第二十四話 もう一人の所有者
「なあ藍歌」
「……、……」
「おまえって小説とか読むか?」
「読まないこともない」
「あ。そういえば家にいくつか本があったな。やっぱり紙で読まなきゃ読書した気にならないタイプなのか?」
「別に。スマホに頼るのも楽なんだろうけど、あらゆる趣味を電子機器一つで管理することに躊躇しているんだよ。便利すぎて手放せなくなりそうっていうか、それが壊れた時に何もできなくなりそうっていうか」
「それがニュースアプリ以外は全く使っていない理由か。でも、藍歌の理屈だとスマホが壊れた時には外界の情報が一切入ってこないよな。家にテレビもないし、新聞も取ってないだろ?」
「情報の収集なんて趣味以下の暇潰しでしかないよ。大事なことは自然と耳に入ってくるだろうしね」
「ふうん……世界の動きは詳細に知ることは得だと思うけどな」
「大まかな過去の世界の流れの知識があるなら、詳細に知ることは不必要だと僕は思ってる。人類が誕生してからの歴史を全て頭に入れるなんて、地球が存在し続ける限り歴史が積み重なっていくことを考えると馬鹿らしくなるだろ」
「だから地理を選択したのか?」
「うん。世界史や日本史に比べて覚える量が少ないから。誰だって楽はしたいだろ」
誰だって楽はしたい。
その言葉が言霊となって発現したのか、僕の集中力はぷつりときれた。
十六日の朝から僕は格技室で井宮、早見さんを師匠に特訓をしている。
学校……と言うより担任である浅沼先生には立ち眩みを理由に休むと伝えたのだが、流石に怪しまれているようだった。二年になってから休むことと怪我を負うことが多くなったものだから、いい加減生徒指導が入ることを覚悟しなくてはならないかもしれない。
しかし……教師ってのはどうも……
「ほら。流れが止まったぞ」
正面に座る井宮が二回手を叩く。
胡座をかいていた僕の足は完全に痺れてしまっていた。
体勢を崩す僕とは違い、井宮は平気な顔をしてピクリとも動いていない。
そして何より——魔力の流れが途切れていない。
早見さんの魔術因子が適応して間もない僕には体内の魔力はぼんやりとしか認識できないが、その流れ自体は掴むことができている。
心臓の辺りから指先足先まで一定の魔力が行き渡っている……他愛もない雑談を交わしながら、だ。
一方で僕はこの通り。集中力は一つの物事にしか使えないのでまるで保たなかった。
意識的に覚醒源である殺意を発露することは案外難しい。普段から思っていることを意識すると逆に非常に思えてしまう。それに加えて他の物事をするとなると難易度は一気に高くなる。
もとより魔術師である者には情なんてのは無関係に等しいらしいが、それを抜きに考えたって井宮の集中力は怪物程に思う。
……とにかく。
井宮とは魔力操作の安定を目指す訓練を以前からしていたのだ。
早見さんの魔術因子が適合してある程度のことができるようになったとはいえ、それを持続的にできるかと言われればそうではない。これは十分な欠陥となる。
「藍歌が愛海の血を飲む前にも言ったけどさ」
「言い方考えろ」
「魔力操作は本当に大切なことなんだよ。身体強化の維持は相手と対峙する時に必須だ。藍歌が彼に殺されずに済んだのは偶然なんだぞ?」
「分かってる。早見さんの記録を覗いて瞬時にあの魔術を発現できたのも偶然でしかない、だろ?」
「ああ……その偶然に頼らざるを得ない状況を作ったのは俺の責任でもあるから、おまえを責めることはできない。次は、必ず——」
強気な口調であったものの、井宮は続けようとしない。どうせ脳裏に早見さんの顔が過ったのだろう。それでも魔力の流れが止まらないのは流石でしかなかった。
「ほら、続けるぞ。藍歌は手足の強化を継続するんだ」
言われて概念操作を行い、再び体勢を戻す。
そうか。次は僕が動揺を誘う番か。
……、……。
早見さんに毒されたかな。
「…………井宮。おまえには大切な人って居るか?」
「ああ。俺の周りにいる人たちは常に大切であり続けている」
