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無彩色の願望  作者: 哀川
第四章 屍の器

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第二十話 君の為に

 ×白瀬九織


 嬉々として藍歌くんと哲学的な話をする彼女の姿は見慣れた光景だった。

 思い出への懐かしくもあり、そしてこの時間が終われば二度と見れなくなるという悲しさもある。

 気持ちに折り合いをつける為に、私は楊絵との出会いを思い出していた。


「自分以下の人間にしか生意気言えないなんて自慰行為と変わらないね」


 中学一年生になって一ヶ月。クラスの女子が三人で一人をいじめる光景が初めて見えた。

 内気で口数の少ない娘がいじめられていたものだから、天谷先生に言い出すこともできず、表ではうまく取り繕っているものだからその行為が明るみになることはなかった。

 あまり気分が良い光景ではなかったので止めに入ろうとしたところ、彼女──楊絵は声を出した。それまで彼女は他人と積極的に関わるタイプではなく、声を聞いた人も少なかったはずだ。


「あなたたちみたいなのって、頭が悪いから生きてて楽そう。死んだ後じゃあ後悔できるのかな」


 棘のある言葉に純粋な笑顔。

 この日を境に羽澄楊絵はクラスの中心人物となった。

 頭が良くて物知り。創作物のように良くできた容姿。自ら他人に関わることはせず、暇な時間があれば本を取り、しかし話しかけられればその手を止める。人として完成された存在だった。


「みんな、勘違いしちゃってさ」


 その日の放課後、私たちは教室で二人きりになった。


「私を聖人か何かと勘違いしてる。私は上位の存在もいじめられるからあの三人もいじめたってだけなのにね」

「でも、いじめられたあの娘は救われた」


 私は言った。すると楊絵は「なるほど」と静かに分析する。


「じゃあ、私にいじめられた三人は誰が救うの」

「それは……」


 私は答えられなかった。

 心のどこかで私は救われなくて良いと思っていたからだろう。それを口にするのが怖かった。


「それが正解。いじめを行った人間がいじめられたところで救われる権利はない。古代バビロニアにはハンムラビ法典というものがあったね。目には目を──ってやつ。身分によって刑罰は違ったみたいだけど、理にかなった平等だと思う……。理念は過剰な復讐の阻止みたいだったけれど」

「現代じゃあ考えられないな」

「そう。人は内面に持つ残虐性を隠すようになった。そして綺麗事を吐くようになる。私はそいつらに訊いてやりたい。『あなたは自分が殺された時にも同じことが言えるの』ってね」


 正直者。

 誰もが楊絵をそう評価していた。善意も悪意も全て嘘偽りなく発し、そのどれもが説得力を持ち合わせていた。

 だから彼女は周りに人を集めたし、私もそのうちの一人となっていた。


「あなたはどうなの……九織」

「わたし?」

「あなたはいつも綺麗。生き方から死に方まで、その間のすべてが綺麗で埋め尽くされているでしょうね。そんなあなたは人殺しを殺そうとしている人殺しがいたとして、止めに入るタイプの人間?」

「……わたしの好きな人が人を殺そうとしているのならそれは悲しい。けれども、そこに正当な理由があったなら受け止めてあげたい」

「ふうん……」


 いつも笑顔の楊絵だったが、初めて寂しそうな顔をした。


「生まれ変わったら九織になりたいな」


 生まれ変わったら。誰もが一度は考えることだ。死ぬことを前提に考えるということはない。

 なのに。

 彼女が言うと、どうしてもそこには《死》が付き纏っている気がしてならなかった。


「わたし、死ぬの」


 感情を乗せた言葉が多い楊絵には珍しく、無機質な言い方だった。


「生まれつき体が弱くて、手術も無意味だった。だからこうしてまともに歩けている内にわたしが生きた爪痕を残そうとしてるってこと……」

「そんな……で、でも、楊絵は体育だって普通に……」

「どのみち死ぬのだから、やれることは全部やる。当然だよ。わたしはこの人生に後悔を残したくないから」


 本当に強い娘だと思った。


「ただ、本格的に症状が出てきたら色々迷惑になるから二年になる前に学校やめるけどね。天谷先生はリモートでの参加はどうだって誘ってくるんだけど、正直面倒っていうか……お互いにとって迷惑じゃない」

