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無彩色の願望  作者: 哀川
第三章 死線の過去

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三十一話 凶兆

 人差し指から放たれるのは揺らめく青の炎。人間の頭部二つ分のそれはざっと五十キロほどの速度で向かってくる。

 よっぽど鈍い奴でなければ躱すことは容易だ。僕は運動神経が良い方で、それに早見さんの地獄のトレーニングを乗り越えたこともあり、回避に関する問題は特にないように思う……けど。


「やはり体力の面では問題があるのだった」


 と、蒼炎を柱を盾にして防ぎながら分析してみる。

 殺し合いが始まって一分ほど。容赦なく、そして幾度となく放たれる蒼炎を回避し続けて脇腹を痛め始めたのが現状だ。

 変わらず入り口を塞いでいる彼に近づくことが叶わない状況が続いている。一向に距離が縮まらないのは、遠距離型と近距離型との対決において当然とも言えるだろう。

 このままじゃジリ貧だけど、しかし分かったこともある。

 彼の蒼炎が地面や柱に衝突すると跡形もなく消え失せるということだ。モノに当たって焼けたと言う痕跡一つとして存在しない。まるでその魔術など存在しなかったかのように、熱気すらモノに当たると無くなっている。そして、彼が狙うのは僕の頭部か手のみだ。

 ……仮にそうだとしたら……何とかなるか。

 あとは未来視を使って相手の動きを予測する。目に魔力を集中させ、柱から指鉄砲を構える彼を覗く……が——何も視えなかった。


「……まあ、人によるもんか」


 僕と彼ってかなり相性悪そうだし。

 表情の変化がないから動きが予想できないところが特に嫌いだ。

 …………僕じゃん。


「同族嫌悪か」


 ふと息を吐いて柱から飛び出す。

 ——直後に迫る蒼炎を、足を止めることなく躱す。一つ、二つ、三つ目を避けたところで、体勢を崩す。

 地面が柔らかくなっていた——。硬いコンクリートを蹴るつもりで踏み込んだ右足は、まるで泥を踏んだようだった。


「くっそ……」


 前のめりになった状態で認識できたのは、十メートルほど先の男が矢を象った蒼炎を構えていたこと。

 察するに、形状などを変化させて速度を調節できるのだろう。僕の体力がほとんどなくなり、体勢も崩し、躱すことが困難な状況での必殺技というわけだ。

 そして、蒼炎が僕の顔面を目掛けて放たれる。そのタイミングで左足がついたものだから避けようがなく、僕は半信半疑のままに顔の前に腕を出した。

 そう——手ではなく、腕。

 目は瞑らない。

 蒼炎の先が腕——いや、正確には服に触れた途端、それは消え去った。

 やっぱり、この魔術は人間のみを──生物のみを焼くのか。そうと確信してしまえば話は早い。

 すぐに体勢を立て直し、真正面から突っ込む。

 男はただ棒立ちをしている。

 戦意喪失なら幸運なことこの上ない。そのまま死んでくれ。と、逆手に持ち替えたナイフが男の首に到達する。

 このまま脈を断つ——。

 刃が皮を断ったところで、男は口端を釣り上げた。


「——……」


 ぴたりとナイフを止めてしまう。

 僕よりも身長が高いので、僕は僅かに見上げたまま停止した。どういうわけか、とどまるべきだと感じた。


「俺は」初めて男が口を開く。「俺は、ここまでだ」


 機械的な口調。しかしそれとは対照的に人間味のある、不思議と満足げな表情。

 気持ち悪いと思ったし、不愉快だとも思った。


「どういう意味ですか?」


 答えを期待してはいないが僕は訊く。

 直感だろうか。なんとしてでも訊くべきだと思った。


「……」


 怪訝そうな視線に変わる。確かに僕と目を合わせているが、きっと僕のことは見えていない。

 ——何かを思い出している?