「その内の誰か一人でも殺されたとしよう。……通り魔だ。通り魔にバラバラにされたとして、その時お前は何を思う?」
「許せないと思うな」
「うん。それで、どんな行動に出る?」
「捕まえる。そして罪を償ってもらう」
「そのやったもん勝ちの世界観にどんな美しさを感じてるわけ?」
「……やったもん勝ち?」
「おまえって『殴り返したら相手と同レベルだ』とか言う人間だろ? つまりはそういうことじゃないか」
「やり返されることだけが償いじゃない」
「うん、まあ、それでいい。犯罪者想いで何よりだ。でもさ……お前の話を聞くと、どうも被害者のことを考えていないように思うんだよ。償い償いとは聞くけど、被害者の気持ちが晴れる為の言葉は聞かない。もしかして償いがイコールで繋がっているのか?」
「……『自分が被害者になったことがないなら説得力がない』ってことか」
僕は身体強化を維持したままで頷いた。
思想に差異はあれど、井宮と早見さん、二人は賢い点には全く違いがない。会話をしていて疲れない。
「やっぱり変に見えるか?」
「僕なんかが言うのもおかしな話だけど」僕は薄茶色の大きな瞳に向かって言う。「こうはなりたくないと思うよ」
顔色ひとつ変えず、魔力を微塵も動かすことなく彼は天井を見上げる。
「そうか……それもそうだよな。俺は間違ってるよな」
その声には隠しきれない迷いや淀みがあったように感じた。
別に井宮個人に興味はないし深入りはしない。
さて次はどんな話を振ったものかと考えていると、井宮が「よし!」と張った声を出す。
「七時から二時間経った。おつかれ。少し休憩にしよう」
入り口付近に設置されている時計に目をやると確かに九時ジャストだった。
ようやくか——と大の字に横になる。
ここには冷房は付いていないが、しかし風通しがいいので自然な涼しさが十分に味わえる。
「俺は食堂に行ってくるけど、藍歌はどうする?」
「僕はここにいる」
狂人に遭遇するかもだからね、と僕は心の中で続けた。
そうかと井宮は去る。
一人の空間になって目を瞑る。
このまま眠りたいところではあるけど、今はそれが許される状況にない。
頭の中に記憶した被害者の情報。コレクターの二人の情報。これらを頭の中でひたすらに思考する。
はっきり言って苦戦している。
井宮が東条さんと薔薇が殺されたと嘘をついた時……あの時のような使命感——それとも衝動というべきか、ともかくそういった絶対的な意思はそう簡単に繰り出せるもんじゃない。
……八つ当たりでしかないと理解していても口に出したくなる。
「アンタのせいなんだぞ……先生」
「誰なんだい? 先生ってのは」
「僕を育てた人間さ」
「回りくどい表現だね」
「ただの事実だよ。……? …………っ」
咄嗟に体を起こすと、すぐ隣に早見さんが座っていた。
……全く気付かなかった。気付かないうちに会話までしていた。
「自然に会話するのやめてくれる?」
「どうして辞める必要が? 無意識ですら私と話したいって好意の表れだろうに」
「とんでもないね、君は……」
こんな人にはなりたくない。
決して嫌いというわけではないし、方法はともかくとして僕を強くしてくれたことに対する恩もあるのだけれど、この手の人は僕から遠いところで長生きしてほしいものだ。
早見さんは薄く微笑を浮かべてから、ジャージのポケットから缶のおしるこを取り出し僕に差し出した。
「あげる。疲れているだろう」
突然の出来事に濃藍色から目を逸らす。
「……ありがとう」
なぜ疲れている時におしるこなのか。なぜ季節的には夏だというのにホットなのか(というかこの時期に自動販売機にホットがあるもんなのか)。そんなことはどうでもよくて、どうして僕なんかの為に百円を費やしたのだろうという疑問が頭の中を巡って……すぐに解決した。
早見さんもまた言霊に背中を押された状態だから。伊藤さんに『人として当たり前のことを諦めない』と諭されたからだ。
……この人もこの人で頑張ってるんだなぁ。井宮とは思想の対立があるせいで関係の修復は難しそうだけど。
どうしたもんかな。…………『どうしたもんかな』だって?
