第二十三話 窮地/可視
「対策機関は今後コレクターの足取りを追わない」
心儀さんがそう告げたとき、僕は呼吸を乱すこともしなければ何故と問いかけることもしなかった。ただただ「ふうん……」と心の中で思っただけで整理できた。
落ち着いていたという点では井宮と早見さんも同じだ。けど、そのあまりにも冷静な表情の内で何を思っているのかは定かではない。
そして、ある意味普通のリアクションをしたのが桜内だ。
「はあ⁉︎」
格技室いっぱいに彼女の声が広がる。
中央に立つ心儀さんに詰め寄って桜内は声を荒げる。
「意味わからないんですけどぉ! 魔術師って本当に阿保しかいないの?」
「人員削減の時点で怪しくは思っていたんだけどな。捜査打ち切りって決まった時には思わず笑っちまったよ」
あっはっは、と心儀さんはガチギレしている桜内に満面の笑みを見せる。流石にブレない人だ。
「そしてもう一つ。それと同時に監視の目が厳しくなった……ような気がしてさ。資料を流すことも無理だろうなって。詰みっす」散らした資料を指差して彼は言う。「それも今日には燃やし尽くす。写真には撮らないで記憶しておいて」
無茶がすぎる話に僕は「はい」と適当な返事をした。
すると彼は満足気に二度頷いた。そして対の位置に背中を預けている井宮と早見さんに視線を巡らす。
やけに張り詰めた空気の間に居る桜内も流石に「うお」と引いている。逃げるように僕の側に寄ると、小さな声で
「あんた、あの女に火着けるようなこと言ってないだろうな」
と言った。
当然そんなわけもないので僕は首を振って否定する。
「じゃあ……」
先に声を出したのは井宮だった。
「依頼はキャンセルってことになるんですか?」
「んなわけあるかよ。奏斗、おまえは桃春と違って俺を信頼しているだろ? 俺もやれることは死ぬ気でやる。だからお前たちも依頼料相応のことをしてくれ」
井宮は微笑んでそれに応じる。
「……さて、首席ちゃんからは何かあるか?」
「コレクターの身柄を押さえれば機関も動かざるを得ない。それは分かります。けど、奴らは人を殺すことができる……今回私が居なければ被害者は多かったでしょう」
「つまり?」
「私を使うべきです。依頼料は……いえ、貢献度を機関の推薦書に加算していただければ」
「それって意味ある? 君のような存在はここを卒業するしない関係なしに欲しいんだ。だってのに……」
「もちろん」早見さんは食らい付くように即答した。「意味なんてありませんよ。本当に意味のない、ただの自己満足です」
涼し気な無表情の彼女を見て、心儀さんは口元だけを歪めてみせる。
もっとも、そんな前向きな雰囲気なのはあくまで二人だけであり、僕を含めて残り三人は不安でしかなかったことは明確で……。
中でも井宮はその美形を曇らせていた。
僕と桜内は顔を見合わせる。
今後の予想もできない展開に不安を募らせていることを、お互いに視線だけで訴えた。
×薔薇叶未
すっかりと色奈さん邸への帰宅が板についてきたところで、わたし、薔薇叶未は一つの悩みを抱えていた。
親については何も問題視していない。あの人が私に関心がないように、私も彼女に関心がない。それだけのことなのだから……。
ただ、こうして色奈さんの家にお泊まりをしてしばらく経っても尚、この人のご両親と会わないことには不思議に思う。
藍歌先輩の家との距離は徒歩十五分といったところにある、一階建てのなんだかアメリカンな雰囲気の家。その中にはご両親の私物や部屋があるものだから、さすがに一人暮らしということではないのは分かる。
「あのぅ、色奈さん」
そして十五日の午後六時半。
リビングの大窓から一面の紅をぼんやりと眺めながら私は言う。「ご両親は健在ですか?」なんて訊くことはできない。とりあえずは健在の前提で会話を進めよう。
「色奈さんは親のことをどう思っていますか?」
柔らかなソファーに身を預けながら、キッチンにて料理をしている色奈さんに視線を移す。ポニーテールもよく似合うなと思ったのも今日が九回目。
「んー? 随分といきなりだね」
手を止めることなく彼女は続ける。
「親のことは嫌いじゃないよ。それが好きに直結するわけじゃないけれど、関係は良好かな。親がどう思っているかは分からないけどね。最近はおしゃべりできてないし」
「へー……」
健在っぽかった。
「その質問から察するに、叶未ちゃんはお母さんとはうまくいってないみたいだね」
「え……」そういう意味で質問したわけじゃないけど、たしかに色奈さんの読みは正しかった。「……はい。私が産まれた理由に私の意思はない……そう考えた時に、どうしても親を親だと思えなくなるんです。こんな考え方は幸せだったらしないはず……私が不幸だから——」
「できたよ」
歯止めを効かせるように割り込む色奈さん。本当に優しいなと思いつつ、私は料理をテーブルに運ぶ。
他愛もない話を交えながらの食事を終えると、色奈さんはいつになく優しい口調で言った。
「明日、早起きして走ろっか」
「……はい?」
×
とまあ……泊めてもらっている、というか、命を守ってもらっている身としては色奈さんに逆らえるわけもなく、私は早朝四時半に起きたのでした。
日頃登校ギリギリに起きるタイプの私からしてみれば、早朝というのはどこか別世界の感覚がある。
ぼんやりとした頭を起こす為に洗面台に立つ。
寝癖酷いなぁ……いっそ短くしちゃおうかな。でも私には似合わないかも。などと詮ないことを考えながら顔を洗う。
リビングに用意されていたランニングウェア、ショートパンツ、レギンスに着替え、髪を括りながら外に出る。
