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無彩色の願望  作者: 哀川
第三章 死線の過去

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三十二話 もう二度と間違えない

 かつて、私には一人の親友がいた。


 ×


 その少女は未来視を持っていた。

 世界の情報を集約し、これからを予見するなど、これ以上に特別なことはない。どうすれば幸運な未来に辿り着けるのか、不幸な未来を回避することができるのか。無数に枝分かれしている中の一つを知れることは誰にとっても羨ましいことだろう。

 本人も未来視を持って生まれたことを誇らしく思っていた。

 そして——その力を過信していた。

 周囲の人間の不幸を伝え、それを回避する為のアドバイスをした。

 無論彼女は善かれという思いだった——が、無知な少女は後に思い知ることとなる。

 予測の意味と、自分がしてきた行動の本質を。


 ×


 巳文字烈子は高校二年生の秋を迎えた。

 無数の鰯雲の下、紅葉に彩られた景色に心を澄ませながら彼女は歩く。

 歩き慣れた帰り道ですら退屈しない季節だ。


「ほーんと、あんたって秋が好きよねー」


 その隣を歩く、烈子と同じショートヘアの少女——戸道とみち涼音すずねはつまらなそうに言った。

 烈子は心の中を覗かれたような発言に驚き「へっ⁉︎」と涼音に顔を合わせる。


「すご! どうして分かったの? 私が秋好きだって。読心術の使い手なの?」

「なによ、そのリアクションは。あんたは全部顔に出てんのよ、顔に」

「うひゃあ……それは恥ずかしい」

「まったくよ。可愛らしいといえば可愛らしいけど、もっとちゃんとしなさい生徒会長。威厳がふっ飛ぶわよ」


 生徒会長である烈子にとって耳に痛い言葉だ。

 彼女は思考をすぐに顔で表してしまうところがある。生徒の代表としては格好が付かない有様だ。


「あんた学校じゃなんて言われてるか知ってる? 《顔でお喋りする占い師》よ」

「……占い師かぁ」


 烈子はなんとも言えない感情で繰り返す。

 顔でお喋りはともかく、占い師は烈子にとって聞き慣れた代名詞となっていた。

 未来視という、聞く人にとっては超能力とも取れる力を烈子が持っていることは、小学校以来の友達である涼音を除いて両親しか知らないことだ。だからこそ広まった不思議な二つ名である。


「それにしても、ウチの高校って偏差値高い割に校則厳しいわよね。会長さん、なんとかならないの? 頭髪検査とか化粧禁止とかいう個性潰し鬱陶しすぎんか」

「漫画やアニメじゃないんだから、すぐに何でもかんでも変える力はないよ? 基本は既存のルールに沿って現状維持をするだけ。個性潰しか……気持ちは分かるけどねー」

「なら少しでも緩くなるように働きかけてよ」

「努力はするけど、その為にはみんなが普段から校則を守るということが重要だよ?」

「ん、じゃあ期待してるわ」

「任せてよ! なにせ私の座右の銘は『秋霜烈日』だからねっ!」

「……あんたの好きな『秋』と『烈』が入っているから座右の銘ってのは分かるけど、なんだか今の流れで使うには意味が違うわよ。寧ろ厳しくしていくってことなら分かるけど。もしかして今思いついたの?」