そこまではさすがに踏み込む必要はないだろう。
——調子に乗るな。
と、飲まない方がマシな液体を口にしながら言い聞かせる。
「ところで——」
早見さんはブラックコーヒーを飲んでいた。そっちをくれよ。
「未来視の方はどうだい?」
「以前よりは色々と視やすくなったのは確かだけど、それは調整ができるってわけじゃないからな……。不意に無関係な未来が視えることは変わらない。そこにほんの少し僕の意思が割り込んでいる状態って感じ」
「あんたは覚醒者なんだし、その点については妥協するしかないね」
「不便なもんだ」
いや、未来を知ることができる力を持ってそれは高望みし過ぎか。……別に望んで得た力ではないけれど。
「あんたさ。その傷……」
早見さんは僕の包帯ぐるぐる巻きの左手首に視線を送る。
「一週間以上はかかるんだっけ」
「らしいよ。医務室のおじさんが『君は頭が悪いんだね』だってさ」
「間違いない」迷いなく頷く早見さん。「誰かの為に負傷するなんて馬鹿げてる」
「……あのおじさんはそういう意味合いで言ったわけじゃないと思うけどね。まあ、僕は同意できるが」
うん。冷血な物言いは大いに頷けた。
僕だって伊藤さんに背中を押されなかったら何もしなかっただろう。
変化を望んで尚、全てを放棄して呑気に生きていただろう。
けれど。少しだけこの人から発せられた言葉というのは引っかかる。
「似合わない台詞だ。早見さん、君は僕がこの依頼を断ろうとしたときに本気で怒っていたじゃないか」
「誰かを助ける為に自分を傷付ける必要はないってことさ。自分も、そして救える範囲にある他人のことも——」
「……それって」
「……………………」
早見さんは自分の発言を振り返っているのか、顎に手を当てて考え込む。次第に強張った顔つきになり、コーヒーを飲み干してその缶を握り潰した。
そして僕に背中を向けて「忘れて」と小声で言った。
薄っすらと赤みを帯びた頬が今の早見さんの全てを表している気がした。言行不一致が例え過ぎたものだとしてもその本質は変わらない。
つまるところ……彼女はどうしようもない程のツンデレなのだった。
そもそも彼女がこの依頼を請け負う理由は対策機関に媚びを売る為。早見さんの昔話から推測するに、対策機関を目指すきっかけを与えたのは井宮だ。井宮が失敗した後にその生き様が悪しきものだと理解しておいて尚、こうして今、救える範囲に居る赤の他人の為に自分の時間を割いている。
案外すぐに仲直りするかもな……。
「なあ早見さん。『喧嘩するほど仲がいい』って言葉について君はどう思う?」
「……うん?」
再び僕に顔を向ける時には早見さんはいつも通り涼しげな表情にもどっていた。さすがに切り替えが早い。
「語源が不明な言葉は嫌いだよ」
一刀両断がすぎる言い方に肩をすくめる。
「まあ、あれだ」流石に不十分すぎる回答だと自覚したらしく、彼女は腕を組んで続ける。「人間関係なんて喧嘩したらそれが最期。以前の関係に修復なんてできっこない。仲が深まるなんてもってのほかさ。最も——どこからが《喧嘩》と言うのかは人それぞれだけど。互いの思いをぶつけ合う程度のことを喧嘩と言うのなら、そいつらはもとより友達なんて呼べる関係にない」
「…………そう。そういう視点もあるんだ」
否定という点では桜内と変わらないが、しかし早見さんは納得させるのが上手い。……桜内が下手すぎるだけかもしれないけど。
「そういえば桜内は? 七時集合だってのにまだ来てないのか?」
「いや、学園内で見たよ。怪しさ全開で誰かを探しているようだった。友達だと思われたくなかったから声はかけなかったけど」
一応周囲の目は気にするんだな。
早見さんは缶を端に設置されている背の低い荷物入れ(おそらく柔道着などを入れるのだろう)に置いて腕を組む。
「どうせしばらくしたら来るよ。アレはどうでもいいから、私たちは私たちのやるべきことをやるよ。あんたが未来視の機能を奮い立たせる為に必要なのは殺意だけじゃないって以前の方法で分かったんだ。ここが頑張りどころだよ。私の魔術因子も適応している、きっと疲労度も以前よりは少なくなるさ」
「そうだね」
僕も早見さんの隣に缶を置いて——置いたところで、桜内は格技室に入ってきた。
一人の男の襟首を掴みながら。
「さ、桜内さん! 服! 伸びるっての!」
「うるさい! 以前はあんたのせいで靴底擦り減ったんだからおあいこ!」
桜内は彼を中央に投げ入れる。
受け身がとれなかった彼は頭を打ちつける。いくら畳でも痛いことは痛い。それをよく知る僕は呻いている彼に向かって言った。
「何をしに来たのかな……明日川くん」
閲覧の未来視所有者——明日川睦太は顔を伏せる。




