第十話 見方
十束康太の通っていた高校は澄田高校で、彼はその近くのアパートを借りて一人暮らしをしていたらしい。
らしいと付く理由は、矢戸静樹は死んでから十束康太を観測することができなかったから──この文書にすら『らしい』がついてしまうのでキリがない話だ。
とにかく、その澄田高校まではバスできた。ここらは地下鉄も電車も通っていなく、住宅街のど真ん中に位置する。
「こっちだ」
言われるがまま、僕は白瀬さんの半歩背後を歩く。
辺りが次第に暗くなっていき、やがて僅かな街灯が頼りとなった頃、オレンジ色の外壁をした三階建てのアパートが見えたところで白瀬さんは足を止めた。
「あそこの一〇一号室らしい」
「ふうん……」
会話の直後、僕たちは橋の上で足を止めた。
「まあ……インターホン鳴らしてみるしかねえよな……」
畠山さんの時と同様ならば、十束康太を一目見れたら白瀬さんの中から出て行くはずだ。力技でいけばなんとかなる。
僕が歩み出すと、今度は白瀬さんが半歩背後を歩く番だった。
「大丈夫だろうか……」
一人呟く彼女に僕は言う。
「矢戸静樹が暴れるかもって?」
「いや、どうだろう。私の考え過ぎかもしれないが──」
杞憂に終わるといい。小さく言うと、白瀬さんは不安を噛み殺したような、決意の固まった表情へと変わる。
部活の時にはこんな顔をするんだろうな、と僕は勝手に思った。
僕を追い越し、彼女は堂々とインターホンを鳴らす。
が、風が肌を撫で髪を揺らすだけ。それ以外に世界は反応を示さなかった。
「悲しくなっちゃうよ、まったく」
冗談っぽく笑って肩を揺らす白瀬さん。
「そうだな。気力を出したってのに空回りとなると……」
僕は言って辺りを見回した。
人影一つ見当たらない。七時を回った家にいないとは──と思ったが、大学生ならばその程度が普通か。順風満帆な生活を送っていることだろうな。
「どうしたもんか。……十束康太の通う大学は分からないんだよね」
「うん。矢戸さんが亡くなってから──その先の情報はない。彼女の時間は止まってしまった。……表札に十束さんの名前がないから、もしかするとそもそもこの家には住んでなかったりするかもしれない」
「はあ……」
ため息を吐いたところで彼の進学先は分からない。
何十キロと離れた場所への進学を目指すくらいだから、きっと『ここが一番近いから』といった理由で大学を選ぶ真似はしないだろう。……そう考えると妻城市を離れてる可能性だってあるわけだが。
さあ、僕の小さな脳みそで考えられることは考えた。それでも答えは見つからない。
こういう時のための未来視だろ? そうともさ。
自問自答の後に僕は彼女との会話を思い出す。
ほんの少し前の他愛もない時間の一欠片だった。
→六月二十七日
「奇遇じゃないか」
暇を持て余していた僕はわざわざ一キロ近く離れたコンビニへと向かっていた。その道中に早見さんに遭遇した。相変わらずのジャージ姿。
僕は驚かなかった。というのも、既に早見愛海と会話をする未来は二十三日に予測されていたからだ。
「どうしてここに?」
予測していたとはいえ、どうしてこの人がここにいるのかは分からなかった。
「軽い暇つぶしのようなものさ」
「ふうん……」
当たり障りのない回答だ。あの山奥からわざわざ降りてくるとはよっぽど暇なのだろう。
しかし、燈明学園の敷地にはほどほどに退屈を凌げる施設があったと思うのだが……。
「その格好でどんな退屈凌ぎを?」
「……『その格好で』?」
あれ。
なんだか怒ってる。
「あぁ、噂ではこの世界に居るらしいじゃないか。服に己の価値を引き上げてもらう人間が……ふん。まったく哀れだ。容姿に自信のない奴が容姿を気にして何になるっていうんだい?」
「…………」
