第十七話 剥がれる心
二度目の桜内家での時間はあっという間に午前三時を回ろうとしていた。
何も特別な時間は過ごしていないつもりだった。テレビゲームをして、ボードゲームもして、くだらない雑談に洒落込んだりもした。
ローテーブルの菓子やジュースが散乱している光景を見て、これが桜内の求めていたものなのかもしれないと思った。
家というのは本来なら心温まる環境であるはずだ。でも、桜内や僕にとっては違う。
食う。寝る。そのサイクルだけが続く孤独。
そうだ、桜内は孤独に飽きている。だからセキュリティだのなんだの理由をつけて僕を家に招いた。
──なんてね。
全部僕の妄想だ。
「だからあたしはさあ、いつかは一つに戻りたいと思ってんだよぉ」
桜内のテンションはなんだかおかしかった。午前二時までは『楽』以外の感情を感じさせない明るさだったのに、今ではなんだか中途半端に怒ったり悲しんだりしている。
そういえば、いつか東条さんが言っていたな。
『夜を友達と過ごすと自分を見失っちゃうことって多いんだよねー。感情が暴走するって言うのかな? 私なんか勢い余って人助けの旅に出たことがあったよ。いや、見失うというか、むしろ本性が出ちゃってるのかもね?』
……旅?
「なあ! 聞いてる?」
「……ん? ああ、一つになりたいって話だろ?」
「そうさ! あたしは人並みの弱さがほしい。痛みに泣きたい、悲しみに泣きたい。それは一つになるしか叶わないんだよ」
睡魔が襲ってきたのか、大きな欠伸をしてから座椅子に深くもたれかかる。寝るのは中学生だとか言ってたよな、こいつ……。
「一つになるってのはつまり、お前の中の彼女……えっと、名前あるの?」
「緑秋。名前がないのもアレだし、あたしがつけた。漢字は桃春の対」
「ふうん?」
桃春の対……緑秋か? へえ、桃色の反対色って緑なんだ。
「で、その緑秋ちゃんとお前を一つにする方法って?」
「結論──なし」
「ないんだ」
「単純な多重人格なら薬物療法やら周囲の環境を変えたりでなんとかなるらしいけどさ、あたしのは違うじゃん? 人工的な多重人格。それも決して入れ替わることのない、ね。それらの方法は全て無駄」
「……幽霊なんだよな?」
「悪霊だけどまあ、幽霊は幽霊ね」
「今日──じゃなくて昨日か。昨日僕らを襲撃に来た奴らなら何か知ってたりするんじゃない?」
呆としたその顔が可能性に惹かれる。体を前のめりにして考え込んだのちに「だめだぁ!」と机に伏せた。
「あんたの話じゃ奴らは幽霊の解放、消失が要求だったんだろ? それじゃああたしの弱さごと消えちゃう。あたしは統合のやり方を知りたいんだ」
「あー……でもさ、知ってるかどうかはまた別の話じゃないか」
幽霊に関しての知識は奴らの方が多いかもしれない。桜内や白瀬さんのような体質の人を殺し回っていたのだとしたら、何かを知っていてもおかしくないだろう。
「知ってたとしてさ、あいつらに話通じるわけ?」
「人を正気に戻すのも狂わせるのも痛みが一番だって姉さんが言ってたよ。戦うことができれば案外会話の余地がうまれるかもしれない。白鏡誠司の時みたいに二人で動くか?」
「────」
桜内は体を起こして目を丸くした。何か新しい発見をしたような顔をしているが、視界にはただ僕という存在が居るだけのはずだ。
何か地雷を踏んだか? ……そうか、僕に姉がいることは語っていなかったか。
「やっぱりあんたさあ、実はいい奴だろ」
……何を言い出すのかと思えば、そんなことか。
「……いい奴の基準が低いんだろうな、おまえは」
「自虐的なのはあんたの悪い癖だよ、まったく。……というか、姉貴いたんだ?」
なんだかいやらしい笑みを作る桜内。意図のわからない顔色を浮かべられて仕舞えば僕は「なんだよ」と訊く以外にない。
「いやさ、ようやく話したと思って。自分のことっつーか、家族のこと? あたしも奏斗も気にはなってたんだ、あんたの『周り』のこと」
僕の周り。それは家族であったり、友達であったり──親代わりであったり。そういうことだろう。
「訊いたところで答えてくれないだろうなって思ってたし、自分から話してくれるのを待つしかないと確信してた。姉貴のことを口にしたってのは、あたしのこと信用してくれてる──でいいよな!」
「いいんじゃない?」
僕はコップに注がれたジンジャーエールを飲み込んだ。
何も否定することはない。実際僕は桜内に気を許したのだろう、だから姉さんのくだらなく愚かしい言葉を口にしてしまった。
信用、ね……僕には似合わないよな。
「どんな奴だったの? あんたの姉貴。名前は?」
桜内がどんな顔をするのか、その明るい顔が保ったままでいられるのかを見てやろうと思った。
