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無彩色の願望  作者: 哀川
第三章 死線の過去

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最終話 愚者の未来

 ×六月二十三日


「進路希望調査表、今日までって昨日言いましたよね」

「……、……」

「なんで忘れちゃったんですか?」


 放課後、進路指導室にて浅沼先生に詰められる僕。

 ……さて。

 僕は物忘れが少なくない。授業道具にしろ提出物にしろだ。

 そして決まって教師は言う。

《なんで忘れてきたの?》──と。

 これに対する最適解はなんなのだろう。

 物忘れの理由なんて『忘れたから』でしかない。過程なく結果がついてきただけのことにどんな言葉を並べろと言うのか。


『頭が悪いからです』


 ここまで言う必要性は感じられない。


『入れたつもりでした』


 これではなぜ入れたつもりになっていたのかと再び問われるだけ。

 あー……イライラしてきた。

 身勝手な苛立ちを覚えていると、浅沼先生はウェーブのかかったショートの黒髪を指でいじりながらそっぽ向いた。なんだか教師というよりもただの女性といった仕草に見える。

 なんだかいつもとは様子が違う。そわそわしているというか、いつものように強気で真っ直ぐな態度でない気がする。この先生には似合わない感情を孕んだ様子だ。


「藍歌くん」


 先生は改まって目を合わせて言う。姿勢を正す彼女につられて僕も硬直した。


「後見人の人とうまくいっていないのなら教えてね?」

「────」

「先生、いつでも相談に乗るから」

「そういうところが押し付けがましいんだよ」──なんて、楯突いた発言ができるわけもなく、僕は「はい」と返事をするだけだった。

 無感動に、

 無感情に。

 すると、浅沼先生は何かしらを察して話題を逸らす。


「藍歌くんは将来どうなりたいの?」

「決まってないから大学に行くんですけど」

「大学はそういう場所じゃありません」

「賛否ありそうですね……」


 綴さん曰く、大学は楽しい大学生活を送りたいという人、まだ働きたくない人、学歴は生きる上で必須だという人などが集う場所だという。

 何かを学びたくて入学する人も確かにいるが、少なくとも綴さんの周りにそういう人はいないらしい。類は友を呼ぶという言葉もあるから、もしかすると綴さんが少数派なのかもしれないけれど。


