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無彩色の願望  作者: 哀川
第四章 屍の器

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第二話 不一致

 食堂にて。

 僕の隣には薔薇が座っている。そして正面にはポニテガール灯火花、その隣に生意気ボブ榊麻衣美……そして更にその隣に見知らぬ男が座っている。ツンツン頭のチャラついた風貌。あちらさんも僕の顔を見て不思議そうな顔をした。


「誰コイツ」


 僕は薔薇を見て言った。


「依頼人ですよ。風荻かぜおぎ吉野よしのです」


 笑顔のまま、僕に顔を合わせない薔薇。顔に一筋の汗が垂れている。ここは窓際でそこまでの暑さはないように思うけれど。

 しかし、そうか。こいつが依頼人……見たところ魔術師ではないようだが、一体どんな内容なんだろう。


「え⁉︎ この人が姫先輩⁉︎」


 彼は驚きで目を見張ったまま薔薇を見る。


「そそ。この人が姫先輩」

「は、はぇー……てっきり女の人かと……。あ、でもよく見るとなんだか姫っぽい顔してる」


 適当がすぎるお世辞だった。……そもそもお世辞になってるのか?


「姫先輩! 人の悩みをなんでも解決し、それをなによりの幸福と感じる聖人さま!」

「………………んん?」


 誰だそいつ。

 薔薇はいよいよ笑顔が崩れて焦燥を顕にしている。灯と榊は笑いを堪えているように見える。


「俺の好きな人がなにやら困っているみたいなので、助けて欲しいんです!」


 と、頭を下げる風荻。


「……………………」


 この流れ、全く魔術関係ないやつじゃんか。

 ひとまず風荻を無視して薔薇を見る。というか睨む。


「薔薇、説明しろ」

「オッカナイですよぅ……先輩には笑顔が似合いますよ、笑顔が。ほらほら、笑って笑って」


 薔薇は口端を指で吊り上げ笑顔を作るように促す。

 一発くらい殴ったところで許されそうだなぁと思った。


「まあまあ、姫先輩。落ち着いてください」


 鉄仮面に戻っている榊が言う。


「叶未も悪気があったわけじゃないんすよ。ただ、『問題』を解決してから、叶未の周りに人が増えまして。解決の理由を訊いてくる人も当然いるんです。そんで──」

「その理由をいばらんが盛りに盛って言いふらしたんです!」


 笑い泣きしたあとの灯が続けた。


「ちょっとぉ! 盛ってない! 私は悪くない! 私以外が悪い!」

「いやいや、薔薇が明らかに盛ってたぞ」

「割り込まないでよ風荻。あんたの為に先輩にお願いしてるんだから、話をややこしくしないで。そうでなくとも先輩の前で私の評価下げるようなこと言わないで。この前私に告白してきたこと言いふらすよ?」

