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無彩色の願望  作者: 哀川
第三章 死線の過去

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二十七話 座視

「十五分前に偶然殺人現場に遭遇したことを装い対策機関に通報、後に僕たちがコレクターと対峙か……」


 自宅のソファーに横になって目を瞑る。まだまだ陽が落ちるのは先だけど、僕に生活習慣なんてあってないようなものだから気にしない。

 対峙時の作戦は多少アバウトだけれど、井宮と早見さんが相手の手の内を知ったうえで戦うとなれば問題はないだろう。

 最低でも痛み分け。

 ……正直なところ不安でしかない。

 格技室での話し合いは酷いものだった。一連の流れが決まったのちに、連中を殺すか殺さないかを井宮と桜内が議論していたのだ。

 その決着がつくことはなかったけれど、井宮が劣勢だったことは覚えている。彼の押され気味でどこか迷いある態度が物語っていた。

 彼も自覚はあるのだろう。もしも以前、端から殺す気でコレクターに挑んでいたのなら、片瀬由奈が死ぬことはなかったのかもしれない。その責任は自分自身にある、と。

 殺すことと生かすことのどちらが正義でどちらが悪なのか——なんてことは些細な問題でしかない。話としては、あんな奴ら殺した方が今後の為になるということ——それだけが重要だ。と、僕は口を挟んだのだが、結局のところ彼は明確な回答をしなかった。

 迷いに迷って、迷ったまま。


「……腹減ったな」


 水やおしるこではさすがに空腹感を掻き消すことはできないらしい。

 冷蔵庫を見ても案の定ガラガラ。面倒だがコンビニに行こうとアパート出た。

 コンビニで紅茶や菓子パンを三点ずつ購入して出ると、駐車場にとても浮いた車があった。勿論空中に浮いているという意味ではなく、この場——つまりはコンビニなどでは滅多に見ないようなと言う意味だ。

 車の知識が浅い僕でもその名を知っている。

 ロールスロイス。真っ白なロールスロイスが停まっていた。そしてそれを背中にしているのはサングラスをした焦茶のロングヘアの女性。缶コーヒーを片手に空を仰ぐその姿はとても画になっている。

 思わず足を止めてしまった。魅了されるというのはこういう感じなんだろうな、と足を進めようとした時、女性は僕の視線に気づいたのか僕に顔を向けた。

 反射的に目を逸らして彼女の横を通り過ぎようとする。……と、女性の横に差し掛かったところで肩を掴まれた。


「君……藍歌姫乃ですね?」

「……あなた誰です?」

「私は奏斗の親です。乗りなさい」


 その名前を聞いたところで警戒心は解けた。けれど他人の親に車に乗ることを強制されるなんて初めての経験だから戸惑ってしまう。

 で、乗ってしまった。

 二つ返事以下の愚行に僕は肩を竦めた。

 出発進行。


 ×


「奏斗から話は聞いています。とても流されやすい子なんだって?」

「はあ……」


 現状が現状なのでまるで否定できない。


「しかし、話を聞いただけじゃ見た目は分からないと思いますけど。どうして僕が藍歌姫乃だと?」

「桃春ちゃんから写真を見せてもらったことがありましてね」

「写真? 写真なんて撮られた覚えはありませんけど……」

「いつか桃春ちゃんと奏斗が君の家にお邪魔したそうじゃない。その時奏斗とお喋りしている写真をね」

「盗撮ですか……」

「仕方ないと思いますが。時代が時代です」


 なんだろう……この詰められるような感じ。とてもやり難い。若干早口なのがとても疲れてしまう。


「そもそも盗撮とは少し違いますね。息子も含め、桃春ちゃんともお友達でしょ? 思い出を残しただけですよ」

「お友達、ですか」

「そこなのか……」


 初めて固い口調を崩して井宮に似たような反応を見せた。


「そこを否定するなんて、やはり姫乃くんは面白いですね」

「あの」僕はついに我慢しきれずに言った。「少しくだけた口調にしてもらえませんか?」


 せめてもの気楽さを得るための提案だった。

 井宮さんはさっそく「うん」と頷く。


「悪かったね。初めて話す相手とはタメを避けるようにしているの」固い表情のままで井宮さんは続ける。「仕事の上で一定の距離感というものは必須だったから。癖になってしまったんだ」