「目標を持って行ったほうが絶対に楽しいですよ。私もそうだったんですから」

「……参考にします。明日には持ってきます」


 よし、うまく切り上げた。

 即座に立ち上がって頭を下げ、生徒指導室を出る。

 ちょっと歩いたところで「藍歌くん」と少しばかり張った声で浅沼先生が僕を呼び止める。

 まだ説教続くのかと渋々振り返ると、彼女は予想外に優しげな顔をしていた。


「いつでも相談してね。学校のことだけじゃなくて、それ以外も」

「…………」


 それ以外……別に相談するようなことではない──してどうにかなる問題でもない。

 だから僕はなんの意味もない会釈をして歩き始める。

 厄介な担任だなぁ。


 ×薔薇叶未


 図書室は珍しく人がいなかった。いや、厳密には図書委員の人が受付にいるし、先ほどまでは東条さんが居たのだけれど。

 とにかく、今は私一人。

 学校にしては大きめな図書室を占領している気分はちょっとだけ心地いい。他校の図書室がどれほどなのかは知らないけれど、少なくとも中学の時よりは大きい。

 勉強を中断して窓を見る。

 度なしレンズから覗く外界にはさまざまな人が生きている。しかし、私が過去を視ることはない。

 私が人を避ける理由は消失した。

 けど──今更誰かに声をかける勇気があるわけもなくて……。

 集団で笑顔を作る彼ら彼女らを羨む私は、側からみれば、きっととても哀れだ。

 ぼうっとしていると、図書室にようやく彼が来た。

 いつも以上に目が死んでいる気がする。


「遅いですよー」

「担任に絡まれてたんだ」


 捻くれた言い方をして藍歌姫乃先輩は私の正面に座った。

 私はこの人らしさにニヤニヤしていると、藍歌先輩は頬杖をついて言った。


「東条さんは?」


 そう、最初は色奈さん含む三人で話をする予定だった。

 主催者は色奈さん。

 どうやら私とお母さんとの関係を修復するために動いてくれるとのことで、そのことを知ったのは昨日。私は申し訳ないと思いつつも、頼りにさせてもらうことにした。

 必要なものは私とお母さんとの思い出を象徴するものとそのエピソードを具代的に話すこと。

 それらはもう済んでしまった。

 東条さんは早速術式を準備すると意気込んですぐに帰ってしまった。

 その時に言われたのだ。


『姫乃くんを待っててくれる?』

『はい。それくらいは……』

『そして、ちゃんと、しっかり話すこと』

『……? あ、はい。もちろんお礼は言いますけど──』

『それじゃ!』


 私は伝える。

 すると藍歌先輩はため息をこぼした。


「連絡してくれりゃいいだけじゃねえか……」

「あはは……私もそうは思ったんですけどね。でも、お礼くらいは直接言わせてくださいよ」


 私はこほんと喉を鳴らして声を整え、背筋を伸ばして改まって言う。


「藍歌先輩。今回はありがとうございました。色々と──本当に助かりました。この眼鏡の代金は勿論、私にできることがあれば色々と恩返しをしていくつもりです!」


 受付の女子生徒に聞かれることも気にせず私は言った。

 藍歌先輩は視線を右に逸らしてから、


「期待してる」


 どうでもよさげな返事をする。

 あまり期待してないんだろうな。分かりやすい態度に私は失笑した。

 それにしても──色奈さんの『ちゃんと話すこと』というのは本当にお礼のことだけなのだろうか。

 うーん……それだけにしては何か含みがありそうだったけど……。

 あ、もしかして──


「どうです? 眼鏡姿の私は。似合ってますか?」

「うん? まあ、知的に見えるよ」

「ありがとうございます! ……え? 普段どう見えてるの?」


 ……いや待て。絶対こんな話じゃない。

 色奈さんの言葉は端的ではあったけど、形容し難い重みというものがあった。

 それは一体──


「──あ」


 思い出した。

 あの会話を忘れるなんて……私は本当に自分勝手だ。話す機会はあった……私が忘れていると、色奈さんはどうして分かったのだろう。

 ……信用されていないだけかな。


「藍歌先輩。ちょっと恥ずかしいんですけど……笑わないで聞いてくれますか?」


 保険をかけなければ異性にこんな質問できやしない。


「笑わないよ」


 藍歌先輩は答える。

 そもそもこの人は笑わないか。


「あのですね。私って悪い奴じゃないですか。勝手に過去を視て、勝手に傷ついて、勝手に失望して、勝手に嫌う……。常に自分が最優先──私は私の保身のことで頭がいっぱいだった。色奈さんは『悪い奴じゃない』って否定してくれたんですけど、藍歌先輩はどう思いますか? 先輩には──私がどう見えますか?」


 軽い告白みたいな言い方になっちゃった……けど、恥ずかしがっているのはわたしだけ。目の前の彼はいつも通りやる気のない瞳をしている。


「……『本当の悪人は自身を悪人と言いません。自称悪人は寧ろ良い人です』」

「──!」


 知っている。それは、私が藍歌先輩に放った言葉。

 あの時ムキになって言った、そのままの思いを乗せた言葉。


「当てはまる人には当てはまるのかもな、この言葉。もしも本当に薔薇が悪い奴なら、その周りにいい奴はいないはずだ。君から見て東条さんは悪い奴か?」

「い、いえ! もちろんそんなこと……」

「それが答えだろ。それに、君を好んでいる奴は良い奴が多いと思うよ。ずっと突き放してきた灯と榊──あいつらは薔薇の抱えている問題を教えてくれって僕に訊いてきたよ。勿論教えなかったけど。……とにかく、薔薇はそんくらい愛されてんだよ。君はきっと、いい奴だ」