「怖くないの……?」

「死が? ……うん、別に。仮に怖かったとしても、病は納得するしかないじゃない。ただ──」

「…………?」


 続きはなかった。ふと楊絵は窓の外を眺めるものだから、これ以上の追及ができる空気ではなかった。

 学校の教室から外を眺めるという当たり前がやがて当たり前でなくなる──そんな友の時間をどうして邪魔できようか。


「いつの日か、後悔はしたくないって言ったね」


 二年生になって迎える初めての夏に病室で彼女は言った。


「あの戯言、覚えてる……」

「随分と自虐的じゃないか。戯言だなんて、そんなこと」

「実を言うとね、既に後悔しているの。もしもわたしがいじめっ子をいじめた時──あの時わたしでなくあなたが先に声をあげていたらって」


 わたしが動こうとしていたことを見抜いていたらしい。しかし、そんな仮定に一体どんな可能性を見出したと言うのか。


「あなたなら、あの三人をいじめることなく穏便に済ませられたんじゃないかな」


 わたしはびっくりした。楊絵は自分の言動には絶対的な自信を持っている。後悔があるにしても、それはきっとわたしの想像を遥かに超えるに違いないと思っていた。

 しかし、彼女の口からはあまりにも人間らしい後悔が出てきた。


「自分で考えていて驚いた。まさか、わたしがこんなことで後悔をするだなんて。死に際ってどうでもいい後悔をするものなのかもね。祖父や祖母も意味のわからないことを言いながら死んでいったし……」

「わざわざそんな考え方しなくていいよ」


 わたしが言うと、楊絵は珍しく目を丸くした。


「羽澄楊絵は良い人。それで完結していい話だ」

「……わたし、あなたになら殺されてもいいかも」


 それこそ戯言のように聞こえた。

 でも、楊絵は嘘をつかない。だからわたしは素直に喜びを覚えた。他の相手にだったら謙遜するような場面でも、楊絵の前ではそんな必要がない。

 そうだ。わたしは羽澄楊絵が羨ましいんだ。世界を相手に自分を貫き、相手の素を引き出す力のある彼女にわたしは憧れていたんだ。


「死ね偽善者」


 一言で全ては終わった。身勝手に持ってきた花束は地に落ちる。

 友人から卒業式の次の日に楊絵が亡くなったことを聞き、その事実を完結させた。新しく耳に入ることは何もない。

 けれど、君と言う存在は君に関する記憶の風化を赦さなかった。

 いや──わたし自身《後悔》があったからかもしれない。君の言葉の真意を訊ねなかったことが、あの時の君の笑顔のぎこちなさを無視したことが、わたしの後悔──


 ×


「わたしには三つの死に方があった」


 わたしは息を呑む。

 勝手に病死として完結させたはずの物語が続いていた。事の罪深さに押しつぶされそうになる。

 ちらりと横の藍歌くんを見てみると、彼は腕組みをして真っ直ぐに楊絵を見ていた。


「病死、事故死、自殺。これが選択肢にあった」

「事故死──?」


 そこには矛盾がある。

 事故というのは予知できないものだ。予知を加えることができるというのなら、それは自殺という言葉に変化する。

 ……わからない。選択肢に《事故死》があるのは一体どういうことなんだろう。


「あは。病死と自殺はともかく事故死についてはさっぱりだよね」


 懐かしい笑顔はそのままに言う。わたしは頷いた。


「中学入学直後にわたしは長くないと分かっていた。だから、ある日学校をサボって遠くへ行った。電車を使って、建物が少なくなり、緑が増えるまで。わたしが今までろくに見向きもしなかった景色たちをこの目に焼き付けておきたかった。