「…………そうだね。名前はひ──」
言いかけたところでガコン! と物音がした。
桜内は即座に背後の扉に視線を向ける。その様子を見て僕も警戒態勢に入った。
扉の向こう──廊下から聞こえた異音。数時間前に襲撃があった僕たちとしては警戒するには十分だ。
僕と桜内は立ち上がる。
「攻撃を待つよりも仕掛けた方が賢明だ」
音一つから敵と断定した桜内は扉の正面に立った。
「あんたは未来視で──」
「視えた」
「はや!」
驚く桜内を映す視界の半分は廊下を映していた。何もない──暗く細長い廊下がただ続いているだけ。
「何もいないぞ……ただの物音って説は?」
「ない。多分、ない。うん、ない」
「自信なさげじゃねえか」
僕はナイフを取り出し、桜内は右手から無数の糸を垂らした後に扉を開けた。
やはり、何もない。
桜内は慎重に足を進める。突き当たりには正面と左側に部屋がある。そのどちらかに潜伏していると見ているのだろう。
桜内が正面の取手に手をかけた時──心臓の鼓動が大きくなった。
反射的に桜内の肩を引く僕。
「ちょ、なんだっての?」
「あ……いや。僕が確認する」
困惑したままの桜内の前に回り、僕は取手に手をかけた。
そして室内に入り──あきれてしまった。
桜内が基本使う部屋なのだろう、シンプルなベッドや机が置かれているその中心……
「は⁉︎ なんで……」
背後から桜内が覗く。
僕と桜内は狂気を目にしたのだ。静かに佇む後ろ姿の凶々しさは何に例えることも不可能。
「こんなのが続くっていうんなら、いよいよ余裕がなくなってくるな」
ひと蹴りで間合いを詰め、狂気の心臓めがけてナイフを突き刺した。
以前と同じで肉を断つ感触は確かなものだ。
……そして、その姿を消すことも変わらなかった。
「ねえ、今のって……」
「ああ。白瀬さんの狂気」
ナイフをしまって座り込む。
……みちるの時との差異は殺気の有無だ。今回殺気はまるで感じ取れなかった。だからといって危険視しない理由にはならない。
いよいよ悠長なことを言ってはいられないな。少し自覚が足りなかった。
スマホを取り出して電話帳を開き白瀬九織の名前に触れようとする。果たしてこの時間に起きているのだろうかと考えたが、彼女のしていることを考えると些細なことだと思った。
「ちょっと待て」
と、桜内が僕の隣に膝をつき手首を掴む。
「なんだよ」
「まさか二人だけで解決しようってんじゃないでしょうね」
「…………」
その通り。
白瀬さん自身が狂気を完全に制御できていないというのなら、その状態で僕の側に居るのは危険でしかない。
──狂気は僕の側に居る人間のみを襲おうとしているのだから。
あの狂気を制圧する為には白瀬さんの中に潜む霊を全て祓うこと……もしくは彼女自身が──
「今のようにいつ狂気が襲ってきてもおかしくない。アレは厄介だ。だけど僕は襲われない……確信している」
半ば独り言のように言った。僕の事実確認を理解できていない桜内は心底面白くなさそうだが、それ以上訊ねることはできない。こいつは白瀬さんの答えを待たなければならないのだから。
視線を泳がして舌を打つ桜内。どっと息を吐いてお尻をつけた。脱力したように見えても僕の手首を掴む力は緩んでいない。
「あたしが言うのもなんだけどよ、下手に動かない方がいいって。奏斗でさえ手も足も出なかったんだよ? あいつらの情報がくるまでは……」
「そんな奴らでさえ恐れた狂気をそのままにするわけにもいかない。アレは僕を襲いはしないさ。だけど……邪魔なんだよ」
僕は怒りにも近い感情を狂気の立っていた場所に向けた。
もしも以前にみちるが殺されていたとしたら僕はどうなっていたかわからない。
壊れていたか──解放されていたか。
極端な影響があったことは間違いない。そう考えるとやはり、狂気ははやく祓わなければ。
……桜内が殺されてしまっていたら、僕にはどんな影響があるのだろう。
青漆の瞳を覗く。
ふと桜内の首が取れるビジョンを思い浮かべたが、当然つまらないものだった。
「うん。やっぱりダメだ……不愉快だよ、アレは」
「はあ……あんたってあたしみたいに頑固なところあるよね」
桜内は肩を竦めて手を緩める。納得してくれたと思い電話をかけようとしたところ、不意にスマホを奪われた。
「やっぱりなし。敵の正体が少しでも分からないと」
「いつになるか分からないだろ」
「あたしもあたしの周りに居る人が死ぬのは不愉快なんだよ!」
突然と桜内の感情が弾ける。
思わず圧倒された。悪の悪を自称している桜内桃春の言葉にしては子どもっぽさがある。これは桜内の言う『弱さ』とは違うのだろうか……?