「言った! 今言ったじゃねえか! 灯という恋バナスピーカーが居る前で!」

「スピーカーだなんて失礼だよ。……ところで私トイレに行きたいんだった」


 灯は満面の笑みで食堂から走り去る。


「待てやコラ!」


 そんな彼女を風荻は追って行った。

 なにこれ。

 僕もこの流れに乗じて教室に戻っていいのだろうかと考えていると、榊が「というわけで」と整理する。


「誰のことでも好きになってしまう彼の好きな人が困っているから、その彼女の悩みを解決してあげてほしいというのが彼のお願いっす」

「うん、まあ……それは分かるんだけど」


 分かるからこそ、こんなどうでもいいお願い事に耳を貸す理由が見つからない。


「そもそもどうして僕なんだ?」


 人脈が増えたと言うのなら、僕以外にも頼れる人は居るはずだ。

 薔薇とは知らない仲でもないんだし、向き不向きもある程度理解できているはず。だってのに、こんな馬鹿みたいな依頼を運んでくるだなんて。

 それこそ馬鹿にされているみたいだ。いや、確かに馬鹿なんだけど。恋愛関係で言ったら馬鹿以下と称されても、恐らく文句の一つ垂れることもできまい。


「先輩に恋愛に関する問題をぶつけたらどうなるのかなー……って。単純な好奇心に近いです」

「ふぅん……」


 薔薇の笑顔だけでは信用しきれず、僕は榊に目を向ける。

 彼女は僕の疑問を汲み取ったようで、


「私がここにいるのは、先輩みたいな人が恋愛相談されたらどんな反応をするのか気になったからっすよ。ま、火花も同じです」


 と答えた。あまりにも簡単に返す榊は「フッ」と息を漏らした。

 僕と同じでこいつは基本的に顔での感情表現がないはず……なのに、なんだ? 無性に腹が立つこの感覚は。

 何か他の意図があるんだろうけど、それが何かは分からない。


「第一さ。彼、薔薇に告白したんだろ?」

「はい。超丁重にお断りしましたけど。友達としてはすごくいい人なんですけど、恋人関係ってなると、どうにも……」

「そんな奴の恋の悩みとか、どうでもよくないか?」

「間違いないっすね」


 榊が同意する。


「フラれた相手に恋の相談とか、側から見てて正直引きました」

「だよな」


 僕と榊は顔を見合わせてから再び薔薇を見る。

 さすがに薔薇は自分がズレていることを自覚しているらしく、苦笑いをしていた。その誤魔化しも次第に消え、真剣な顔になる。


「困ってる人がいるんだから、協力したいですよ」

「………………」

「………………」


 まぁ、薔薇叶未はこういう人間だということで納得するしかないか。

 僕には分からない感覚だ。誰彼構わず助けたくなるなんて。


「それにほら、風荻の依頼は『好きな人を助けてほしい』だったでしょ? 誰かの為に頭を下げられる良い奴なんですよ」

「良い奴か……」

「だから私は風荻に協力します。先輩の力も叶うなら借りたいんです。どうやら、風荻の好きな人は先輩と同じクラスらしいので」


 同じクラスと言われても……全員と赤の他人なんだよなぁ。


「先輩は誰一人として名前覚えてなさそうっすね」

「僕だって二、三人は知ってる名前があるぞ。舐めるな」

「二、三人すか。リアルな数字……」


 榊は嘆息にも取れる息を吐いた。


「──で、その人の名前は?」

「白瀬九織さんです。知ってますか?」

「…………知ってる。二、三人の内の一人だ」


 ため息をつく。

 いつか自分のことを《駒》にしか思えないことがあったな。

 世界の舞台装置──それ以下でしかない、と。

 風荻のお陰でその気持ちが強くなった。

 そして、この話から逃げたならば、きっと頭の中で拭うことのできない疑念が残り続ける。


「一応、話は聞く」


 僕が言うと、薔薇と榊はきょとんとした顔で目を合わせた。


 ×


「白瀬ー。この後なんか用事ある? ないんだったら、みんなでテス勉しない?」

「すまない。今日は予定があるんだ」


 女子達の誘いを断って白瀬さんは静かに教室を出て行く。

 そんな彼女を僕は追う。

 そして──

 ……追うだけ。

 考えなしが過ぎた。昨日あんなことがあったのに何食わぬ顔で登校している彼女相手に、一体どのように話しかけたものかさっぱり分からない。

 それにしても、白瀬さんの周りは自然と人波が割れていく。これが好き避けと言う奴か。

 ある意味注目の的である彼女を追う。

 僕はいい加減自覚するべきだ。

 残り続ける疑念を恐れて行動している──これは正しい。いつかと同じように、僕の寝覚めが悪くならないためというのは行動するには十分な理由だ。

 けれど、これに付け加えて《好奇心》がある。

 変化の片鱗か、単に僕が愚か者なだけなのか。

 校外に出、そんなことを考えていると、いつのまにか僕の目の前から白瀬さんが消えていた。


「…………」


 めんどくせ。よし、帰ろう。

 好奇心の割に退きが早い。そんな賢い自分に感心していると携帯が振動した。

 バイト先──喫茶店からの電話だった。


「はい」

「仕事だ。お前さん一人でも十分熟せるはずだ。今から頼めるか?」


 光野さんは今から喫茶店に来いと言う。

 僕は「分かりました」と答え、早速喫茶店へと向かった。


 ×


「『十七歳の家出少女の確保』。割りかし上級の一族の依頼だ。因子の継承が嫌で駄々をこねて家出、そして妻城市にやって来たそうだ。説得が不可能なら、多少の暴力は容認するとさ。もしも事件化するようなことになれば揉み消すよう努力するとのことだ」

「なんて乱暴な……」


 喫茶店で、僕はその少女の情報が記載された書類に目を通しつつ、光野さんの話を聞いた。

 もしも少女──空明うつろめ七葉ななはを説得できず強硬手段に出る場合は極力人目につかないように、と。……そもそも僕が相手できるのか?