 その流れでわたしは森に入った。大きな湖の側でね、遭遇したの……死にかけの人間に。そこには崖があって、そこから飛んだのは明白だった。生きているけれど、絶対に助からない二十歳くらいの女性。殺してあげるのが優しさなのが明白だったけれど、わたしは赤の他人のために罪を被れる娘じゃないの。だから駆け寄ってこう言った。『救急車呼びますか?』って。仮に助かったとしても死んだ方がマシな状態になるだろうし、わたしは選択肢を与えたの。すると彼女は言った。『あなた、なんで……ごめんなさい』」


 意味がわからない。そんなわたしと藍歌くんの顔色を窺って、にんまりと笑う。


「だよね。意味分からないよね。どう考えてもこれから死ぬ人の言葉じゃない。彼女のギリギリ機能していた思考と眼球からしても《あなた》はわたしのことを指していた……。わたしの賢さや常識をもって理解できないのならと思考を切り替えた。中学一年生としての羽澄楊絵ではなく、魔術師としての羽澄楊絵に」

「魔術師……」


 知らない言葉ではないが、口に出してみると異質感が大きい。そもそも楊絵は何故魔術師でありながらもただの中学一年生をしていたのだろう。光野さんは先天的な魔術師が自ら世界を離れることは滅多にないと言っていたけれど……。


「魔術師は意識を集中させればヒトの魔力を見ることができる」


 楊絵の言葉がわたしの思考を置いてゆく。


「これは基本だよね、姫乃」


 彼女はどうしてか小悪魔的に唇を歪めていた。

 藍歌くんは動じることなく応じる。


「勿論さ」

「大嘘つき。あなたのそれはドーピングみたいなものじゃない」

「否定はしないけどね。しかし、ぼくだって知らぬ間に飲まされていたんだから仕方のない話だ」

「あは。不快そうな顔。あなたの性癖には合わなかったのね」

「アレに合う性癖があるの? ならぼくは結構まともなんだな……」

「冗談は人間性だけにしなさいよ」


 まるで意味のわからない会話。予想することすらもできないが、今はただ一つ……藍歌くんと楊絵は中々に相性が良さそうだと言うこと。

 もしも中学時代に二人が知り合っていたのなら、きっといい関係が築けたのではないだろうか。


「とにかく、わたしは意識を集中させることによって死にかけの女性が魔術師であることを見抜いた。……そして、魔力の違和感が見えていながらその場を離れなかったのは、きっとわたしが半端者だったから」

「魔力の違和感──?」


 反復したのは藍歌くんだった。


「そ。過去のことだからこそ言えるけれど、あれは紛れもなく《死の奔流》がまとわりついていたと表現できる……。『あ、こりゃあまずい』と本能で理解した時にはもう遅かった。彼女は『独りで死に……』と言いかけて絶命した。その瞬間を目撃した後に死の奔流は姿を現し、そしてわたしにまとわりついていた」

「わからないな」藍歌くんは言う。「死の奔流……感じるというのならともかく、見えるってのはどういうことなんだ?」

「あら、お馬鹿さん。ねえ聞いた? 姫乃ったら、わたしの言うことがよくわからないんだって。説明してあげなよ九織」

「いや、わたしも説明が欲しいくらいなんだけれど……」


 しかし、楊絵の悪戯な笑顔は『わからないなら説明する気はない』とたしかに語っている。

 この顔をする時、楊絵は意地でも答えを言わない。周りが困惑する顔を眺めて楽しんでいた。けれど、最後まで答えが出なかったことはなく、誰かしらが正解を口にする。

 つまり。楊絵は分かることしか訊ねてこないのだ。

 ほんの少し考えた程度でわたしには分かった。──否。わたしが理解できなければならないことだった。


「わたしが怪物を《狂気》と見たように、そうとしか見れなかった……ということ?」


 わたしの答えに楊絵は納得の笑みを浮かべた。

 なるほど。あの感覚を説明することは難しい。思考の結果というよりも反射的な直感のような──


「ま、ほぼ正解。九織が『わたしの遺物』を見て狂気と言うしかなかったように、わたしもあの赤黒い魔力を見て死の奔流と言うしかなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。もしも九織と姫乃の名前を入れ替えて赤の他人に自己紹介をしたとしても、その人は名前に違和感を持つことはない。しかし、死の奔流と狂気のように『名前の代替』が効かないものには通用しない。その証拠に、ほら、姫乃だって、九織が狂気を紹介したときにその存在に疑問を抱かなかった」

