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無彩色の願望  作者: 哀川
第三章 死線の過去

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三十話 浅はか

「迷霧が誘う三の紅」


 愛海が得意とする地形操作の魔術で造られた簡易的なトリカゴに佇む女性。彼女に対し、奏斗は三枚の札を投げた。札に記された造字と模様を視界に入れた彼女は感心にも近い声を上げた。

 魔法はその性質によって色分けがされる。派生となる魔術も同様だ。奏斗が作り上げた札には、性質の異なる物を混ぜ込んだ物だった。

 そして、魔術の発動には魔術因子を働きかけるための過程を必要とする。詠唱、文字式などその方法は様々だ。奏斗はその詠唱すらも非常に簡易的な構造をしているが、しかしその性質を衰えさせることはしない。だから彼女は自分が追い込まれているにも関わらず感心した。


「へえ。緑と黒の魔術の融合ですか。これはまた……」


 続けるよりも先に札が彼女の胸部に張り付く。

 すると——彼女の視界は歪み始めた。あっという間に普通の人間では耐えられないほどの苦痛に代わり、女性は胃の中のモノを吐き出した。膝をつき反射的に溢れる涙さえ流しているものの、その顔つきが意図の分からない笑みのまま変わることはなく、それは奏斗と愛海の警戒心を最大限に引き上げるほどだ。

 愛海はトリカゴの内部構築を変え、計五本の剣を発現させる。それは首、両腕、腹部、脳天を突き刺す直前で止まり、次に彼女が身動き一つでもしたら終わることを示した。

 その間に奏斗は半透明の札を由奈の右手に当てる。乖離の印を構成する魔術因子と概念の解析、中和を行い、由奈の意識を取り戻した。

 新たな印が刻まれた札を剥がし、由奈の手の甲から印が消えたところで奏斗は彼女の手を引く。


「走るぞ——由奈ちゃん!」


 そう口にした。

 片瀬由奈の名を言った。

 一歩を踏み出したところで、奏斗は遅れて気づく。『そういえば、この娘は小学校の時に同じクラスだったな』と。思い出のうちにすら入らないほんの一瞬の関わりではあったが、奏斗は無意識にそれを記憶していた。それを掘り起こすよりも先に口にしていた。

 そして由奈は微笑む。

 手を引かれて一歩を踏んだ直後に彼女は


「やったぁ」


 と、心からの思いを吐露する。

 この状況下に相応しくない声色に違和感を覚えたのか、ほんの一瞬空気がひりつく感覚に警戒心を奮い立たせたのか、奏斗は由奈に振り向いた。

 そこで。

 その瞬間——由奈の両目が抜かれた。否……奏斗に愛海、そして囚われの身である彼女でさえ、その光景は『目が飛び出た』と認識する他なかった。


「は——ぁ?」


 奏斗は由奈の手を離してしまった。

 そして倒れる直前、奏斗は由奈の肩に青白く頭部の無い人を象ったモヤを捉えた。全長三十センチほどのそれは眼球を繋ぐ神経系を瞬く間に——尚且つ強引に切り取った。それを《モヤ》は眼球二つを自身の首に位置する場所に押し当て取り込む。

 この間一秒足らずで、モヤは再び三人の視界から眼を奪って消えた。


「精、霊——」


 奏斗の呟きの後、片瀬由奈は魂が抜けたように倒れる。


 結果。

 明日川睦太の視た構図は完成した。


 ×


 精霊。万物の起源を成している気——肉体から解放された魂などを言う。それらは透視の魔眼以外に視認することはできないとされているが、精霊そのものに魅入られた者は視認することが稀にあると言う。

 前者は無害、寧ろ場合によっては御利益があるとされることもある。後者は霊の種類によって異なり、必ずしも無害と断言することはできず、それは魔術世界での研究がどこまで進展し、どれほどに操作が可能となるかによって変わりゆくだろう。

 そして、この中には人工精霊というものもある。本来宿っていないものに魂という概念を見出し、そこから霊として成立させる。

 由奈の眼を抉った人型は奏斗の記憶にある自然精霊の風貌ではなかった。つまりは人工精霊だと結論付けることができる。加えて紛うことなき人の形をしていたことから、人間に近い器から作り上げた精霊と予測できる。

 奏斗は精霊が姿を消した後、衝撃や動揺が入り混じり硬直してしまった。彼だけじゃない——愛海も奏斗と同じ感情であり、その視線は微妙に痙攣している由奈に固定されている。

 そして、トリカゴの中の彼女。彼女も『まさか』と驚きはしたものの、すぐに焦燥混じりの笑顔に変化する。


「あ——そうか……」


 奏斗は声を震わせ拳を握る。

 そして、由奈の背中に手を押し付けた。悲しみに身を支配された突発的行為——ではない。彼は無意味な行動に時間を費やすほど愚かではない。

 たしかに疑問ではあったのだ。


《目を抉られて殺される》


 この未来の結果と構図を聞くに、目立った外傷はまさに目しかなかったとのこと。断面的な閲覧だったが故にその前後に何があったかは不鮮明だったが、奏斗たちはそこに何があったのかを予想することはなかった。死ぬと言う結果を呑み込んでいたからだ。

