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無彩色の願望  作者: 哀川
第三章 死線の過去

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二十九話 炸裂

『閲覧の光景が実在のモノになるまで手は出さない。未来の強制力が俺たちにどんな影響を及ぼすか分からないからな』


 魅了の魔眼の持ち主——片瀬由奈の死後に攻撃を仕掛けると井宮は提案した。

 僕はあの時すぐに同意した。桜内は文句たらたらだったけれど、さすがにあの頭でも『世界には勝てない』とわかっていたらしく、渋々ではあるが同意した。

 井宮と早見さんで女性の方を、僕と桜内で大笠さんを相手にするという組み分けをした。僕と桜内は魔眼に対抗する処置ができないので、その分け方に異論はなかった。


『そもそも、あの二人が別々に相手してくれるのかって問題もあるじゃん。やっぱ四人で二人を叩く策を練った方がよくない?』


 桜内の疑問は当然だったけれど、それに関しては僕がこう否定した。


『あの男は絶対僕に喰いついてくるよ。多分、女の方の静止も聞かない』


 一度対峙した僕だからこそ分かることだ。彼にとって、この僕は《希望》……比喩でもなんでもなくだ。あの狂人さは演じて出来るものでもない。ならば、彼の注意を引くことは容易だ。


『片瀬由奈、彼女が殺された瞬間に仕掛ける。目標はあくまで拘束……もしくは機関の人が来るまでの時間稼ぎだ』


 《上》からの圧力によりコレクターに対する動きを封じられた行動課。しかし、そんなことが公になることが許されるわけもない。つまり目撃者がその場に居るという、彼らが引けない状況を作り出すことによってコレクターを押さえることが可能となる。

 勿論それだけで全てが終わるとは思っていない。一時的に確保されるとはいえ、その後、魔術世界で妥当な裁きが与えられるかはまた別の話だ。魔術対策機関の権力者にコレクターが動くことで得をする人間か、またはコレクターの関係者が機関と何かしらの繋がりがあるのだとしたら、それらを叩き潰さないと殺人は止まらない。

 しかし、それは僕らの仕事ではなく、この場合は心儀さんがなんとかすべき問題だ。

 この依頼に実際のところ意味があるのかは、未来でも視ない限り知ることはできない。


 ×


 高架下の柱を背中に僕と桜内は待機している。

 片瀬由奈が死ぬ場所である駐輪場。疎らに停めてある自転車も殆どが放置禁止の張り紙がつけられている。

 僕らの待機している場所は駐輪場から真南に約百メートル離れた、フェンスで区切られた芝生広場。

 間もなく、柱を挟んだ後方で彼女が死ぬ。

 機関には連絡済み。最寄りの妻城支部からおよそ二十分で着く予測。

 さて——。

 隣の桜内は彼女を助けられないというよりは二人を殺せないことに苛立っているようだが……なんとか殺意は封じ込めている様子だ。


「あんたは落ち着いてるね」


 桜内が小声で言う。


「え?」

「今からすることって、自殺に近いわけだけど」

「そうだけど……彼を引きつけるためには仕方ないだろ。僕たちは彼女に魅惑されたら終わりなんだ。コレクター二人を分断するのは決して悪くは——」

「そーじゃないんだよなぁ……」

「……?」


 腕を組んで頬を膨らませる桜内。これ以上はなにも語ってくれないだろう。

 いよいよ——夕日の差し込む角度が閲覧通りのものになろうとしている。

 いい天気だな、と思った。

 すぐさま意識を変えて「桜内」と呼びかける。


「分かってるっつーの」


 内側に居る桜内が顔をほんの少し出して後方の様子を伺う。そろそろ片瀬由奈が殺されるタイミングのはずなのだが——桜内は「大馬鹿」と冷たい声で言った。


「作戦開始」

「マジか」


 言われた瞬間に、僕はすぐにナイフを取り出してから飛び出した。そして、桜内の言葉の意味を理解する。

 片瀬由奈は死んでいなかった。

 殺されるよりも先に、反対方向に待機していた井宮と早見さんが飛び出していたのだ。

 井宮は片手に真っ黒の札を握ったまま片瀬由奈に駆け寄っている。それに即座に気付いたであろう女性に対し、早見さんが《再構築》で地面を隆起させて妨害しているといった状況だ。

 ……二人が何をしようと、僕のすることに変わりはない。

 彼の注意を引くんだ。


「おーい」


 僕は呼びかけた。

 女性の視線は向かってくる二人に固定されたままだったが、大笠さんは僕の方を向いた。

 そして——自分の首元にナイフを当てる。

 これでは足りない。

 皮を切り、


「……ふざけるな!」


 血が溢れ、


「ふざけるな!」


 いよいよ左手も添えて終わらせようとした時。


「ふざけるなあぁぁぁぁぁぁ!」


 彼は微動だにしない片瀬由奈の目を抉るより先に、コンクリートを蹴ってこちらに向かう。

 隣に居る桜内は、きっとこの人の目には映っていない。

 さあ……ここまでは予想通りの展開だ。

 違う点といったら、井宮が手を伸ばしている彼女が生きているところだ。


 ×


“理不尽な殺人を目の前に立ち尽くすことなんて、本当のところは不可能だったんだ”


“あいつは後悔しないと言っていたけれど、だからと言って納得できるものなのだろうか”


“これから訪れる《死》を特別扱いすることはよくないことだ。しかし、それを以前から知っているとなると、どうにも話は変わってしまう”


“訳もわからず殺されることに納得できるのだろうか。誰の利益にもなるか分からない殺しを許容できるのだろうか”