ガチギレだった。正直何にキレているのかさっぱりわからない。ジャージしか着ないことに恥ずかしさがあるのなら服を買えばいいだけだろうに。
「そうさ……この世界はジャージかスーツがあれば完成するんだ……!」
「君は少数派だよ」
僕も服装にそこまで気を使う方ではないのだが、しかし早見さんのようにジャージで外を歩くことには抵抗を覚える。
「せっかく山を降りてきたなら服を買えばいいじゃないか」
「……、……」
黙り込む早見さんを見て察しがついた。この人は服に関しては無知のようだ。
意外と常識が欠落してるんだなあ。……いや、そもそも早見さんは他人に自分の血を飲ませるような人だ、意外もなにもない。
「誰かに服について聞いたりとかは?」
「喧嘩売ってるのかい?」
「……? あ、そうか。君も友達いないんだった」
クラスで覚えのある人間は二、三人だったか。僕が馬鹿にできた話ではないが、しかし早見さんよりは知人が多い正体不明の自信がある。
だからなんだって話だが。
「訊けるような友は死んだからね」
早見さんは自虐的に言った。
正直「マジか」と声にしたいところだった。
片瀬由奈──早見愛海と井宮奏斗の友人であり……そして故人。両目を失ってから己の頸に鋏を突き刺した彼女の死は記憶に新しい。
迂闊に口に出せるものではないと思っていた。僕自身は悲しんでいないとしても、早見さんは違うと思っていたからだ。
まさか……早見さんは既に乗り越えたと言うのか? 彼女の死を──。
「……なんて。冗談さ。由奈はどこかで生き続ける。私に認識できる範囲の外だろうと、その事実があればいい」
それこそ冗談に聞こえる。
この人は目に見えない可能性に縋るような人ではない……この物言いはどうにも不気味だ。違和感を覚えてしまう。
早見さんは既に壊れてしまったのだろうか。壊れていないとしても、冗談で正気を保つことが正常だとは思えない……少なくとも僕には。
早見愛海は僕を大抵の奴らには殺されないように鍛えてくれた。折りたたみナイフだって強化を施してくれたし……血を飲ませたことだって、結果からすれば良い影響があったわけだからとにかく恩がある。
このままさよならをしたら後悔しそうな気がした。
それに、以前未来を視た時はこの場所での会話ではなかったような──
「あんたが服を選んでくれたっていいんだけど?」
涼しげな表情が悪戯に小さく歪む。
「そりゃちょうどいい」
「……?」
「いいよ、妻城駅にでも行こう」
「ふん……随分と素直じゃないか。気持ち悪い」
随分な言われようだが、勝手に気遣って勝手に傷付くような自分勝手な真似はしない。そんなの当たり屋もいいところだ。
「まあいい。それじゃあ行こう」そして彼女は薄く口角を歪める。「人殺し同士、人殺しでない連中に紛れて買い物に」
「…………」
もしかすると笑うべきところだったのだろうが、僕に笑うスキルがあったところで笑えなかったかもしれない。
少し面倒な雰囲気だな。そう思っていたのだが、いざ妻城駅に着いたとなれば僕たちは普通の会話をしていた。どこからが普通でどこからが普通でないのかその辺りの定義はともかくとして、とにかく僕は僕らしく、早見さんは早見さんらしくあった。
服屋にいざ着いたとなれば、早見さんは本気で僕に選ばせるつもりのようで、腕を組んだまま僕の後ろについてくるだけだった。さすがに「ごめんやっぱ無理」と逃げられる状況ではない。
僕なりに服を選んで早見さんに重ねてみるが……
「……わかんね」
結論は早かった。
「情けない」
「お互い様だ」
なんて早見さんに返すことすら情けないのだろうな。
そうとは自覚しつつも、僕は若い女性店員を捕まえて「彼女のコーディネートをお願いしたいのですが」とさらに情けない行動に出るのだった。
店員さんはステキな営業スマイルで対応してくれた。
「こちらはいかがでしょう」