「そうか、会話か」


 男は瞬きを一度挟んでから、今度は確かに僕を見た。

 突きつけたナイフに動揺することなく男は続ける。


「なあ未来視。おまえ、コレクターを潰した後はどうなると思う? あいつらは元々は研究職勤務だったとはいえ、終わることのない堕落に手を伸ばした奴ら——……今となってはただ楽をして金を稼ぎたい人間、他人を痛めつけることに快楽を覚えている人間、私情も使命も義務もなく流されているだけの人間。そんな奴らをミックスさせた変態組織を壊滅させた後だ」


 意図のわからない問いだが、無視をする流れではない。何か情報を語ってくれると言うのなら乗っかるのが得策だろう。

 だから僕は慎重に言葉を選ぶ。


「魔眼持ちが安全に生きていける……」

「かもしれない。そうなることを祈ってやる。けどな、この結末は気持ちが悪い。事の解決の代わりとして蟠りが残り続ける。全てが虚しく感じられる」

「……あなた、なんなんですか? さっきの三種類の人間……あなたはどれに属している?」

「三番目だ。俺は恋に流された」


 男は視線を上げる。頬を赤らめ遠い目をしている、恋に塗れた汚い顔。

 なるほど、これはたしかに変態的だ。


「あなたが恋した人が黒幕?」

「なあ、いつ俺は殺されるんだ?」


 純粋な質問だった。それは僕に投げかけられたようにも聞こえたし、別の誰かに投げかけたようにも聞こえた。

 見た目の割に幼さを感じさせるような、どこか壊れた顔になった。


「そうだ」


 何か良くないことを閃いた声。


「おまえの名前だ。たしか——姫乃。藍歌の姫乃。これっておまえの名前なのか?」

「——…………」

「この気持ち悪い名前について語り合おうや。軽い気持ちで人殺しをするおまえの名前。気持ち悪い。気持ち悪くて気持ち悪い。しかしほんと気持ち悪い——」


 男の声は次第に遠くなっていった。

 代わりに彼女の声だけが頭の中に響く。


《もう軽い気持ちで殺しちゃダメだよ》


 ……東条さん。それは、考えた上で下した決断なら……悩みに悩んで選んだ選択ならいいってこと? 重い気持ちで殺したいと思ったら、いいってことだよね。


《          》


 なんて答えるかな。

 全然分からない。

 なら、姉さんは? 姉さんならなんて答える? 叱責か? それとも……。


「姫乃」


 にやりと嗤う男が僕の思考の邪魔をする。

 僕は嗤わずにナイフを一度男の首から離し——勢いをつけて刺す。

 ……その行為は未然に終わった。

 空振りだった。突如男の体が倒れ、ナイフは空を斬っただけに終わった。

 男は白目を剥いて気絶していた。そんな彼の後頭部には一枚のお札が……そして、出入り口には涙痕を残した井宮が。


「殺しちゃダメだ」


 井宮は言った。そんな彼の言葉にこそ殺意が込められていたような小さな矛盾を感じる。

 消えるように彼は外へ出ていく。


 こうして、男の言う虚しさ以前に蟠りが生まれてしまった。


 ×


 地上は犠牲者ゼロのくせに地獄絵図だった。

 そこら中に散りばめられた糸やワイヤーに、道路で大の字になっている桜内。地面を変形させたまま、その中に眠る血だらけの女性に、その横で顔を覆っている早見さん。芝生広場では体中にお札を貼られた大笠さんが死んだように眠っており、その上に肩を揺らした井宮が腰を下ろしていた。

 そんな状況に一台の黒のプリウスがやって来た。中から出てきたスーツ姿の二人の男。一人は天竜寺さんだ。もう一人は……なんだか童顔な人。

 二人とも手際がよく、とてもスムーズにことが進んだ。

 状況の説明をしている間に童顔の人がコレクターの三人を完全拘束した後に車にぶち込んだ。

 僕たち四人は『遊んでいたところ、不審者に襲われている女の子が居たので、不審者を捕らえようとした善良な一般人』として話をした。特に突っ込まれなかったものの、天竜寺さんはまるで信用していない様子だった。

 それで終わり。


『は——終わりですか⁉︎』


 井宮が車に入ろうとする天竜寺さんに言った。


『俺たちはこれから機関で再度正式な聴取を受けるはずでしょう⁉︎』

『餓鬼は早く帰るんだ。こういった《不審者》が後何人いるかわからんからな』

『……あなたは人として当たり前のことを当たり前に熟す人だと思っていたのに……』

『だれであろうと、年齢や立場には敵わねえんだよ』


 この会話で、やはり機関に何かしらの息がかかっていることが実感できた。

 ちなみに行動課というのは一班四人で構成されているらしく、片瀬由奈は別の二人に近くの病院へ搬送してもらったとのこと。死んではいないものの、やはり綺麗さっぱり目を持っていかれたらしい。

