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無彩色の願望  作者: 哀川
第四章 屍の器

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第十五話 意識の中で

 ふざけてる。

 単純な感想は現実によって引き起こされたものではない。未来視による錯覚だ。それを感じて現実に戻るまでに何秒かかったか──いや、そもそも僕は別々の時間を同時に過ごしている。常に現実にはいるのだ。しかし、意識を可能性へと持っていかれたらどうしようもない。

 僕は視た──キャリーケースから出てきた人間の存在を。

 暗闇に光る赤眼。全身焼かれたような皮膚。鼻と口が喰われたかのように抉れたそれは、完全に死んでいた。

 先程あの男の口から死者はそのまま還せ的なことを訊いた気がする身としてはふざけているとしか思えなかった。

 それと同時に、アレを外に出してはいけないという直感。


「いのみ──」


 僕が言うよりも先に彼は動いた。

 ポケットから札を取り出して彼に投げつける。まるで男に吸い寄せられるような動きで札は彼の胸に貼りついた。


「迷霧が誘う蒼炎の奈落」


 井宮が唱えると札を起点に蒼炎が男を覆う。

 ふと耳元でひゅん、と風を切る音がした。振り返ると桜内が余裕のない表情で両手を引いている。あの炎だけでは足りないと判断したのか、桜内も攻撃に加わっているようだ。


「心底哀れな連中……しかし、私は救ってみせる。その責任があるのだ」


 がちゃん、と。キャリーケースの錠が一人でに外れる。

 身体中の骨が軋む感覚──。

 キャリーケースが全開して未来視で視た死体が出てくる──その光景を、僕は認識することができなかった。そいつはあまりにも早く、僕の視界で捉えることができなかったのだ。それはきっと井宮も同じだろう。

 否──確実に同じだ。

 そうでなければ、キャリーケースが開いたと同時に彼が地面に倒れ伏せていることに説明がつかない。

 一瞬、風を切る音が聞こえる。


「桜内──」


 振り返ると。

 眼前には二つの赤眼があった。未来視で一度視たからか、そこまでの衝撃はない。……動揺はともかくとして。

 この死体のやや後方の足元では桜内が倒れていた。首元に手を当てて苦痛と困惑による呻き声をあげているが、それは生きている証拠だった。


「ああ……霊魂が泣いている」一向に手を出してこない死体を見続けるより、僕は男を振り返る。「心が傷まないというのか?」


 男を包んでいた蒼炎は次第に消えていき、桜内の糸も遂には散ってしまった。

 内部にびっしりと歪な模様が描かれたキャリーケースを閉じ、悠然と僕に向かって歩を進める。


「とりあえず話をしませんか」


 話が通じる相手とは思えないが、しかし時間稼ぎをするにはこれしかない。井宮と桜内が復活することを望みつつ、僕も僕でこの男を殺す方法を考えなければ。


「ん──」


 と、白瀬さんが呻く。

 目は瞑っているままだが、ふと足元を見ると井宮が貼った札が落ちていた。目覚めてしまうだろうか……この混沌とした状況をどう整理するのか気になるところではあるな。


「あなたが僕たちを殺そうとする理由は何ですか?」

「殺す? 冗談! 死ぬという、殺されるという選択をするのは貴方達の愚かさ故である! 何故解らぬ──そのようにして死者を拘束するなど……」


 男は確かに苛立っていた。自身の手で眼球に爪を立てる。潰れた右目に、そこから下降して頬につながる傷は瞬く間に元通りになっていた。

 再生……というより、逆再生されているような──。


「……要は僕が抱えているこの人が狙いってことですか?」


 白瀬さんは死者を運ぶ船となっているし……。いや……違うな。この人はさっき『この場にいる全員』と言っていた。桜内は別人格として死者を宿している。しかし──僕と井宮も宿しているというのか? この人は一体……。