「……たしかにね」


 気になる間があったけれども、藍歌くんは一応程度に納得したようだ。


「わたしに宿った死の奔流についての記述はどこにもなかった。ただ二つだけ……こいつをこのままにしておくのはあまりにも危険だということ。そしてわたしの死期が格段に早まっていたこと。だからわたしはこいつの特性を決定付けることができた。こいつはわたしの寿命を喰らって存在し続けている。何故わたしに取り憑いたか? それは元々こいつが取り憑いていた女性の死に際を目撃してしまったから。あの遺言を聞いたら分かる、当然の帰結だよね」


 わたしと藍歌くんは何も言わなかった。それは肯定と納得を意味する沈黙だった。


「まあ、わかったよ。偶然遭遇した死の奔流に従うのが事故死。そして、それが君が白瀬さんを突き放した理由だね」


 そう──そう言われてしまうと、心が抉れるようだった。

 楊絵は魔術師の存在を明かすことなく独りで絶命した。それは死の瞬間を目撃させないため──他の人を巻き込まないため。自殺する時の楊絵の心を想うと息が苦しくなる。


「いつ病室のドアが開いてもおかしくない頻度でお見舞いに来るんだもの。あの突き放し方しかなかったのは大目に見て欲しいな」

「ああ……もちろんさ」


 わたしは続きの言葉を失った。拒絶するために立ち向かったというのに、こんな事実が待ち構えていたのではどうしようもなくなる。


「わたしは自然魔力に適応しただけの後天的な魔術師。周囲の誰にも明かすわけにはいかなかった。明かしたところで解決しなかったことは明白だしね」

「たしかに、どこにも記述がないってんなら手詰まりだな。そもそもどうせ死ぬってんだから明かす必要もないし」

「まったくその通りだよ、姫乃。死ぬことで解決できるんだから相談する意味がないし面倒なだけ。独りで調べて分からなかったらそれでおしまい。ただ、最後まで気になっていたのは、もし女性の死を見たのがわたしだけでなく複数人だったら──ということ」

「仮に死の奔流が拡散可能なのだとしたら、ただの現象として済ませるわけにはいかないな」

「うん。そんなものを作れるのは魔法使いか超能力者だよ。でも可能性をゼロと切り捨てることはできない。だから、わたしは姫乃に一つのお願いをする。もしも死の奔流に悩まされている人が居たら、独りで死になさいって言ってあげて。死を見届けた人が死ぬのは納得できないから」

「嫌だよ。どうして僕が」


 二人の会話は途中から頭に入ってこなくなる。

 楊絵の死の裏にあった孤独が、現在──そして過去のわたしを虐め尽くしていた。


「ねえ、楊絵」不意に荒んだ声でわたしは言う。「君の望みはなに? 一体、君ほどの人がどんな未練を遺しているというんだ?」

「……うーん」


 楊絵は悩むように顎に手を当てる。

 長くなると察したのか、藍歌くんは着席した。


「……わたしはね。九織のことを心から友達だと思っている。あなたみたいな女の子を友達に思わない方が無理。いつも華やかで、同時に儚げでもある。わたしはいつからかそんなあなたに憧れすら覚えていた。けれどね、生きているうちにあなた以上の人間になれることの確信があった。あなたにあってわたしにないモノは時間をかければ手に入る。……でも、わたしは死ぬ以外になかった。完璧に近いあなたは生き続け、あなたに近いわたしは死に絶える。さて。わたしが覚えた感情を推測できる?」