 自信ねえな。


「まあ、おまえさんに向いている依頼だ。頑張ってくれ」

「向いてる──?」

「ああ。話し合いで解決する力も身につけた方がおまえの為だ。もし衝突するってことになっても、上級家庭とは言え、今の七葉さんはおまえと同レベルってところだからな。向いているだろ」

「そうですか……」


 衝突……か。もしも仮にそれが殺し合いに発展したら……。


「そうだ。おい、おまえのナイフを貸してくれ」

「……? はい」


 僕はカバンからナイフを取り出し光野さんに渡す。

 彼はそれを隈無く見回した後で「いい細工だ」と呟いた。

 さすがは早見さん、この人を感心させるだなんて。


「これ没収」


 と、一言。光野さんはナイフをポケットに仕舞った。


「は?」


 思わず声を漏らしてしまった。

 光野さんは「仕事の前に一杯飲んどけ」とコーヒーを差し出してくれた。ついでにいつも通り座っているだけの柩ちゃんにも。


「あの、ナイフは」

「あちらさんは気にしちゃいねえが、やっぱ傷は少ないに越したことはねえだろ? 頑張ってくれ」


 と、軽快に笑う。どこが笑えるポイントなのか僕にはさっぱりだ。


「あんまり激しい運動ができない分、道具に頼りたかったんですけどね」

「だから、そう言う時は口を頼れっての。交渉交渉。嘘つき話術で上手いことやるんだな」


 僕は渋々頷く。

 情報を未来視に焼き付けながら、コーヒーの苦さに眉を寄せる。


「燈明学園で治療してもらったらいいじゃねえか。授戒とは知らない顔じゃないんだ、それくらい許されるぞ?」

「ええ、まあ……」一瞬だけ左腕の傷跡に目をやった。「行くのが面倒なんですよ。会いたくない人もいるし」

「子どもだな」


 子どもですから、と僕は思った。口に出さないところでどうせ伝わる。

 五分ほどして別の世界を視る。

 地下鉄を降り、しばらく歩いてからネットカフェに姿を消す少女──茶髪の肩までの髪をした彼女。

 若干の曇り空は今日と同じだ。


「視えたんで行きますね。空明さんはここに連れて来たらいいんですよね?」

「ああ。頼んだぜ」


 ×


 午後六時。空明さんがやって来るであろうネットカフェの向かいにあるコンビニ、そこのイートインコーナーから僕は監視を続けていた。

 しかし一向に空明さんが現れる気配はない。刻々と時間が経過するだけだ。そして虚しさが募るばかり。


「テスト期間……」


 ふと呟いてみる。カバンの中には常に全教科入れてあるから、テスト勉強はできなくもない。

 でもなぁ。やる気がないんだよなぁ。

 ……僕は一体、将来何になりたいのだろう。僕の人生のゴールはなんだ?

