第二十二話 裏腹に
ところで、他人の人生に深入りすることに対し、あの人はどのような見解を述べていただろうか。
“他人の人生に関わったところで得られるものは殆どないよ。それがどういった形であれ——最善の状況で関わったとしても、将来に残るのは深い悔恨さ”
しかしそうだとして、関わらないことが幸福につながるのだとして、生涯孤独な人間が果たして幸せと言えるのだろうか。
そんな偏見を述べて、当の本人は頷いてくれるのだろうか。孤独を知らない人間が『孤独で羨ましい』などと吐かして、孤独を知る人間はどう答えるのだろうか。
“ああ、いやいや、何も関わらないことが幸福だとは言わないさ。孤独もまた後悔に埋め尽くされる人生になるだろう。要は考え方の違いなんだよ。全てを投げ出して重みのない孤独に後悔するか、全てを背負い込んで縁に縛られながら後悔するか”
……仮に。
もしも仮に、僕が未来視で『薔薇叶未が過去を振り返る』という未来を視たとして、僕はどっちの後悔を選ぶべきなのか。
——食堂でそんなことを考えながら、僕は薔薇に言った。
「……気が変わったらまた言ってくれ」
俯いたままの薔薇を放置して食堂を出る。
そのまま二階の三年生の教室に向かい、入り口近くで屯している男の人に声をかける。
「すみません、東条色奈さん居ますか?」
「ん? おう、居る居る」
ヤンキーっぽい風貌の割に感じのいい人だ。そっか、この学校に入れてる時点で度が過ぎるヤンキーなんて居るわけないか。
「東条ー! 後輩呼んでる!」
と、窓際で複数人と談笑していた東条さんを呼んでくれた。
「ありがとうございます」と軽く頭を下げてから廊下の窓に背中をあずける。すぐに東条さんは来た。
「珍しいね。姫乃くんから私に用だなんて。場所変える?」
「いいや、ここでいいよ」
廊下は他の生徒たちの話し声で溢れているし、僕たちの会話もその中に埋もれることだろう。
それに、誰かの耳に入っても問題ないようなワードを選べばいいだけの話だ。
「……眼鏡を買ってほしいんだ。金は僕が払う。簡単には買えないんだろ? だから、東条さんに頼みたくて」
東条さんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
どうしてだろうと考える。
やっぱり僕にはわからなかった。わかるわけもなかった。
呆気に取られたままの人と、その原因を理解できない人。気まずいというよりは不思議な沈黙が続き、それは廊下を歩く人たちが一目置くほどにおかしな光景らしく……。さすがに何も思わない僕ではない。
「えっと……」
とりあえず東条さんの意識を引っ張ろうと僕は口を開く。
「別に汚れた金じゃないよ」
「………………」
「僕が所有している金さ。犯罪性は皆無」
「………………」
「……、……あの。意味不明な沈黙やめてもらっても?」
とにかく怖い。周囲の視線もそうだけど、何よりこの人の顔が意味不明で怖い。
気味が悪すぎる表情が焼き付いてしまうまえになんとかしよう。……と、僕は先程のヤンキー先輩に助けを求めようとした。
東条さんに右半身が向いたところで、彼女は僕の頭の上に手を置いた。
「え……なに」
再び顔を向けると、そこにあるのは不気味な驚愕顔ではなく、どこか遠くの人を見つめるような優しい微笑みだった。
「良いよ。すごく、良いと思う」
僕の髪の毛をくしゃくしゃにして言った。
「……そりゃあどうも」
心を込めていない空っぽのお礼を口にして東条さんの手を払う。
東条さんはやはり笑顔のままで言った。
「甘やかすつもりはないって感じだね」
「もちろん。僕は奢ったりするのは本当は嫌だからね。割り勘主義なんだ」
「じゃあ、等価交換するんだ。姫乃くんが叶未ちゃんに望むものって……。いや、その前に、叶未ちゃんには話をつけたの?」
僕は静かに首を振った。
「ああ、蛇足だったね」
察したことは口にしなかったが、多分それであっている。
事実確認の必要性はない。
信頼か願望か。どっちの可能性も高いし、どっちだとしてもどうでもいいと思った。
眼鏡が完成するまで最短でも一週間はかかるだろうとのこと。とりあえずは東条さんが立て替えてくれるらしい。この人もこの人で結構金持ちだよな。
……東条さんは思ったはずだ。事前に話をつけていないのなら、薔薇が交換条件をのまなかった場合は全てが無駄になるのではないか——と。そして、僕が無駄な事を嫌う人間、おまけに未来視を所持している事実。
だから、あの人は『蛇足だ』と言った。
「予測がはずれたら結局は無駄なんだけどね……」
誰もいない廊下でぽつりと呟いた。
×
放課後になって、玄関で偶然にも桜内と会った。
「燈明行くっしょ?」
「うん。井宮は?」
「先行った。また殴り合ってるんじゃない?」