選んでもらった服を早見さんが試着室で着る。カーテンを開けるとカジュアル系の服装の早見さんが立っていた。
「…………?」
「…………?」
いかがでしょうと問われる早見さんと僕は困惑したままでいた。
それが仕事魂に火をつけたのか、店員さんは次々に服を用意した。
「こちらはメンズライク系となっております! そちらがお気に召さないようでしたらこちらのナチュラル系を──!」
なんか頑張ってるなぁ。感心まではいかないけれど見習うべきだとは思う。
そしてかれこれ三十分弱。
「……わかんない」
早見さんは姿見に移る自分を見て首を傾げるばかりだった。
そんな彼女に僕は同意し、店員さんはとうとう微苦笑へと変わっていた。
「財布に余裕があるなら全部買えば? 似合ってないものはなかったわけだし」
「……、……そうかい」
少し気になる間があったものの、結局早見さんは店員さんに用意してもらった服を全て購入した。
店側としては喜ぶべきことのはずなのだけど、店員さんは悲しそうな苦しそうな……なんとも言えない顔をしていた。
仕事熱心が故に売上だけでは心が動かないというのは間違いなく欠点だな。
「はい、これ」
会計を済ませた早見さんは二つの大きな紙袋を僕に差し出す。
「持ってくれと?」
「それ以外に意味を見出すことができるなら聞きたいね」
「まったく素直じゃない……」
僕は袋を手に取って肩を竦めた。
一体どこまで持たなければならないのだろうと考えてすぐ、早見さんは「寄って行くかい?」とオープンな喫茶店を親指で指す。
「ああ……ここか」僕の未来視が映していた景色はここだった。「構わないよ」
早見さんの背中について小洒落た店内に入る。ガラガラの店内を歩き、奥──窓際の席に案内された。六階から見渡す都会の景色には退屈しない。
早見さんはカフェモカを、僕はソーダフロートを注文した。
「『未来に逆らうと不幸になる』……」
早見さんは突然巳文字さんの言葉を口にした。
「気にしているのかい?」
「まさか。あんな負け惜しみ……」
「ふうん。あんたほどの人間なら気にしていないのなら忘れていると思った」
「………………」
僕は巳文字烈子の言葉だと聞いた瞬間に分かった。
分かってしまった。
無意識のうちに死者に囚われてしまっている──。
「死んだ人間のことが頭から離れないってのは不愉快だね」
早見さんは僕の瞳の中に映る自分を見ているようだった。
少し意味ありげなセリフを彼女が吐いたところでそれぞれの飲み物が届く。
「由奈はこういう所から飛びたがっていたのかもしれない」
「自殺願望──ってこと?」
窓の向こう側を見ながら曖昧に早見さんは頷く。
自殺願望。それは決して無縁と切り離し切ることができないワードではある。僕だけでなく、彼女もだ。
片瀬由奈の死顔を思い出す。何かしらのしがらみから解放されたように澄み切った笑顔。
己の頸に鋏を刺して尚あの顔ができるというのなら、たしかに自殺願望があっても納得できる。
「そう思うことによってあいつの死の理不尽さを解消したいだけなのかもしれないね」
「合理化ってやつか」
「情けないだろう?」
「別に。僕は片瀬由奈の死の直後を見たんだけどさ、あれはたしかに満ち足りていたぜ」
慰めるために言ったわけではない。早見さんは珍しくも目を丸くしていたが、それが僕が気を遣ったと勘違いしたからなのか、片瀬由奈が本当に死に満足していたと知ったからなのかは分からなかった。
──『本当に』と付けるとは少し図に乗りすぎか。死に顔一つで自殺志願の有無を決めるなどナンセンスだ。
「そうさ──だからこそ僕は片瀬由奈と話したかった」
君にとって死ぬことは何を意味するんだ?
今から死ぬけどどんな気分なんだ?
もう死んだけど後悔はないのか?
他に選択肢はなかったのか?
