第二十六話 空っぽ
×早見愛海
数多くの才能を持った人間——つまり何にでも成ることができる人間というのは、膨大な選択肢があるが故に、一点を選ぶと言うことが難しくなるものだと私は考えている。
才能のベクトルが一方に傾いている人間は選ぶという行為は必要ない。彼ら彼女らは選ぶまでもなく、それ以外に成せることがないのだから。
——なんて言い方をしてしまうと、私がまるでその人たちを見下しているように聞こえるかもしれないけれど、本心は真逆だ。
選ぶという言葉と縁遠い人たちが心から羨ましいと思う。これは決して嫌味ではないし、そこに一ミリ程度も嘘は混じっていない。
私たち……私や奏斗みたいな人間は、ある意味では空っぽで、その隙間に目標が与えられてしまうとそれが全てとなり、そして、
あっという間に破綻してしまう。
そうあいつに思わされた。
あいつは、それを証明して見せた。
↓
奏斗が何かに絶望してこの学園を去ってから迎えた高等部二年。
誰にぶつけようもない怒りを孕んだまま、私は一人で食事をしていた。
向かいの彼が居ないだけで随分と食堂が広く感じた。
そんな食堂でのことだった。
斜め向かいに彼女は座った。肩の辺りまでの不均一な髪で、若干目元にまでかかっている。いかにも内気そうな奴だなと思った。容姿で中身までを決めつけるのは良くないとは思うけれど。
しかし、人混みとはとても言い難い空間でわざわざ人が居る机を選ぶだなんて、こいつには似合わなそうだと——そう思っていた時、彼女の瞳に魔力が集中した。
魔眼だ。
と理解してからは流石は私だ。
瞬時に因子の構成を見極めて対極因子となる《幻滅》の概念を即座に構築し、そして瞳に宿した。
彼女と目が合う。
「…………………………………………」
「…………………………………………」
「……え?」
目をパチクリとさせる彼女。
中和されたことにすら気付いていない。自分が退学処分どころか表裏協会に裁かれかねないほどの行為をしておいてなんとも可愛らしい反応だ。
だからといって、もちろん容赦はしない。
席を立ち、彼女の襟首を掴んで人目を気にせず歩き、そして近くの空き教室へと放り込む。
「あんた、魅了を使って何をしようとしたんだい?」
ドアを背中に訊く。
倒れていた彼女は慌てて正座をしてあたふたと「違うんです!」と謎の否定から入った。
「そんなつもりではっ!」
「だから何を……」
「本当にごめんなさい。それでは私はこれで!」
立ち上がり背中を向け颯爽と反対側の出口へと向かうが、もちろんそんな自分勝手は許さない。
私は勢いよく踏み出して彼女の背後服を掴み、足を払って尻餅を強制する。正面から彼女の髪の毛を掴んで顔を近づけた。
「あんたは魔眼所有者としてのリストには入っていない。私があんたを知らないからね。あんたは魔眼を持っていることを隠したいって人間だろう?」私は目を細める。「何をしようとしたのか言わないのなら暴露する」
「……離して……」
「話して」
威圧感を含んだ、そして意地の悪い言い方に彼女は口を結ぶ。
けれど、私の脅迫が効いたのか、彼女はすぐに口を開いた。
「知りたかったんです……奏斗くんと早見さんがどんな関係だったのかを」
「…………は?」
意味不明な理由と目の前の赤面に私は困惑する。もしかすると数分は硬直していたかもしれない。
それから私たちは席に座った。無駄に張り詰めた空気が必要ないと分かったからだ。
「小学校が同じだったんです。四年生の五月に、私が落とした消しゴムを拾ってくれて」
「それだけ……」
「パパの意向で私は今学期ここに——この世界に入ったんです。そして色々な人から《井宮奏斗》の名前を耳にして。その……同じクラスってこともあって、奏斗くんと早見さんとの色々な噂も聞いて……」
空気のような存在に気付かなかったことはさて置いて、私はバカらしいとくだらない噂話を軽蔑した。
「そんなこと、わざわざ魅了しなくても聞けた話じゃないか」
「だって早見さんの顔怖いんですもん。何考えてるか分からないし、そういうところ不気味っていうか。常に世界に対して怒ってそうっていうか」
「…………」
眉間に皺が寄ることを自覚した。
私は私のことを世界一の美女だと自負しているけれど、思えば他人からの評価は聞いたことがなかった。仲の良い人など居ないし、家族すらもどこか他人のように思えてしまうものだから、こういった第三者からの意見はありがたいかもしれない。
