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無彩色の願望  作者: 哀川
第四章 屍の器

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第四話 見るもの

 七月二日。隙間一つない灰色の空が一日の憂鬱さに拍車を掛ける。


「青ひとつない雲空だな」


 適当言っていつも通りの登校。その間に薔薇から来たメッセージを確認。


『昼休み教室来てください!』


 ホームルーム五分前に着席し、なんとなく好奇心の方へと目を向ける。……が、そこに彼女の姿はなかった。

 五分間読書をし、ホームルームが始まって再び目を向けるが、やはり白瀬さんは居ない。


「……、……」


 そっか。昨日に病院へ行くと言っていたか。それを言い訳にすれば楽に遅刻できるもんな。うん。僕でも同じことをする。


「あれ? 白瀬さんは来てないんですか?」


 浅沼先生が出席簿を確認してから言う。

 白瀬さんの隣に座る男子が、


「荷物もないしトイレでもないっぽいでーす。センセー『報連相』ちゃんとしてないの?」


 と言った。

 教室内は短く下らない笑いに包まれる。

 そんな生徒に浅沼先生はいちいち反応することなく、出席簿に何かしらを書き込みながら「初欠席かぁ」と呟いた。

 初欠席──。

 ……よほど手首が痛かったのだろう。昨日のうちに病院へ行けばよかったのに。

 曇りの日に電気をつけると気分が悪くなるのは何故だろうと考えたりしているとあっという間に昼休みに入った。いつもより時間が経つのが早く感じる。

 白瀬さんの席へ目を向けるが、彼女がそこに座っていることはなかった。

 どこまでも続く晴れ間無い空に何かよくないモノを感じつつ、僕は教室を出る。

 一階、一年三組の教室前。窓に背中を預けて二、三分ほどで薔薇が出てきた。


「いやあ、さすが先輩ですねー!」


 軽快に笑って僕の肩を叩く。


「なんだよいきなり」

「見ましたよ! 昨日白瀬先輩と二人で歩いているところ! いきなり調査に移るだなんて、先輩は行動力の塊ですね。半分感心、半分ドン引きでした」

「見てたのか……」


 まあ、放課後に学生が都市の心臓部へ集まるのは普通だ、同じ高校の生徒に遭遇したところで驚くことはない。僕からするとどこにいたんだって話だが。

 しかし、それにしたって……


「ドン引かれる覚えはないが」

「いやいや、昨日に言ったでしょ? 『白瀬先輩は関わりのない人とは遊んだりしない』って。友達なら程々に遊んでくれるそうですけど」


 言ってたっけ。正直覚えてない。


「だから引きもしますよ。だって先輩、白瀬先輩とは友達じゃないでしょ?」

「向こうはどう思っているか知らないけど、少なくとも僕は友達とは思ってないな」

「後半を聞いて頭の中でずっこけましたよ……すっごい言い分」


 引き攣った笑顔になる薔薇。僕の言葉を頭を振ってかき消し、眉を中央に寄せる。


「それで? どうやって二人で街を歩けるようにしたんですか? 恫喝ですか? それとも脅迫? まさか威迫?」

「違いがわかんねえ」


 というか、どんだけ信用ないんだ。そもそも僕がそんなことまでしてよく知らんチャラ男の為に動く理由がないんだよな……。


「冗談はこれくらいにして」


 薔薇は表情も声も一転させ、真剣なものとなる。


「何かわかりましたか?」

「…………」


 言いたくても言えないのか、言いたくないから言わないのか。

 言う勇気がないのか、言う必要がないのか。

 どちらにせよ話さなければ解決しない問題ではある。薔薇でなくとも、井宮や桜内──東条さんや光野さんにでも話さなければ解決には持っていけないだろう。

 ただ──


『今日の事は誰にも言わないでほしい』


 あの時の顔──僕と言う人間を信じて疑わない、約束は守ると確信しきったような微笑が頭から離れない。


「薔薇、おまえは幽霊を信じるか?」

「はい?」


 唐突に意味のわからないであろう質問をぶつけるが、薔薇は眉間に皺を寄せ真面目に考え始めた。


「見たことがないから信じられない……ですかね。でも、突然過去視に目覚めたりっていう不思議を知っている以上、見れば疑うことはないと思いますよ」

「……そっか」


 もっともらしい回答に僕は頷いた。