 外傷の付かない魔術——仮にそうでなくとも、絞殺や撲殺などなどの可能性は無限にある。そこを追う意味はないとそう思っていた。

 しかし、この構図は明日川睦太が閲覧した風景画そのもの。この時点で閲覧の結果は経過した。

 そして奏斗は確信する。

 死ぬというのは勘違いだった、と。


「おや……?」彼女の視界から二人が消える。「ああ、《人払いの結界》ですね。器用だなぁ……わずか数秒で展開できるだなんて。ま、もうあなたたちに用はないんですけどねぇ」


 奏斗は由奈に目隠しするように治癒術式の札を貼り付け、彼女を背負って駆け出す。

 そう——この負傷だけで人は死なない。そのことを理解している奏斗は由奈を安全な場所へと運ぶことを第一とした。

 半径百メートル内にある魔術因子の探知。奏斗はこの特性を最大限に活かしてやって来る行動課の位置を探る。付近に新たな魔術師を捉えたが、それに構う状況ではなく、足を止めることはない。そして、息を切らすこともない。


 一方で、早見愛海は片瀬由奈が目を奪われた場所をただ見つめていた。

 彼女が生きていることはわかっている。しかし、これから彼女が光を見ることはない。物理的な失明以上に絶望を誘うことはない。

 ふざけるな、と愛海は唇を噛む。

 元凶に目を移して表す殺意。

 今までにない《死》を身近に感じる、眼球以外に身動きのできない彼女は視線を右に向けて愛海を捉える。


「オッカナイ顔」


 と、彼女は煽る。

 それに即座に応じるように、愛海は柵から針状に変化させたものを彼女の右目に突きつけた。


「ぎゃああああっはははあああぁ!」


 痛みに悶えることもできない彼女は狂気混じりの悲鳴をあげる。

 容赦なく突き刺された針は躊躇なく抜かれ、眼球が抜かれることはなかったものの、完全にその機能は失われていた。


「久々に痛いですよこれぇ……」

「由奈はそんな情けない声はあげなかった」


 愛海は死角となったところから彼女に近づく。


「あんたの名前は?」

「どうぞ気軽にななこちゃんとお呼びください」


 彼女——ななこは、やはり微笑を浮かべた。


「ななこ、ね。今から質問していくから、必ず五秒以内に答えて。まず、《精霊遣い》はどこに居る?」

「ええと……実際のところ知らないです」


 へえ、と愛海は右手の人差し指を上に向ける。その動作に呼応し、地面から突き出る針はななこの両手を貫いた。


「あ、目に比べたらこれはあまり痛くないですよ」


 ななこの口調は常に煽りに徹底している。これは相手——今の場合は愛海に対して《隙》を作るためである。

 彼女の言う『そこまで強くない』という自己分析に間違いはない。身動きの取れないこの現状こそがそれをよく証明しているだろう。相手とする早見愛海が規格外に近い存在だということを抜かしたとしても、抵抗すらできないのは言い訳にできない。

 完全に場が愛海のものになってしまった以上、ななこにできることはその安定を瓦解させることに尽きる。

 ——と、愛海は理解している。動じるつもりはないと、心に決めたはずだった。


「私を殺しますか?」

「——そうだね。幸いこの場に殺しを止める人は居ない。聞きたいことを聞いてから殺すかな。……殺すしかないな」

「いいえ。あなたは殺しませんよ」


 ななこはとうとう愛海に顔を向けた。

 首の皮が薄く切れる。


「前回だって殺そうと思えば殺せたでしょう。あの炎で私を焼き切ることに難があったとはとても思えません。察するに——」ななこは潰れた右目を大きく開いて言う。「あなた、人を殺せないのでしょう?」

「知ったようなことを……!」

「私は何も言いません。というか、ほぼ知りたいであろうことは知らないです。さあ、早く殺したらどうですか? この《錬金術擬き》を使えば三秒もかからない」試すようにななこは言う。「二度も殺人鬼を逃すことになりますよ。あなたの正義はそれを許しますか?」


 歯を鳴らす愛海を見て、ななこは確信を得たように唇を歪ませる。

 彼女は歪な視界のままでゆっくりと立ち上がった。

 本来ならばななこの体は無惨に切り裂かれる、そのはずだったのだが、剣が食い込むことはなかった。

 それもそう——彼女が立ち上がるにつれて、トリカゴから生やしていた剣が消失していったのだから。彼女が平然とその場に立っているのは至極当然のこと。


「……可愛い」


 ななこは右手を構えた。


「眼前を喰らい、安穏を強制。問に暴虐、雑音に忘却。喧騒は全て一滴の絶望に伏す——《erosion》」


 詠唱に伴い作用する魔術因子はやがて黒い球体となりトリカゴに衝突する。

 ——が、ななこレベルの魔術でこのコンクリートを完全に砕くことは出来なかった。たしかに僅かに欠けたのだが、これでは数十回繰り返しでようやく腕が通る程度の穴が開くだけだ。それ以前に魔力の枯渇で意識を失うのが先だと判断したななこは肩を竦めて鎮座する。