「仕事……これも仕事ですか?」

「いいや。私の仕事は『女優』なんだ」

「あー……なるほどです」


 納得の職業だ。あの無駄に大きな家やこの車はそう簡単に買えるものではない。しかし女優となれば、なるほど納得がいく。その中でも相当名を馳せているのだろう。僕にはわからないけれど。


「……少し言い方が違うか。一年前に引退したから『女優だった』が適切かな。今はバーを開こうと計画しているところ」

「へえ」


 どうでもいい。


「それで井宮さん。一体僕に何の用が?」

「君の視点から見た奏斗の話を聞きたくてね。もう一つお願い事があるのだけど……それは話を聞いた後にしようかな」

「…………」


 魔術世界のことを言っていることはすぐに分かった。

 しかし、この人からは魔力を感じない。お父さん……この人の夫が魔術師なのだろう。


「光野さんはあの子を良く評価してくれる。桃春ちゃんは偶に意見のすれ違いがあるようだ。あと色奈ちゃんは……」


 口を中途半端に開けたままで続きはなかった。


「姫乃くんはどう?」


 続きを訊いたところで答えてくれないだろうと判断した僕は外に目を移した。

 一体どこへ向かっているのだろうと思いながら適当に言葉を選ぶ。


「奏斗くんは万能だと思いますよ。あいつにできないことは多分ない。やろうと思えばの話になりますけどね」

「姫乃くん。言葉を選ぶ必要はない。君らしさを捨てないままで分析してみてほしい」

「……優柔不断がすぎる。目に留まった人を助けることばかりでその先を考えていないんですよ、あいつは。死ぬべき人間がいることに気付いているくせに、変なこだわりを持っていてそれを良しとしない。いい奴も度が過ぎれば敵を作ることになる」

「うん」井宮さんはここで初めてやわらかい、ある意味で人間味のある返事をした。「話に聞くように君は賢い子だ」

「嫌味にしか聞こえないです」

「常に悲観的なところもまたそう思わせる」


 サングラスの隙間から見えた鋭い目が更に細まった。


「君は人を見る目がある。加えて自分の意思をはっきりと確立している」

「流されやすいって井宮さんも言っていたでしょ」

「それはどうでもいい事に対してだよ。君は重要な場面では他人に流されない。状況が状況なら、君は人を殺せる」


 何を見ていったわけでもない。誰かから殺したことを聞いたわけでもない。

 適当を言ったわけでもなく、当てずっぽうでもない。

 だとすると恐怖に値する観察眼だ。


「そんな姫乃くんにお願いしたい」


 やや高圧的にも聞こえるが、たしかな誠意が不思議と伝わってくる。井宮の母ということあっての感覚なのだろう。


「近いうちに魔眼コレクターと対峙するのよね。その時に奏斗に教えてあげて」

「教えるって、なにを?」

「善行と正義は直結しないことを」


 ×


 僕の家から二、三キロ離れたマンション前で車は停まった。


「ここに桃春ちゃんが住んでいる。六〇一号室だ。彼女にコレを渡して欲しい」


 井宮さんはトランプサイズの黄色い札を僕に渡した。両面に細い黒の縦線が数本入っている虎模様。


「どうして僕が?」

「桃春ちゃんはどうやら私のことが苦手なようでね……。しかし奏斗も忙しそうにしていたから断りにくかったんだ。どうしたもんかと悩んでいたところに見覚えのある顔があったということ。……いや、本当に、真剣な、一番のお願いだ」