「──嫉妬」

「大正解」


 楊絵は虚な笑顔を作る。

 やめてほしい。

 何かを誤魔化すために笑顔を作らないでほしい。

 そんなことを思いはじめて気づく。

 わたしこそ、真に心を許せる人以外にその笑顔を振り撒いてきた。自分に甘く他人に厳しい──なんて卑しい感情なのだろう。


「嫉妬の対象が毎日のように哀れんで病室に来る。どんな気分かわかる?」

「…………」

「そう。不愉快」


 ついにわたしの言葉を待たなくなる。


「積もり続ける負の感情にわたしは形を与えて狂気を創り出した。最初はコレで世界に傷跡の一つでも遺してやろうと思ったけれど、やめた。人の死なんてどうせすぐに過去の話になるんだもの……」


 羽澄楊絵の願い。

 わたしにはもうわかっていた。


「今になって冷静に振り返ってみると、狂気を創った理由は根本から違っていた。わたしはね、九織」


 多少の違和感は存在するけれど、楊絵の言葉とその意味を汲み取って考えた結果は一つだった。


「あなたと対等でいたかったの」


 その告白は殺意。

 わたしを殺したかったという呪いの吐露。


「わたしの願い。それは九織に死んでもらうこと」

「そう……だよね」


 頭の中で何かがひび割れる音がした。

 その音によって不思議と冷静さを取り戻せた。

 変な気分だ。友達に『死ね』と言われているのに心が動じない。

 わたしも藍歌くんのように席に座った。手を組んで無意味に息を吐いてみる。

 心臓の鼓動。

 生きているわたし。


「楊絵……わたしの方こそ、君のことが羨ましかったんだ。どんな状況でも一貫して《楊絵》を崩さない在り方はわたしの憧れだった」


『生まれ変わったら九織になりたいな』


 あの告白を聞いて確信した。それを口にできる羽澄楊絵はわたしの理想なのだと。


「そんな君にどんな未練があるのか、聞くのが怖かった。わたしには絶対に果たせない──拒絶もできないような言葉が来たらどうしたものかと……けれど、蓋を開けてみたらコレだ」


 身勝手な理想だということは百も承知。しかし、これを心に閉ざしていつまでも出さずにいるからわたしは永遠と変われないんだ。

 思いの丈をすべて吐き出す。それができずに変わろうだなんて──!


「他人への嫉妬……? 駄目だよ、そんなの。わたし程度の人間にならないでくれ。君はわたしの思い出のまま……理想のままでいてくれ。羽澄楊絵をこれ以上壊さないでくれ」

「それが答え……」


 彼女が呟いた後に立ち上がる。

 最後の最後まで笑んだままの楊絵を最後にわたしは振り返った。


「わたしの思い出を侵食する幽霊という存在を拒絶する。選ぶよ。その為に向き合ってきたんだ」


 隣にいてくれる彼と一緒に。

 さよならの挨拶もなしにわたしは教室を出る。

 過去は清廉を保ったまま、どこまでも美しい。

 後悔のない選択をしたはずのわたしは自然と溢れる涙に視界を歪めながら歩く。

 最後に、君と過ごした屋上へ──。


 ×藍歌姫乃


 難解な喧嘩話を終えて白瀬さんは教室を出て行った。

 彼女の出した答え。死後の羽澄楊絵の拒絶──そして過去の羽澄楊絵の保護。きっと、それらを幽霊への拒絶感と結合させたのだろう。これで彼女は屍の器としての機能はなくなったはずだ。そうでなくとも、頻繁に幽霊を取り込むなんてことはありえない。

