第十六話 上辺
目覚めるとそこは見知った喫茶店だった。この空間に名前はなく、一見ただの喫茶店に見えるが、その実は知る人ぞ知る魔術師退治の専門組織の拠点。
ソファー席から体を起こす。
カウンターでグラスを拭いているのは光野勝さんで、ここの店長をしている。カウンター席に座っている少女は柩ちゃんで、姓は知らない、全てにおいて謎の人物だ。少し離れたテーブルに上半身を預けて伏せているのは桜内桃春。とても幸せそうな寝顔をしている。珍しく端の席で腕組みをして寝ているのは井宮奏斗。人前でも寝顔を晒すことがあるのは少し意外だ。
そして、僕の正面に座る白瀬九織。彼女もまた机に伏している。
「…………」
さて。僕の記憶能力に問題は見られない。
僕の最後の記憶は……長身の男を殺そうとして、頭部への激痛──そして暗転。……今の状況がつながらない。戦える人は誰もいなかったはずなのに、どうして無事でいられている?
ぐらり、と頭が揺れる。薄れゆく視界に痺れるような痛みに息を吐いた。でも……あれ? それ以外の痛みはない。
「お疲れのようだな」
光野さんは白々しさを隠すことなく言った。
「まあ、殺されかけたので」
「お前にとっちゃ都合のいい話だったんじゃねえのか?」
「まさか。僕一人だったら諦めてよかったかもしれませんけどね。さすがに状況が悪すぎる。そもそも殺される理由だって気になるところであって……、いや……」
光野さんが嫌味のない笑顔になってから言い淀む。
前半は失言だったか……?
「とにかく僕たちがここに居る訳を教えてください」
無理に話を逸らす僕を滑稽に思ってか、光野さんは片側の口端を吊り上げた。心を読める相手には敵わないな。
「まあなんか飲めよ。しっかりと説明してやるからさ」
賄いだ、と付けて手招きをされてしまえば立ち上がるしかなかった。
白瀬さんの顔を覗いてやりたい好奇心に駆られたが、それよりも今は喉を潤したかった。
×
光野さんに連絡して迎えを求めたのは井宮だそうだ。
あいつが目覚めて直後の状況はこうだったらしい。完全に気を失っている桜内、うつ伏せに倒れている僕、冷や汗を流しながら僕の顎を嵌めようとしていた白瀬さん。
「……え? 顎?」
「顎は九織が上手いこと治してくれたようだぜ。あっはっは」
光野さんは僕の後ろでうつ伏せになっているであろう白瀬さんを見て笑うが、あまり笑える話ではなかった。
「白瀬さんが誰よりも早く目覚めていて……そこに『敵』の姿はなかった? それじゃあまるで……」
「奏斗が聞いた話じゃあ九織が撤退させたそうだな」
起き上がった白瀬さんを見て彼ら(どうやら僕を不意打ちで襲ったのは女性らしい)は『分が悪い』と判断したそうだ。そして男の捨て台詞が『次がないことを願う』とのこと。
──白瀬さんを見て撤退? それはなんというか……意味がわからない。
「何か隠してると思って聞こうとしたんだがな、車の中で爆睡するわ店ん中で熟睡するわでタイミングがないんだ」
「なら今聞きましょうよ」
「あ?」
「白瀬さん、多分起きてますよ」
僕が振り向くと、二秒ほど置いて白瀬さんは起き上がった。こちらを見て目を伏せる。軽く唇を噛む仕草は悲しそうにも見えるし悔しそうにも見えた。
「言い訳を探していたんだ……」
独り言のように呟くと、白瀬さんは僕の隣に座った。彼女に光野さんは僕に同じくキャラメルラテを差し出す。
「読心術ってマジで適当なんですか」
僕の意地の悪い物言いに珍しく光野さんは眉を顰めた。
「あのなあ。お前らは読み難いんだよ、難儀な性格してるから」
一切否定できない。僕は無言を貫いたが、こういうところが『難儀』と言えるのだろうな。自覚があって矯正できないってんだからタチが悪い。
一方で白瀬さんは「まったくです」と相槌うってからキャラメルラテに口をつけた。……こういうところだよ、まったく。