門前で既に色奈さんが準備体操をしていた。ばたんと閉じる扉に反応して彼女は振り向く。スポーティーな服装にポニーテールの姿だ。
「おはよう。服も靴もちょうど良さそうだね。すっごくカワイイよ」
元気いっぱいの彼女の挨拶は私を笑顔にしてくれる。
「ありがとうございます」
憂鬱な朝ではあったのだけど、そんな気持ちも今でおさらば。天気が良いことも相まって私のやる気はぐんぐんと上がった。
色奈さんと一緒に体を伸ばしながら私は言った。
「運動好きなんですね」
「うん。体の健康は心の健康に繋がるからね。楽しいことをして得しかないんだから、好きになるのも当然だよ。ランニング中に音楽を聴くのが最高に気持ちいいんだ」
「いつも聴いている人のですか?」
「そうそう。奏斗くんと桃春ちゃんにおすすめされて聴き始めたんだけど、今じゃすっかりファンになっちゃった。大抵は曲調だけで判断できるよ」
「たしかに幻想的な感じがありますね」
「そうそう! 特にクワイエットロマンスなんかは——」
色奈さんは目を輝かせて語り出す。趣味を共有したい子供じみた一面もあるんだなぁと最初は驚いたものだ。
やっぱり、部分的な過去を視ただけで人を知った気になることはよくない。知ったかぶりもいいところだ。
藍歌先輩はわたしのこういうところにイラッとしたんだろうな……。
しばらく準備体操をしつつ雑談をして。
「それじゃあ、そろそろ行こうか!」
僅かに汗をかいたところで色奈さんは言う。
私は「はい」と元気に返事をした。
そして、色奈さんは走り出す。
×
私自身そこまで運動が不得意というわけもなく、どちらかと言えば得意寄りなので、色奈さんに置いていかれることはない。彼女が私でもついて来れるようなペースで走ってくれているからというのもあるんだろうケド。
足を進めているうち、朝ということを抜きにしても、辺りは喧騒とは無縁であろう場所になった。
同じ街なのに、まるで新天地に来た感覚。
——向かい風。
迎えてくれる風が絶妙に気持ちいい。
これまでの不満も。
これからの不安も。
綺麗さっぱりにとまではいかなくても、ある程度は洗い流してくれている……そんな気がする。
うん。たしかに良い気分になる。
……けどっ!
「色奈さん! ちょ、ちょっと待って!」
さすがに膝に手をついた。
約二十分ノンストップ。新鮮な気分に踊らされていたけど、部活にも入っていない私にはオーバーワーク過ぎた。それを自覚してからというもの、お腹も足も悲鳴をあげていたことに気付かされた。
「ごめんね。いつのまにかいつものペースで走っちゃって」
いつもやってるんだ……。何かにつけ物事を継続できる人は尊敬するなぁ。私なんてよっぽどのことがないと三日坊主で終わるし。
肩で息をする私の側に駆け寄る色奈さん。
「——geofu」
私のおでこに手を当てて謎めいた言葉を口にする。
すると……なんということでしょう。呼吸が整い、それだけでなく、内臓や足の痛みもまるで消え、体が軽くなったではありませんか。
「色奈さん、これって……」
魔術ですか? そう訊こうとしたら、色奈さんは人差し指を口元に当てて片目を瞑った。
私が男に産まれたならこの時点で彼女に惚れている。
「さ! あとちょっとだよ!」
もう一度私に背中を向ける。
こんなお姉ちゃんが居たら、私も壊れずに済んだのかな。
×
終着地点は開発途中の高台だった。
坂道を登った先には駐車場だけがあって、他には何もない。たしかに整地はされているんだけど、ここから何が出来上がるのかまったく情報がないから分からない。申し訳程度の安全柵で一帯を囲んでいる。小学校が近くにあるし、ここはしばらくの間ただの遊び場(というか溜まり場?)としてしか役割を与えられていないんだろうなと思った。
ここに着いた時点で走るのはストップ。色奈さんは登ったところから反対の方向へとゆっくり歩く。
色奈さんが足を止めたところで、私は彼女に並んだ。
「────」
小規模の緑の向こう側には町の一部が広がっていた。
勿論、何一つ特別な景色ではない。
圧倒的に青い空。
眩しすぎるほどの太陽。
その下に、次々に活動を始める生命がある。
それだけの光景に私は美しさを感じた。
何もかもが煌めいて見えた。
身近な現実がこうも幻想的に見えてしまう不思議に感動する。
「幸せになることを諦めると後悔するよ」
私は景色を眺めながら色奈さんの言葉を聞く。
「どうして産まれてきたんだろうって疑問に直面することは誰にでもある。でも、大抵の場合その答えは見つからない。産まれてきたことは仕方のないことでしかない」
「仕方のない……」
「産まれたことに必然性はないかもしれない。私たちの代わりは無数に居て、まったく特別じゃないのかもしれない。だからって、不幸であることを妥協する理由にはならない。自分の意思で産まれてない上に不幸であり続ける……それって、悔しくない?」
煽るような口調に含まれる優しさを容易に汲み取ることができる。
彼女に応えるように私は笑う。本当になんでもない景色と尊敬に至る先輩の言葉に私は突き動かされる。
「幸せになって見返してやろうよ。私も手伝うからさ」
私は自分のちょろさに呆れつつも頷いた。そもそも人が変わる瞬間というのはこうも単純なものなのか、それとも私だけなのか。できれば前者が世界の真実であってほしいと情けないことを思う。
全てを癒す暖かな風に煽られて気付く。
「何気ない光景を特別に見ることができたのなら、幸せの可能性は無限に広がっているよ」
「……そうですね!」
過去視を持ちながら、私はこれまで見てきた世界の幸せを知らなかったのだ。