「…………」


 藍歌先輩の言葉を聞いて、私は思わず顔を綻ばせた。

 彼が私とのなんでもない会話を覚えていてくれたことも、火花と麻衣美が私を思って動いてくれていたことも。

 全部全部嬉しくて、耐えようにも耐えきれず表情はニヤけたまま、ほんのちょっとだけ涙を流す。

 すぐに手で拭って眼鏡をかけ直す。

 ……きっと、この眼鏡は五十万円じゃない。冷静に考えてみれば、あの時の色奈さんは──眼鏡の値段を言うだけであの考える仕草は、あまりにも不自然だった。

 本当の値段を訊いたところでどうせ答えてくれない。

 それでも私は……絶対にこの人に恩を返す。


「だーかーらー、図書室で勉強なんてやめようよー。スタバとかマックとかでいいじゃん」

「そんなところでしか勉強できないから赤点取るんだよ。あそこでする勉強は勉強とは言えん」


 灯火花と榊麻衣美──私の親友はらしさ全開の会話をして図書室に入ってきた。

 二人はすぐに私たちの存在に気づく。目線があってしまい、火花は気まずそうに顔を伏せた。麻衣美はさすがの鉄仮面でいる。

 藍歌先輩も後ろの二人に気づいて……席を立った。

 麻衣美の横を通り過ぎる時、彼は本当に小さな声で「解決した」と言った。

 表情筋の硬い麻衣美が、滅多に見せない驚きの表情を作る。それから図書室を出て行く彼の背中に頭を下げた。


「いばらん! 眼鏡にしたんだ! すごく似合ってるよ」


 火花が顔を寄せて言う。

 ぎこちない笑顔をしている。

 私が今まで避けてきたからそれは無理のないことだ。

 悪いことをした──なんて一言で終わらせれる話じゃない。

 ずっと気遣ってくれていることを自覚しつつも、それを拒絶してきた。

 それでも許されるというのなら、私は……


「ありがと。藍歌先輩がくれたんだ」


 満面の笑みで私は答える。

 こうして昔のように笑っていいのなら、私はもう一度やり直したい。

 火花は一度驚愕の顔をしてから、濁りのない晴れた笑顔を私に向けてくれる。

 自分勝手な私に嫌気一つ見せず、火花は私の隣に急いで座った。


「へえー! 誰なの? 藍歌先輩って。いばらんの彼氏?」

「いや、彼氏なワケ! ……って、え? 火花も話したんじゃないの?」

「………………?」

「………………?」


 お互い混乱しているところに麻衣美が座って口を開いた。


「もしかして、今すれ違った人?」

「うん、そうだけど」

「あの人は『桜内奏斗』って名乗ってた」

「うわ! あの人、私があの時声をかけてなかったらバックレる気満々だったんだ!」


 本当に彼らしい。


「本名は藍歌姫乃だよ。意地悪で、冷たくて、周りに興味がなくて、それでいて優しい──私の初めての先輩」

「……なんか言い方エロくね?」

「もー、さかきんはすぐそう言う方向に持ってく……」


 私は二人らしさというものが変わっていないことに安堵の微笑みを漏らす。


 それから私は懐かしさ溢れる会話をする。

 私が周りの人たちへの感謝を忘れることは二度とない。

 この決意には、微塵たりとも曖昧さが含まれていることはない──。


 ×


 薔薇叶未の家庭環境が今後本当に改善されるのかは分からない。

 東条さんの作戦で無駄だったとしたら、もうどうしようもないのだろう。

 それでも、彼女を支える人間はすぐ近くにいる。

 過去を視るという恐怖がなくなったことだ。すぐに友達も増えるに違いない。

 ──と、外から図書室で楽しげに話している薔薇を見てそう思った。


「…………あれだけ好かれて悪い奴を自称するってのは、嫌味がすぎるよな」


 ただの嫉妬とも取られそうな言葉を吐いて僕は歩く。

 さて、一先ずは一件落着と言っていいだろう。

 魔眼コレクターは文字通りに潰れ、薔薇叶未は過去を視ることはなくなった。

 僕自身の人間関係も広がり、些細な変化もあった。有益かどうかはともかく、だ。

 しかし──と思う。

