい目で見られることになるし……くそ。面倒がすぎる。


「ふふ」


 長々悩んでいると、狼虎さんはその雰囲気を真逆に微笑んだ。


「いやすまない。君みたいな嘘つきは初めてでね。もっとも、それこそ記憶していないだけかもしれないが」


 そう言ってボタンから手を離す。


「いいんです?」

「だって、そうだろう。嘘をついてまでわたしに接触して来たというのに、それがバレても動揺の気配すらない……襲いかかるでもない。本気でわたしを気にかけているわけではないな。誰かに言われて仕方なくってところだろう? 嘘つきであり変なところで正直者──わたしは君を『愛すべき嘘つき』と結論付けた」


 素直に驚いた。初対面でわずかなやり取りの後にここまで冷静な分析ができるなんて。……僕が愛されるべきかどうかはともかくとして、この人の冷静さには感謝をしないと。


「全くその通りですよ、狼虎さん。改めて……僕は藍歌姫乃といいます」

「なんだ可愛らしい名前じゃないか」

「自覚しています」

「そうかい。……して、一体何の用なんだ?」

「あなたの知人に頼まれたんです。無事を確かめるようにと」


 僕が『知人』の名前を伏せているからだろう、狼虎さんはやや不満げに相槌を打った。


「まあ、わたしなら見ての通り。綺麗に頭を打ったから外傷は残らなかった。リハビリも順調だ。時期に運動も問題なく行えるようになるだろう。一応は『無事』さ」狼虎さんは心ない笑みを浮かべる。「こんなわたしを『彼女たち』はどう思っているのかな」

「……どうって?」

「彼女たちはわたしが死ぬほど愛した人だ。その記憶がすっかりなくなって、わたしは自殺しようとしたことを『愚か』としか思えないのだよ」

「何もあなたが死にたかった理由は『彼ら』にあると断言できないでしょう。無くした記憶は他にもあるとのことですし」

「……わたしが自殺を図ったのは『彼女たち』が殺された日の翌日とのことだ。それがほとんど答えだろう。ところで──君が誰に頼まれてここへ来たのか当ててみせようか」

「はい……?」


 一層威圧的な瞳に変わり、狼虎さんは言った。


「頼人くんだ」


 素直に驚いた。だから僕はつい「どうして分かったんです?」と訊き返してしまう。


「わたしはさなえちゃんと頼人くんを『彼女たち』と言った。彼女の方が年上とのことだからな……しかし、君は『彼ら』と言い直した。それは君にとって頼人くんの方が近しい存在にあるからではないか?」

「……なるほど。ちょっと揚げ足取りな気がしなくもないですが」

「君が反応しなければ取るに足らん憶測だ」


 うん、間違いない。変に素直……この欠点は絶対に克服しないとな。

 反省しているところ、狼虎さんは力強く僕の肩を掴んだ。少し痛いくらいだ。顔には出さないが確かな焦燥が伝わってくる。


「何故彼と対話することができた? いつ、どこで知り合った? 彼はまだ──」

「落ち着いてください……。僕は屍の器として機能しているらしくてですね、偶然頼人くんを取り込んだだけなんですよ」

「……屍の──?」

「あれ……ご存知ないですか?」


 そういえば光野さんも《屍の器》という呼称を知らなかったな。思えば授戒蒼夜──彼女も白鏡鈴美が霊を視認して壊れてしまったことを第一に透視の魔眼が原因と予測していた。

 ……僕らは一体何なんだ? 稀有なのか、未知なのか──


「いや、すまない。やっぱり経緯なんてどうだっていいんだ。彼と話ができると言うのなら訊ねてくれ。君はわたしにとって何なんだ?」

「…………」


 僕は黙るしかなかった。今必要なのは久留田頼人の『答え』以外に何もない。

 ──しかし、久留田は答えなかった。

 ただ一つ。

 心の中の気持ち悪さというのは綺麗さっぱり消えていた。


 ×


『答えてくれないです』


 正直に言って病室を後にした。

 久留田の声がしたのは、僕が院内の自動販売機で購入した栄養ドリンクをソファーに座って飲んでいる時だった。


“そんなもの飲んじまってさ。体のことなんかどうでもいいくせに”


 単に味が好きなんだ。それよりお前、なんで答えてやらなかったんだよ。狼虎さん、悲しそうな顔してたぜ。


“それはほら……おまえがフォローしてやんないと”


 …………。


“……半端になる。そう思ったんだよ。姉貴──さなえのために、狼虎さんのために人を殺そうってのに、今ここで狼虎さんと話すと気が緩む……きっとそうさ。だから俺は何も答えない”


 と、久留田は笑った。見えないけれどたしかに笑っている声のトーンだ。

 別にいい。その選択で後悔するのは僕じゃない。後悔するのは久留田一人であり、僕も僕の周りも影響はないだろう。

 なんにせよ、ここにきた意味はあった。この先の殺し合いがどう転ぶかはわからないけれど、少なくともこの町での時間は無駄ではなかった。

 そう結論を出してソファーを立つ。空き瓶をゴミ箱に投げたその時、未来視は発動した。

 河川敷で僕が一人の少年と向き合っている。学ランを着た前髪の長い彼は不気味な笑顔を浮かべていた。『来いよ』と僕が言うと、少年は驚くべき速度で駆けてくる。そして彼はポケットから何かを取り出して──


 というところで未来は途切れる。

 あの景色は見たことがないが、きっと町並みからして市余川だろうな。

 不意の未来に硬直していた体を動かして僕は外に出る。


“おえぇ!”


