第十一話 コッチヘ
七月四日
六階層大学。妻城市内でもっとも偏差値の高い国立大学。キャンパスは妻城市の中心付近にあり、大きさは燈明学園ほどだ。施設の充実さや都会ながら自然豊かなその環境は観光名所としても名を馳せている。景色の一部に一般人の見える燈明学園と言える程度の差異だ。妻城市内にいて六階層大学の存在を知らない者は当然いない。
昨日に僕が視た予測はたしかに六階層大学内の風景だった。そして彼らはコンビニに入る……はず。その可能性に賭け(賭けがすぎるかもしれないが)、僕たちはコンビニの向かいのベンチで十束康太を待ち構えていた。
「それにしても暑いね……」
隣のデニムパンツに黒シャツといった姿の白瀬さんは青い空を見上げてから髪を括った。
……彼女が大人しく隣に座ってくれていることには僕自身も疑問に思う。
『明日、六大に行こう』
『…………え?』
そう言った直後、白瀬さんは硬直した。どこか不思議そうな表情ではあったものの、『いいよ』と快諾してくれた。
『でも、どうして急に?』
普通快諾する前に聞くべきではなかろうか。
『今思い出したんだよ。僕の知り合い……美園綴って言うんだけど、その人が昔に交通事故で幼馴染を無くした男の子と友達だって言っててさ。その人は決まって土曜の午後に大学の敷地内のコンビニに行くらしい。名前は聞かなかったけど、十束康太の可能性があるんじゃないかなって』
『へえ。それは偶然だ』
『本当にね』
『………………』
その後に何一つ疑問をぶつけてこない白瀬さんには驚きを通り越して呆れてしまうほどだった。
冗談。
冷静に考えて、この嘘は見抜かれている。
何故彼女は何も訊いてこないのか。
この時間は彼女にとってどんな意味があるのか。
「曇りよりはいいが」
白瀬さんは髪を風になびかせて言う。
その横顔を見て、白瀬さんが自殺寸前だった時を思い出した。
「……そうだね」
なんでもない時間が過ぎる中、その心地よさの裏側に潜むどことない気持ち悪さに僕は嘆息する。
「去年、ここのオープンキャンパスにきたんだ」白瀬さんは突然そんなことを言う。「ここは本当にいい大学だ。入学できたらきっと毎日が楽しいだろうな」
「頭の良い人の特権だな」
道ゆく人の笑顔を見て僕は言った。
どの角度から誰を収めたとしても多少のロマンを感じるように思う。
比較するまでもないかもしれないが、死ぬ直前だった白瀬九織と今の白瀬九織とではやはり天と地の差がある。
ぼうと白瀬さんを見つめていると、襟元をばたつかせている彼女と目があった。熱気のせいか頬が赤くなっている。
「どうかした?」
「いや……生きてるなって思っただけさ」
「お陰様でね」
空を見上げ、心底心地よさそうな顔をする。
「この季節が好きなんだ。四季の中でも特に生きている実感が湧く。家に流れ込む風とか……」
「分かるよ」
本心で同意する。
しかし僕が一番好きなのは──
「君が好きなのは秋だったな」
「…………」
まずいな。……いや、まずいなんてことはないか。少し鬱念とする──言葉として正しいかどうかはわからないけど、とにかくそんな感じ。
僕は白瀬九織と関わった時の全てを思い出せているわけではない。だからこそ、今のように『何故彼女が知っているのか』と心に引っかかってしまう。
不快にも似たような感情だが、それは僕自身へと向けられるものだろう。僕が覚えてさえすれば済んだ話なのだから。
いつそんな雑談を交わしたのだろう。やはり宿泊研修のときか──?
そう考えたところで視界の端に二人の男女が入り込む。
いや、正確には二人以上がいたが、僕にはそれらが風景にしか見えなかった。
これと言った特色のない、まさに少し前までは高校生だったと感じさせる平凡さを纏う彼と、巻き髪の光り物ばかり身につけた彼女。
「白瀬さん。十束康太だ」
「どの人だい?」
「今コンビニに入って行く……」
「……顔、見たことあるんだ」
彼女がそう言う一秒前に、僕はこの質問が飛んでくることがわかった。
わかったからなんだって言うんだ。こんなの誤魔化しようもない。
『僕は嘘つきなんだ。黙ってついてきてくれ』
──なんて開き直ることができないのはどうしてだろう。
僕は何を躊躇っているんだ……?