うんと私は頷く。
「ありがとう。参考になった。あんたの意見は最高だ」
「え。絶対ウソですよね。表現し難い顔してますよ……なんだか不機嫌っぽい」
「そう思うなら黙りなよ。誰のせいだと?」
横目で睨むと彼女はさっと目を、顔を、そして体までも逸らした。そして、勝手に気を落とした。
思ったことを口にしなくては気が済まない手合いがどれだけ落ち込んだところで私の心が抉られることはない。
……と、言霊とは無関係に生きていた私ならば思っていたのだろう。
「……私と奏斗はただの親友さ。決してそれ以上の関係ではない」
え? と彼女は顔を向ける。
慣れない気遣いというやつにむず痒くなるような恥ずかしさを覚え、今度は私が顔を逸らす番だった。
「多才に見えてその実空っぽだったところが似ていたのさ。だから親友になれた。そこに卑しい感情は持ち合わせていないよ」
「奏斗くんが、空っぽ……?」
「うん。あいつは選ぶということよりも捨てるということが何よりも嫌いな奴だと私は思っている。故に空っぽ。あんたにはどう見えていたんだい? あんたにとって、消しゴムを拾っただけの王子様はどんな奴だった?」
「そうですね……たしかになんでもできたと思います。できないこと、というか、欠点ですかね? そういうのがまるで見つかりませんでした」
「そう。だからこそ、親しい人間に何かを吹き込まれたときにあっという間に破綻するんだ」半ば独り言のように私は続ける。「奏斗は『死ぬべき人間など一人もいない』という思想をあいつの姉に吹き込まれた。当然間違った極論だ。それでもあいつはその生き様が至極素敵なものだと錯覚してしまった。空っぽな人ほど言霊が作用されやすいというのは知っているだろう? つまりはそういうことさ。そしてあいつは——破綻した。私もあいつにその理想を吹き込まれたからこそ分かったよ」
「その『破綻』っていうのは……」
「多方面に物事をこなすという空っぽさはある意味で安定していたと言える。けれど、そこに一つの間違った理想を押し込まれたら、あいつにとってそれが全てになってしまうんだ。『自分にはあらゆる能力がある、故にその理想も叶えることができる』……ってね」
横目で彼女の様子を伺うと、なにやら真剣な眼差しで微動だにしていない。
私と奏斗の関係がはっきりした今でもなお、こんな愚痴にも近い話を聞いているだなんて。規則破りの行動をする割に人がいいと言うかなんというか……不鮮明な奴だ。
それにしても。誰かに自分の気持ちを吐き出すだなんて、らしくない。
と、頭の片隅で思いつつも私は続ける。
「あいつは実践試験を経てその生き様を誰かに否定されたんだと私は考えている。一番考えられるのはあいつに影響を与えた張本人である姉かな。とにかくあいつは失敗した……結果、この世界から逃げ出した。……入れ違いになって残念だったね」
嫌がらせにも取れる最後の言葉に対して、彼女は「ううん」と首を横に振る。
「奏斗くんが生き易い世界を選べているなら、それはとても喜ばしいことですよ」
「…………」
寛大な言葉に私は不審な顔つきで返してしまう。
「消しゴム一つでそこまで他人を好きになれるなんて……病的にも思えるけれど」
彼女は照れ笑いを浮かべる。暴言を吐かれたのに笑って済ませれる器の大きさは素直に感心した。……ただ、彼女の場合は天然もしくは馬鹿の可能性が大きいけれど。その場合は感心ではなく反面教師として認識しなければならない。
「他人を好きになる理由なんてそんなものですよ。偶然目があったり、手が触れたり、席が隣だったり、肩がぶつかったり。たしかに浅い理由ですけど、それは否定されるほどのことでもないと思います」
先程までの内気な態度は何処へやら、彼女は真っ直ぐにこちらを向いている。
「奏斗くんとの関係はわかりました。けど、その……もう一つ訊いてもいいですか?」
「なんだい?」
「早見さんも奏斗くんから『理想』を吹き込まれたみたいですけど、吹き込んだ張本人がその『理想』を諦めたなら、今の早見さんはどうなんですか? やっぱり、あなたも破綻して……?」
「…………」
たしかに、と私は思う。
あいつは姉から与えられた夢を諦めた。
ならば、今の私はどうなのだろう。
これだけベラベラと親友のことを分かったつもりで語っているくせに、そんな私はまるで自己分析ができていない。
私は今何故ここに居る?