 綺麗な町に水をさす嗚咽が心に聞こえた。


“未来視ってあんな感じなのか……。別番組のテレビを脳みそにぶち込まれて理解を強制させられた気分だぜ……”


 得体の知れない感覚に参っている様子だ。


“おまえ、よく平気でいられるな”


 そうでもないさ。一度ぶっ倒れたことがある。睡眠時間が長くなることもあるし、頭痛だって。それに……まあ、不安要素もあるよ。


“ふーん。そうかい”


 それよりも。おまえも未来が視えたということだろ? なら教えてくれ。あの男はなんだ? 当然教団の奴だろ?


“ああ。奴は蝋園ろうえん刀太とうた。中学三年生。母子家庭でな。死んだ父を理由に母親が宗教にハマり、その母親から息子にまで伝染した。言っちまえば完全なる被害者さ。同情するかい?”


 なんで?


“……そう。それでいい。いざ殺人鬼の野郎を殺すって時に躊躇いがあったらたまったもんじゃないからな”


 で、刀太くんはどんな戦闘スタイルなんだ?


“物質変化の魔術を基本としている。中々に厄介だぞ”


 ……何故だろう。言葉で聞けば確かに強そうなのに、心にはどこか余裕がある。死線を越えてきたからだろうか。未来視を通して見ただけだが、あの少年は迫力不足だ。水神筒子の方がずっと怖い。


“安全策を取って不意打ちでもすっか?”


 いや……そんな制圧の仕方でまともに話をしてくれるとは思えない。殺人鬼の情報を聞き出さなきゃだろ? それに、僕は親玉を引き摺り出さなきゃならない。そういえば、おまえは何か知ってるはずだよな。親玉──教祖様って言うべきなのかな。


“教祖はおまえらを襲った顎髭野郎だ。アイツの情報は一年もありゃ変わるところがあるだろうが……アイツの側近の女……恋毒れんどくは全てを知っている。なんにせよ、これから送られてくる雑魚どもを蹴散らせばあちらさんからやって来るさ。どうしても来ないってんなら、過去のアジトをしらみつぶしに訪ねまくる”


 アバウトなヤツ。

 久留田が言うには教団は拠点というものを持たないようで、久留田が健在の時はともかく、死んでしまった今ではどこに居るかも特定は難儀とのこと。思った以上に役に立たない男だった。

 そんな男と共に刀太くんを橋の下で待つこと十分。彼は堂々と現れた。


「こんにちは。お兄さん」

「……こんにちは」


 僕よりもやや小柄な彼は爽やかな笑顔をしていた。


「なんか、待ち構えられていた感じがするね。未来視でも持っているのかな?」

「中三だって? 今は大変な時期だろうに。人殺しにうつつを抜かす余裕があるのか?」

「ええ。僕は公立高校を推薦で受けますから。今の成績と校内の態度では問題ないと担任も言っていました。偏差値六十七の高校です……馬鹿にできたものでもないでしょう?」

「しっかりしているんだね。思ったより全然話が通じる。とても悪徳宗教にハマっているとは思えないよ」


 悪という言葉に刀太くんは納得していないようで顔をしかめた。


「正義と悪って、一体誰が何をもって決めるんです? 見方を変えれば誰だって正義だ。一方的にそちらから『悪党だ』なんて言われる覚えはないですよ。あなたが憎んだ人にとってあなたはどういう存在でしたか? あなたが殺そうと思った人にとってあなたはどういう人間でしたか? だめですよ、正義と悪だなんて曖昧な言葉でまとめてしまっては。その先にあるのは低レベルな矛盾だけです」

「…………」


 なんだろう、この微妙に会話にならなさそうな感じ。苦手だ。


「恋毒って女の人に会いたいんだ。紹介してくれないか?」

「……彼女たちは忙しい。そう簡単には会えないよ」

「──ふうん。人殺しに忙しいだなんてすごいことだな」


 しかし『彼女たち』か。教祖と一緒に行動しているのが基本みたいだな。


「そもそも彼女と会って何をしようと? 大人しく霊を解放すると言うのですか?」

「解放って……別に好きで心に住まわせてる訳じゃないけど。まあ、うん、それでいい。解放する。僕を無事で彼女に合わせてくれるというのなら、霊の解放を約束するよ」


 僕の薄っぺらい嘘を聞いて刀太くんは顔を歪ませた。未来視通りの醜悪さを孕んだ笑顔だった。


「ま、そもそもあなたと交渉するつもりはさらさらないんですけどね。あなたは僕が捕える。下手に抵抗しない方がいい……痛い目に遭いますよ」

「よく言う」


 僕はナイフに手をかける。そしてふと思った。久留田はどれくらいの強さがあるのだろう、と。殺人鬼を殺すと息巻いているけれど、果たしてそれが叶うほどの実力なのかは知れていない。


“つまり何が言いたいんだ?”