 なるほどと僕は納得する。

 それが一番のお願いとなると、車内での会話は微妙に軽いものになってしまうような気もするけれど。

 しかし、こういう人でも人に嫌われているのは堪えるんだな。有名人ともなれば人の目なんて気にしないものだと思っていた。


「分かりましたよ」

「ありがとう。ちゃんと家まで送る」

「あ、いえ」僕は目を逸らしていった。「大丈夫です。アイツと少し話をしていきますから」

「うん……。じゃあ、よろしく」


 外に出てロールスロイスが去って行くのを見届ける。


「…………」


 適当な理由を作って断ったものの、なんだか申し訳ない気持ちが芽生えている気がする。でも仕方ないよな……あの人苦手だし。

 自分に相槌を打ってからマンションの外観を改めて見る。大きな通りに面した、横に六世帯の十一階建て。とてつもなく高級という感じではないけれど、とても学生一人で住めるようなマンションではないように見える。

 桜内は誰と住んでいるのだろう。東条さんから何度か聞いた桜内の過去話からして、同居人が両親ということはまずあり得ない。

 変に緊張する必要はないけど……。


「…………」


 軽く息を吐いて自動ドアを潜る。もう一枚の自動ドア手前に設置された操作盤のボタンを押す。


「うわ。なんかいる」


 スピーカーから桜内の嫌そうな声が聞こえたが、すぐにドアが開いた。

 エントランスを抜けてエレベーターで六階に着き、六〇一の扉の前に立つ。そして再度インターホンを鳴らすと、すぐに扉が開いた。


「よっす。数時間ぶり」


 学校の指定ジャージの短パンに緩いシャツという、なんともラフな服装だった。


「井宮の母親からのお届け物なんだけど……」

「ふうん? ……あ! なになに? 差し入れ?」


 ビニール袋に視線をやって嬉々とする桜内。


「なんだぁ、いいところあんじゃん! 入りなよ。お茶くらい出してやるからさ」


 そして、ローテーブルの側にあぐらをかく場面に切り替わった。


「……………………」


 さて……室内は以外と簡素なものだった。玄関を上がってすぐ二方向に部屋があり、バスルームとキッチンのある廊下を抜けると十畳ほどのリビングに出るといった構造だ。これと言った装飾もなく落ち着いている雰囲気がある。六階ということと、ここらは土地が高い位置にあるということも相まって、外の景色はなかなかに新鮮だった。

 本棚には漫画や小説、アニメのディスクやゲーム機などが詰まっている。桜内の『趣味』を感じさせるものはこれくらいだろうか。

 ……さて。現実逃避が終わると、僕と言う奴がどれだけ流されやすい奴なのかという問題に向き合わなければならない。

 いくらなんでも流されすぎている。もともと流されやすくはあるが、しかし今日は酷い気がする。初めて会話をする知人の母親の車に乗り、そして同業者の家の中に上がり込む。

 ——脆くなっているのか、僕は。

 向かいでメロンパンを頬張る桜内を見てそう思った。


「やっぱ米よりパンだよなぁ。箸を使わない食べ物に勝るものなんてないわ!」


 心から幸せそうに口に入れていく。

 ローテーブルを挟むようにシンプルなデザインの座椅子が置かれており、そこに着席している状況だ。

 視線を左に移すと大型テレビが台の上に置かれており、ニュースが垂れ流されている。

 午後六時四十五分。

 二つの座椅子。

 ふと絨毯に意味もなく触れる。落ち着きがないのもまた僕らしさと言うものに欠けているな……。

 ……僕らしさってなんだっけ。


「奏斗の母さんは優しいなぁ。苦手だけど。あたしの好みを正確に見抜いているところが流石だ」


 胃の中のメロンパンとテーブルに置いてある抹茶あんぱんにカスタードクリームパンは僕の好みの寄せ集めなのだけれど、それを言う気にはなれなかった。まあ、これであの人の株が上がるならそれはそれでいいことだ。