 最近周りで人が死ぬ。

 殺されかけたり、殺したり、殺すように唆したり……パターンは様々だが、それにしたって普通の人生とは異質だ。大きく道を踏み間違えている気がしてならない。

 僕みたいなのが変わるためにはこれくらい常軌を逸した道にしなければならないのだとすると、僕って奴は本当に哀れだ。

 ……いや、愚かか。

 自分の選択で後悔するような様は《愚か》と表した方が正しいはずだ。

 この言葉は過去視を持ちながら正義感を忘れなかった彼女に、空虚の中にたった一つの思想を取り入れた彼にも当てはまる。

 ああ、一人抜けていたか。未来に逆らうことに絶望した彼女が。

 自殺の為に人を殺す──僕には分からないな。

 予測で視るほどに自分の死を願っていたのなら、一人で勝手に刃物で首を切るなりすればよかったんだ。

 彼女が殺した片瀬由奈のように。

 早見さんはどうなのだろう。巳文字烈子を殺せてスッキリしたのだろうか。……したに決まってる。考えるまでもない。

 ならば、片瀬由奈はどう思っているのだろう。自分を殺した元凶を友達である早見さんが殺したと知って、そのあとは何を思う?

 分かるわけもなかった。話したことのない人の気持ちなんて理解できるはずがない。

 身勝手な予想としては晴れ晴れとした気分になっていると思う。

 綺麗事が好きな人間は『被害者は復讐なんて望んでいない』と言うのだろう。

 どっちがマシな人間なのか。誰が一番まともで、誰が一番愚かだったのか。

 そのうち早見さんにでも訊いてみよう。

 そう思ってから流れる未来──僕が早見さんと会話しているだけのそれを視て肩を竦めた。

 人を殺す未来じゃないだけで自分はまともなんだと錯覚してしまう自分がいたからだ──。


 ×××


 特に珍しくもない涼しい夜だった。

 歩くだけで汗をかくということもなく、ストレスのない夜を楽しむことができている。

 いつもいつも机に向かっているだけではストレスになる。浪人生の私にとって散歩というのはお金もかからないし最高の暇つぶしになっていた。

 歩くというのはいい。自転車を使って風を切るのも悪くはないけれど、やはり歩く方が生きているということを実感できる。

 六月二十二日二十三時。コンビニのレジ袋を片手にアパートへと向かう。

 高校受験の際、田舎を出てきて見つけた、小さくて立地もいまいちだけど綺麗なアパート。私しか住んでいなかったものだから、ご近所付き合いというものが全然なくて──でも、あの子が来て。


「そのうちまたご飯行きたいなぁ」


 姫乃くんは私のことを好いてくれている。いつか誘ってくれた時のが社交辞令ということはないだろう。


「…………」


 立ち止まる。

 それは私の意思ではない。

 足首を何かに掴まれたようで、強制的な静止だった。

 私は足元に視線をやる。


「……うわぁ……」


 人間の手だった。

 地面から生えた色白の手が私の足首を掴んでいた。

 次第にその力は強まり、いよいよ爪まで立ててきたところで──私は唱える。


「截斷」


 魔力を纏った手刀で腕を切断する。

 気持ちの悪い断面図に思わず鳥肌を立たせてその場からバックステップで距離を取った。

 終始視点をずらさない。


「やっぱり精霊さんか。なんで狙われてるんだろう……」


 精霊は再生すると恐ろしい速度で飛びかかってきた。

 切断概念を纏った腕でガードをする以外に助かる道はないと思った。袋を手離し、顔の前で両腕をクロスさせる。

 ──と、精霊は私の横を通り過ぎる。


「ありゃ?」


 追いかける様に振り返ると──一瞬ではあるが心臓が止まった。

 そして間髪を入れず私の首を絞める。軽く体が浮く。

 ……正体は服を着た首無し人間だった。喉の辺りから綺麗に切断されている。こっちの断面は肌の色同様に白い。華奢な体格で女子高生っぽい。先ほどの腕が合体したのか。頭はどこにあるのだろう。