 そうだ。信じる人は信じる。全員が信じないだなんて決めつけもいいところだ。……なんて、僕が言えた口じゃないけれど。

 本当に信じてもらえるかどうかが不安要素で話さないのなら、それは違うと言ってやることくらいはできる。


「そんな話どーでもいいんですよー」


 薔薇の声に意識を戻される。


「何かわかったんですか?」

「どうだろうな。曖昧な言葉で濁されたよ」

「んー……やっぱりそうですか……」


 と、僕が濁していることにはまるで気付かない薔薇。アホっぽくて可愛げがあるなと思ったが、こいつは一年の時の僕よりも成績が良いのを思い出した。


「まあ、あの様子だと仲良くなったら簡単に話してくれると思うぞ。まずは友達になるところから始めたらどうだ?」

「……間に合いますかね」

「間に──」


 間に合う……。

 白瀬九織はいつ限界を迎えるのか。

 そして、迎えたらどうなるのか?


「大事には至らないさ、きっと……」


 僕が安心するためだけのセリフに思わずため息がこぼれる。

 確信はない。

 抽象的な疑念だけが溢れてくる。それには僕に責任もなにもないはずだ。だと言うのにこれは……


「先輩?」視線を落としていたところに薔薇が覗き込む。「大丈夫ですか? なんか具合悪そうですけど……」

「……それならいつも通りだな」


 軽く返して僕は教室へと戻った。背後から薔薇の声が聞こえたが、内容は耳に入ってこなかった。

 鬱陶しいほどの胸騒ぎが足を早める。

 教室に着くも白瀬さんの姿はない。カバンも机にかかっていない。まだ来てないのか。

 それから僕は落ち着かない気分のままを学校内で過ごした。六時間目が終わり、いつも以上に疲労が溜まっている。


「遅刻じゃないっぽいねー白瀬」

「それな。あいつがガッコー休むなんて珍しい」

「しかも無断ってすごいよね。世界終わるんじゃない」


 窓際の女子の会話を聞いて、いよいよ予感の範囲が超えた気がした。

 そして七時間目が始まる直前に教室の扉が開き──


「あれー? 浅沼ちゃんじゃん」

「次って英表じゃないの?」


 目を僅かに赤く腫らした浅沼先生が入ってきて、僕は確信した。

 白瀬九織──死んだじゃんか。

 一瞬鼓動が高鳴り、


 すぐに治る。


「ホームルームになりました。さあ、着席して」


 このクラスはおとなしい奴が多いので、すぐに全員が着席し無言になった。

 浅沼先生からしたら、そんな生徒たちを前に喋ることなど慣れているはずなのだが、今は変に緊張している。

 口をぱくぱくと動かして、繰り返し練習した台詞を言おうとしているようだ。

 深く息を吐き、彼女は遂に声にした。


「白瀬さんが亡くなりました。原因は調査中ですが、見た限りでは自殺だそうです」


 教室内はこれまでにない静寂に襲われた。全員が呼吸の仕方を忘れてしまったかのようで、グラウンドで体育をしている生徒の声だけが響いていた。

 そんな中、浅沼先生は続ける。


「情報というのはどこから漏れるか分かりません。もしかすると今日すぐにマスコミやらがみんなに取材をしにきたりするかもしれませんが、決して不確定なことは言わないようにお願いします。それと、今からいじめ調査アンケートを配ります。もちろん、このクラスでいじめがあるとは思っていませんし、白瀬さんがいじめられるような人だとも思っていません。しかしながら──」


 徐々に現実感を持ったクラスメイト達が次第にざわめき始める。ある人は困惑の声を、ある人は嗚咽混じりに泣き、ある人はドッキリだと現実逃避したり。

 一方で僕は冷静だった。

 きっと、ずっと前から予想できていたからだ。

 薔薇が「間に合うのだろうか」という疑問を口にした時。白瀬九織が初欠席したと知った時。朝起きて今日の天気が嫌な曇り空だった時。もっと前──昨日彼女の背中を見送った時。

 無意識のうちに彼女が良くない目に遭うのではないかと思っていたはずなんだ。

 そうさ。だから僕は冷静だ。

 なのに──どうしてこんなにも、胸が苦しいのだろう。

 ……ああ、思い出した。思い出したよ、白瀬さん。


『よかったら私たちの班に入らないか?』


 一年の宿泊研修。

 班決めの時、クラスは騒々しく次々とグループを作っていって。

 情けなく独りで座っていたところに君は──



 目を開ける。

 目を開けた──?