「そんじゃまあ、寝てる奴が居るが状況整理と行くか」
光野さんは「長くなりそうだ」と言ってタバコに火をつけた。
「まず、お前ら四人は九織の中の幽霊を祓うために遠方の町にまで向かった。除霊は問題なく成功したがしばらくして九織の様子が一転。廃墟へと歩き始めた。到着してそこで発見したのは少女の死体──明らかな他殺体であった。血液の乾き具合から犯人が近くにいると推測して逃走を選択。そこに立ち塞がったのが黒服の男。奏斗、桃春、姫乃が制圧された後に気を失っていた九織が目覚め、黒服の男とその仲間と思われる女が九織を見て言った。『次がないことを願う』──と」
要約を終えて大きく煙を吐く。すると、一つ空席を挟んでいる柩ちゃんが舌を打った。どうやら嫌煙家のようだ。
火を付けたばかりのタバコを残念そうに灰皿へ押し当てた。
「一つ一つ疑問点を挙げてくか」
「あ、その前に」
僕の思考が難解さを深めるよりも先に解決しなければならない疑問点がある。これを訊かずして先へ進もうだなんて冗談でしかない。
「白瀬さん。君はどこまで知っているんだ?」
「────」
白瀬さんは特に動揺した様子はなく、静かに目を伏せているその冷静さはまるで予感していたかのようだ。
この言い訳を考えていたというのか……?
「察している通り、藍歌くんが私を尾行した日には光野さんから少し話を聞いていた。この喫茶店の役割と裏の世界のこと……」
「そうなんだ」
予想はできていたし、そこは驚くところではない。一応魔術のことは隠し通そうとしていた僕たちの気遣いがまったくの無意味だったこともどうでもいい。
それよりも、何故光野さんが魔術世界について安易に他言したのかが気になる点だ。
「言っとくが、安易に他言したとかじゃねえからな。九織の体は未知の要素を含んだ神秘。魔術世界と無関係とは言えないんだ、話したところで問題はない。それに今日もおそらく魔術世界の人間に襲われたんだろ? どのみち話すことになっていたさ」
光野さんのそれは結果論だが、結果論を好む立場としてはこれ以上の突っ込みようはなかった。
「しかし、七月二日──あの日の会話も全て茶番となると気持ち悪さが残ります。光野さんも白瀬さんも、結構演技派だったんですね。別に隠すこともなかっただろうに」
二人の会話は名前を尋ねるところから始まった。それから軽く雑談を交わして幽霊の話に──あの日の全てが茶番だなんて。
「あの日の会話に茶番は何一つないぞ。初めて九織が来店した時は簡単な会話しかしてないからな。……つーか、一方的な質問責め。いやほんと、素直に圧倒されたぜ」
「お恥ずかしいです……」
白瀬さんの恥じらいが全面的に押し出された顔を見て、当時の会話内容を問うたところで答えてくれるとは思えないと悟った僕はため息を吐くしかなかった。
煮え切らない僕の意識を引っ張ろうとしてか、光野さんは一つ手を叩いた。
「さあ。一つ一つ考えていこうじゃねえの」
音と声に反応して桜内が唸るが起きる様子はない。よっぽど疲弊しているらしい。
「まずは『何故九織が廃墟へ向かって歩き出したか』だな。原因の分析はできそうか?」
投げかけられた問いに白瀬さんは首を振って答える。
「あの時私は廃墟に誰かが居ることを直感的に感じ取りました。よくない場所であるということも分かっていた。何故と訊かれても、漠然とした衝動としか言えないです。まるで──?」
スラスラと語っていたところに突如としてブレーキがかかる。
まるで。その続きには何かしらの比喩を繋げたかったのだろう。けれど結局思い出せなかったようで、
「──すみません、何を言おうとしたのか……」
半端な言葉でまとめた。
「それじゃあ次だな。『少女は誰に殺されたか』……これはお前らを襲った連中と見て間違いなさそうだな。そしてそいつらは奏斗の網にかからなかったことから真っ当な魔術師ではない、と」
「そうですね」
…………そうだっけ?