見つめ合う──というより、一方的に睨まれる状況が続く中、桜内の手にある僕のスマホが振動する。
桜内は画面を見て顔色を真逆に変えた。
「四時間後、新情報」
スマホの画面を見せると共に桜内は身を寄せてきた。
井宮からのメッセージだった。
『七時に集合してほしい。魔術対策機関からの情報があるようだ』
勝ち誇ったような笑みの桜内からスマホを取り上げてポケットに入れる。
まあ、数時間程度は誤差だよな……。
「この勝負は私の勝ちだな」
「どの勝負だよ」
僕は肩を竦めて立ち上がった。リビングに戻ろうとする僕を桜内が背後から「ねえ」と呼び止める。
振り返ると、ベッドの上で横になった桜内がキメ顔をしていた。
「眠かったらこっち来てもいいぜ」
「…………冗談」
「……勿論冗談よ。はーつまんね」
悪戯な笑みを浮かべて体を起こす桜内。気持ちの切り替えが早いのはいつものことだ。それは弱さがないからってだけでもないだろう。
いくつも死線を乗り越えてきたはずだ。故に慣れている──それだけのことである。
桜内がこうなる前は、一体『死』をどのように感じていたのだろう。危機感への恐怖心は正常だったのだろうか?
迂闊には口にできない疑問を思い浮かべながら桜内の顔を見ていると、「あ!」と電流でも流されたかのようなリアクションをして僕に詰め寄ってきた。リビングの壁まで後退してようやく停止。
「なんだよ」
「あんたからの誕プレもらってないんだが?」
人差し指で僕の顎をついて威圧的な顔をする。
「あげたじゃん。ほら、カフェオレ」
「ざっけんな! アレは貰ったんじゃない、あたしが勝手に奪ったモンだ!」
「自分で言うのか……恥ずかしくないわけ?」
しかし、なるほど……たしかに僕が与えたとは言えない。そこは正しい。
でもなぁ。誕生日……誕生日か。
「お前にとって誕生日ってなに?」
「へ?」
「……ただの愚問。忘れてくれ」
桜内が仮に僕や柩ちゃんと似たような答えを出したとしても、それこそ傷の舐め合いにしかならない。桜内桃春という人間とそのような関係に陥るのは──単純に嫌だ。気持ちが悪い。
「そっかぁ。あんたはそういう奴だもんな」
腕を組んで知った風に頷く。
「そりゃあ特別な日よ。生きてなければ楽しくなかった。生きてなければ何もなかった。それだけ」
と、そこから否定的な意見が出ることはないと確信したように笑んだ。どこまでも明るく──どこまでも真っ直ぐだ。
「産まれなければ、産まれた後の楽しみはなかった。生きてるから友達に出会えた。こうして退屈ゼロのお泊まりもできてる。あたしが誕生日を特別と認識するにはこれで十分」
「────」
桜内は優しく僕の頬を叩いた。『自分を見ろ』と意識を引っ張るだけの、触れて、離れて、また触れるだけの行動。
目の前の弱さのない少女は僕から目を離さず、確信的な口調で言った。
「絶対あんたも変われるよ。産まれてよかったと思う日が来る。あたしが──あたしたちが変えてやる」
×
「魔術対策機関捜査一課の杉野蓬です! 年下の美少年がすっげー好きです! 今後ともよろしくお願いします!」
ソファー席に座る僕、桜内、井宮に向かって彼女は頭を下げた。
杉野蓬。年齢は二十後半に見える。黒のズボンに皺一つない真っ白なワイシャツ、明るめの茶髪を肩のあたりで揃えて切っている、見ているこちらが気の抜けてしまいそうな笑顔を崩さない女性。バカっぽさと真面目さが融合したような雰囲気が特徴的だ。……服装一つで真面目さを汲み取ったわけではない。目元にあるクマから仕事への向き合い方が見てとれたのだ。
隣の二人も彼女とは初対面らしく軽く挨拶をしていた。どうやら彼女は光野さんの高校時代の後輩であるらしい。
……高校、ね。