 僕の思考に割って入る久留田。

 つまり、体を貸してやる身としてはおまえの力を見ておきたいってことさ。久留田。刀太くんを制圧して見せろ。


 ×


「勝手なことを……なんてのは俺が言えたことじゃないか」


 久留田頼人は姫乃の肉体を通して口にした。

 既に心に沈んだ彼は言った。


“死にそうになったら体は返してもらう”


 頼人は足でも組みながら言ってそうだと思った。そんな彼に苛立つことのできる立場でないことは自覚している。頼人は姫乃に対して『交渉』などと言ったが、実のところは自分の方が要求が大きく釣り合っていないと自覚している。

 藍歌姫乃はいい奴だ。しかし、素直に感謝を伝えるのは少し照れくさい。

 その性格が故、頼人は


「横柄ですねお姫様。分かりましたともさ」


 そんな冗談で応じた。

 気づくと刀太がこちらを訝しげに見ていた。先程までこの顔は表情という表情がなかった。それが普通の人間の顔をしていることに驚いた様子だ。


「なんだい? 驚く話でもないだろ。おまえらは何度も魂の入れ替わりを見てきたはずだからな」

「……ええ。しかし、ここまで正反対なのは初めてです」

「そうかよ。おまえの初めてを奪えて光栄だ」


 適当な煽りの後に頼人は笑顔を消す。手にかけていたナイフから手を離して刀太を指差した。


「知ってることをしっかりと吐いてもらうぞ。……どうした? そんなに遠かったら俺を捕まえられないだろ。もしかしてビビってんの? おまえらが否定すべき『死者の顕在』が目の前で起こっているんだ。さあ──来いよ」


 この発言が合図となった。

 刀太は再び顔を歪めて駆け出す。

 目の前に迫って来る殺気に対し、頼人は片方の口端だけで余裕を見せた。


 ×白瀬九織


 昼休みに入ってもわたしの頭は呆けたままだった。

 藍歌くんの欠席。それは珍しいことではない。しかし、昨日にあんな会話をしておきながらのそれはどうしても『特別』に思えてしまう。

 そう思うのは勿論わたしの勝手でしかない。彼は彼でいつも通りなのかも知れないが、わたしはどうにも納得できなかった。


「白瀬! 昼飯!」


 わたしの前の席に座る琴枝京が意識を引っ張る。


「どうしたっての? いつになくアホっぽい雰囲気じゃん」

「京はハッキリ言うね……」


 わたしは英語の教科書をしまいつつ言う。高校に入学してからはもう少し距離感があったのだが、ものの一ヶ月で京はその距離を消し去った。

 踏み込まず、踏み込ませない。

 それがわたしのスタイルだというのに、どうしてだろう、この娘はどんどんと踏み込んでくるというのに不思議と不快感はない。


「マジでどうしたの? 今ならわたしだってアンタにテストで勝てそうな気がするわ」


 バスケ部のエースということもあって自信家だ。なんて他人事のように思ったが、努力家でもある彼女は油断ならない。


「いやあ、無理だと思いますよ?」


 これまたハッキリした否定だ。声の主を見ると、やはり隣の席の鳥谷とや美々子(みみこ)だった。さっぱりとしたおかっぱ頭に幼い顔──そして体格。まるで中学生なりたてのように見える彼女はいつもながらの微笑みで続ける。


「だって京ちゃん、いつもバスケを言い訳に全部平均点じゃない」

「ほっとけよロリ子」

「煽ってるつもり? 若く見えるって生きる上で相当なアドバンテージですよ」

「ペチャパイがアドバンテージだって? 笑わせてくれるなあ?」


 いつもながらの軽口の叩き合いの中でもわたしは頭の中で藍歌くんのことを考えていた。

 無意識に彼を想ってしまう……。


「九織が何を考えているか当てて見せましょうか?」

「え……?」

「藍歌くん、でしょう?」


 驚いた。まさか見抜かれているだなんて。

 唖然としたわたしを見て正解を確信したようで、美々子は元から綺麗な紫紺の瞳を一層輝かせた。


「そうなんですね! 薄々もしかしたらとは想っていましたが……馴れ初めは?」

「うぅ……まいったな」


 美々子はこの手の話を大好物としている。気付かれた以上は誤魔化しようがない。助けを求めるように京へ目を向けると、何やら考え込んでいるような顔で腕組みをしていた。

 滅多に見せないその仕草は美々子の興味を逸らすほどだ。


「どうしました? どこか具合でも?」

「…………別に! 気に食わない野郎だと思ってさ、藍歌のこと。……あー腹減った。さっさと食堂行こうよ」


 何かを匂わせるようなことを言って京は先に教室を出る。

 わたしと美々子は顔を合わせて不思議に思うしかなかった。

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