「まあ、本題は別にあるんだけどな」

「ほん?」


 僕はポケットから井宮母から受け取った札を差し出した。

 すると、すでに抹茶あんぱんを口にしていた桜内が「んー!」と驚愕だか歓声だかわからない声を上げる。

 桜内は札を手に取ってマジマジと見つめる。やや興奮気味の彼女はコップに注いだお茶で口内をスッキリさせてから言った。


「さっすが奏斗! 仕事が早い」

「なんなんだ? それ」


「腹立つほど長い構成の魔術を一時的に簡略化して閉じ込めたモン。土曜までにあたしの因子に刻んでおこうと思ってさ」

「ふうん……おまえは《糸》を使えるだけで十分強いと思うけどな」

「なに言ってんの。強かったらアイツらを取り逃したりしないって。なんなら今回はあたしが足を引っ張ったところがあるんだから」


 珍しく謙虚な一面を見せると、桜内は「ヨイショ」とリビングを出て行った。おそらく玄関前の部屋に向かったのだろう。

 誰かと暮らしている……って雰囲気じゃないよな。それにしては物が少なすぎる気がするし、靴の数も一足だけだった。

 うん。やっぱ僕と同じ——


「……一人暮らしか」


 ぽつりとつぶやいてから用意されたお茶を口にする。一息ついてからコップを置いたタイミングで「あんたと同じよ」とB5サイズの厚い本を二冊持った桜内が言った。丁寧に本をテーブルに置き、また座椅子に座る。


「一人暮らしあるある言い合おう」

「…………」


 桜内は本を開き、そこに視線を向けながらで続ける。横文字がぎっしりと詰め込まれた本なので僕にはさっぱり内容がわからないが、魔術世界の本であることはわかった。


「ちょっとした物音にも敏感に反応する」


 どーよ、と桜内。


「あー……分かる。冷蔵庫とかな」

「そーそー! あたしなんか部屋のドア閉じてても聞こえてさー。地獄耳というよりも奈落耳って感じなんだわ」

「何が違うのかさっぱり分からない」

「はい、次あんた」

「んー……独り言が多くなるとか」

「あー、ついさっきのあんただ!」


 桜内は顔を上げて青漆の瞳を細めて笑む。

 ……ふと僕は顔をテレビの方へと逸らした。横目で不思議そうにしている桜内が再び本に顔を戻したことを確認して続ける。


「思えば一人暮らしをする前から独り言は多かったかもしれないけどね。でも悪化したのは確実かな」

「へえー。それは話し相手が欲しいからってことなんかな? 案外情けないとこあんじゃん」

「案外《僕》って奴に聞かせているのかもしれないな。一番の友達は自分自身って話はよく訊くし」

「あんたは自分のことが好きってこと?」

「いや……僕みたいなのはあまり好きになれないな。自分のことだから、何かあったら同情はするけど好感は持てない」

「ふーん。あたしはあたしのことが好きだけどな」

「すげえ自信だ」


 素直にそう思った。

 いや——桜内はそういう奴でしかないんだっけ。いつか東条さんから訊いた話によると、こいつの中には悪霊が居て、その名前のない彼女に弱い部分というのを押し付けているのだったか。故に桜内は常に強気でいられる……と。

 触れてはいけない話だろう。

 東条さんも井宮も光野さんも(ついでに柩ちゃんも含めよう)このことは知っているだろうけれど、決して口にはしない。それは桜内の過去の記憶を掘り返すことに繋がるから。

 入れ替わることのない多重人格というのがどのような感じなのか気にならないと言ったら嘘になるのだが……そんなこと、僕が知ったところでなんの役にも立たないだろう。


「あたしはそういう思考しかできないからな」

「……」僕は僅かに惑ってからシラを切ることにした。「意味が分からないな」

「いや、いい。どうせ知ってんでしょ?」

「…………うん」僕はすぐに諦め素直に首肯する。「ざっと聞いたよ」

「不思議でしょ? 後からあたしの中に住み込んできた奴があたしの弱さを奪っていくんだ。そういうシステムというかプログラムというか……とにかく、その事実が確立された。表面上は《桜内桃春》という完成された女の子だけど、今見えているあたしは一部でしかないのよ」