「一度捕まりますか」


 消え入るような声で言った。当然愛海の耳には届いていない。

 彼女はひたすらに思考していた。

 魔眼コレクターの捜査の縮小、そしてついには打ち切りとなったこの現状。表向きにどんな理由が掲げられているのかはわからないが、その裏——つまりその真実は、魔術対策機関に顔が利く人間がコレクターと親密な関係にあるのだろう。今ここで機関に身柄を渡したところで、コレクターが本当に正当な裁きを受けるかは分からない。ここで殺すべきなんだ。

 愛海はこめかみを押さえる。どこからが間違いで、どこからが正解なのか。答えを探すよりも先に脳裏をよぎる奏斗の思想が邪魔をする。

 人を救うという行為は紛れもなく正義であり、そして時に悪となる。この事実を理解していても尚、『殺す』という選択肢を受け入れることができない。

 自分は一体どう言う感情で由奈が倒れたのを目の当たりにしたというのか。言葉にできない気持ち悪さに喉を押さえたまま愛海は膝をつく。

 その様子を見て、ななこは「やれやれ」と息を吐く。


「流石に不安定な年頃ですね。《第二の誕生》とか言いましたっけ。己の人生を見つめ直す時期……ルソーでしたか。『私たちはいわば二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために』。ジャージの美少女ちゃん。あなたはどっちが本当に正しいのかの判断がついていないんですね。いやぁ、可哀想に。一体自分以外の誰に毒されたんですか? ……あ……」


 愛海が「黙れ」と言うよりも先に、ななこはその場に倒れた。奏斗の札が発動し視界が歪んだままだったことが原因だった。


「この女……」


 気絶というにはあまりにも心地よさげな表情をしているものだから、愛海はいっそ左目も潰してしまおうかと考えた。……が、考えるだけに終わった。


 ×


 僅かに時は前後する。

 ななこに奏斗の呪文が込められた札が当てられたタイミングで姫乃が地面に引き込まれた。

 とぷんと水に沈むような音がした地面に桃春は手を伸ばすが、何を掴むこともできず、それ以上侵入することも叶わなかった。


「手ぇくらい伸ばしてよ……」


 桃春は姫乃の行動に違和感を覚えつつも、しかし命を粗末にするあたりは彼らしいとも思える矛盾を抱える。

 どうしてあたしを助けたんだろう。あいつは他人のことなんかどうでもいいと思ってるタイプのはずだ。

 頭を振り、そんなことはどうでもいいと思考を切り替える。

 地下駐輪場の入り口はこの地点から役三十メートル離れた場所にある。

 桃春は今すぐにでも駆け出したい気持ちだった。——が、この狂人、大笠から目を離すと言うのはどうにも賢くない判断のような気がしてならなかった。

 奏斗の知識を活用して桃春の魔術因子に刻んだのは花の魔術。これは万全に作用し、現状大笠の動きは封じられている。

 目を細めて桃春は唇を噛む。この狂人の正体不明さに多少の怯えがあるのだ。魔力なしでこの身体能力は常軌を逸している。いつまでこの男に魔術が通じたままでいるか……桃春は最悪の事態のことを考えざるをえなかった。


「——馬鹿!」


 桃春は身体強化をして走り出した。

 己を叱責する。あいつが——まだ名前も読んだことのないあいつが危険な目に遭うこと以上の最悪なんてないだろに。

 そして、線路下を抜けるところだった。桃春が男の動きが伝わるように繋いでいた人差し指の糸がぷつりと切れる。


「うっわ」


 やっぱりこうなるじゃん、と桃春は右側から頭部を狙って迫ってきた蹴りを右手で受け流した。瞬時に振り返り自身の両手の間に糸を張るも、どういうわけか桃春の糸を逃れて動いている男は構わず攻撃をする。

 破壊のことだけを考えたみぞおちへの拳が迫る。

 桃春はそれを防ぐようにクッションになる程の厚みをした糸を展開した。しかし、その程度で済むような力量ではなかった。

 彼の拳は鳩尾に到達した。


「——!」


 衝撃の緩和は成功したものの、桃春は痛みを感じたまま体を吹き飛ばされた。駐輪場が遠のく。十メートルほど転げて体勢を立て直す。

 彼は追い討ちを仕掛けることはなく、目を瞑ったまま桃春に向かっていた。


「ほんとになんなのアンタ!」


 桃春は彼を睨みつける。駐輪場と開いた距離に苛立ちを覚えるが、それと同時に、まるで魂が抜けてしまったかのように静止している彼を不気味に思う。

 迷わない——殺してやる。

 桃春の決意に応じるように、彼は小麦色の髪の毛をかき上げた。


「君に私は倒せないよ──」


 狂人的な素振りはどこへやら、人が変わったように桃春は見えた。

 しかし、その理由を考えたところで殺し合いにさして影響はない。故に桃春はこう答えた。


「おっし、ぶっ殺してやる!」

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