「昨日に突然連絡してきたんだ」彼女の背後──カウンターでタバコを吸う光野さんが言った。「共有しておきたい情報があるってな。何事かと思えば最近になって発生した猟奇殺人についてだとさ」
猟奇殺人。そう言われて連想するのは廃墟の少女の死体だ。
「ここからは私が! 勝さんは黙ってください!」
きっぱりと言うと杉野さんは胸ポケットから黒いメモ帳を取り出した。
「結論から言うとあなた方を襲った人の正体は不明です。これから話すことは予測の域を越えることはありません。そして、死者を体内に宿すことのできる人のことを《屍の器》と称することとします。ご理解ください」
声は明るいまま、彼女は仕事の顔をした。
「昨年十二月、少年グループより警察への通報がありました。『廃墟に死体がある』と。彼らは潰れた旅館に肝試しに来たところ、幽霊ではなく人間を見て腰を抜かしたと言う間抜けだったようですね。
死体の状態は酷いものでした。手足の爪を剥がされた後に指を切断、深々とした無数の切り傷に火炙りの後など、一見して他殺体と分かるほどです。致命傷となったのは顔面に突き立てられたナイフですね。脳みそまでしっかりと到達していました」
杉野さんはここで一区切りして僕たちの顔色を窺う。
僕たちは連想していた。その死体の状態は昨日の死体と同じじゃないか、と。
「関連性を疑うには十分ですね」
井宮の反応に杉野さんは頷く。
「被害者である井上町子さんはごく普通の会社員でした。人間関係で揉めた様子もなく物を盗られた形跡もないため快楽殺人と見て捜査を進めたようですが手がかりはなく、今でも犯人の足取りは掴めていません。
勝さんからの通報の後に我々はこの事件を結びつけ、一つの予測を立てました。屍の器を狙った宗教団体の犯行でないか──と。霊という異質の存在を神聖視する輩は多くはありませんが居ないわけでもないです。そうした連中の犯行の線で我々は捜査をしています。情報が少なすぎるので国内捜査のみならず国外にも情報提供を望む可能性があるのは地獄です……」
杉野さんはメモ帳を閉じて「以上!」とやり切った顔をする。
……肩透かし感がすごい。新情報といえばたしかにそうだが、これから行動する上で役に立ちそうな情報ではない。連中が正体不明のままで停滞している。
隣の桜内、そのまた隣の井宮も呆気なさに唖然としていた。
僕たち一人一人に視線を巡らせた杉野さんは「あれ?」とそれこそ間抜けな顔をした。
「どうしました少年少女! そんな顔をしていてはせっかくの美形が勿体ないですよ! ほら、どれだけ怖いことがあろうと、どれだけ残業させられてもスマイルスマイルー!」
そういう杉野さんは一切目を光らせていないので説得力がない。
「あの」井宮が問う。「昨日の少女について何か分かったことはありますか?」
「………………忘れてた。無かったんですよ、死体! 日を跨がないうちに確認したのに!」
普通忘れねえだろと言いたいところだったが、通報してからの現場への急行、死体の状況から過去の事件との照らし合わせなどを即座に行った結果ならば仕方ないのかもしれない。この人、明らかに一睡もしてないし。
桜内が大笑いすると、杉野さんは恥じらいながらも微笑んだ。
「殺し方から関連性は高い、しかし死体の有無が相違点となっています。とはいえ血痕自体はわずかに残っていたので、被害者の身元が割れるのは時間の問題ですね」
総括完了と言わんばかりの満足気な表情の杉野さんはカウンターに用意された水を飲み干してから、
「お世話様でした、勝さん!」
元気に挨拶をして千鳥足で喫茶店を出ていく。明日には死んでしまいそうだな、あの人……。
「とまあ、目立った情報はなかったがまったく役に立たない訳でもねえ。あいつの今にも死にそうな様子じゃあ何かど忘れしてるかもしれないが……」