 うーん……ダメだ。《死》以外に思いつかない。さすがに飛躍しすぎだ。

 いっそのこと全てみちるに決めてもらおうかな。

 これからどんな思考をして、どんな行動をするのか、その全てを。

 ……そんなことが決断できるなら、僕と言う人間はとっくの昔に消えている。できないからこんな失敗作のままなんだ。

 結局僕は自分勝手に落胆するだけだった。

 紅茶を飲みながら外を見る。

 真っ黒のスーツを着て汗を拭う人たちを見て閃いた。


「スーツは絶対に着たくねえな」


 あんなの拘束着と変わらん。

 うん。まずはこれを目標にしよう。

 そう決意を固めたところで彼女が視界に入った。ネットカフェの前で、なにやら考え込んでいる空明さんだ。

 すぐさま外に出、信号を渡って空明さんに近づく。

 ──待てよ。そもそもなんて声をかけりゃいいんだ? 説得にせよ交渉にせよ、どう切り出したらいいのかさっぱりだ。

 迷っている間に店内に入ってしまう。そうなると張り込みがいつまで長引くことか……。


「あの」


 考えなしに僕は声をかける。

 空明さんは他人である僕に突然声をかけられたにも関わらず、「あ?」といきなり睨みつけてきた。


「あんた、お母さんの人形ね?」

「人形……」

「いいわ。分かった。着いてきなさい」

「……?」


 理解も話も早くてありがたいが、着いてきなさいとはどういうことだろう。逆に着いてきてほしいのだが……一体どう説得したものか。

 考えながら空明さんを追い、人混みを抜け、小さな駐車場に着いた。

 空明さんはビルに背中を預け、僕のことを値踏みするかのように見る。露骨に観察するその仕草は、少しだけ気分が悪かった。


「えっとですね、空明さん」

「五分……いえ、十分あげるわ。私を説得してみなさい」

「…………」


 マイペースというかエゴイスティックというか……なんにせよ苦手なタイプだ。

 しかし、向こうから説得のタイミングを持ち出してきたのは好都合だ。十分しかないけど。


「空明さん。一体どうして家出なんか?」

「そんな無駄な質問に時間を使っていいの? それくらい調べ終えてるでしょうに」


 その通りだ。

 この人は裏の世界で生き続けることへの嫌悪感から因子の継承を拒絶した。幼い頃から自尊心が強い空明さんは、己が裏で生きることに納得することができないでいる。表と裏の認識を、上と下と同じ括りにしているらしい。

 会話の切り出しにと思ったのだが、やはりダメだったか。とりあえず思い浮かんだ言葉を吐いていこう。


「僕には分からないですね。そんなに上下って大事ですか?」

「分からないのはあなたに何も才能がない──おまけに他人に関心がないからね」


 気持ちのいいくらいの正論だ。


「あらゆる作業が、快楽が、殺人が簡易的に済む時代──そう考えると、たしかに魔術はあまりにも劣っている。因子を使い手順を踏まなくては結果が出せない。しかし、そんな表よりも優れた魔術は腐るほどある。だというのに、魔術世界が《裏》と称されていることに私は納得いかない。腹立たしい。今やこの神秘は人々の記憶から薄れつつある。大半が認識すらしていない。こんな状況に私は我慢ならない」

「……でも、あなたはその裏の世界でも上位に位置するのでしょ?」

「それで妥協できるのなら私は存在していないわよ」


 そこまで頑固な人間をどう妥協させるのか。


「例えば、ほら──」


 空明さんは人差し指を立てる。指先に地面と平行な漆黒の円が創られた。

 掌サイズのそれを僕の方へ飛ばす。

 目で追うのがやっとの速さの円を、僕は直感で回避した。

 右側のショルダーストラップを切断するだけにとどまらず、その円は向いのビルのコンクリートを抉ってようやく消失した。

 アレがもしも僕の体に直撃していたら、間違いなく楽には死ねなかった。


「今のをさ、何も考えずに生きてる非魔術師にお見舞いしたらどうなる?」

「死ぬだけだと思いますよ」

「そう、その通り。どういった方法で死ぬのか理解することなく死ぬだけ。そんな奴が表に居るというだけで、裏の私は劣っていると認識される」

「病的ですね。そこまで考えますか、普通」

「誰かと張り合ったことのない人にはそう思えるのかしら?」

「…………」


 説得というよりも喧嘩に発展しそうな流れだ。

 いっそのこともう──いや、それは十分経って説得ができなかったらだ。

 そうだ、みずきちゃんの自殺を食い止めた時を思い出せ。あの時の僕ならきっと上手くいくはずだ。


「なら、あなたはどうなりたいんですか? 表の世界で何をしたいんですか?」

「そうね……適当に大学を出て、銀行員にでもなろうかな」

「……リアルですね」


 リアルすぎてツッコミどころがない。

 まずいな。まるで説得できる気がしない。どの方面から攻めたって回避……寧ろ反撃すらされそうなイメージだ。


「地位が全てじゃないですよ」

「何かが全てじゃないだとか、そういうことを持ち合わせていない奴が言っても、私としては微塵も納得できないのよ。負け犬の遠吠えじゃない」

「おっしゃる通りで……」


 立場が同じなら友達になれたかもな、と柄にもなく思った。性格や価値観は違えど、捻くれ方には共感できる節がある。

 以前の僕なら「こいつ嫌いだな」としか思わなかっただろう。

 勝手に満足する僕に対し、空明さんは怒気を孕んだ目で睨む。


「つまらない男。『地に足がついていない』とでも表現できるかしらね、これは。あなた、存在があやふやすぎてどんな言葉も届かないわよ」

「そうかもしれませんね……。でも、案外楽ですよ。どっち付かずで居られるのは悪くない。受け入れることも拒むこともできる」

「ふうん。それは変化の途中ということね。最終的にはどうするの? どっちの状態を選ぶの?」

「さあね。僕は気分屋であり流されっ子でもある。その時が来るまで分かりませんよ。だから、もしも僕に力があったなら、どう転がったとしてもいいように保険を掛けたいところですけど」