 ……僕たちは四人別々に帰った。さすがに一緒に仲良くなんて雰囲気でいられない。それぞれに考えるべきことがあったのだ。

 こうして六月二十日土曜日は幕を閉じる。

 さて。またしても何一つ解決しなかった。


 ×


「………………朝だ」


 二十一日の午後一時。いつも通りソファで目を覚ます。昨日は九時くらいに寝たから……十六時間近く寝ていたことになる。


「……朝じゃなかった」


 体を起こしてぼうっと天井を見る。

 ずっとこのままでいられると思った。何も考えなくていい時間はとても心地が良い。この時間は本来当たり前にあったはずなんだけど、どうにも久しぶりな感じがする。

 環境が変わったからか——僕が変わったからか。


「……脆い奴」


 洗面所で顔を洗う。

 雑ではあるが応急処置として首には包帯が巻いてある。

 怪我することが多くなったなあ、と他人事のように思って再び着席。

 次に左腕に巻かれた包帯を外す。傷口は確かに塞がっていたが、しかし傷跡自体は残っていた。まあ、本来なら一週間で治るレベルではない傷を治せたのだから、これ以上の贅沢は言うまい。これで包帯生活とはさよならだ。

 再び横になる。

 目を瞑ると、自然と浮かび上がる昨日。


『姫乃』


 その名を呼んだあの男。彼はここで終わりだと言っていた。自分の役割はここまでだと。そう——まるで自分のことを駒のように……。

 事の解決の後に残るのは蟠り。

 全ての終わりに発生する気持ち悪さ。


「……いや、どうかな……」


 納得できるようなできないような、そんな曖昧な一つの答えを予測し息を吐く。

 携帯を手に取り、電話帳に登録してある心儀さんに通話をかけようとしたところで——着信が来る。井宮からだった。


『藍歌、今時間あるか?』

「あるけど……」


 昨日の落ち込み具合を感じさせない声色は寧ろ不自然に思えた。


「また作戦会議でもするのか?」

『いいや。鉢木病院に来てくれないか?」

「鉢木病院?」


 みずきちゃんが入院している総合病院とは別のところだ。


『由奈ちゃん……片瀬由奈がそこに移されたんだ。あの病院は魔術世界の息がかかっているところでさ。話によるとものすごく精神状態が安定していて、もう面会していいらしい。これからお見舞いに行こうと思うんだ。由奈ちゃんと話せば、藍歌に何か視えるものがあるんじゃないかと思ってさ』

「…………分かった。三十分後には着く」


 通話を切る。

 妙な予測が立った。未来はまだ視ていない。つまりは直感に近い。


 案の定、着いて目の当たりにするのは、未来ではなく地獄だった。

 

 ×


 病院のロビーには結構な人が居たが、井宮は誰に紛れることもなく座っていたのですぐに発見できた。

 そう……誰も黄色い花束を死んだ目で見つめて沈んだ雰囲気を漂わせている人には近づきたくないものだろう。たとえそれが井宮ほどの美男子であってもだ。

 僕が近づくと、こちらから声をかける前に井宮は顔を上げた。


「突然ですまない」


 ぎこちない笑みに僕は首を振って応じる。

 井宮は腰を上げて歩き始めた。病室を知らない僕は一歩ほど遅らせて彼の斜め後ろを歩く。


「——友達だったんだ」


 院内を歩く最中彼は唐突に言った。それは独り言のようにも感じ取れる。すでに繰り返し吐き出したような感じがある。


「いや、厳密には違うな……由奈ちゃんは小学生の頃の同級生だったんだ。彼女が授業中に落とした消しゴムを拾ってあげた……それだけの関係でさ」

「それはたしかに友達とは言えないな」

「ああ。……忘れていたことは仕方ないと言えば仕方ないんだろうけど、やっぱり申し訳ないと思ったよ。愛海は由奈ちゃんと友達だったようで、俺のことも何度か話題になったらしい。なあ……愛海はどうして由奈ちゃんのことを黙っていたんだろう」