 しかし、まあ、なんとも羽澄楊絵は嘘吐きだ。

 僕は薄目の羽澄さんを見る。


「そんな顔するくらいなら嘘を言わなければいいのに」


 思わず言ってしまうほどに、彼女の顔は哀愁が漂っていた。


「どうして分かったの……」


 何故と訊かれれば答えようがない。具体性に欠けた直感だが、どうやら正しかったらしい。


「……僕も嘘吐きだから、かな」

「あはっ。納得」


 笑顔は一瞬で消え失せる。白瀬さんと向かっていた時は終始大人な雰囲気を纏っていた彼女に子どもらしさが見えた。


「ねえ、姫乃。お願いいいかな?」

「断ったじゃないか。僕はいちいち赤の他人に警告してやれるほど暇じゃないんだよ」

「それに関してはいいよ。あなたのこともう分かったし。わたしが言うまでもなくあなたは警告してあげるんだから。……別のお願いだよ」


 驚くほどに自分勝手な分析に嘆息する暇もなく彼女は続ける。


「九織のこと頼める?」

「…………」


 暗い目をして言う羽澄さん。どうせ勝手な捉え方をするならば何を答える必要もないと思い、僕は何も言わなかった。

 黙って透過していく羽澄さんの肉体を見る。


「わたしを拒絶できた程度で九織は器としての機能は失っていない。あのコは優しいから、どうせ幽霊が迷い込んだら受け入れる。自分が危険になることも厭わない。その時に姫乃には九織の隣にいてあげてほしい。あなたと一緒なら、九織はきっとどこまでも行ける。気付いてるでしょ。九織は──



 あなたのこと、おかしくなるくらいに好きだって」

「……知っていたさ、当然」


 僕、そして桜内や井宮に対する態度を見て気づかないはずもない。彼女は自覚していないようだけれど、言動に好意が滲み出てしまっている。

 悪意に敏感である人間が、好意に対して鈍感なわけもない。全部が全部お見通しとまではいかないけれど、しかし白瀬九織は分かりやすい。他の人とは違って。


「だからなんだって話だけどね」

「あのコの好意には応えてほしいな……。無反応はさすがに可哀想」

「勝手に好意を寄せて勝手に傷つくほど白瀬さんは愚か者じゃないと思うけど」

「どれだけ賢くても女の子だよ」

「……その偏見は置いといて、別に告白されたわけでもないんだから」


 されたところでぼくがどう応えるのか……そんなのは考えるまでもないけど。


「中途半端に賢いのは面倒くさいね」


 煽るような言い方だったけれど、もっともな意見だから僕は素直に頷いた。


「周りに対して鈍感を極めている人は生きるのが楽そうだ」

「極端。でも面白いから好き」


 嘘は見られない。他人に対して好意をここまで簡単に伝えられる羽澄楊絵……まったく。白瀬さんが憧れるわけだよ。

 そんな彼女の体はいよいよ半身が消え失せていた。残りの右半身もいつ消えてもおかしくないほどに透けていっている。

 何か……羽澄さんと話しておくことはあるだろうか。そんなことを考えている自分に少しだけ驚き、その答えはすぐに見つかった。


「行かないの。九織のところへ……」

「……この前さ。友だちの友だち──赤の他人が死んだんだ。その時に『話してみたかった』って気持ちが生まれて……今でも引きずってる。多分、僕は同じ後悔を増やしたくないんだ。白瀬九織は僕の理想に近い生き方をしている。彼女の理想は君だ。だから、僕は君の消失を見届けることにする」


 これから消える相手には本心を伝えやすい。

 自分で言っておきながら意味のわからないことだが、羽澄さんは「そう」と自身の態度を一貫していて動じる様子はない。


「じゃあ、何か訊きたいことはある……」

「そうだな……」


 最後のやりとりと思うと僕みたいな人間は慎重に思考を重ねる。

 ──はずなのに、僕は考えるよりも先に口にした。


「独りで死ぬって、どんな気分?」

「…………ふふ」


 笑い声一つ溢して羽澄楊絵は姿を現してから纏っていた《余裕》を崩した。

 あなたの考えはお見通し。わたしの言葉は絶対だ。そんなことを言いたげな笑顔の崩壊。

 無理矢理に吊り上げた口角に溢れる涙。見るに耐えないその顔で、震える声で言う。


「苦しかった。わたしが想像する以上に世界に殺されるのは静かだった。でも、今度は独りじゃない。わたしが生きていたという()()()()()()