「保険──」

「どうですか? 僕のように、一先ず曖昧主義になるってのは。あなたは裏の世界で上位の立場の家庭にある。そこでとりあえずは他人を見下せるほどの力をつけて、それから表の世界で何をしたいのか、改めて考える方がいい」

「……地獄への道は舗装なんてされていない、とか言いそうね、あなた」


 よくわからない言い回しに僕は言葉を詰まらせる。

 いくらか穏やかになった目つきは、僕の言葉に納得してくれたものだと思わせる。


「不合格」

「え……」


 予想外のセリフに唖然としてしまった。


「なんか、あなたに折れるのは悔しいじゃない」


 無意味な時間だったってことかよ。

 しかし萎えている暇はない。

 左肩からカバンを下ろし、概念操作で肉体強化を施す。

 赤──破壊の魔術を彼女の腹部に撃ち込む。それだけで決着がつくとは思えないが、しかし、ただ殴り合うよりはコレに頼る方がいいだろう。

 この前、早見さんとお喋りをしたついでに、この魔術の加減の方法を改めて叩き込んでもらった。感覚は大体掴めている。


「────」


 すっかり準備万端の僕に目もくれず、空明さんは僕の左斜め後方に視線を向けていた。少しの驚きと警戒の混じったその表情を見て、僕の戦闘態勢というものが瓦解する。

 空明さんは僅かな顎の動きで後ろを指す。

 不意打ちのために引っ掛けている様子ではない。

 僕は何事かと振り向いて──心がざわめいた。


「どうかしたのかい? 藍歌くん……」


 白瀬九織は微笑んで言った。


 ×


 魔術師が非魔術師に対して魔術を公にしたり、その結果を与えることは基本的に避けられている。

 表と裏に世界が割れていると言うことは、何が常識で何が非常識なのかも決まってしまう。

 事実、僕も初めて魔術を見た時は《常識外》と思った。

 常識の中で清まった人間に非常識を見せると、より立場が危うくなるのは明白である。

 無論、全員が全員魔術に拒絶反応を示すことはないだろう。しかし、現状が裏である以上、表に生きる人間に目立ったことはしないのが世界のためでもあるのだ。

 どうかしたのか──そう訊かれて、僕は一度空明さんに視線を戻してから、再び白瀬さんに向き合った。


「──従姉弟が家出をしてね。家に帰るよう説得しているんだ」


 背後から空明さんが吹き出したのが聞こえた。


「説得……」


 白瀬さんはショルダーストラップが切断された鞄に一瞬だけ目を移す。


「難航しているね」

「まあ、ね。歳上だってのに聞き分けがなくて困ってるんだ」

「はは。仲が良いんだな」


 どうしてそうなるんだと訊くよりも先に、白瀬さんは僕の横に並ぶ。


「なに? あなた、どこの誰かも知らない、本当に赤の他人である私に対して……」

「一度家に帰りましょうよ。唯一無二の家族なんですから……しっかりとお話しした方が、お互いのためです」


 子どもをあやすように、白瀬さんは笑顔を作って言う。

 聞き分けがないって忘れたのかな。そんな言葉で納得してくれる人ならば、とっくに僕が解決しているし、そもそも依頼が来ることはなかっただろう。

 白瀬さんがどうして説得を手伝ってくれているのかは分からないけれど、邪魔でしかないってのが正直なところだ。

 善意の押し売りはやっぱり迷惑だなぁと息を吐く。


「あの、白瀬さん──」

「分かったわ」

「は?」


 その言葉を聞いてすぐさま空明さんを見る。

 たしかに彼女の声で『分かった』と聞こえた。

 あまりにも予想外な返事に一瞬聞き間違いを疑ったほどだったけれど、それは彼女の顔を見れば否定できることだった。

 朱に染まった頬や耳、そして緩み切った敵意と、溢れる真逆の心情を、顔の全てで表している。

 僕にも分かるほどに、彼女は恋に落ちていた。


「あ……あなた、連絡先教えてくれる? どこの高校行ってるの? 身長何センチあるの? それから、それから……」


 空明さんは距離を詰めて質問責めを開始する。

 白瀬さんは困惑しつつもその笑顔を崩すことなく、答えるところは答え、躱すことろは上手く躱した。器用だなと側から見ていて感心するほどだ。