“閲覧という強制力を理解していてなお、手を伸ばせば救えるかもしれないと言う希望が頭を離れない”


“機械を自称するあいつが死ぬ瞬間まで顔色ひとつ変えない——そんなことがあるとは思えない”


“助けたい”

“助けたい”


“本能的な衝迫が心臓を動かした次の瞬間には、既に体が動いていた”


“押し付けがましい想いが頭を支配した時には、彼は既に動いていた”


“殺す立場の二人と殺される立場の女の子の横顔が夕日に照らされている”


“彼女に向かって走る彼を、出遅れて援護する”


“どこか見覚えのある彼女の死顔が、どういうわけか簡単に連想されることに不快感をおぼえながらも、足を止めることはなかった”


“魅惑の女を殺したい衝動を殺し、地面を隆起させ壁を作り、本当は何も変わっていない彼に心を緩ませる”


 ×


 正直に言って、大笠さんの後方四人がどう言った状況なのか正確に把握することはできていない。大笠さん含め僕たち三人の状況がなによりも重要だからだ。

 これくらいの集中力が学問に使えたらなぁと余計なことを思った。


「自殺なんてするんじゃねえッ! せめて殺させてくれぇ!」


 血眼で地面を蹴って向かってくる彼が姿を消すことはない。因子を転移させるラインは繋がったままなのだろうが、女性の方も女性の方でそんな状況下にない。だけでなく、大笠さんは今理性がほとんどないようにも思えるし、魔術をそもそも行使することはないだろう。

 彼はその勢いを殺すことなくフェンスを飛び越え、放物線を描いて僕に迫る。両手を伸ばして、僕と言う希望の破壊を自らのものにしようとする。

 そこで隣の桜内がいよいよ動く。

 両腕をクロスさせ、そして外側へ目一杯引く。——と、大笠さんは地上二メートルあたりのところで静止した。

 彼が伸ばす腕——だけでなく、体の至る所に出血させるほど食い込んだ《糸》はキリキリと音を立てている。

 いつかの戦闘のときよりもその強度はワイヤーに近いものを感じる。


「くっそ……テメエ!」


 こんな状況になってもなお、大笠さんの目には僕しか映っていないように見える。


「自殺だなんてやめろよ! そんなの——意味ねえだろうが! 俺にッ、俺に殺させろ! どうせ死ぬってんならせめて誰かの役に立て! 殺させてくれ! 今でいい! 今でいいからッ!」


 どうしようもなく理不尽な物言いには流石の僕でも文句を言いたくなるほどだった。

 ——せめて誰かの役に立てだって?

 そんなこと、自分の欲求の為だけに人を殺し回ってるあなたに言われる覚えはない。

 ……口にすると魂だけの彼女に嗤われるような気がしたので、ここは思うだけに止まった。


「——黙ってろよ」


 桜内は静かな怒りを含んだ声色で言った。


「こいつがあんたに殺されて良いことなんか、何一つない」


 すると彼女は小さな声で詠唱した。


「Mundus color afficit tuum……」


《——それは一つの魔性のように——》


 桜内の拳から無数に展開される糸の全てが一瞬のうちに黒色へと変色する。

 魔性。

 黒。

 この二つから僕は何かしらの花を連想した。


「女テメェふざけ——」


 何かを察してようやく桜内に目を向けた大笠さんは突然気を失った。

 殺す殺すと騒ぎ立てていた男が糸操り人形のようになった不気味さは今までに見たことのないものだった。


「殺せないことが惜しいよ、本当に」


 その糸を緩めることのないまま、歯軋りをして桜内は言う。


「桜内——」


 と、僕は視線だけを右に向けて彼女に目をやった。

 それで——僕は一体何を言おうとしていたのだろう。いっそのこと殺してしまおうか、と唆そうとしたのか、井宮が怒るぞ、と冷静さを取り戻させようとしたのか。

 どちらかの判断が付くよりも先に、僕の世界は分裂した。

 桜内が地面から伸びた手に足首を掴まれ引き込まれる——そんな意味不明な未来だった。

 桜内が僕に顔を合わせるタイミング……ああ、もうすぐだ。口よりも行動する方が早い。

 僕は桜内の肩を強く押す。


「ちょ……⁉︎」


 桜内が尻餅を付いたところで、僕は地面に引き摺り込まれる。


「あんた何して……!」


「大丈夫、死ぬ未来は見ていない」


 そう言い残し、ポケットからナイフを取り出した。


 ×


 闇の中で引っ張られて数秒、ようやくそこから抜けたと思ったら、目の前は裸のコンクリートの天井だった。

 咄嗟にここが地下駐輪場だと理解した僕は、落下地点を確認して着地する。


「いっ……」


 身体強化が追いつかず、二メートル以上の高さからの落下は当然痛みが伴った。まあ、それも誰かさんの踵落としに比べたらぬるいものだ。

 即立ち上がり、ナイフを構えて辺りを見回す。

 狭く薄暗い駐輪場……だというのに、自転車は一台も停められていなかった。電灯も不均一な点滅を繰り返しており、そのうち——というか、既に心霊スポットになっていそうな雰囲気だ。

 そんな場所の出口を塞ぐように立つ男が居た。黒いパーカーにサングラスをした青年。初めて僕を襲ったコレクターを確保した時に居た彼だ。


「そうか……忘れてたな、この人」


 深く息を吐く。

 早見さんの因子に刻まれている《破壊》の魔術を打ち込んで速攻でケリをつけよう。

 時間帯的に片瀬由奈は本当にもうすぐ死ぬハズだが……地上では一体どういう展開になっているのだろう。まさか閲覧の結果が変わるなんてありえないのだろうけれど——

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