 硬く拳を握っていたところに水を差され、烈子は今までにない羞恥心を覚えた。

 頬に集う熱を笑って誤魔化す彼女の愛おしさは、水を差した本人すらも笑顔にするほどの価値があった。


「秋霜烈日はあんたのお父さんみたいな人にこそ当てはまるような——って」


 涼音の言葉を最後まで聞かずに烈子は駆け出した。

 彼女は道脇に置かれた石の前で立ち止まった。成人の頭部ほどの大きさがあるそれをじっくりと見つめた後に、烈子はそれを持ち上げる。

 そして近くの住宅街にある公園へと足を進める。


「何やってるのよ。汚いなぁ」


 追いつく涼音。

 烈子は石の重さに奮闘しながら答える。


「夜中にね、大学生っぽい男がこの石を道路に置くの。それで前方不注意だった運転手がこの石を轢いて事故に遭う——」

「あー……未来視ね」


 途端に複雑な表情をする涼音。

 石を公園の茂みの中に置いて手に付いた汚れを払い、振り返ると、涼音がブランコに腰を預けていた。

 なにやら思い詰めた顔をしている。烈子は親友であるが故に言葉に悩み、長い逡巡の果てに隣のブランコに座って言った。

「どっうかした?」


 噛んじゃった……。

 烈子はまたもや頬を熱くする。


「いやさ、こういうのって、本当に正しいことなのかなって」


 涼音は真剣なまま答える。


「善行なのよね、あんたのしていることは。小学生の時からあんたの隣にいるからそれは分かってる。誰かが困っていたら駆け寄る奴で、これから困るようなことが予測できればそれを回避させようとする。お人好しにお人好しを掛けたような奴なのよ」

「…………」

「でもさ、例えば……今さっきのあんたの行動によってアホな大学生は石を道路に置くことはなくなって、交通事故も起こらない。少なくともその可能性は潰れたわ。けれど、大学生が軽石を置いて交通事故が起こって警察が大学生を逮捕する可能性も潰したことになるわよね」

「そ、そうだね」

「それって、どうなんだろう」


 詰めるように涼音は言う。


「悪い奴が悪い奴のまま野放しにされる状況になった……って私は思うわけ」


 たしかに、と烈子は弱々しく反応する。

 善行というのは己が気持ち良くなる為だけの自慰行為と同義なのではないか。

 悪を潰すのならまだしも、これは悪を見えなくしているだけにとどまっている。またいつかどこかで悪行に洒落込む可能性はゼロではない。

 しかし——見過ごせない。


「……私がとやかく言えることじゃないわね。私は何度もあんたに助けてもらったんだし、こんなこと……」


 涼音の膝に紅葉が落ちる。

 自然が自然のままである光景に心を奪われながらも、烈子は涼音の言葉を待った。


「でもね——運命は運命のままにしておく方が無難だと思うのよ。善悪の問題もそうだけど、それよりもあんたが未来を操らなきゃいけない責任はどこにもない。あんたは神様でも何でもない。ただの私の大親友なんだからさ」


 涼音は紅葉を手に取って笑いかける。

 烈子はそれが自分の思考を曝け出したことと、自分に対して『大親友』と言ったことの照れ隠しだと分かった。

 笑顔が感染る。

 未来視よりも価値のある親友の言葉を胸に刻む。


“運命は運命のままに”


 烈子は納得した。

 しかし。

 それが実行できるかどうかはまた別の話だった。


 ×


 日を跨いだ学校帰り。

 いつも通り烈子は涼音と共に談笑をしながら歩いていた。

 ここは四車線の繁華街で学校の近くということもあり、まさしく喧騒の真っ只中とも言える。

 信号待ちの間も二人の会話は止まらない。


「え? せっかく軽沢くんに告白されたのにフったの?」

「うん。あんたも知ってるでしょ? 私は休み時間に読書をするような人がタイプなのよ」

「えー、贅沢だなあ。軽沢くんってすごくいい人なのに。優しくてかっこよくて、おまけに成績優秀で野球部でもレギュラーなんだよ! 涼音も頭良くてテニス部のレギュラーで、すごくお揃いじゃん!」

「それでも授業中にスマホ触ったらマイナス百点。私は厳しいのよ。そして贅沢なの」

「えぇ……、だったら私が付き合いたかったぁ……」

「ふふ。悔しかったらあんたも私くらいいい女になりなさい。まずはスポーツを始めるべきね。運動神経の良い女はモテるわよ」


 肩を落とす烈子を置いていくように先に横断歩道を渡る涼音。


 ×


 青信号。

 飲酒運転。

 黒のワゴン。

 肉塊と化したかのじょ。

 それは、私の大親友。

 