 問答が終えると、僕には冷めた目で「私はこれからどうすればいいの?」と空明さんが訊く。


「光野さんの喫茶店です。あそこは分かりにくい場所にありますから、案内しますよ」

「光野……ああ、光野勝ね? いいわ。案内なんていらない。あなたみたいなのと歩くだなんて地獄もいいところよ」


 散々な言い分だ。

 彼女は駐車場を出たところで振り返り、「またね、九織ちゃん!」と手を振ってから去っていった。

 あの様子からして家出を続けることはなさそうだけれど……。

 しかし、この白瀬さんと二人きりの状況はどうしたものだろうか。カバンを肩にかけてから改めて彼女に言う。


「助かったよ」

「それはよかった。可愛らしいお姉さんだね」


 全く素直に頷けない感想だ。そもそも姉じゃねえし。

 否定は胸の内にとどめ、好奇心の原因に目を合わせる。


「どうして、ここに」

「どうして……」彼女は繰り返す。「偶然だよ。放課後にふらついていて、たまたま君を見つけたから、声をかけただけ」


 言い切る直前に目線が外れたのを見逃さない。

 この人は嘘が苦手なんだ。今の目の動きがなかったにしろ、『どうしてここにいるのか』という質問に対して『偶然だ』とわざわざ言うこと自体に違和感がある。

 そもそも、僕らは見かけたら声をかけるような間柄ではないはずだ。色々とらしくないな。

 …………? らしくない? なんだ、その知人にするような評価は。


「……迷惑だったかな?」

「そんなことはないよ。感謝している」

「それなら安心した」


 と、学校では見なかった曇りない笑顔で言う。


「ところで……今回のテスト、どうだい? 勉強の方は順調?」

「え? ……いつも通りかな。教科書を読んで勉強した気にはなっているけど、あんまり結果には繋がらない」

「はは。随分とネガティブだな。私も勉強は苦手なんだ。君の気持ちはすごく共感できるよ」

「ふぅん……?」


 なんでこんな雑談が始まった?

 というか、勉強が苦手だと言ったか? 井宮は白瀬さんは毎回上位にいると言っていたが……。嫌味だろうか。そんなことを言うような人ではなさそうだけれど、どうなんだろう。

 まあ、こうして会話ができるのならいい機会だ。周りくどいことはせずに直球勝負で行こう。


「それで──」「昨日の」


 言葉を重ねてしまった。


「うん?」


 とりあえず彼女の言葉を処理しようと訊き返す。が、白瀬さんは唇を固く結んで無言になった。

 一瞬、間を開けてから微笑んで、


「いいや、すまない。忘れてくれ」


 と言う。

 少し面倒な性格をしている。


「それならいいけど。昨日のことで少しだけ話がしたいんだ。もちろん白瀬さんが訊くなと言うなら訊かないけど」


 僕の言葉がそんなに意外だったのか、白瀬さんは少しだけぽかんとした表情で硬直した。

 らしくない──とでも言うのだろうか。

 そうか。そういえばこの人とは二年間同じクラス。僕の人間性は大体分かっているのか。


「いいや、構わないよ。寧ろ……すまない、この事は私から話すべきだったな」


 白瀬さんは左手首を包帯の上から撫でる。無意識的な行動のように見えた。


「お礼も兼ねて、どこか喫茶店にでも行かないかい?」


 立ち話で済ませるような内容じゃないのは伝わった。そういうことなら、場所は彼女に任せるとしよう。


「それなら、お言葉に甘えるかな」


 僕が答えると、白瀬さんは僅かに微笑んで「うん」と頷いた。

 お礼ができるというだけで嬉しそうにするなんて、とんでもない奉仕精神だ。あまり尊敬できない。

 歩くだけで他の人の目を引く白瀬さんの隣にいるのは、なんだか肩身狭い感じがする。

 ──彼女は魔術師ではない。魅了も魅惑も、とにかく使役系の魔眼を持ち合わせている訳でもなく、その容姿にいろんな人の目が釘付けとなる。

 そういや魔性という言葉があったな。

 僕のこの好奇心も、実のところは僕の意志に関係なかったりするのだろうか。

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