今度は僕が白瀬さんに同じく物忘れを起こす番だった。井宮が魔力を探知できなかったのだから敵は魔術師ではない──おそらくそれは正しい。しかし、そうだとすると何かで矛盾が起きてしまう……そんな気がする。
考えを巡らしてもその先はぼんやりとした空白だ。停滞に等しい状況となった僕を見て光野さんは少しばかり顔を顰めた。
「診たところ外傷はなかったようだが、どうやら記憶に混濁があるようだな。話をしている限り記憶障害ということはなさそうだが、少しでも自分の記憶に確信が持てなかったら医者に診てもらえ。金に余裕がなかったら燈明学園に話を通しておくぞ」
「遠慮しますよ。あそこに行くのほんとうに面倒ですから」
それを抜きにしたって、金銭面を理由にあそこを利用するのは気が引けるってもんだ。
「とりあえずは非魔術師としていいと思います。何か思い出したらまた報告ということで」
「分かった。それなら次は本題と言ってもいいな。『何故お前らが狙われたのか』だ」
「それについては大体の予想はできます。あの男は禁忌だの絶対不可侵だの言っていた。そして死者を解放しろとも。つまりはそういうことでしょう」
白瀬九織はその身に幽霊を。
桜内桃春はその人格に悪霊を。
「生きながらも死者を宿す人間が対象か」
「ただ、よくわからないんですよね。井宮は霊を武器として保有していて、僕は白瀬さんと同じ『器』として生きていると言っていた。これっておかしくないですか?」
「……? それはたしかに妙だな。奏斗は以前の依頼で霊を手懐けたから分かるとして……」
「え……」
そうなんだ。全然知らなかった。そういうことって共有しないもんなの?
「姫乃──お前もなのか?」
「少なくとも彼はそう言っていました。まあ、相当な狂人でしょうし話半分に聞いておくのがいいかと思いますけど」
「いや、狂っているのはそうだろうが、他三人が霊を取り込んでいると見抜いてそんなしょうもない嘘をつくことはないだろう」
それはそうだ。しかし、僕がこの身に幽霊を宿しているなど信じられない。それらしい症状は皆無だ。僕は誰の感情に引き寄せられることもなければ、自分の心に沈むことだってできない。
「器ではあるけど中身に何も無い……とかかもな」
光野さんはらしくもなく自信なさげに言ったが、それはほとんど正解に近いだろう。しかしそうだとすれば、なかなかに厄介な話になる。
「あいつは死者を解放、消失させる。さもなくば殺すと言っていた。つまり僕はあいつに殺されるしかないってことになる」
「それはどうだろう」白瀬さんは間髪を入れずに否定する。「結局殺すと言うのならその前の選択肢を提示する必要がない。それに、藍歌くんが気を失ってから私が目覚めるまでにどれだけのタイムラグがあったのかわからないけれど、あの人気のない道だ、殺すことだってできたはずだよ」
「たしかに。じゃあ、僕の中にも誰かが居るってのか……」
自分の体に自分以外が侵入しているというのは不愉快でしかない。人は孤独の具現化だ。独りの空間を作れる個人という存在──だというのに、その中に誰かが居る。まだ予測の範疇でしかないが、現時点でここまで気持ち悪さをかんじるというのなら、もし『誰か』と対面した時にはどうなってしまうと言うのか。
「……まてよ。白瀬さんの推測が正しいとして、廃墟の娘の死に様はなんだってのさ」
と、言ったところで気づく。
脱線しかけている。あの娘にどんな物語があったのかは白瀬さんに訊ねたところで分かるわけもないし、あの光景を再び思い出させるだけだ。