しまいに無言で立ち上がる始末だった。
「ありがとう──」
純粋なお礼だった。
……今更驚くこともない。そのはずなのに──くそ……どうしてこうも彼女の言葉が耳から離れない。
僕は十束康太を追うように歩いたつもりだが、自然と白瀬九織から逃げるようになっていると自覚しているのだった。
×
二階のテラス席に座った十束康太ともう一人の女性に怪しまれぬよう、僕たちも一階で何点か物色して彼らの斜め後方の席に着いた。お互いに向き合って座っているので何をもって後方とするか、正確に言えば僕の左斜め後ろとなるのだが。
目の前の白瀬さんはすっかり雑誌を読んでいるフリをしているが、彼女の『中』では果たしてどんなことが起こっているのだろうか。
また負の感情に誘われているかもしれない。そもそも十束康太に出会うことは達成したってのに、一体いつまでそこに居るつもりだ──?
「それで、答えは?」
巻き髪の女性が言う。
お勉強の話……そんな雰囲気ではないだろう、きっと。
「言ったじゃん。なんだよ、後何回答えさせるつもりだよ」
「言ってないよ」
「いーや言ったね。ほら昨日のサークルの後……」
「分かった、認める。言ったよ。けどさ、康太お酒入ってたじゃん。カルーア。ほぼジュースなのにベロベロになっちゃって」
「出たな! カルーアをジュースとか言っちゃうやつ! アル中かよまったくたもう」
「とにかく、お酒の入った言葉はなし。バツです。綺麗じゃない」
「酒豪がよく言う……」
「はやく」
「……ああ、もう。好きだよ。好きだともさ、俺だって。これが答え。分かった? 今の俺シラフだからな」
「……ん。超普通の言葉だけど、許す」
「あのなあリコ。そっちの告白こそ──」
……地獄みたいな会話だった。
ただの学生らしい会話だが、それこそが矢戸静樹を知っている身としては地獄にしか思えない。
何一つ頭に入っていない雑誌から少し視線を上げると、白瀬さんが汗を頬に伝わせて遠い目をしていた。
「どう?」
「まだ居る……」
僕らは小さく、互いに目を合わせずに言う。
一人目の子どもとは違って厄介だな、矢戸静樹……。
そうか……まだ二人目なんだよな。まったく先が思いやられる状況だ。
「ね、康太。今から遠くに行かない?」
「……? 遠くって? 曖昧じゃないか」
「いいからさ。こう言う、正式にお付き合いした記念日には何か印象に残ることがしたいわけ」
「今からかー……まあ、いっか。よし! 曖昧な旅すっか! めっちゃ面倒だけど!」
「ふふ」
「…………なんだよ」
「大好きだよ」
「先週に聞いたって。……ッ!」
「どうしたの?」
「いや……ただの頭痛」
彼のそんなセリフを聞いて、僕は再び視線を上げる。
白瀬さんは静かに首を振った。矢戸静樹が何かしているのでは、と言う考えは杞憂だったらしい。
「……ねえ、私の親の職業、覚えてる?」
「? お父さんが記者でお母さんがライターだろ? インパクトあるから覚えてるぞ」
「そう。二人がそんな仕事してるから、知人もソッチ系の人たちが多くて。別に記者やライター目指してない私にまで仕事の話をしてくるような人もいるんだ。どんな仕事にも言えるけど、口が軽いって最悪だよね。守秘義務の意識はどこにあるんだっつの。
それで……その、康太の名前を聞いたの。とある高校生が酔っ払い運転に轢かれて亡くなった──事件現場に居合わせた他校の男子生徒が喉が潰れるまで叫び続けた……」
「────」
十束康太とリコとか言う人……二人してどんな顔をしているのだろう。振り返って顔を見たい衝動に駆られたが、そんなことをしようものなら二人の空間を破壊してしまい、会話が止まったり場所を変えられたりするかもしれない。
僕は背景に徹底する。
「……違う」明らかに声が暗くなる。「抱きかかえて喉が潰れるまで叫び続けた、が正確なところだよ」