「────」


 気管ではなく頸動脈を絞めるやり方……あっという間に意識が遠くなる。

 死が近づく──その戦慄は私の身体能力を向上させる。

 右手を振るい、先ほどの様に両腕を切断する。

 そのまま空中で体を回転させ、勢いをつけて胴体を一直線に、そして地面に着地するタイミングで両足首を切断した。

 この精霊は脆い──。

 私は返り血を浴びながらも、さらに精霊を解体しようと右手を構えた。

 そこで、誰かが私の背中に触れる。


「やっぱりそこまで強くないな……」


 一瞬──体内が燃える様に熱くなった。

 初めての感覚に頭の中を疑問符で埋めていると、全身から力が抜けた。

 膝立ちになって気づく。

 魔力が……なるほど……これが枯渇した状態なんだ。


「こんな器用なことするなんて」


 何者? と首を向ける。

 そこにいたのはひどく冷徹な瞳をした青年だった。


「俺が訊きたいことは一つです。あなたは、藍歌姫乃の敵か?」


 彼は自身の焦茶色の髪をかき上げて私を見下す。

 ただ冷たいだけではない。

 これは人殺しができる瞳だ──。


 ×井宮奏斗


 閑散としている住宅街ではあるが、流石にここで続きをするほど俺は愚か者ではない。

 徒歩五分もしないところに小学校があったので、グラウンドまでお隣さんを《霊》に運ばせた。


「下ろせ」


 霊に命じる。

 が──俺に従うことなく、霊は担いでいた彼女の首を掴み、放り投げた。

 魔力が暴発した後の彼女がまともな受け身をとれるわけもなく、砂で体を汚しながら小屋に衝突した。

 そんな彼女に追い討ちを仕掛けるためか、霊は放物線を描くように飛んで距離を詰める。

 呆れるほかなかった。

 俺は一枚の札を取り出し


「Poor iron rod」


 唱える。

 霊の爪が彼女に届くより先に、霊の体は札へと吸い込まれていった。

 表面に浮き出る紋様にうんざりとしてしまう。

 ポケットに仕舞い込み、小屋を背中に尻餅をつく彼女まで近づいて、それがウサギ小屋なのだと分かった。

 俺の小学校でも飼ってたなぁ。などと物思いに耽るのも一瞬だ。


「あなたは藍歌の敵か?」


 切り替えて問う。

 顔面を砂や血で汚し、不規則な呼吸をしている。


「姫乃くんの、お友達なの?」


 おっとりとした口調で返す。

 声だけでこの人が優しい人だというのが分かる。

 俄には信じ難い。こんな人が何故……?


「──何故過去視襲撃に協力した?」


 簡潔に訊くと、女性は訝しげな顔つきに変わった。


「驚いた。あなた、魔力を見るだけで個人が特定できるんだね?」

「半径百メートル内にある魔力を探知できる。しかし、あるということが理解できるだけで『どこ』までは分からない。そして見た魔力は個人の区別までつく」

「概念の区別化って……加えて干渉もできるんでしょ? そりゃあ太刀打ちできないわけだよ」


 あはは、と女性は引き気味に笑う。


「なにか魔眼を持っているの? こんなことができるのって……」

「そんなことはどうでもいい」


 俺は詰め寄った。

 ゆっくりと話を逸らされるのはあまり気分が良くない。

 問題はこの人が敵か敵じゃないかなんだ。


「人払いの結界をあの少女に纏わせたのはあなただ。少女の狙いが過去視だったとは言え、藍歌を巻き込む可能性があることはわかっていたはず。あなたは、敵か? それとも──」

「私は彼の味方だよ」


 まっすぐな瞳で答える。

 とても嘘をついているようには思えない。


「ねえ、君は彼に頼られたことはある?」

「…………」


 以前に病院への侵入を手伝ったことはある。しかし、アレを『頼られた』と表現するのは間違っている気がしてならない。

 なら、本当の意味で俺はあいつに頼られたことは──ない。


「私はあるよ。彼に頼られた。恩の押し売りみたいな感じになったけど、最終的には私を頼ってくれた。私は姫乃くんを弟のように思っているよ。向こうがどう思っているかは分からないけど、少なくとも嫌われてはいないんじゃないかな。受験さえなければもっと一緒に遊びたいんだけど……」


