第七話 掌握
比較的大きい病院だが、セキュリティに関してはそこまでではない鉢木病院。時間内では面会は誰もが自由に行える。それが病院としてスタンダードなのかは分からないけれど、個人的には不用心と思ってしまう。
「すみません。畠山菊子さんに面会をしたいのですが」
「──はい。ご家族ですか?」
「ええ、まあ……そんなところです。姉弟でお見舞いにと思いまして」
僕は受付のお姉さんに花束を見せつけて言う。
「それはそれは。もうしばらく誰も来なくって」
よくそんなこと覚えてるなぁと感心。病室を教えてもらい、僕と白瀬さんは堂々院内を歩く。
「畠山さんがまだ入院中なのも驚いたが、ここまで簡単に侵入できるとも思わなかった……」
白瀬さんは平静を装っているようだが、その表情にはたしかな緊張があった。
「実際ただ見るだけなんだ。これくらい、もしも関係者じゃないことがバレたって大事にはならないよ」
知らんけど、とは口に出さない。
畠山菊子の病室に一応ノックをしてから入る。
「あら」
やつれた姿の老婆は笑顔で僕らを迎えた。
「お薬の時間? 早いのねぇ。歳をとるとどうにも時間の感覚が」
僕と白瀬さんは顔を見合わせた。そしてすぐに察し、こう言ってはアレだが『好都合』だと思った。
「花を持ってきたんですよ、畠山さん」
僕は窓際のテレビの横に花を置く。
白瀬さんはベッドよこのパイプ椅子に腰をかけ、畠山さんの顔をまじまじと見つめ始めた。
……僕らにまるで不信感を抱いていない。それにさっきの発言──きっと、この人は認知症だろう。もし違うにしろ、脳に何かしらの問題が起こっているのは確かだ。
本当に好都合でしかない。
「ところで、ご飯はまだ? そろそろ雨が降りそうよ」
「落ち着いてください。私たちは……」
「そうね。このままでは迷子になってしまう」
畠山さんはそれから文章として成立しない言葉を羅列し続けた。いくら好都合とはいえ、こうした人のそばに居続けると言うのは決して面白くない。目を合わせることすら億劫だ。
そう思うのは僕だけのようで、白瀬さんは畠山さんから目を離すことはなかった。
十分くらい経っただろうか。
「だから、私はこれからも季節の形を変えて……」
饒舌だった畠山さんが突然口を閉じる。何を考えているのか分からなかった表情が人間味を帯びてきて、しまいには驚愕を表した。
震える手で白瀬さんの顔に手を伸ばす。
ぴたりと彼女の頬に触れると、畠山さんは一筋の涙を流した。
「栄太、久しぶりねぇ……こんなに怪我しちゃって。……寂しかったのよ? 誰も来なくなっちゃって」
白瀬さんがそっと顔を引いた後も畠山さんがその手を動かすことはなかった。そして見えない何かに向かって語りかけている。
憐れむような視線を送る白瀬さんが席を立つ。
どうやら済んだようだ。畠山栄太は最期のお見舞いを果たした。
僕たちは何も言わずに、一人で話し続ける畠山さんを残して病室を後にする。
病院を出るまで沈黙は続いた。
「居なくなったよ」
そりゃそうだろうな。あの空気でまだ居るとなったら衝撃だ。
「正しかったのかな」
問われてはいないが、独り言のようにも思えなかったので僕は言った。
「君が背負うことじゃないのは確実だ。第一、他にどうしようもなかっただろ」
仮に正しくなかったとしてもこの人の責任ではない。
光野さんは必要以上に責任を感じないよう言っていたけれど、本当にその通り。僕としてはこの人に責任なんてまるでないと思っていた。
鍵が空いていたから不法侵入していたとして、それは鍵をかけていなかった人が責められる事柄なのか? そんなわけがない。人の心に勝手に住み込み被害者面など迷惑千万。嫌なら出て行けとしか思えない。
……『背負うなよ』だったか、彼女の言葉は。
「君は本当に気持ちのいい性格をしている」
文字通り気持ちよさそうに──清々しそうに体を伸ばした白瀬さん。
「僕も嫌いな人に嫌いと言えるこの性格は気に入っている」
「そうだな。そして好きな人には好きと言える」
「────」
なんて都合のいい解釈だ、と僕は呆れそうになった。
──その反面、僕はどこか新鮮な気持ちになっていた。何がどう新鮮なのかは曖昧だが、とにかく長らく感じたことがなかったコレを言葉にするには難しすぎる。
好き──か。そんななんの飾り気もない直接的なこと、言ったことがあったっけか。みちるあたりには言ったか……? 他の人には言ってないか? 忘れているだけのような気もする。
「藍歌くん」
真横を歩く白瀬さんに意識を戻される。
「とりあえず今日はこれで終わりにしよう。色々と掴めたよ」
「掴めた?」
「──向き合い方とか、ね」
「……なるほど」
死者やその感情に向き合い、それでも己を見失ったりしないというのなら、欄干の上に立つというような蛮行をすることもなさそうだ。
「それで……これからどうしようか」
「帰る」
それ以外にないだろう。