「おまえが何も言わずに早見さんの前から去ったことを根に持ってるんじゃないか?」

「……そうか、なるほど……。それは確かに、ただの意地悪って話じゃ済まされないな」


 井宮は乾き切った笑い声をあげる。表情も背中から察しがつく。


「藍歌。お前にはコレクターがあいつらで終わりだと思うか? 目を抉る犯罪集団は壊滅したと思うか?」

「まさか。心儀さんは言っていたよな。あの二人が今まで捕らえたコレクターが顔すらも知らない奴だって。限りなくリーダー的存在に近い存在なんだろうけど、アレが組織を立ち上げるレベルの知能があるとは思えない。元凶は別にいると思う。昨日僕が対峙した男もそう思わせるようなことを言っていたよ」

「そっか……。そりゃあそうだよな。やっぱ、保険はかけるべきだよな」


 脱力するように息を吐く。黒幕を潰せないことに対して疲れを覚えた——ようには見えなかった。


「『保険』って?」

「昨日コレクターと戦うことになるってことは事前に心儀さんに伝えていたんだ。そして無理を言ってその状況を監視してもらうことにした。彼は彼で監視されている立場にあるから手出しはできないってことだったけどな」

「監視……監視だって? そんな雰囲気はまったく感じなかったけど……」

「監視に気付かれたら監視の意味は消失してしまうからな。それに言っただろ? 彼は彼で監視されている立場にある。迂闊に近づけない状況下で無理言って動いてもらったんだぞ」

「無理を言って……ね。あの人はそもそも魔術世界の警察なんだから、そんくらいは無理をしろって思うけどな僕は」

「藍歌は手厳しいなぁ……」


 苦笑している井宮を、僕は逆に甘すぎるとさえ思ってしまう。


「俺は本当にダメな奴だな。時間が経つにつれて視野が狭くなりすぎた」

「…………」


 前に井宮母の話が脳裏をよぎる。


「『たとえ悪人だろうと苦労して生まれてきたんだ。簡単に殺すなんてできない』……この姉貴の一言で俺は全てを失った気がする。……昔の俺なら、こんな風に誰かのせいにしなかった」


 哀しげに「まったく……」と井宮は呟く。

 僕はまだ何も言わないことを決めた。何かを言うに相応しい状況というのは、きっと今じゃない。

 エレベーターに乗り込み、三階のボタンを井宮が押す。

 扉が閉まる。

 ——そして、流れ込む未来。


 ×


「髪を切りたいの」

「え? 髪を?」

「うん。『目がなくてもこれからを生きていくぞー!』って意思を込めて、バッサリと行きたい。目が無い以上、美容師さんやお母さんに切ってもらったところで満足できないと思うんだよね。だから、どうしても自分で髪を切りたいの。お願いお母さん……ハサミを持ってきて?」

「そうね……うん、いいよ。ただ、一人じゃ危ないからお母さんも手伝うからね?」

「うん。ありがとう」

「じゃあちょっと買ってくるから」


 ×


「い……井宮」


 僕らしさが欠ける言い方をした。


「エレベーターの扉が開いたら速攻で片瀬さんの部屋に行ってくれ」

「藍歌……未来を視たんだな⁉︎ 一体何が起こる⁉︎」

「彼女は死ぬかもしれない。声色と表情……僕みたいな人間だからこそ察しが——」


 僕の言葉の途中で三階に着く。

 扉が開いた瞬間、井宮は花束を捨て風を残して一瞬にして走り出した。

 黄色い薔薇——確か意味は……。


「…………」


 花束を手に取って井宮を追う。


 響き渡る悲鳴。


 女性のものだ。

 既に井宮は扉を開けて中に入った後だった。

 僕は少し遅れて中に入る。

 ベッドの傍で血を浴びた女性が腰を抜かしている。

 井宮は絶望の眼差しをベッドに向けていた。

 そのベッドの上では、目を包帯で巻いた同い年の少女、片瀬由奈が——自身の頸に鋏を突き刺していた。

 いや——正確に言えば、突き刺して抜いた後だった。勢いよく血が流れたことだろうと誰もが分かるほどに血まみれの室内は鉄の死の匂いが漂っている。

 今も尚勢いこそは弱いが流れ続ける血。片瀬由奈はピクリとも動かない。即死するとは思えないし、片瀬由奈の母親が悲鳴をあげるまでに少しばかりのタイムラグがあったのだろう。