 視界には白い天井。

 家だ。僕は家に居る。


「────」


 ソファーから体を起こし、自分の鳩尾に拳を叩き込む。

 うん、無茶苦茶痛い……。

 時刻は午前一時。七月二日になったばかりだ。


「……あれは未来視の予測……もしくは夢でした」


 不意の頭痛に顔を顰める。

 ──関わり過ぎた。一緒に居過ぎた。目を合わせ過ぎた。好奇心を向け過ぎた。

 言ってしまえばそれだけのことだ。なのに、どうしてあんな予測をしなければならない?

 ……そうさ、あくまで予測。そうでなくとも夢なんだ。


「でも──」


 一年前の記憶を思い出して、思ってしまった。この人が他人の意思によって死ぬことは間違っていると。

 僕はスマホを手に取って薔薇に電話をかけた。非常識な時間帯ではあるが、こいつはこいつで普段迷惑なくらい連絡してくるし良しとしよう。


「先輩から連絡なんて珍しいですね」


 思ったよりもすぐに薔薇は応答した。耳に入る声はいつも通り明るく、とても寝ていた娘の声には聞こえない。


「夜に女の子に電話をかけるだなんて……先輩結構やり手だったりします?」


 揶揄うような顔が容易に想像がつく言い方にため息をこぼす。


「白瀬九織の連絡先を知りたい。できれば電話番号」

「はぁ……? 何故にこんな時間……。まあなんでもいいですけど、電話番号なんて知りませんよ。あー、でも、風荻なら知ってるかも」

「じゃあ叩き起こしてでも聞き出してくれ」


 僕がスマホから耳を離そうとすると「ちょっと!」と薔薇が呼び止める。


「色々急すぎますよ。どうしたんですか? なんか、先輩らしくない」

「らしくない……そうかな」


 僕らしさってなんだろう。

 そんなどうでもいいことを考えつつ、僕は未来視か夢か──とにかく、その時の僕と同じように幽霊の事は伏せることにした。


「白瀬九織の抱える問題について気になることがある。どうしても今確かめたい。何か良くないことが起こるかもしれないんだ」


 具体的な言葉は一つもないが、薔薇はそれでもこれ以上の問いかけはせず、短く息を吐いてから「分かりました」と言った。


「すぐに聞き出します」


 と、一言で通話を切る。

 十分ほどしてメッセージが来た。電話番号だけで、ほかに余計な言葉はない。物分かりがいいなとほんの少し薔薇の株が上がった。

 僕はすぐさま白瀬九織に電話をかける。

 一年前を思い出しながら──。


 ×一年前


 七月上旬。僕はホームルームで配られたプリントを睨みつけていた。中旬に控えている宿泊学習の内容が書かれているのである。

 一日目に運動をメインに、二日目に学習をメインに組み込まれた予定表を見て思わず顔を顰める。

 こんなしょうもないことを山奥で行う理由はなんだ? 合間合間にぶち込まれているグループワークは誰が得をするんだ? なんでみんなが参加してみんなが楽しむ前提で話を進めているんだ?

 わからんな……これ休んだらどうなるんだ。成績に響くのか?


「そんじゃあ班決め開始ー。この時間に決まらなかったら出席番号順にするからなー」


 三十代髭男の担任がそう言った途端、教室内は一気に騒々しさが増す。

 僕は担任の元へと向かおうと席を立った時、


「藍歌くん」


 と、聞き心地の良い声が耳に入ったが、聞き間違いかもなのでスルーして前へ行く。

 そして担任に声をかける。


「あの」

「おお、藍歌。どうした」

「宿泊学習休みたいんですけど」

「……三回忌とかか?」

「いえ、そういうわけじゃ……あ、やっぱりそうです」

「いやいや厳しいだろその嘘は」


 担任は豪快に笑うが、教室内の騒ぎにかき消されたのでこちらに視線が向くことはなかった。


「──まあ、クラス内の藍歌を見てれば分かるさ。おまえ、こういうの嫌いだろ」


 担任は全員がにこやかに、そして賑やかでいる眼前の光景が然も尊いもののように見ている。

 僕も『こういうの』を見て頷いた。


「まあ、嫌いです」

「素直だ」


 と、肩をすくめる。


「正直に言うとおまえの気持ちも分かる。俺も学生の頃は教師に『なんでこいつらは全員が望んでいる前提で物事を進めているんだ』ってキレ散らかしてたからな。だから、できる限り藍歌には協力したい。欠席扱いがいやなら諸事情を理由に学校で授業を受けることもできる」