光野さんはタバコをすり潰して腕を組む。
「お前らを襲った連中は霊を神聖視している厄介な連中の可能性が高い……いや、ほとんど確定しているようなもんだな。そんでもって敵は去年から動いている、と」
「しかし、そう考えると疑問点があります」井宮は神妙な顔つきで言う。「最初の被害者の死体は放置して今回の死体を回収する理由が思いつきません。たしかに特徴的な殺人ではあるけど、偶然の一致という可能性も捨てきれない。井上町子さんが器であったかどうかも不確定だ」
もっともな指摘だ。もし仮に全てが繋がっているとしても、結局のところ敵の正体は不明と落ち着く。
うだうだしていても仕方ない。さっさと白瀬さんの幽霊を祓いたいところではあるが……こういうことは事前に話をしておくべきか。
「あの──」
×白瀬九織
桜内桃春。時に天真爛漫と、時に傍若無人と評される彼女の名を知らない者は大丘高校において少数だろう。成績優秀で運動神経抜群、さまざまな部活に助っ人として呼ばれる彼女はその場にいるだけで周りを笑顔にすることができる。敵を作ってしまいそうなほどの人気だけれど、彼女を恨んだり妬んだりという話は耳にしたことがない。
──そう客観視して、思わず呆れてしまう。
「私が嫉妬しているじゃないか……」
ちょうど十二日の日曜日になって私はベッドを出た。寝覚が悪いのは幽霊を宿してから続いているのだけれど、今日に限っては眠れそうにもない。
あんなことがあって眠れるわけがない……。
コーヒーを淹れて読書をするも内容が頭に入らない。廃墟の死体、私たちを襲ってきた人たち、狂気の発現……様々なことを考えてしまい集中できないでいる。
頭の大半を占めているのは何故私があの廃墟に向かったのかという疑問だ。あの時、私は衝動と以外に表現できない心の動きに駆られていた。
惹き寄せられた──ような?
「少女は私と同じ『器』として機能していたから殺された。──同類だから、惹き寄せられた……?」
自然な考え……だよね。
惹き寄せられたとして、その感覚はまるで、まるで……。
喫茶店での言葉の続きを見つけようと思考を巡らせる。しかし、巡って出てくるのは藍歌くんの顔しかない。
まったく。怪しい人に襲われたと言うのに、私はなんてお気楽な奴なんだろう。
……そういえば、藍歌くんにも襲われるだけの理由があるんだっけ。私と同じで幽霊を宿す器──。
「彼もまた同類か」
そう考えると気持ちが軽くなる。私の抱える問題は私の想い人と共有できるのだから。
同時に苦しくもある。彼に近い存在となればこの思いが募るばかり。
「私は自分のことばっかりだ……」
こんな私と同類というには失礼すぎるな。
同類、同類──?
本を閉じる。
立ち上がり、髪の毛をくしゃくしゃにする。こんな意味のない行為で私の出した推測が消えることはないのに……。
私はベッドに飛んだ。枕に顔を埋めて全身の力を抜く。
「廃墟の少女のように『器』に惹かれた感覚……それは私が藍歌くんを追う時の感覚と似ているじゃないか」
声にして私自身に聞かせる。
入学式の日、私は彼と目があった。
それ以来彼を視界に入れることが多くなった。
宿泊研修を機に彼との接触が増えて胸が躍った。
梅花さんと彼がいい雰囲気になって、それだけで嫉妬した。
初めての感情だった。誰かを好きになり、高揚し、緊張し、醜い嫉妬もした。褒められたことではないけれど、私にとっては特別な気持ち。
その理由が同類だから?
幽霊を宿す器だから?
そんなの信じたくない。私の様々な初めてが『錯覚』だなんてそんなの虚しすぎる。
「……好きって、なに……」
確定していない情報に自己の価値観が崩壊させられる。
胸が苦しい。この鼓動の騒がしさも錯覚だというの?