目を細める白瀬さんに僕は「忘れてくれ」と無責任に言う。
「最後だな」
光野さんは一つ間を空けてから言った。僕たち二人を見るでなく、白瀬さんを見て。
「襲撃者が逃げた理由はなんだ? 九織、おまえは一体──」
白瀬さんは首を下げて目を伏せる。
だんまりが始まるのかと思い、僕はカップに口を付けた。
「私は狂気を創り出しました」
予想に反して早くも顔を上げ、そして意味のわからないことを言う。
一秒後。
理解できた。
この人の言う狂気とは一体なんなのか、いやでも理解せざるを得なかった。
こんな、首筋にナイフを当てられた感覚でとぼけるなんて不可能に近い。
ゆっくりと白瀬さんの方を向く。そこにはやはり、彼女の背後にはみちるを襲った異形が佇んでいた。
僕は声を出さなければ顔にも出さない。あくまで初見のフリをする。
すると、
「仕舞いなさい」
柩ちゃんが心底不愉快そうに言った。
「次私の前でそれを出したら殺すわ」
彼女は視線を落としたままだ。
僕が再び白瀬さんを見た時には異形は消え失せており、井宮と桜内が警戒心全開の様子で起き上がっていた。ちなみに二人とも体の損傷はないようだ。
白瀬さんは素直に異形の正体を口にした。
曰く、それは彼女自身の『狂気』だという。異質な外見からはとても自分だと自覚することは難しいだろうに、白瀬さんはひと目見ただけで己の狂気が具現化したと確信した。どうやら鏡を見ている気分に近いらしい。
肝心の狂気の詳細は伏せていたが、光野さん……そして僕には察しがついているのだった。今更察するなという方が無理な話だ。
ともかく、襲撃者は白瀬さんの狂気を目にして撤退したということ。それは彼らでも手に負えないほどの狂気ということを意味する──。
「いやいや、ちょっとまて!」桜内がテーブルを叩く。「そもそも概念の具現化ってなに? そんなの奏斗でさえ不完全なのに……それに、白瀬自身に魔力は無い! 魔術の素養だって──」
そこは僕も気になっていたところだ。
光野さんは白瀬さんを見つめたままで答える。
「九織の取り込んだ幽霊の中に魔術師が居ると考えた方が良さそうだな。幽霊の因子と知識が偶然にも九織に適応した結果というところだろうよ。姫乃が早見愛海の魔術を使えたようにな」
「私の中に魔術師が……」
白瀬さんは頭を押さえて目を瞑る。問題が多くて相当参っているようだ。
当然か。幽霊を抱えるまでは表の世界で悠々と生きていたことだろう。どれだけ万能な白瀬さんもここまでの事態には適応しきれていない。
「とにかく死体と襲撃者については機関に通報だな」
スマホをテーブルに置く音がしたと思うと、井宮が「提案があります」と手を挙げた。
「少女の死体については無関係の猟奇殺人と考えられなくもない……可能性は薄いが。俺から匿名で警察にも連絡します。動く組織は多い方がいい。
そして少女の制服についてだけど、アレはあの町の学校の制服じゃなかった。どこのかまでは調べきれていないけれど、とりあえず奴らは人目につくところで堂々襲ってくる奴らではない。白昼堂々襲ってくるとは思えないが、当然人気のないところは意識して避けてくれ」
井宮はあの町の中学校の制服を調べていたらしい。あの過疎地域には中学校が一つしかないのですぐに分かったとのこと。それならばなるほど、連中は連中で人の目に怯えているように思える。
「あと、白瀬さんの幽霊についてだけど。残り二人とは言え願いを叶えて成仏させるなんて悠長なことはしていられないと俺は思っている。幽霊を、死者を持たない状態ならば襲撃の対象外になるとしたら、君は一刻も早く中の者を追い払うべきだ。多少荒療治にはなるけど……」