 僕は井宮の隣に並ぶ。


「精神状態が安定してるわけがないだろ、目がないんだから。誤診を誘ったんだろうな」


 すぐに人が来るだろうけれど、僕は一応ナースコールを押した。

 それから井宮の隣に移動して片瀬由奈の死顔を見る。

 笑っているように見える。何かしらのしがらみから解放されたように澄み切った笑顔。


「お前はこの人を忘れていたとしても思い出した。友達になりたかったんだろ? これを見ても黒幕に殺意が湧かないのなら、それはそれで終わりだ」


 横目で井宮を見る。

 半開きの口に見開いた目。限りなく無表情に近いが確かに伝わる敵意。しかしそれは殺意未満。

 肩を竦めて井宮に花束を渡す。

 力なく受け取った井宮は、片瀬由奈の足元にそれを置いて部屋を出る。

 振り返ることなく彼は言った。


「藍歌……行こう。ここに居ると、揺らぎすぎてしまう。殺人衝動に潰れてしまう」


 僕は井宮を追う前に片瀬由奈に目を向けた。

 少し話をしてみたかった。

 死ぬと決めた時の片瀬由奈と、死んだ後の片瀬由奈。

 命を絶つことが己にとって最善であると言う、ある意味では正しい選択を取った賢い人間。

 死してなお笑えると言うのなら、やっぱ、そんなに悪くないのかな。


「……、……」


 血に沈んだ部屋を後に、院内はいよいよ騒然とし始めた。


 ×


 思えば事件現場の目撃者として色々と聴取を受けるべきなのだろうけど、僕たちは足早に病院を後にした。

 あのパニック状態の人から話を聞くことは骨が折れることだろうが、そんなことは僕らの知ったことではないし。

 病気を出る前、井宮は誰かに電話をかけていた。十秒にも満たない通話時間だった。

 誰にかけていたのかは考えるまでもない。


「——で、これからどこに行くんだ?」


 早歩きを止めることない井宮の背中を追いつつ僕は訊く。


「東条さんの家だ」

「ああ……なるほどね」


 人払いの結界で保護しているあの家は、彼が監視を逃れるといった場所に最適と言うわけだ。


 ×


 白を基調とした一階建の家。室内は開放的で日当たりがいい。清潔感と生活感の共存が感じられる、僕の家とは対局の雰囲気。

 で。

 そんな家のリビングにて、東条さんと薔薇はマリオカートに全力だった。

 僕と井宮が来ても尚、はしゃぎにはしゃぎまくっている。常にシリアスな空気よりはいくらか気は楽になるが……。

 しかし……まだ魔眼封じの眼鏡は届いていないのか。


「さすがに元気だな。……東条さん、飲み物を貰うよ」


 井宮は独り言のようにこぼしてキッチンへ向かう。来慣れた動作だ。

 僕はソファの端に座って観戦を始めた。薔薇が十二位で東条さんが一位。東条さんが薔薇に追いつき、アイテムを駆使してボコボコにしている。容赦ねえ。

 うん……薔薇はさすがの不器用っぷりだ。

 決着がついたところで井宮が僕の分まで水を持ってきてくれた。軽く会釈し井宮は床に座ったところで薔薇が叫ぶ。


「勝てなぁあぁあああぃ!」


 と、髪をくしゃくしゃにする一方で東条さんはソファーに立ってガッツポーズ。


「ゲームにそこまで感情的になれるだなんて羨ましいよ」


 井宮が微笑みながら言う。

 その言葉をいい意味で受け取ったらしく、東条さんは純度百パーセントの笑顔で応じた。


「勝ち負けが付く物事で感情的にならない理由がないからね」


 東条さんが井宮に顔を合わせた時だった。彼女から笑顔が次第に消えていき、感情ががらりと反転した。足を組んで座り直し、まじまじと井宮を見つめる。


「何があったの? メッセージじゃここで話をしたいってことしかなかったけど……」


 空気が凍る。

 僕は彼女の切断された脈から吹きこぼれた血を回想した。きっと井宮も同じだ。あの死に様はすぐには忘れられるものではない。思考の切り替え程度で済むような話ではない。

 一日くらいは経たないとあの光景は脳裏に染み付いたままだ。


「え? え?」


 困惑したままの薔薇。

 置いてけぼりの彼女をさらに置いていくように井宮は先程の出来事を説明した。救いのない話を東条さんは顔色ひとつ変えることないまま聞いていた。薔薇は視線を落とし俯いている。さすがに『目を抉られた後に自分で首にナイフを突き刺す』というあまりにも異質な話は聞くに堪えなかったらしい。