僕のあまりにも完結した答えに白瀬さんは「そっか」と言った。
特に話すこともなく、街の喧騒に呑まれるだけであったが、決して不愉快な時間ではなかった。
……なんとなく──いや、これも好奇心か。僕はちらりと白瀬さんに視線を送った。
彼女は泣いていた。
いや、少し大袈裟な表現だろうか。貼り付けたような微笑のままで一筋の涙を流していた。涙が一滴垂れると、白瀬さんはその存在に気づいて人差し指で拭った。それからも流れ続けるなんてことはなかったが、それは確かな不安要素になった。
「……家まで送ろうか」
「──え? いや……」
白瀬さんは言いかけてから首を振り、改めて微笑んでみせる。
「うん。お願い。少し怖いから」
昨日には見られなかった素直さがあった。
いくらか幼さが目立つ笑顔へと変わり、それは学校でのイメージからかけはなれたものだった。
×
「ここだよ」
僕の家から三キロは離れたところにあるマンション。……中々に高級な外観をしている。建物の高さと敷地の豪華さには思わず唖然としてしまった。外から少しだけ観測できるガラス張りのエントランスからは当然のことながら僕のアパートと家賃の桁が……
「藍歌くん?」
「あ、はい」
「どうしたんだい? ぼうっとして」
「……死にやすそうな建物だと思ってさ」
「君らしい感想だな」
さすがに呆れたように笑う白瀬さん。
「……寄っていくかい?」
「いや、いいよ」
たしかに高級マンションに踏み入って見たい気持ちはなくもないが、下心があってこの人を送り届けたと勘違いされるのは嫌だ。
それに、この人はもう休むべきだ。
……なんて話を抜いたとしても、同学年の異性の家に上がり込むのは少し抵抗がある。桜内やみちるの家の場合は全然そんなことはないのだけれど。
「そっか……。二人目はいつにしようか」
「僕は基本暇だから君の都合に合わせていいよ」
「じゃあ明日にしよう」
「分かった」
味気ないやりとりで終え、僕は歩き始める。地下鉄を使ってもいいけど、それだとわざわざ妻城駅の方へ行って乗り換えることになり遠回りだ……三キロ歩くか。
距離なんて意識しなかったらいくらでも歩けるのに、『三キロ』と認識した途端に面倒くさく感じるのは何故だろう。いい加減自転車に甘えるのも手かもしれない。みちるは僕に自転車は似合わないなどと言っていたが、そもそも自転車に似合う似合わないなんてあるのか? 車をファッションの一部とするなら分からなくもないが、自転車……自転車だぞ?
明日白瀬さんにも聞いてみようかな。なんてことを考えていたところに着信が入る。
「おっはー、姫乃」
みちるからの電話だった。
「もうすぐこんばんはだぞ」
「なんでもいいよ。あたしの目が覚めた時がおはようなの。そんでもって眠くなったらこんばんは」
「なるほどな。それで、なんの用だ? 本か?」
「違う。さっき起きたら蔓が居なくってさー。出張なんだって。『ち』から始まって『ば』で終わるところ」
「千葉しかねえじゃん。ふぅん……遠いな」
「一人でご飯つまらないから家来て!」
「ええ……」
もう日が落ちかけている。ここから央語舞邸へいくのは超絶面倒だ。明日も学校だし、やはり白瀬さんが死んだ光景を見たのは未来視のせいだったようで眠気も溜まってきている。早急に帰って寝たいところだが……
「ぱぱも帰ってこないしさあ。つまらんつまらん」
「…………」
まあ、学校なんてどうでもいいか。大学受験に成績なんて関係ないんだし。進級には関わるけど……さすがにまだ余裕があるはずだ。多分。
「分かった、行くよ。行ってやるともさ。なんか買ってくか?」
「んや、お寿司取ったから……あ! 板チョコ買ってきて! たしか切れてたはず!」
「了解」
通話終了。
一日の密度が濃さを増す。
×
「姫乃って将来何になるの?」
「……………………」
こいつもか、と僕は寿司を持つ割り箸を止めた。
──みちるの部屋は案の定汚れており、軽く掃除をしてからクローゼットに眠っているちゃぶ台を出し、そこに特上握り二人前を置いたところで夕食は始まった。
最初は僕が今日のことをペラペラと語っていたのだが、そこにいきなりみちるが割り込んできたかたちだ。
手でイクラを頬張りながら真っ直ぐに僕を見る。
純粋な目。純粋な疑問。
「白瀬さんにも似たようなこと言われたよ。まったく……どいつもこいつも教師みたいなこと言いやがって」
「あははっ。本当に姫乃は教師が嫌いだよね。なんでなの? あ、うん分かった。自分に甘く他人に厳しいからだ」
「そうさ」
僕は答えてからサーモンを口に入れる。
「でもさ、そんなの人間の性みたいなもんじゃん? 自分最優先って意識を取り除いたら人間なんて呼べないよ」
「じゃあなんて呼ぶんだ?」
「虫。それか虫ケラ」
大差ねえじゃん。
しかしそういうのなら、みちるにとって白瀬さんは虫なのだろうか。たしかにこの二人を同じ空間に置いたとして、穏やかな空気が流れるのは想像し難い。