井宮のもっともな指摘に白瀬さんは目を開く。今までにない圧倒的な感情の奔流が見て取れる。
これはまた時間がかかりそうだと思ったところ、井宮に背中を見せたままの白瀬さんだったが、瞳に決意の色を確かに振り返った。
「心配してくれてありがとう。でもすまない、そんな中途半端はしたくないんだ。私が鏡として機能した結果彼らに夢を見させてしまったのなら、投げ出す前にできる限りのことはしてあげたい」
「そんな責任君にはないってのに……」
「そうだね。これは私のわがままで、そして自己満足でしかないんだ。嫌われたくないんだよ。生きている人からも、死んでいる人からも」
「誰が君みたいな人を嫌うって?」
謙虚が過ぎるせいだろう、井宮は肩をすくめて笑った。眉を歪ませて愛想笑いで返す白瀬さんだったが、自分が何故笑われたのかを自覚できていないようだった。
結局のところ、白瀬さんは願いを叶えることで除霊を行うという流れを選択し、僕たちはそれに納得して協力することとなった。
気がつくと時刻は九時を回っていた。流石にこれから四人目を除霊というわけにもいかず、本日は解散という話になった。井宮は残って僕と桜内と白瀬さんが帰るのを見送った。おそらく魔術対策機関と警察に通報をする上でなんの情報を伝えるべきか今一度整理しているのだろう。
三人で地下鉄に乗り、白瀬さんを送り届けることにした。白瀬さんはとにかく疲れているようで時々ため息を吐き、桜内はなんだか苛立っていた。地獄のような空気の中、特別な出来事が起こることなく無事に白瀬さんの住むマンションに着く。
「わざわざ送ってくれてありがとう」
自動ドアの手前で白瀬さんが振り返った。
僕は軽く首を振って反応するが、桜内はムスッとしたまま白瀬さんから視線を動かそうとしない。
白瀬さんが目線で「彼女は何故怒っているんだ?」と訊ねてくるけれど、それは僕にも分からない。
分からないことは訊きましょう。浅沼先生がよく言っている台詞だ。
「おまえ、何にキレてるんだよ」
「あのさ」
食い気味に桜内は言う。僕の言葉はまるで聞こえちゃいない。
「白瀬の『狂気』ってなに?」
「──!」
痛いところを突かれた、と一瞬ではあるが白瀬さんは顔に出した。
沈黙が続き、少しばかり冷たい風に撫でられるだけの時間が続く。
貼り付けたような笑顔が崩れている白瀬さんに向かって舌打ちをして、桜内が一歩詰め寄った。
そして右手を伸ばし──
白瀬さんの胸を鷲掴みにした。
「あ…………え?」
当たり前に困惑する白瀬さん。
「………………」
このまま帰ってしまってはダメだろうかと考える僕。
「やっぱそこそこあるな」
吟味するかのように何度か揉みしだく桜内。
……うん、やっぱりこいつは分からない。
すっかり顔を赤くした白瀬さんが正気を取り戻したようで、桜内の手首を掴んで胸から引き剥がす。
「な、なにをしているのかな? 桜内さん……」
呆れた顔で白瀬さんは問う。ここで怒らないのはさすがの器の大きさだ。
「スキンシップ」
端的に答える桜内。
どうやらこの女には敵わないと判断したようで、白瀬さんは手を離した。
「他にもやり方はあるだろう……」
「そうか? あたしには見つからない。教えてよ。あんたと仲良くなる方法を」
「…………」
「他の奴らは馬鹿だから気付かないけどさ、あんたは他人との距離を一定に保ってるのよね。決して内側に踏み込ませず、かと言って遠ざけることも拒絶することもしない、すごく器用な立ち回り。だからかな、あんた、全然人に助けてって言えないでしょ。どういうわけかこいつには言えたみたいだけど」