「そんな、事が……」


 口元を押さえる薔薇。

 僕が人を殺した時とは対極の反応だ。正義のための殺人と私情のための殺人、どちらも行き着く果ては人殺しだと言うのに……随分と極端な奴だ。


「色奈さん……ごめんなさい、ちょっと洗面所借りますね……」


 薔薇はリビングを駆け足で出て行った。


「ねえ、姫乃くん」東条さんと目が合う。「少し叶未ちゃんの側に居てくれるかな? ちょっと奏斗くんと話がしたいの」


「分かった」と二つ返事で僕も出ていく。

 どんなことを話すのだろう。理性的に見えてその実感情的な彼と、全てを見通しているような彼女。是非とも聞き耳を立てたいところではあるが、僕だって当たり前のことを当たり前にできる人間だ、そんなことはしない。


「当たり前か……」


 自分で言ってて適当がすぎるなと思った。


 薔薇は洗面所で顔を洗っていた。曇った表情で鏡と見つめ合っている。そんな風景を横で傍観している僕に気付くと、薔薇は鏡に向いたまま「えっち」とふざけて言った。


「どこが」

「水に濡れた女の子ですよ? 色っぽいでしょ」

「…………」

「あはは……さすがにブレないですね」


 作り笑いに見えた。

 そして、鏡面に映る自分自身を訝しむように睨みつける。


「私は間違えたのかもしれません。先輩に悩みを打ち明けるべきじゃなかった……かも」

「……と言うと?」

「藍歌先輩の過去を見て、きっとこの問題を解決してくれると思った。けどまさか、そこまでする犯罪組織と対峙することになるなんて……!」

「ふうん……自己中心的な態度が君らしさだと思っていたけど」

「私をなんだと思ってるんですか? 井宮先輩の話を聞くと誰だって後悔しますよ。『この人たちを巻き込まなければよかった』って。私が藍歌先輩に問題を押し付けた所為で、私以外の人たちに死が近付いている……」


 薔薇らしくなさが大いに現れている。

 いや——人間が精神的に追い詰められた時に表れるのが本性だとしたら、ここはらしさが表れていると言うべきか。

 そうか。口を聞かなくなった友人にさえ心配されるような奴だったか、この娘は。なら今の薔薇が素の状態なのだろう。

 へえ、と小さく感心する。愛され上手な上に、関わって間もない人間が死ぬことを本気で恐れられる人間だとは。


「こんなことなら——」


 薔薇は両手を顔に当てる。その指は両目に触れていた。


「私独りで死んじゃえばよかった」


 責任感に押しつぶされる直前のようで、その言葉は半端に震えていた。

 僕は首を傾げる。

 薔薇の感じている責任というのはまったくもって必要性のないものだ。この娘が背負い込む話ではない。そう……自意識過剰という言葉が当てはまる気がする。


「君が僕を頼らなくてもどのみち魔眼コレクターと対峙することになっていたさ。仮に僕が——或いは井宮が、桜内が死んだとしても、それは薔薇の人生とは関係のないことだ。気楽に結末を待っているといい。まあ、東条さんには一生感謝し続けるべきなのは確かだけど。それと、近いうち過去視の問題は完全に解決する」


 あくまで正直なところを口にした。結果慰めるようなカタチになった。

 東条さんはこういうことを言わせたかったのかと言った後で気づいた。

 なんだか全て手のひらの上って感じだなぁ。


「…………でも、だからって割り切れませんよ。もしも先輩方に何かあればそれは私の責任になります」

「その責任ってのは君が感じる必要ないんだけどね。それに、無駄に疲れるだけだと思う」

「どうして……?」

「悪を殺すために悪になる奴、誰も殺さないために自身の才能を使う奴、絶対的な信頼と安心感のある強さを持っている人。こんな変態集団の心配したところで無意味だろ。気楽に構えた方が賢いと思うぜ」