 話の通じる教師だと感心する。

 しかし彼は、


「でも、クラス全員が欠けることなく同じ景色を見られたらとは思うがな。まだ時間はあるんだ、もう少し考えたらどうだ? 何かの手違いでいい思い出になるかもしれんぞ? それとな、こういう楽な行事には参加しておいた方がいい。時間割が怠い時に休んだ方が賢いやり方だぞ?」


 と言った。一理あるなと思った僕は軽く頭を下げ、窓側一番後ろの席へ戻り着席する。

 とりあえずサボりの許可はもらったわけだし、これで今後担任がちょっかいを出してくることはあるまい。一気に気が楽になった。

 ……同じ景色か。僕の目が見るものを誰かが見ていたらなんだって言うんだ? その事実があって僕にどんな得がある?

 分かっている。そんなものはない。そして、見てくれる人も。その責任は僕にあり、ほかに転嫁のしようのないものだが、だからこそ少し嫌な気分になる。

 馬鹿じゃねえの、まったく。


「藍歌くん……少しいいかな」


 話しかけてきたのは女子だった。すらりと長い足に高い背。ミディアムボブの髪をした美少女。

 素直に美の塊だと思った。そのほかに余計な言葉は必要ないほどだ。

 当然クラスメイトである。一人でいることの方が少ない人だ。この人──名前しらんな。なんだっけ。


「なにか」

「班、決まったかな?」


 煽ってんのかこいつ。

 僕は首を振って答えた。


「よかったら私たちの班に入らないか? ちょうど一人足りなくて」


 彼女は反対側の出入り口付近に視線を送る。女子が二人に男子が二人、談笑している姿があった。あのメンツに加えてこの人か。たしかにここに僕が加わるとなったら男女比的にバランスが良さそうではある。

 まあ行かないけど。


「いやだ」


 目を見てはっきりと答える。すると、彼女は微笑が消えて硬直した。そんなにも答えが予想外だったのか。

 ぼんやりと見つめられたままだと気持ち悪いので「あの」と僕が言う。


「断ったんだけど」

「……! すまない。……でも、決まってないんだろう? 一体どうするんだ?」

「休むに決まって──」


 言い切る前に、視界の左端から担任がやってきたのが見えた。どうやらこちらの様子を見ていたようで、会話の内容も知れているようだ。


「せっかく誘われたんだ。休む休まないは置いといて、ひとまず入れてもらえ。『保険』はかけておいた方がいいぞ?」


 と、馴れ馴れしく僕の肩を叩く。


「保険──ですか」


 気分次第で行く……そんなことになるのだろうか。未来のことなんてわからないけど、行く行かないがグループに入って左右されるわけじゃない。この男の言うことは間違ってはいない。


「白瀬、ありがとな。おまえは本当にいい奴だ」

「いえ……私はお願いした立場ですから」


 本当にいい奴だという彼女の名前はしらせと言うらしい。

 そんな彼女に誘われ、僕は彼女たちのグループに入ることとなった。


「おーし。じゃあ決まったところから班員で固まって名簿提出してくれ。班長も決めてくれなー」


 担任が言ったのを機に、それぞれがまとまり始める。

 僕もしらせさんの背中を追ってグループの元まで行く。


「お、スカウトできたんだ。さっすが白瀬」

「よろしくな」


 と、男子の気さくな挨拶に僕も「よろしく」と返す。このクラスになって三ヶ月も経っている。それから初めての『よろしく』は何の意味も持ち合わせていないだろう。僕を勧誘したのだって、輪を乱すような奴よりは毒にも薬にもならない奴の方がマシだからって理由に違いない。