桜内は『こいつ』こと僕に一度視線を向けた。
「こんな事態になってんだからさ、少しくらい本心見せてほしいよ。人の生き方変えられるほどあたしは偉くも賢くもないから強くは言えないけどさ。あたしはあんたに踏み込んでいきたい。でも、それだとあんたはきっと不愉快だろ? だからあたしも付かず離れずとする。すぐに答えは出ないだろうけどさ、いつか聞かせてよ」
桜内は屈託のない笑みを浮かべて締めた。
きっと、白瀬さんには眩しい顔だったはずだ。だから彼女は目を細めて小さく頷いた。
彼女が自動ドアの向こうに姿を消した後で僕と桜内は歩き始めた。
「あんたは知ってるんでしょ?」
繁華街を歩く中、桜内が問う。
「白瀬さんの狂気が何なのかってこと?」
「うん」
「まあ、なんとなくの予想はついているつもり」
「やるじゃん」
素直に感心していた。それ以上の追求はなく、後は白瀬さんの答えを待つだけのようだ。
「分からないのよね、白瀬のこと。このあたしがだぞ? あいつの気持ちってのがどうにも不鮮明なの」
「だからって胸を揉むかよ」
「言ったじゃん! アレはスキンシップだって」
「女の子の間じゃ普通なのか?」
「……まあ、よくやる」
やらないようだった。
「しっかし、なんであんたなのかねえ?」
「何が?」
「幽霊を抱えてるって秘密を暴露した相手」
「それは説明しただろ。自殺寸前の彼女を助けたからだよ。もしも彼女を救ったのが僕以外だったとしても、きっと物事は順調に進んでいた」
「そうかなぁ?」
「そうさ」
自分で言って適当がすぎるなと思った。
白瀬さんほどの器用さならば誰に助けられることだってできたかもしれない。相性の良い人が彼女と出会っていたらもっと上手く立ち回っていたかもしれない。しかし、僕以外に彼女が己の秘密を打ち明けられたかと言えばそうでもないような気がする。
すべては可能性でしかない。
白瀬九織がどういう人間なのかを完璧に理解するのは難儀なことだろう。その一歩として、桜内への回答がある。
彼女は桜内へ自身の狂気を打ち明けるのか否か。僕にも予想がつかない。
桜内のマンションに着いた時には人通りもすっかり少なくなっていた。背後から襲撃されてもおかしくないな。
「あんた一人で大丈夫なの? ぶっ殺されない?」
嘲笑がよく似合う桜内が言う。
「お前だってやられてたじゃないか。井宮もだけど」
「あたしが言ってんのは立地。あんたの家の周りはがらんとしてるしさぁ。セキュリティもゴミじゃん」
「死ぬとなったらそれまでだ」
僕は開き直った。
「本当に適当ねえ。不安とかないわけ?」
「うーん……」
こうして質問されないと考えもしないことだが、明確な答えは出そうにもない。いつか白瀬さんが死ぬ未来を視たことから一応レベルに他人の心配はできているようだが……いや、好奇心を抜きにして彼女の心配をできたかどうかは怪しいところではあるし──
と。無駄に長い思考に呆れたらしく桜内はため息を吐いた。
「あたしの家泊まる?」
「なんで?」
「安全じゃん。少なくともあのアパートよりは」
「人の家って寝覚が良くないんだよな」
「寝なきゃいいじゃん。泊まりで寝るとか中学生かよ!」
軽快に笑う桜内。人差し指でマンションの鍵をくるくると回して言った。
「来いよ」
たった一言。僕の足をゆらゆらと進めるには充分だった。
きっと、傷の舐め合いにも近いのだろう。桜内の満足気な笑みを見てそう思った。