 きょとんと目を丸くした薔薇が僕を見つめる。


「……?」


 そして無言のまま僕に詰め寄ってきた。

 僕は後退を続け、壁に追い詰められたところで薔薇もようやく止まる。


「なんだよ」

「いや……うーん……。先輩ってやっぱりアレですよね」

「どれだよ」

「ツンデレ」


 早見さんと全く同じことを言いやがった。

 もちろん僕はそんなキャラクターではないと信じているので、ため息を挟んでからこう答える。


「ねえよ」

「いやいや! 最初は『僕が薔薇を助けてどんなメリットがあるんだ』みたいなこと言ってたのに、今はこんなに優しいじゃないですか! あ。もしかして私に惚れたんですか?」

「こんな短期間で人を好きになれるような頭はしていない」


 素っ気なく返して僕はリビングへと足を進める。


「もー。惚けなくたっていいのに」


 笑顔が戻った薔薇。完全に切り替えられたと言うわけではないのだろうが、いくらかはマシな状態になったと言える。

 となりに並ぶ彼女はやはりこの雰囲気が似合っている。口にすることはないが、心からそう思った。

 リビングの扉に手をかけたところで薔薇が「あ」と口にする。

 僕は視線だけを右に向けて静止した。


「さっきの、一人抜けてますよね。藍歌先輩。先輩は自分のことをどう分析してるんですか?」

「どうだっていいだろ」

「よくないでーす。これじゃあ安心できませーん。またすぐにヘラっちゃいまーす」


 悪戯に微笑む薔薇。

 僕が僕のことをどう思っているのか……興味があるような感じではない。ただ単に揶揄っているだけのようだ。

 うん……これだから年下は苦手だ。

 ため息とも呼べない程に短く息を吐いて考えるフリをした。

 そして言葉にする。


「温厚篤実にして婉娩聴従な最強の未来視所有者」

「うっわ……適当が過ぎるでしょ。当てはまってるの『未来視所有者』だけじゃないですか」


 薔薇は表情を引き攣らせる。

 僕は試しに答えを変えた。


「その場の空気に流されがちな機会が合えば死んでもいいと考えている無気力系未来視所有者」

「うっわ……不憫過ぎるでしょ。自分で言ってて悲しくなりませんか?」


 表情が変わらない。どうするのが正解だったんだよこの掛け合い。

 なんだか負けた気分になりながらも視線を戻して扉を開ける。

 その時に「ふふ」と小さくこぼれた薔薇の声からして、彼女の表情がどのように変化したのかは容易に想像することができた。


 リビングに戻ってすぐに聞こえた言葉は東条さんから発せられたものだった。


「そう簡単には癒えないからね」


 東条さんは口角こそ上げていたものの目は笑っていなかった。対して井宮はやけに神妙な顔つきになってテーブルに視線を落としている。


「ああ——わかっている。わかっているさ。後悔したところで解決するって話でもないだろうな、そうなると」

「うん。分かっていて、それでいて忘れないと言うのなら……私からはもう特に言うことはないかな。ごめんね……偉そうなこと言って」

「何を言っているんだ、東条さん。あなたはいつだって俺たちと同じ立場になって考えてくれている。偉そうだなんてとんでもない」


 どんな会話をしたのか全然予想がつかない。それはどうやら薔薇も同様らしく、背伸びをして耳打ちで囁いた。


「よく分からないですけど、なんだか清閑な雰囲気ですね。チョーお似合い」

「……そうだね」


 今更ながら東条さんと井宮が僕らの存在に気づいた。

 そのタイミングでインターホンが鳴る。


 ×


「コレクターの三人をよく捕らえてくれた。本当に心から感謝する。ありがとう……なんて言葉は安っぽいよな」


 訪問者は心儀さんだった。あの時に井宮が電話で呼び出したことはすでに察しがついていたので驚くようなことではなかった。

 寧ろ——すごく真剣な口調なのに、こうして着崩したスーツのまま人様の家でソファーに横になっている現状に驚いている……井宮同様に来慣れた様子だ。

 スペースの関係上僕と薔薇は食卓に配置されている椅子に座っている。


「すみません……本当は時間に余裕がある時にしたかったんですけど」井宮は視線一つ動かすことなく言った。「うだうだしていると誰かが死にそうなので」

「ああ……そうだな。俺も全てを任せっきりにするわけにゃいかねえわな」

「カッコつけるならまずは姿勢を正すところから始めなさいよ」


 東条さんが眉間に皺を寄せて注意した。


「今回の心儀さんはなんだかカッコ悪いよ? 対策課としての依頼だと言っておきながらその実個人の依頼だったり、機関に反抗するだけ反抗した結果監視対象になったり。もっと上手く立ち回れないの?」