 ×


 呼吸も忘れるほどに衝撃的な未来を視た烈子。


「ひっ——」


 右を見るとワゴンが向かって来ていた。

 六十キロ。

 運転手の男はハンドルは握っているものの顔を伏せている。


 涼音がその存在に気付くよりも先に烈子は動いていた。


「涼音!」


 涼音がこちらに向かうワゴンに気づいたその時、僅かに体を浮かして後ろに飛ぼうとしていた。

 バックステップによる回避行動を取ろうとしたその時、既に烈子は彼女の背中を押していた。


「あ——」


 鳥肌が止まらなかった。

 涼音の動きだけでなく、ワゴンも予測の通りの動きをしなかった。

 直進のはずだった。

 未来視の通りなら今烈子が居る場所がワゴンの通過点の中心となるはず——しかし、男は途中で目覚めてハンドルをきったのだ。

 通過点の中心となったのは烈子と涼音の間だった。ただ二人が事故に遭うと言う結果だけが残る位置だ。

 烈子には全てがゆっくりと動いているように見えた。

 背景に落ちる紅も、

 夕焼けに浮かぶ鳥も、

 遠くを歩く人たちも、

 振り向きざまに怒りと困惑の狭間にある表情をしていた涼音も。

 涼音は口を開く。

 どんな口調でどんな罵倒をされるのか、烈子は想像もつかなかった。


 そして、そんな疑問は即座に闇の中。

 重々しい音が全てが終わらせた。


 ×


 あの事故から丸一日烈子は意識がなかった。

 無意識という暗闇の中には、涼音の最後の顔が張り付いていた——。


 ×


「左目は完全に潰れてしまったの。左腕は開放骨折していたので関節から切断。意識が回復するかどうかは——どうでしょうね。確定したことは何も言えないとのことよ」


 事故から三日後。

 涼音の眠る病室の前で、涼音の母は悲しげに微笑んで答える。

 烈子は絶望を浮かべながら俯いた。


“私のせいだ——!”


 自分を責める烈子は車椅子に乗っている。

 脊椎損傷による脚部の対麻痺が彼女を苦しめている……しかし、こんなのは涼音に比べたら何ともない。完全麻痺ではなく不全麻痺。感覚機能が鈍くなるものの、半年かそれ以上をかけてリハビリすれば元の生活に戻ることが可能だ。

 罰にすらならない、と烈子は唇を噛み締める。


「あまり自分を責めないで、烈子ちゃん。これはどうしようもなかったのよ。あなたは涼音を助けようとしてそんな体になった……むしろこちらが頭を下げるべき問題ね。本当にごめんなさい」


 涼音の母はそう言って腰を折って頭を下げる。


「そ、そんなこと……」


 気を遣わせるだけでなく頭まで下げさせる失態に烈子は潰れそうになった。


「烈子ちゃんも、あの子が目覚めるように祈っていてくれると嬉しいわ」


 お願いなんてされるまでもないと烈子は思った。

 しかし、涼音が目覚めるだけで終わるような話ではない。

 潰れた目と切断された腕が元通りになることはないのだ。その事実を涼音が受け入れ、その後涼音は烈子に対して何を口にするのか。

 烈子にとってここまでゴールである。

 気の遠くなるような話だ。


「せっかくだし、涼音に会ってあげて」


 そう言われて頷ける精神状態にない烈子は深々と頭を下げて車椅子をこぐ。

 会えるはずがなかった。

 あの時、涼音はもしかすると避けることができたのではないのか。仮に無理だったとしても、損傷の位置は脚部のみにとどめられた可能性が大きい。

 あの回避行動を邪魔した挙句、癒えない傷を負わせ、その上寝たきりの状態にさせてしまった。彼女の家族をいつ起きるか分からない状況のまま不安にもさせている。


「私、なんで生きて……」


 自然と涙が溢れる。


『運命は運命のままにしておく方が無難だと思うのよ』


 涼音の言葉が頭から離れない。

 今思えば『出過ぎた真似はするな』という忠告のようにも取れる。それが事実かどうか確認する方法は彼女に訊ねる以外にないのだが、おそらくは正しいだろう。

 涼音とは今まで一度も喧嘩することはなかった。笑顔の時にはいつも隣に涼音がいたし、悲しい時も涼音がいればその気持ちはどこかへ飛んでしまう。どんな天気でも彼女は隣で晴れ間を作ってくれていた。