……自問して答えが出るような問題じゃない。スマホに手を伸ばして桜内さんの連絡先を開いて──閉じた。代わりに一年生の頃に同じクラスだった梅花さんにメッセージを送った。
『少しだけ通話できないかな?』
健康児っぽい彼女が起きているとは限らない。そう思っていたのだが、わずか五秒ほどで既読が付き、向こうから通話をかけてきた。
私は体を起こして応答する。
「こんばんはっ! 白瀬から連絡してくるなんて珍しいじゃん! というか初めてか?」
お泊まりでもしているのかというほどのテンションの高さに私は吐息を漏らす。
梅花水薙──この娘は嘘をつけない。自分の心にも他人への対応も正直に、誠心誠意向き合うことのできる素晴らしい女の子だ。一年生の間で一緒にいてそうと確信している。
桜内さんとは……付き合いが浅いから分析できずにいる。
だから私は梅花さんを頼った。
「初めてだな。すまない、こんな夜に」
「とんでもない! 高校生は夜行性なんだよ? まったく問題なし!」
通話越しだというのに彼女の表情が容易に想像できる。
「そんでどうしたの? あ! 待って待って、当てる! 時間帯と声のトーンから察するに……恋バナ!」
「似たような感じかな。さすがは梅花さんだ」
「わあ、ほんと!」
「うん。……梅花さんは好きな人っているか?」
「いるよ、勿論。思春期に恋をしない乙女なんて存在しないよ」
「そうなんだ」
梅花さんが誰かと付き合っているという話は聞いたことがない。隠密にお付き合いをしているとは思えないし、きっと片想いなのだろうな。その人のことについて深入りすることは避けよう。
「その人のことを『好き』だってどのように自覚したの?」
「んー、自覚かー。なるほどね、そういう感じで悩んでるんだ。……あ! じゃあ今から質問をするよ。即答してね?」
「え? あ、ああ」
即答しろと言われてしまうと答えることを躊躇うような質問が飛んできそうだ。けれど、私は相談している身なんだ……即答してみせる……!
「目を合わせるとドキドキする?」
「する」
「手を繋ぎたい?」
「繋ぎたい」
「デートしたい?」
「したい」
「お泊まりしたい?」
「したい」
「キスしたい?」
「したい」
「えっちしたい?」
「したい。………………」
言ってしまった……流れるように言ってしまった。質問を脳内で繰り返して全身に熱を帯びる。
……いや、これは人間として普通のことだ。なにも恥じることじゃないはず……。
「あははっ。なんだか素直になったねー、白瀬!」
「揶揄わないでくれ……」
「ごめんごめん。でもさ、さっきの答えはきっと本心だよね? なら白瀬の『好き』は間違いなく本物だよ。その過程は気にしなくていいと思うな、私は。綺麗事かもだけど」
「しかし……その感情には何か誤解があるかも知れないんだ。何か、別の──」
「好きでい続ければいいんじゃない?」
単純な数式を解くように彼女は言った。
「好きって結論のままでいればいいじゃん。なにも損しないでしょ。なんならその想いをぶつけるもよし! 何かが進展するかもだからね!」
「想いを……」
「詳しくは分からないし適当なことしか言えないけどね。どうかなっ! 役に立てた?」
「……勿論だよ。ありがとう。全てが解決したら、彼に伝える」
梅花さんにとってはまるで訳の分からない言い分に聞こえたはずだ。しかし、それでも彼女はこれ以上踏み込むことはしない。
それはきっと、私という人間の根本を理解できているからだ。
「頑張ってね、白瀬」
「うん。頑張る」
通話を切る。
そうだ──この気持ちから逃げたところで何が進展する訳でもない。続くのは苦しいばかりの停滞だ。
残る二人の幽霊を祓い、私は彼に告白する。
……どんな言葉で伝えればいいのだろう。
「はあー……」
自分の情けなさに息を吐いてベッドに倒れる。はじめての感情には色々苦労するな。
天井を見続けたところで告白の言葉が浮かぶことはないので目を閉じた。
暗く、黒い世界。
ココロに、シズむ。
“殺す──”
「──!」
殺意への恐怖から体を起こしたその時、既に私は心の中に落ちていた。
どこまでも暗い水槽の底に幽霊の姿はない。
“殺してやる”
それは声ではない。
直接頭の中で理解する『願い』だ。
“死にきれない意識の中でゆっくりと──”
幽霊の願いが頭の中で騒めく。
心が壊れてしまいそうなほどの負の感情に私は身動きが取れずにいた。
ひたすらに黒い空間の中、呼吸を忘れてしまいそうなほどの焦燥が私の思考を乱す。
乱れて仕舞えばあとは流れ込むだけだった。
地獄のような感情をこの黒い孤独で抱え込む。
この心は、あまりにも痛すぎる──