「…………」
「学校帰りだけじゃない。自宅にも記者が来た。基本シカトしてやったけど、『加害者のことをどのように思っていますか』なんて質問には思わず『はあ?』って返しちまったよ。俺がいい人だったら『私のような被害者が減るように心がけていただきたい』って言えたんだろうな。でも、口にはしないが俺が思うことはたった一つだった。『殺してやりたい』……なんてな!」
声色の変化は戯けてみせるような動きを想像させた。
「別に俺が不幸だとは思わないよ。事故が起こらない日なんてない。日常の中に潜む、珍しくもない非日常を目の当たりにしただけ。それで幼馴染が死んだだけ。半身がもがれたような気分になっただけ。そうさ、本当に辛いのはあの時事故に遭った静樹なんだ」
「康太が時折見せる頭痛って……」
「その場の景色が昔の記憶と重なった時に起きる。心理的なものだな。病院には行ってないから自己診断だけど」
「じゃあ、つまり──」
強い風の音でその続きは聞こえない。
しかし、その続きは誰にでも想像できるし、なにより彼の答えがそれを決定づけた。
「いいや。過去形さ」
「……でも、康太」
「どっかに行くんだろ? 町でも村でもどこでも巡ろうぜ!」
「もう。気分屋なんだから。って、提案したのはこっちだったか」
取り繕った会話をした後に席を立つ音が聞こえる。
横目でテラスから出ていく彼らを捉え、少し遅れて席を立つ。
それから尾行となるのだが、当然のことながら彼らの会話は街の喧騒によってかき消されてしまう。
こうして十束康太を追うだけの時間が五分ほど続いた頃、白瀬さんが言った。
「二人ともいい人だ」
「そうだろうか」
飲酒運転で幼馴染を亡くしている十束康太は普通にお酒を飲んでいるし、リコとかいう女性は昔の古傷を掘り返す無神経さが目立つ。
白瀬さんにとってはどこからがいい人なのだろう。
「うん。二人とも本気で他人を想える人だよ。人を見る目には自信があるんだ」
「ふうん……」
十メートル以上離れた彼らを見る。
普通に向き合って、普通に話して、普通に笑っている。当たり前のことを当たり前にしているだけだと言うのに、どこか遠い人を見ているような感覚だ。
それはきっと、矢戸静樹という存在がここにあることを知っているから──。
「そうだ。矢戸静樹は?」
僕が訊ねると、白瀬さんはやや俯いてしまう。目はどこを見ているわけでもなく、きっと己の心の中に向けられたものだろう。
十秒ほどして顔を上げると、「はあ……」と倦怠感に溢れたため息を吐いた。
「居る。居るんだけど……驚くほどに落ち着いている。いや──不気味と言うべきかも」
たしかに不気味だ。
僕が彼女の死に同情しなかっただけで怒りを露わにしていたと言うのに、十束康太の今を見てもなお落ち着いているとは。
なにか良くないことでも考えていそうだ。
「藍歌くん。もし私がおかしな行動をしたら──」
「分かってる。最悪なことにはならないようにするさ」
「……ありがとう」
笑って礼を言う彼女の瞳には、たしかな信頼が見えるようだった。
×
十束康太とリコさんは本気で『どこか遠く』というあまりにも抽象的な場所に本気で向かうらしく、妻城駅の改札を通った後にジャンケンでどの方面へ向かうのかを決めていた。
未だに矢戸静樹が白瀬さんの中に住み着いているままだから、僕たちも彼らの行く場所に着いていかなくてはならない。
「地獄かな……?」
ベンチに座り、楽しげな雰囲気でホームに並んでいる彼らを見る。
直接コンタクトを取ってみないとダメなのだろうか。畠山栄太が大人しく消えてくれたのは宿主である白瀬さんが直接目を合わすなどの接触を果たしたから──?
いや、そもそも矢戸静樹の望みは『十束康太に会う』だけだったはず。白瀬九織という体を通してその目的は果たしたといえるんじゃないのか?