「九織ちゃんだっけ? その娘は違うよ」
咀嚼を続けながらみちるは僕の頭を覗いた。
「自分優先と他人優先という意識の分散が空白を生んでるんでしょ? それもまた人間らしいじゃない」どこか馬鹿にしたニュアンスで言う。「あたしは好きだな。意地悪したくなる感じ」
紛れもない本心だと分かるからこそ呆れてしまう。心を包み隠さず曝け出すことのできる人を羨ましいといえばそれは間違っていないのだが、残虐心までも漏らしてしまうとなれば話は変わる。
良くも悪くも、央語舞みちるは良いストッパーになる。
「意地悪って、どんな?」
白瀬九織がある程度完全無欠なのは理解しているはずだ。みちるに理解できないことなんてないのだから。それでいて『意地悪をする』となれば、一体どんなことなのだろうと僕は興味が湧いた。
これもまた好奇心か。
「んー……まず九織ちゃんと九織ちゃんの大切な人を拘束するでしょ?」
「いきなり飛ばすな」
抑止の意味合いで言った。推理小説を好むこいつがこれからどれほどにグロテスクな事を言おうとしているのかは想像に容易い。
「なんてのは冗談。たださ、自分と他人という究極の二択、そのどちらかを選ばなければならない状況があったとして、九織ちゃんはどうするのかってのは気にならない?」
「いや、それは答えが出てるじゃないか。生死に関わることは白瀬さんは自分を優先する。彼女はまだ死にたくないから僕に助けを求めたんだ」
「なら方向を変えよ! 他人と他人の究極の二択!」
「それは……」
それは気になるところではある。どうにかしなければ生死に関わると仮定して、彼女に決定権があったとして、どうするのだろうか。優劣は二人とも最上位として──
「あたしの予想は『逃げる』かな」
「逃げる?」
「うん。ギャン泣きで」
「あの人が逃げるところもギャン泣くところも想像できないぞ」
寿司を空っぽにしたところで、みちるが言った。
「話が逸れてたね。将来はどうするの? 自殺はあたしが生きている間はやめてよ」
「そう言われても……」
自殺の話は置いといて、将来のことなんか知ったことではない。
言うまでもなく夢のない人生だ。
夢がなくとも偽りの目標を立て、建前で身を固め理想でない仕事をし続ける──それはある意味では僕らしい生き様と言えなくもないし、大抵の人もそうなのではないのかと思う。
しかし、それは果たして生きていると言えるのだろうか。いや、言えない。
その状態を死とイコールで繋げることができるのなら、死んだ方が楽だとどうしても思ってしまう。
「『央語舞』で働く? 業務はあたしのそばに居ること。年収は億単位で」
「金を見るのが嫌になるくらいだな」
是非とも遠慮したい誘いだ。僕が生きる上でそこまでの金は不必要なはず……。
「あたしが死ぬまで死ねないんだから、夢くらい見つけな? その色のない人生だとあたしは不安だよ。あ。無色が故に無職になっちゃうよ!」
「しょうもないこと言うな」
それに縁起でもない。
おもしろおかしそうにけらけらと笑うみちるだが、僕は僕でいい加減未来を考えなければならないのかもしれない。
そうだ……生まれた瞬間に央語舞として生きることを決定されたこいつとは境遇が違うんだ。
どちらがマシなのだろうと、僕が買ってきた板チョコを丸齧りし始めたみちるを見る。
……少なくともこいつは順風満帆な人生を送るのは間違いないな。
「──!」
突然みちるが静止する。表情を固くして何かを警戒するような眼差しを作った。
釣られて僕も静止し無音の空間が生まれた。
確かな冷たさを持った夜気がみちるの部屋を支配する。この季節には異常な感覚だ。これにみちるは先に気づいたのか。
「なにこれ」
さすがのみちるも不愉快さをあらわにしている。
それもそうだ。これは面白くない。
こんな首筋にナイフを当てられた感覚を、一体だれが楽しめるというのか。
ナイフを取り出して立ち上がる。
即座にみちるは僕の背中へと回った。
部屋の扉に手をかけたところで、勢いよく開いた方がいいのかゆっくり開いたほうがいいのか悩む。
「思いっきりいっちゃえ」
みちるの言葉に従い、僕は勢いよく部屋を出た。
濃い茶色を基調とした廊下内には別段異常は見られなかった。
いや──そもそも異常を見ることができるのかという問題がある。感覚的に察知することはあっても、果たして視界から認知できるのかは……。
「姫乃、レッツゴーしか道はないよ」
僕の背中に隠れたままみちるが言う。若干怖気付いていた僕だったが、こいつのおかげで落ち着きを取り戻せた。
そして廊下を進み、階段に突き当たったところで再び僕は怖気付いてしまった。
──恐怖した。
そして恐怖することに慣れていないものだから、どう動けばいいのかわからなくなった。
多分それはみちるも同じだ。これを見て顔色ひとつ変えないのはいくらこいつでも無理がある。
階段下の玄関に居たそれは、人間であり──人間ではなかった。