 故に忘れることはない。

 事故の直前に初めて見せた涼音の顔を。


 病室に戻りベッドに移る。


「怖い……」


 あの顔は——とても怖い。

 精神的に潰れるどころの話ではない。本当に死んでしまう直前だ。

 現実逃避に付けたテレビで夜のニュース番組が流れた。三日前のこの事故のことは取り上げられていない。

 それもそうかと烈子は思った。

 交通事故なんて毎日のように起きている。よっぽどのことがなければその日に取り上げられてお終いだ。犯人も大人しく飲酒運転で捕まり、賠償金に関しても支払いをするようだし、まったく特別視されるような要素はない。

 こうして事件関係者の立場になってみると、まるで考え方が変わる。

 ニュースで見るだけと当事者では生々しさに差が大きい。こちらに構わず進み続ける世界に置いていかれるような疎外感も初めてだ。

 ニュースが切り替わる。


《続いてのニュースです。先日、市内住宅街にある公園で男性が石で撲殺された事件で、警察は二十二歳大学生を殺人容疑で逮捕しました。容疑者である男性は——》


「——ちょっと……」


 容疑者の顔が写り、事件が自分の行いによって引き起こされたものだとすぐにわかった。

 あの日——事故に遭った日、烈子が石を公園に移動させたことが原因だ。

 移動させなければ事故が起こっていたが——少なくとも予測の通りならば死者は出なかった。

 移動させたことにより、一人の人間が殺されることとなった。


「やめてよぉ……!」


 頭を抱えて息を荒げる。

 追い討ちをかけられるような気分になった烈子。

 やることなすこと全てが悪い方へと転じてしまっているこの状況を支えてくれる人はいない。

 勿論家族は両親共々健在だ。しかし、昨日にこの個室で事故の真相を打ち明けると、二人は口を揃えて言った。


『愚か者』


 烈子はその通りだと思った。

 悪気がないからと言って許されるような問題ではないのだ。そうと自覚しつつも、烈子は誰かに確かな善意を受け止めてほしかった。

 けれど、一番身近な人に拒絶された以上、それは叶わぬ望みとなってしまった。


「もうやだっ……!」


 嗚咽混じりに烈子は泣く。

 泣いて泣いて、それでも涙は止まらず、この現実が終わることはない。

 しまいには泣き疲れて眠りにつくも、涼音の最後の顔が浮かび上がる。彼女は何かを言うが、それは聞き取れない。

 地獄は続く。


 ×


 大分懐かしい夢を見た。

 いや——『懐かしい』というのは多少語弊がある。

 私は例の事故を懐かしいと思えるほどに忘れたことはない。毎日のようにあの瞬間をフラッシュバックしているし、彼女の形相も鮮明に浮かぶ。全てが昨日のことのようにまとわりついてくるんだから、全然懐かしくはない。

 ただ、あれから六年もたったという事実があるものだから、時間の経過上『懐かしい』という言葉しか見つからない。

 二十三歳となった今でも彼女は眠り続けている。生きているというよりも死んでいないだけの日々がこんなにも続いている。

 そのくせ元凶である私は呼吸をしている。

 ——けれど、すぐに終わる。


「私はもう二度と間違えないよ」


 薄暗い小さな診療所の中、ベッドの上で私は天井を見つめる。

 終着点にもうすぐ着くはずなのになにもやり遂げた感じがしない。

 やっぱり、心残りなのかな。

 彼女に——涼音に会えないことが。

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