なんて気持ちの悪い質問をしようとしている僕に呆れてしまう。
「あいつの死を惜しんでくれてありがとう」
早見愛海にしては素直過ぎる言葉だ。彼女自身それを自覚したからか、彼女がカフェモカを口に運ぶ仕草にはほんの焦りが見えた。
「あいつが満たされた理由もまあ謎だけど……桃春が私を止めにきた理由も謎だね」
「……そんなこともあったな」
肋骨がわずかに疼く。
あの時は状況が状況だったものだから深く考えはしなかったが、今思うと桜内が早見さんにボロ負けしていたのは意外だ。
少しだけ二人の戦闘を見てみたかった気もする。
「いや、正確には『理由の理由』か。どうしてあいつが『殺すだけでは解決しないかもしれない』だなんて言い始めたのか……感情以外で行動するなんてあいつには似合わない」
「同意見だけどね」
元から桜内自身にあった考えではない。東条色奈の影響によって桜内は『殺す前に考える』ということ選択することができた。
あいつは変わった。
変化したんだ。
「有能だから殺さないなんて差別もいいところだね」
「…………」
早見さんと東条さんは相性が悪そうだな。
しかし、はたして早見さんと東条さんとではどちらが正しいのだろう。
殺した後の不利益を考える。
差別せず平等に殺す。
双方納得できる言い分ではある。この場合は『時と場合による』ってやつか……。
──今の僕はどっちなんだ?
世のために殺さないのか、そんな差別はしないのか。
「あんたの前だとどうも口が軽くなるね」
明るめなトーンの声をした早見さんが僕の思考を中断させる。
「私も堕ちたものだ」
「ひどいな。無意識ですら僕と話したいって好意の表れだろうに」
僕はいつぞやの早見さんのセリフを言う。
は、と早見さんは笑った。
「なんにせよ、いい気分転換になったよ」
「……ふうん」
軽い暇つぶしと気分転換とではどうもニュアンスが違うように思うが、いちいち指摘することでもあるまい。
「礼に一つ、あんたの眼について話してやろうか」
「え?」
「あんたの未来視の状態は無意識に視ることがほとんどで、そこに若干の意思を紛れ込ませることができる……だったね」
「うん」
「もう少し視やすくする方法が見つかった。『過程』の差異なんだ、問題は」
←
『一つの答え──例えば私、早見愛海がとある殺人鬼に殺されたと設定する』
『穏やかじゃないね』
『黙って聞きなよ。そしてそこに口だけ男の心儀心火がやって来た。殺人鬼逮捕の為未来視を貸してほしい、と。そこであんたは殺人鬼逮捕に協力するために未来視に情報を流し込む。ここでの過程は心儀心火の捜査に協力するためだ。そして結果として殺人鬼の居場所を見つけることができる。
しかし、過程の作り方は他にもある。例えばあんた自身が私の敵討ちのために殺人鬼を探すことだ。この場合だって行き着く結果は同じだろう? そう、殺人鬼を見つけることだ』
目的は変わらず、それに至るまでの過程を再考する。それはなるほど、たしかに今までに試したことのない手段ではあった。
今僕たちは『矢戸静樹の無念を晴らすために十束康太の行方を追う』としている。だから一向に十束康太に関わる未来を視ないのだとすれば──
「…………」
僕は扉の前で意気消沈する白瀬さんに目をやる。
彼女のためではなく、
彼女のためだとしたら?
白瀬九織から矢戸静樹を祓うために十束康太の行方を追う。
──そう設定した途端、視界が分裂する。
現在と未来。
異なる時間。
大学生らしい風貌をした男女が二人、緑豊かな道を歩いている。その二人の背景には老若男女さまざまな人たちが見える。傍には数々の建物があり、それが教育施設だということは一目瞭然だ。
遠くには背の高い建物も顔を覗かせており、ここが街中であることが分かる。
談笑しつつも携帯を握りしめたままの女性の携帯画面には七月四日土曜日十四時二十三分と表示されている。
二人は心底楽しそうな笑顔を作りながらコンビニに入って行った。
ここが大学の敷地内だとすると……うん、もう選択肢はひとつ限りだな。
「藍歌くん?」
「……!」
ふと僕の顔を覗き込むようにしていた白瀬さんに意識を戻される。未来が途切れてしまったが、あれ以上に得られる情報もないだろうし、十分と言えば十分だ。
「なあ、白瀬さん。緑があって敷地が広くて街の中にある大学ってどこ?」
「……なぞなぞ……?」
「違う……」
なんでこの流れで僕がなぞなぞを出題したと思ったんだこの人……まあ僕も言葉足らずではあるが。
「妻城市だと六階層大学くらいじゃないかな?」
「だよね」
白瀬さんに確認するまでもなく、僕の未来視で見たものは六階層大学だ。
「明日、六大に行こう」
「…………え?」