私の目標は一体なんだ?
見て見ぬ振りをしていた問に対する答えは見つからない。
情けないことに、私は口籠るだけだった。名前すら知らない相手に見せる姿としてはあまりにも滑稽すぎる。
このまま何も言わずに立ち去ろうと、ほんの少しお尻を浮かせたところで、彼女は言った。
「理想を諦めることと理想を捨てることはイコールではないってこと……ですかね……?」
「………………ああ」不意にも綻んで私は言う。「そうか……なるほどね」
失敗したから、破綻したから逃げ出した。
しかしそれが投げ出したことには繋がらない。あいつの性格を考えれば、最低でも理想を捨てる捨てないの境界線に立っているはずだ。
表の世界にあいつを活かすことのできる組織さえあれば、もしかするかもしれない。
私も理想を捨てていないとすると、最低限の正義感は持ち合わせている——かもしれない。
かもしれないかもしれないと希望的観測でモノを語る愚かな姿もまた、第三者の彼女がいなければ自覚しないままであった。
「あんた、名前は?」
記憶するつもりで訊く。
彼女は少し迷ってから、冷や汗を浮かべたぎこちない笑顔で言った。
「……片瀬由奈です。できれば、その……早見さんに魔眼を使ったことはナイショにしてもらいたいんですけど……」
「考えておくよ」
私は悪戯に微笑んで応じる。
×
薄っぺらい恋の為には禁止事項も犯すような、けれども悪意がなく、そしてどこか恨めなく憎めない、加えて時折見せる笑顔には可愛げがある不思議な女の子。
そんな片瀬由奈と私の関係を説明するのは少し難しい。
はっきり言って、私たちは人付き合いが苦手だ。集団よりも少数を好み、他人に踏み込まれすぎることを嫌う。その点で私たちは共通していたからこそ気持ちの良い距離感でいることができた。
食堂で見かけたら席を共にし、授業で詰まったところがあれば協力して課題に取り組み(とは言っても私が教える立場なのだが)、そして時折明日には忘れてしまいそうな会話をする。けれどもお互い踏み込みすぎることに神経質になり、踏み込まれないように警戒する。
絶妙な距離感を保ったままの、心地の良い関係性。
踏み込んできても不快感がまるでない親友の奏斗には劣るけれど、それでも大切と呼べる存在の彼女。
彼女は死ぬ。
魔眼コレクターに目を抉られる。
殺されてから抉られるのか、抉られてから殺されるのか。どちらにせよ、彼女は死ぬ。
苦しい。
死ぬと聞いてから、ずっと苦しい。
「う、うぅう——」
寮に戻ってからというもの、私はずっとベットの上でうずくまっていた。
何かが吐き出せそうな中途半端な感覚をずっと身体の中に溜めてしまっている。
本当は。
本当はあの時路地裏で殺せたはずなのに。
殺せなかった。
いいや——殺さなかった。
奏斗の視線。
唯一影響された理想。
“死ぬべき人間など、存在しない”
「馬鹿じゃないの……その結果由奈が死ぬじゃないか……」
何が正義で、
何が悪なのか。
そんなことを考えて五時間以上が経った時に私は気付く。
私は一滴も涙を流していなかった。