「…………」

「だから、ありが──」


 最後まで聞くことはできずに彼女は逝ってしまった。

 羽澄さんの声がなくなっただけのことで教室内に不気味な静寂が生まれる。


「最後の二文字くらい言わせりゃいいのに……時間は空気を読まないよな」


 どうしようもないことを言って席を立つ。

 扉の前に立ったところで気付いた。


「あー……しまった」


 羽澄楊絵みたいな人間でも独りで死ぬことは怖かった──それを知れたのはいい。

 しかし、それよりも気になることがあった。

 彼女が無事成仏したということは、彼女の願いが叶ったと言うこと。しかし、白瀬さんに言った願いは『白瀬九織の死』。これは羽澄さんが白瀬さんの為についた嘘であり、本当の願望ではなかった。仮にこの願望が本物だとしても、それは叶えられていない。

 ならば、羽澄楊絵の願望は──未練は一体何だというのだろうか。

 ……彼女が消えた後では知る術がない。

 僕はこうして死ぬまで同じ後悔を積み重ねていくのだろう。

 教室の扉を閉めたところで、僕が羽澄楊絵の死を忘れられるのはしばらく先になりそうだった。


 ×


 白瀬さんは屋上に居た。入り口付近の階段に腰をかけて空を見上げている。

 一面の青に何を思っているのか想像に容易い。


「楊絵は逝ってしまった……?」

「うん。しっかり消えたよ」

「そう……なら、わたしのなかにまだ狂気が遺っているのは楊絵の意志か……」


 意外──とは思わなかった。『わたしが生きていたという爪痕も残せた』というのは、こういうことだろうという予測はできていたから。


「使い方によっては便利だし、悪くない遺産じゃないかな」

「わたしには重い力だよ、本当に……」


 白瀬さんはそういうけれど、もしも本当に彼女には重い力というのなら、羽澄さんは狂気も一緒に連れて行ったのではないだろうか。死ぬ前も、死んだ後ですら友達を想っていた彼女がわざわざ白瀬さんを苦しめるようなことをするとは思えない。


「楊絵が学校を辞める前だ」


 白瀬さんは背中を見せたまま語る。


「わたしたちはここで将来の夢を話した。彼女、なんて言ったと思う?」

「さあ……作家とか? あの性格なら似合いそうだ」

「半分正解。作家になりたいと言っていたけれど、それはあくまでなりたい職業であって夢ではないと言っていた。彼女の夢は……幸せになること」


 えらく抽象的な夢だ。

 どうやら羽澄さんはこう言ったらしい。


『みんな夢について訊ねられると決まってなりたい職を言うけれど、わからないよね。就職がゴールじゃない。人生は続く。自分が目指していた職に就いたとして、その後が不幸ならなんの意味もない。わたしはね、将来が幸せなら一生コンビニバイトだって構わない』


 ……人生は続く、か。

 なるほど、妙に納得してしまう。


「屁理屈だと笑われてしまいそうな正論だと思ったよ。……わたしは夢を語れなかった。でも、今なら言えるよ」


 白瀬さんは勢いよく立ち上がると、フェンス際まで走って行った。

 そして大きく息を吸い──


「わたしは! 必ず幸せになる! わたしに憧れた君のために!」


 空に向かって叫ぶ。

 思わず唖然としてしまったのは僕だけではなく、吹奏楽部やサッカー部の人たちも同じようだった。静けさはやがて過ぎ去り、顔を真っ赤にした白瀬さんが笑顔で僕に振り向いた。

 白瀬さんはきっといつか羽澄さんのついた嘘に気づく……いや、もしかしたら既に気づいているかもしれない。

 今日の出来事を乗り越えたことは一生忘れず、時に涙を流すのだろう。過去に紛れた嘘と本当に感情をかき乱しながら、それでも絶対に幸せになる。

 白瀬九織は必ず成し遂げる。

 僕が未来を視るまでもない──。

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