「それじゃあ班長決めちゃおっか! どーやって決めるっ?」


 明るく元気、別の言い方をすればうるさいウェーブボブの女子が言う。


「平等にじゃんけんにしよっか」


 セミロングの女子の提案により、僕たちは拳を出した。


「じゃーんけーん、ほいっ!」


 うるさい方の女子の合図に合わせて拳が動く。

 僕はグーで、他五名はパー。

 仕組んでたのかこいつら。


「よっしゃあ! 面倒回避!」

「ドンマイ、藍歌くん」


 男子二人は盛大にガッツポーズを。


「よし! 責任ゼロだよ!」

「ダメだよ。押し付けていいってわけじゃないんだから」

「……すまない」


 女子はそれぞれ個性を出した反応をしていた。

 僕は彼女たちにどんなリアクションを見せることもなく、再び教卓まで行き用紙をもらう。


「お! 藍歌が班長になったか。なんだかんだでウキウキだったりするか?」


 そんなわけねえだろ。と心の中で呟き机に戻る。

 班長の欄に《藍歌姫乃》と書く。その下の班員欄に──……。

 そういえば一人も名前しらない。


「はあ……」


 ため息を吐いたところに、目の前の空いている席にしらせさんが座った。椅子をこちらに向けて、廊下側で談笑している彼らに目を向ける。


「茶髪の彼は石塚いしずかりく。石板の石に塚穴の塚、大陸の陸」

「……どうも」


 しらせさんは他三人の漢字も教えてくれた。もう一人の男子は杉浦すぎうら鉄久てつひさ。うるさい女子は梅花うめばな水薙みずなぎ。セミロングが虚江うろえ久留美くるみ。梅花さんに関しては中々にインパクトのある名前だ。他はすぐ忘れそう。


「みんないい人だよ。一緒にいると時間が経つのが早く感じる」

「いい人なら名前を教えに来ると思うけどね」


 そっけなく返すと、しらせさんは苦笑いで誤魔化した。


「……それで、君の名前は?」

「ああ──白瀬九織だよ。蒼白の白に瀬戸際の瀬、九つに織姫の織で白瀬九織。改めてよろしく」


 僕を見ている笑顔のようで、彼女はどこか遠い目をしていた。……この人は団体よりも個人を好むタイプだろうなと勝手に決めつけた。

 それにしても、塚穴だったり瀬戸際だったり……変なワードチョイスだ。


「藍歌姫乃くん──で合ってるよね」

「合ってるよ」


 白瀬九織の名を書き終える。梅花水薙に比べれば珍しさは劣るがカッコいい名前だ。


「……班長、代ろうか」彼女は申し訳なさそうに言った。「いきなり誘われて班長になるのは面白くないだろう」

「どうあったところで面白くないよ」

「同じ班になった以上、藍歌くんも楽しんでほしいんだ」


 優しげな微笑みから感じ取れる人柄。しかしそれはどこか薄っぺらいように思える……僕の性格も相当なものだ。

 この人は周りからはいい人と思われているに違いない。でも僕からしたら──……


「人がいいね」

「──え?」


 しまった。声に出ていた。

 僕はすぐに


「遠慮するよ。後から変な因縁をつけられても困るし」


 と誤魔化す。誤魔化しになっていないけど。もちろんこの人はそんなことしない。断言できる。が、この人の周りがどうかは分からない。過度に愛されている人の周りに居る人は話が通じないことがある。面倒なことになるのは僕の望むところではない。大人しく班長する方が賢い立ち回りだ。


「そうか……しかし、必要があれば頼ってほしい」

「そうだろうな」


 君はそう言う人だとわかる。しつこく善意を押し付けることもなく、頼るときは頼れと言う。そういう人だろうと思った。

 小首を傾げる白瀬さんを見て、今のが会話になっていないことに気づく。


「…………」

「はは。君は面白いな」


 明らかなお世辞に僕は「どうも」と返してプリントを担任に渡しに行くために席を立つ。彼女の横を通る直前に「藍歌くん」と呼ばれたら無視するわけにも行かず、僕は足を止めた。