「自らの大罪を忘却するというのか?」


 男は目を見開く。忘れているのではなく自覚できていないだけなのだから、あまりにも理不尽に感じる。……そもそも『大罪』だなんて誰が決めたんだよ。


「彼と彼女は武器として、人格として保有し、貴方達二人は『器』として生きている。私の眼を誤魔化すことなどできないぞ」


 狂気を孕んだ瞳の奥には至極色の魔術因子が闇の中の灯火の如く揺らめいていた。

 それを見てこいつは魔眼持ちだと理解する。

 眼を誤魔化すことができないということは、僕と同じで何かを視ることに長けた魔眼だろう。

 僕は白瀬さんを地べたに置いた。

 殺せたらラッキー。その程度の思いで僕は右ポケットからナイフを抜く。

 構える僕に躊躇うことなく男は近づいてくる。余裕か無関心か、その真意を読み取らせてはくれない鉄仮面のまま。

 その距離が一メートルを切ったところで、僕から踏み込んで彼の喉を目がけてナイフを突き出す。

 すると、男は自身の右手を喉の前に出す。右手は貫通できたのだがギリギリのところで喉には到達できなかった。


「私は『死』の選択を強要することはない」

「何を言って……」


 ──ぞくりと。背筋が凍りつく衝撃。

 全身を舐め回されたとも比喩できるそれに意識を奪われ僕の体は硬直した。

 直後、背後から白く死んだ手が伸びてくる。

 そっと僕の右手に触れたその時──刃が貫通する感覚に襲われた。

 不意のあまりナイフを手放してしまう。


「耐えられない痛みというのなら、他人に与えてはならんのだ」


 顔を上げると、男の傷はすでに塞がっていた。


「勝てねえな……」


 右手を押さえながら敗北を悟った。押さえる意味はない。傷が付いていなければ当然血が出ているわけでもないのだから。

 ただ、ひたすらに熱い。

 男はナイフを蹴り飛ばした。そのナイフを視線で追っている隙を見て、僕は彼の腹部に左手を押し当てる。

 早見さんの破壊の魔術を使う──魔力を循環させ、唱える直前だった。

 頭部に重い打撃が入る。それは止まることを知らず、僕が地面に顎を打ち付けてようやく落ち着いた。


 ──体が動かない。

 ──視界が暗くなる。


 薄れゆく意識の中で感じたものは、僕の背中に何者かが乗っているということだけだった。

 次に目が覚めた時には、僕も廃墟の少女の様になっていることだろう──。


 ×白瀬九織


 私は《それ》を狂気と名付けた。


 ×


 一年生の文化祭で私が藍歌くんの背景でしかなかったことを自覚して以来、私は彼を追うことをやめた。

 それは逃走と大差ない行為だったと思う。好かれたいという想いは確かなものだが、それ以上に嫌われたくなかったのだ。

 しかし、どうにも視界に入ってしまう。

 異様にして妙々たる存在感は私を苦しませるだけだった。

 二年生になっても同じクラスだと知った時には喜ぶべきなのか分からなかった。いっそ感情がなくなってしまえば、どんなに簡単なことだろう。

 そんな願望が叶うことはなかった。何故なら、私は新たな感情に苛まれたのだから。

 それは──嫉妬。

 彼の周囲には人が増えた。井宮奏斗くん、桜内桃春さん、可愛らしい後輩たち。彼女たちは私にできなかったことをやってのけた。

 彼の隣でただ笑う……それだけのことと思われても仕方ない。だが、私が嫉妬するには十分すぎた。

 その『嫉妬』を自覚した日の帰り道。

 私は人の形を真似ただけの異形と出会った。

 それはまるで初めからそこに存在していたようだった。死人のような肌に頭部の横長の切れ込みは不気味と以外に表現のしようがなかった。

 それを見て、私は思った。


 ──これは私だ。


 何故と問われてしまえば『なんとなく』と答える他ない。曖昧な理由ではあるが、答えには確信があった。

 異形を避けもせず私は足を進めた。やはり実態はなく、透き通った後で振り返るとそこに姿はなかった。

 既に幽霊を宿している私にとってこうした不思議に遭遇することは驚愕に値しない。せいぜい悩みの種が増えたと思うところだ。

 異形が私であることは直感的に断定できるとして、加えてそれが藍歌くんの周りにいる人たちへの嫉妬や初めて相手に向ける気持ちの数々を合わせた『狂気』であることも予想がついた。

 狂気は私の意思に関係なく姿を現す。学校中だろうがお構いなしだ。

 いつだったか──校内で藍歌くんと赤褐色頭の一年生が楽しげに話している光景を目の当たりにして狂気が現れた。


“くだらない嫉妬で苦しむくらいならその要因を排除したらいい”


 狂気の声は完全に私のものだった。


「やめてくれ。嫉妬なんてしてない」


 その一言で私の中に戻ってきてくれたのは本当によかった。この狂気が知らぬ間に飛び出していたらと思うと恐ろしい。

 ──それよりも恐れていたことが六月三十日に起きた。

 死者の感情に呑まれた私は完全に体の制御を失った。死に誘われたのだ。死んだ直後の光景はやはり《無》なのだろうか。色で言えば白か、黒か……どっちかな。私は幽霊になって彼を呪ったりするのかな。

 色々と予想していたところに彼は、藍歌姫乃くんは現れた。

 私を助けてくれた。

 再び縁が繋がった。

 これ以上ない喜びと、彼の変化に立ち会えなかったことの悔しさにまた狂気を膨らませるのだった。


 ×


 重い瞼を開けると、黒で身を固めた長身の男と灰色のコートを纏った女性がなにやら口論をしているようだった。

 会話自体は聞こえない。

 ……違う。

 聞こえているであろうけれど、それ以上に意識が女性の足元に向いてしまっている。

 藍歌くんが頭部を踏みつけられていた。それだけじゃない。桜内さんも、井宮くんだって地面に倒れている。

 状況整理をする必要はなく、目の前の光景だけで十分だった。

 そう──私の狂気を顕現させるには、この光景だけで十分すぎる。


「────」


 立ち上がると、敵と思われる二人は私に敵意で満ちた視線を送ってきた。三月に病死した彼女の視線に比べたらまるで『重み』がない。

 だから私は構わず彼らに狂気を向けた。

 状況も確認せず直感だけで相手にこの異形を向けるなど、やはり、私はどこか狂っていると自覚しながら──

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