「矢戸さんが話をしてくれればここまでしなくても済むんだけどね」
白瀬さんが頭を押さえて言う。この人もこの人で疲れていそうだ。だのにこれから先の見えない旅をすると言うのだから、さらに憂鬱になることだろうな。
「けど、少し楽しみではある」
「へえ。ポジティブだ」
「そうじゃないよ。あまり電車には乗ったことがなくてね。家族と出かける時も基本車だから。単純に高揚しているのさ」
白瀬さんは満面の喜色を僕に向ける。
僕はなにも答えない。
応えない。
彼女の漆黒の瞳からは目を離さず、しかしそれからどう対応すればいいのかもわからない。
理想に対する好奇心というのは、一体どれほどまで──
「──ッ!」
白瀬さんが突然胸を押さえて苦しそうにする。
うまく息が出来ていないようだった。全身に汗をかいている彼女に手を伸ばしたところで、彼女は「は──」と次第に呼吸を整える。
「白瀬さん──?」
「出て行った……! 矢戸さん、何を……」
顔を上げ、白瀬さんは視線を向けた先に何を見たのか、唖然として硬直した。
彼女の視線を辿ると、その硬直の理由が分かった。
十束康太とリコさんの前、線路の上。
顎から上の無い少女が立っていた。
制服姿で、下から彼を──十束康太を見上げている。
異質な存在であるのに、当たり前のようにそこにいた。
多くの人で賑わうこの空間で彼女に気付いているものはいない。僕と白瀬さん、そして……十束康太を除いて。
彼は確実に彼女を見ていた。リコさんが隣で話しかけてきていると言うのに心ここに在らずといった感じ。
それもそうだ。
彼の心は今、矢戸静樹に釘付けになっているのだから。
《────》
僕は矢戸静樹が何かを言ったと思った。
すると、彼女はゆっくりと両手を広げる。
こっちに来い。
そう言わんばかりの行動。
電車が減速しながらもやってくる。
「 」
十束康太は何かを言って、足を進める。
「なッ──」
白瀬さんがその様子を見て即座に立ち上がり駆け出そうとする。
そんな彼女の右手を掴み、僕は静止を促した。
「藍歌くん、なにを……」
「矢戸静樹の邪魔をすれば彼女はまた君の中に戻ってくるかもしれない」
僕は早口で、そして簡潔に言った。
そう。今の時点で白瀬九織の問題は解決している。
ここで矢戸静樹を変に刺激することは振り出しに戻るだけだ。たとえ十束康太が死ぬことになったとしても、それだけは避けなくてはならない。
「でも」
「自己犠牲って、そんなにロマンチックかよ」
白瀬さんは虚をつかれたように息を呑んだ。
電車が僕らの横を通過したところで白瀬さんの抵抗はなくなった。
気の抜けたように振り返り、彼らを見る白瀬さん。きっと見送るような目をしているのではなかろうか。
十束康太の周りの人は全員が首を斜め下に向けスマホを見つめている。
彼があと一歩で線路に落ちると言うタイミングで──
「康太!」
リコさんが自身のスマホを投げ、半身が線路へと出ていた十束康太の腕を掴んで引く。
二人して尻餅をつき、そこでようやく周囲の視線が集まった。
十束康太は何が起こったのか分かっていないように混乱しているようだ。
リコさんはそんな彼よりも先に立ち上がり手を差し伸べる。
「あ、ありがとう」
彼の礼に何も答えずリコさんは手を引いて足早にエスカレーターへ向かう。
僕はリコさんの画面が破れたスマホを手にしてから彼らに着いていく。白瀬さんもやや遅れてついてきた。自分の気持ちに整理がついていないのは十束康太も白瀬九織も同じのようだ。
下に降り、比較的人の少ないエレベーターの前で彼らは足を止めた。
僕と白瀬さんは柱の影からその様子を見る。
「康太、矛盾してる。飲酒運転で幼馴染をなくしたのに飲み会は絶対に断らない。乗り越えようと──忘れようとしてるからこその行動なんでしょ? でも、頭痛の方は治そうともしない。それは忘れたくないから」
「……、……」
「割り切らないと苦しいだけだよ……。中途半端なことして康太がもがく姿なんて、きっと矢戸さんも見たくないはずだよ!」
声を震わせるリコさん。
「忘れないでいいと思う。忘れないで、乗り切って、それでもきっと苦しいよね……でも、だからって彼女の後を追うようなことはしちゃダメだよ……そんなこと、矢戸さんは望んでない」
「そうだよな……あいつだって、こんな俺は嫌いになるはずだ」
「どうしようもない時は私を頼って。きっと、乗り越えられるよ、二人なら」
二人して合わせる笑顔がものすごく安っぽいものに見えた。
死者の気持ちを勝手に決めつけては勝手に納得している。
「ありがとう、リコ」
互いに自己満足の笑みを合わせた後、二人は再びエスカレーターでホームに向かおうとした。
そこで僕はかけていく。
「あの、スマホ。落としましたよ」
「あ! ごめんなさい。ありがとうございます」
リコさんはよく見ると瞳が潤んでいた。
これが本気で人を想える人の目か。どうやら死者までは想えないらしいけれど。
「スマホ代、弁償するよ」
「いいよ。たかが電子機器」
そんな会話をして上がっていく彼らを見届け、振り返ると。
心臓が止まるかと思った。
矢戸静樹が僕の眼前に居た。
《キレイゴトヲ──》
はっきりと頭の中に響く声。
それは、彼らに向けられた言葉。
柱の側にいる白瀬さんも絶句していた。
顎から上がないにもかかわらず、彼女は鬼の形相をしているような気がする。
あはは、と。
エスカレーターの頂上に着いた彼らの笑い声と共に矢戸静樹が黒いモヤとなり消える。
表だけを知れば綺麗な物語。
裏を見れば気持ち悪さが残る物語。
二つで一つのお話は完結した。