 僕はいよいよテレビを見るフリすらやめて桜内を見る。苗色の前髪がカーテンとなって彼女の目を隠すが、どういう心境なのかはよく分かる。


「あたしの親は……つまり強化人間的なのを作りたかったんだ。強さと弱さを分散するための人格を植え付ける。その人格を悪霊で代用するなんて気狂いにしか思えない。薄暗い空間に《コイツ》と……!」


 殺気が発露される。これは死者に向けられたものだ。

 だというのに、無関係であるこの僕にこうも生々しく伝わっている——。


「桜内」


 考えなしに名前を呼ぶが、紡ぐべき言葉は見つからなかった。

 彼女らしさと僕らしくなさが衝突する中で、桜内はただただ本を読み続けている。時に聞き取りにくい言語を口にしては書き出し、魔力を循環させる。

 器用だなあと思った。


「ごめん。変な気になった。勘違いしないでほしいんだけど、悪霊ってほどにコイツは悪い奴じゃないんだ。悪霊はあくまで成仏しきれなかった魂の残り香のことを言うだけだから」

「幽霊ね……。それでも話し相手になってくれるってんなら良いもんだよ」

「なぁに? 寂しいの? あたしが毎日寝落ち通話してやろうか?」


 悪戯な言い方に僕は「よせよ」と返す。

 すると、突然桜内が作業を止めて僕の顔をマジマジと見つめ始めた。


「あんた……」

「……?」

「……いいや。なんでもない」


 どこか嬉しそうなのが気がかりだ。


「気になる?」

「別に」正直に答えたら負けだと思った僕は即答した。「そんなことはない」

「本っ当に分かりやすくなったな、この嘘つき!」


 不思議な感覚のまま会話が続く。

 嘘つきと正直者は言葉を交わす。

 時に友情論を、

 時に恋愛論を。

 本当になんの意味もなく、まるで近いうちに人殺しと対峙することから逃避するように。


「浅沼センセーが言ってたわ。なんだっけ。情熱、趣味、肉体、虚栄だっけ? スタンダールのやつ。浅沼センセーは二十年間恋愛論の影響で情熱の快楽を追ってたらしいけど、まあ、あの人ってアレじゃん?」

「二十六年間彼氏なしだって聞いたことがある。授業も時々その手の不幸話で時間がつぶれるよ」

「そ。それであの人は結局、情熱よりも虚栄の方が楽だし幸せだって結論に至ったみたい」

「言いつつ六年間虚無だってんだから仕方のない話だ。今度は『快楽の順位付けなんてバカバカしい』とか負け惜しみを吐かすんじゃないか」

「まったくよ!」


 時に正義を、

 時に悪を。


 そして会話は続く。なんでもないはずの時間はどこか幻想的で、どこか時の流れが早く感じるものだった。

 心地良い——そう表現したら、僕を知る人は何を思うのだろう。どんな言葉で僕を表すのだろう。


“脆くなったな”


 彼女ならば、そう言いそうだ。


 そんな意味のない独白はさて置いて。

 気が付けば九時を回っていた。ざっと二時間ぶっ通しでお喋りをしていたことには流石の僕でも驚いた。

 常識的には異性の家にこんな時間までいるのは珍しいんだろうなと思ったところで僕は立ち上がった。


「そろそろ帰るよ」

「……ん。そっか」


 律儀なことに、桜内は玄関まで見送ってくれた。

 僕が靴を履き終えたところで「夜道には気をつけなよ」と桜内が言う。


「大丈夫だよ。案外家近いし」

「そうだっけ?」


 桜内は微笑む。

 僕はきっと微笑んでいない。だから、代わりに片手を挙げて応じた。

 名残惜しい思いに新鮮さを感じながら僕はマンションを後にする。

 殺し合い前の安らぎの時間——そう考えると、もう少し長く居てもよかったかもしれない。

 小さな後悔を胸のうちに、頭の中で対極の思考をする。

 ——いつものことだ。

 ほんの些細な過去なんて気にするに値しない。そういう生き方をしてきた。これまでも……そして、これからも。


「……………………たしかに、これは脆い……」


 上り坂にため息をこぼしてから、僕は魔力を循環させる。

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