 藍歌にこんな人間関係があるとは。

 しかし、こう聞くと余計に分からない。


「なら何故……!」

「頼られたから」


 強気でもなく、ただただ当たり前の事実を口にした──と確信する。

 その自信に俺は口を閉ざした。


「三ヶ月くらい前だったかなぁ……私みたいな似非魔術師宛に鳩が手紙を持ってきてね。ご丁寧に巳文字さんの名前とこれからの予定が書いてあった。私が入学した高校は巳文字さんと同じところで、彼女の身に何があったのかは耳にしたことがあったの。それで、可哀想だなって思って」

「だから、協力した……?」


 可哀想だから他人を巻き込んだ自殺を?

 正気とは思えない。


「まぁ、そもそも襲撃に関しては失敗するって話だから手伝ってあげたんだけど。『どうしてそんな未来を経由するの?』って訊いてみたら、『知らない』とだけ返ってきて……やっぱり、可哀想だなって思った」


 全て嘘偽りのない回答であることは間違いない。だからこそ俺には理解できなかった。

 恐ろしいとさえ感じる儚げな顔に俺は唖然とする。


「そもそもどうして私なんだろうって考えてね、巳文字さんの出した結論は『私の使った椅子にでも座ったんじゃない?』って。驚いちゃうよ。どんな些細なことでも、予想外の未来に繋がるんだから」

「些細……」

「私を殺すの?」


 ……即答できなかった。

 藍歌が心を開いている相手だというのなら殺せるわけがない。

 そうさ……殺せるわけがない。


「あなたみたいなのは、これくらい痛めつければもう何もしないだろ」


 自分で言っていて心底情けなく感じる言い訳だ。

 俺は背を向けて歩き出す。


「姫乃くんに友達が居てよかった。これからも仲良くしてあげてね」

「……クソ」


 紛れもない本音が背後から聞こえた。

 負け惜しみの一つすら吐けずに俺は敷地を出る。

 アパートに挟まれた細道を歩く。

 オレンジ色の灯下に姉貴が待ち構えていた。


「結局無理だったな」

「もとより殺す気なんてなかったさ。分かっているだろう? 彼女はなにも殺されるまでのことはしていない。あの手の狂人は痛めつければ厄介なことはもうしない」


 と見越して殺さなかった──それだけのことだ。

 そう思わないとやっていられない。

 見殺しはできるけど殺しはできないなんて──そんなこと、あっていいはずがないんだ。


「なんにせよ、おまえにゃこっち側は向いていないよ。何回も言っただろ? 大人しく進学して大人しく就職して大人しく老いろ。過去なんか忘れちまえ。記憶しているだけ損だぞ」


 無責任な正義に憧れ、自分を見失った過去。

 そんなもの、たしかに忘れた方が清々することは間違いない。俺だけじゃない、姉貴もきっと清々しい気持ちになるはずだ。

 死ぬべき人間なんて存在しないと放言した。

 死ぬべき人間は大量に溢れていると認識した。

 理想と現実。

 過去と未来。


「……忘れない」


 俺は幼子の様に意地を張る。

 見慣れた対立の意志に姉貴は肩をすくめる。


「一応訊く。なんでだよ」

「……忘れると、繰り返してしまいそうだから」

「は──なんて情けない」


 姉貴は嘲笑してから横を通り過ぎていった。

 革靴の音が消えてなくなるまで俺は立ち惚けたまま──これが過去に対して一区切りついた感覚か。

 向かい合って、本当の意味で理想を切り捨てることができた。

 俺は人を殺せる。

 由奈ちゃんの死が、

 藍歌の言葉が、

 愛海の怒りが、

 俺を矯正してくれた。

 だというのに、忘れてしまえば繰り返すだろうと口にした。


「たしかに、これは情けない」


 俺も歩き始める。姉貴とは反対方向へ。

 今回の件は些細なこととは言い難い。むしろ俺の生き方に影響を及ぼしたのだから大きなことだ。

 ならば、過去となったこの出来事は、一体どんな未来に繋がるというのだろう。


 無数に煌めく星々を見上げ、俺は考えるのをやめた──。

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