「楽しもうね」


 鬱陶しいと思った。善意の押し売りなんて迷惑もいいところだ。いやでも恩を感じてしまうから。

 そしてその裏腹に、少しだけ有難いと思った。


 それから僕は──


 ×


「……はい?」


 電話越しの声はどこか警戒しているようだった。知らない番号からの電話ならそれも当然か。


「僕だ。藍歌」

「あぁ──え?」


 彼女から発せられたとは思えないほどのマヌケな声がした。続けてバサバサと布団を捲るような音が聞こえる。


「寝る直前だった? だとしたら悪いことをした」

「い、いいや! 気にしなくていい……それより、どうして私の番号を?」

「風荻から聞いたんだ」

「ああ、風荻くんか。彼と知り合いだったんだ。少し意外だな」

「知り合い以下だよ」

「なんだい、それ」


 と、彼女は笑った。もちろん顔は見えないが、この声で無表情ならばサイコパスもいいところだ。


「君は夜型なんだな」

「まあ……ね」


 なんだか雑談が始まってしまいそうな雰囲気だ。僕は彼女が続けるよりも先に「今日のことで話があるんだ」と切り出した。


「君はこれからどうするつもりなんだ?」

「どうする……?」

「幽霊を運んだまま生きるのかってこと」

「……藍歌くんは優しいな」

「…………」

「気を遣ってくれてありがとう。でも心配ないよ。きっといつか幽霊も出ていくさ」


 この人は僕の何倍も賢い。だからこそ、今のセリフが本心からのものとは思えなかった。飛び降り直前だった人間が『いつか』を信じているうちに自分が死ぬかもしれないこと、その可能性があることに気づいていないわけがない。


「まどろこしいのはやめにしよう」


 白瀬さんに放つと同時に、自分にも言い聞かせた。


「個人的な意見だが、君は他人によって死を左右されるべきじゃないと思っている。関わった以上……一度助けた以上、君が死んだとなったら寝覚めが悪くなる」


『……あんまり面白くなかったな、アレは』


 一度助けた人が殺された時の気分の悪さを、桜内はそう言った。先程視たもののお陰で、あいつの言葉には納得できる。


「白瀬さん自身が死んでも構わないって考えなら別にいいけど、そういうわけでもないだろ? だから、なんとかしたい」

「……私は」

「ただ──一方的に助けられるってのも気分が悪いだろう。今日一緒に居て出てこなかった言葉だ、今すぐに答えられるもんでもないだろうし、明日聞かせてほしい」

「……。分かった。明日、必ず」


 たしかな言葉を聞いて会話が終わる。スマホを耳から離そうとした直前に「藍歌くん」と呼ばれた。再び近づけて聞こえた言葉は


「その……おやすみ」


 とてもシンプルだった。


「……おやすみ」


 返して通話を切る。

 そうか……東条さん以来の挨拶だったな。

 変な余韻に浸ることもなく、続いて彼へと電話をかける。ワンコールで「珍しいな」と応答した。


「何の用だ? 姫乃」


 光野さんはいつもの調子で言う。


「遅くにすみません。一つ依頼をしたいんです」

「ほお……?」


 僕は白瀬さんの名前は伏せて彼女の抱える問題を話した。


「解決してほしいってことじゃなくて、解決策を教えてほしいんです。僕個人が勝手に動いているだけだ、東条さんたちの手は煩わせない。だから、お願いします。ちゃんと金も払うので」

「あのなぁ……」呆れたようにため息を大きく挟む。「頼ることをそこまで躊躇しなくていいと思うぞ。どうしてもその気になれないってんなら止めはしねえが……」

「それだけってこともないんですけどね」


 そう。本当にそんな感情だけではない。それは僕の感情ではない。電話越しに見抜かれるわけもなく、光野さんは「よく分からんな」とだけだった。


「まあ、とにかくアドバイスがほしいってことだな。そんなもん無料でやってやるよ。ここは金に困ってるわけでもねえしな」

「ありがたいです」

「明日──いや、今日か。そいつを連れて来てくれ。一応直接見ておきたい」

「分かりました」


 通話を切り、横になって目を瞑る。

 これでも予測の通りに彼女が死ぬのなら僕にできることは何もない。いや、そもそも予測かどうかすら曖昧なんだ……真に受けること自体馬鹿馬鹿しい。

 しかし予測だとしたら、僕はいつも通りに起きられるだろうか。

 そんな不安を残しながら、僕の意識は落ちてゆく。

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