 直球すぎる言葉に反応して心儀さんは姿勢を正した。

 しかしこうして俯瞰的に三人の関係を見ている訳だが……どうにも距離感が掴みにくいところがある。


「間違いないですお母さん」


 肩をすくめる心儀さん。

 どうやらお母さんらしかった。


「冗談はさておき……そうだな、まずは改めて事後報告を頼む」


 心儀さんに顔を向けられた井宮は腕を組んで頷いた。


「まず、片瀬由奈の目を奪ったのは精霊だ。人を象った人工精霊……。多分、この精霊遣いが事の根源だと思う。そして桃春曰く、途中で狂人——大笠の人格が変わったらしいです。これもきっと精霊遣いの仕業だと考えている。俺が到着して五秒でケリをつけたから、これと言った特徴は見られなかったけど」


 その他に昨日の出来事を詳細かつ簡潔に説明する井宮。

 とはいえ、これらのことは既に報告済みな上にそもそも心儀さん自身が監視していた状況だったので、彼の反応は全体的に薄かった。


「——と、まあこんな感じですかね。どうです、心儀さん。何か相違点があれば」

「いんや。そんなもんは何一つないさ。精霊遣い……まあ、それならコレクターの連中が元研究機関務めと考えると納得がいくわな。もっとも、それは昨日確保した三人と以前未来視の家に襲撃に来た奴を除いてだが」


 端的に答えると、心儀さんは顔の半分を僕に向ける。


「次は未来視、おまえからの話を聞こう」


 真剣なと言うか、余裕がないような顔つきなのが珍しい。心儀さんはじっと僕の目を見続けている。

 その流れで僕に視線が集まる。

 そして僕は昨日の——主にサングラスの青年の話をした。


「あー……うんうん」


 心儀さんは静かに頷く。

 既に何か思うことがあるように見える。


「ほんじゃまあ、意見を聞こう。未来視、おまえは黒幕をどう思う?」

「僕の下の名前を知っていたことや、彼が自分の役割を予見していたようなことを踏まえると……未来視持ちなんじゃないかなって」

「まあそうなるよなぁー……機関の捜査で何も掴めないとなると、その手の眼が必要になることは当然だ」


 意味ありげな反応に僕は訝しむ。

 さて、と彼は再び背中を向けた。


「俺はあの日——あの場所にいた一匹の鳩に目をつけた」

「鳩……くそ」井宮が悔しげに繰り返す。「失念していた。コレクターの勧誘に鳩を使っていたんでしたね」

「別に気にすることねえよ。意識しなければ鳩なんて世界の風景の一部でしかない。忘れていたなんてことはない、ただ注視していなかっただけなのさ。とにかく、俺は戦闘終了後タイミングよく飛び立った鳩を追った。辿り着いたのは妻城市内の小さな廃診療所だ。鳩は屋根に一分ほど止まった後に森へと帰ったよ。まるで野生に目覚めたかのように——今までが飼育されていたかのように俺は思えた。黒幕が精霊遣いだってなら納得だ。パイプを繋いでいない生物には、魂の移動の為の術式を使う必要があったんだろう。きっとあそこには物珍しい術式がある……ま、そんなもんはどうでもいいがな」


 彼は一呼吸置いて続ける。


「未来視持ち……そいでいて機関長もしくは上層部に顔がきく人間。あの診療所の利害関係など洗いざらい調べた結果、一人に絞られた」


 心儀さんは重々しく口にする。お偉いさんだからといって気を重くするような人ではないだろうと思ったけれど、そういえば井宮曰く、この人はチキンとのことだったか。

 いや——この感じはそんな緩い問題ではないような気がするけど。


「総司令部長の一人娘——巳文字みもじ烈子れつこだ」


 己の気弱さを打ち砕くように、自身に呪いをかけるように、心儀さんはその人を口にした。

 この時に未来を視ていれば、幾らかはことの終わりの印象が薄くなっていたかもしれない——。

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