「そりゃあ……元気なことで」
桜内曰く、早見さんと井宮は考え方の差異から衝突してしまったらしい。押し付けがましい井宮の綺麗事に、早見さんが現実を突きつけるといった形だそうだ。
正直なところ、井宮の『全員絶対救う主義』は僕もふざけているなと思っている。桜内の『悪人でいいから悪人絶対殺す主義』の方が何倍も好感が持てるのが現状だ。
しかし……早見さんは井宮と友達だと断言している割に、思想の不一致で喧嘩までするんだな。喧嘩するほど仲が良いとはよく言うけど……。
「喧嘩するけど仲は良いなら分かるけど、喧嘩するほどってのはあたしには分からない。殺し合いでもしたら親友にランクアップすんの?」
ごもっともな意見だった。
それから桜内の人生観を聞きながら燈明学園の格技室に足を運んだ。
扉を開けると、鈍い打撃音と口論が鼓膜を揺らす。それは桜内すらも「やれやれ」と呆れさせるほどだった。
「あんたが言っているのは『償うならば人を殺してもいい』ということだ」
「違う……間違った人間を間違ったまま殺すことが悪だと言っているんだ!」
殴り合い……と言えるものではなかった。たしかに早見さんはいつもに増して速度と威力を乗せた打撃を繰り出しているのだが、それはあまりにも一方的なもので、井宮は防戦一方……というよりは制圧の隙を作るために凌いでいる感じだ。
しっかし、ひでー肉体言語。
「常識が欠落している人間は死ぬまで治ることはない」
重い一撃が井宮の腹部に入る。
彼はらしくもなく顔を歪めて膝をついた。
「あんたのお姉さんは賢いんだろうね。だから自分の抱いていた理想の愚かさに気付いて生き方を変えた。空っぽのあんたにそんな理想を植え付けてしまったことも、きっと後悔しただろう」
桜内は井宮に、僕は早見さんに駆け寄った。
「奏斗、いつもに増して気合い入りすぎだって」
桜内は井宮の肩に手を乗せる。
「こうでもしないと分かってくれないんだ。仕方ないだろ」
「あんたは自分が潰れることを気にしたことがないのかねぇ……」
二人の距離感とやり取りを見下すようにすると、早見さんは背中を向けた。
声をかけ難いなと思い桜内にヘルプを求めるが、彼女は井宮を落ち着かせるのでいっぱいいっぱい。
軽く嘆息してから僕は早見さんの横顔を見ていった。
「友達なんじゃなかった?」
「……うるさい。あんたには関係ない」
「みんな仲良くコレクター確保しようって話なのに、仲間どうしで喧嘩してる場合か?」
「ただの特訓さ。見ていたら分かるでしょ」
「そんなもんじゃないように思えたけどね」
早見さんは僕に面を合わせた。どうやら僕に言い返されるのが嫌らしい。普段は気にしないだろうに……頭に血が上っているのが窺える。
「あの時奏斗を連れて行ったのは間違いだった。そこは私が悪い。だけどね——」
「いや、そもそも早見さんが首突っ込みすぎなんじゃない?」
「…………」
「……あぁ、言い方がよくないか。君が依頼されたことはあくまで僕を鍛え上げること。だってのに、僕は早見さんが直接動くことを止めようとしなかった。君がストレスを溜めてしまったのは僕が原因だ。悪かった」
「…………あんたは奏斗の味方なのかい?」
「どっちの味方でもないよ。井宮の思想は聞いているだけで腹が立つ。命の平等を謳っておきながら、きっと過去に何匹も虫を殺しているだろうし。都合がいいったらありゃしない。だけど、そこ理想に文句を言う筋合いはない。『おまえの生き方は間違っているよ』と口出しするなんて馬鹿げている」
これを僕が言うこともまた馬鹿げている。
笑えないくらいに、馬鹿げている。
「それに、井宮と早見さんは生きている場所がそもそも違うじゃないか」
落ち着かせるために言ったが、畳み掛けるようになってしまった。
「この《 》め……」
「…………」
……まあ、早見さんが黙ったので結果オーライ。
桜内は桜内で井宮に平静さを取り戻させたようで、二人は静かに立ち上がっていた。
「……彼が来るまでまだ時間があるな」
井宮は神妙な顔つきでこちらを向く。
僕の負傷箇所はまるで目に入っていないようだった。
嘆息してから僕はジャージに着替える。
×
早見さんの魔術因子を用いての身体強化にもある程度慣れてきたのだが、それはあくまで早見さんの記録を閲覧し模倣に繋げているだけのようで、魔術的な技術あるいは知識としてはまだまだらしい。それを自覚していないことが何よりの証拠だと早見さんは言う。
しかし——僕は大笠さんとの殺し合いで一つの魔術を扱えたことは事実。
僕にもなにかと伸び代があるわけだ。
「伸び代……伸び代ねぇ……」
がらんとした格技場で資料を読みながら小さくつぶやく。
——午後五時半。訓練の休憩中。井宮と桜内は燈明学園の食堂に向かった。
彼……心儀さんが予定よりも遅れるとのことだから、先に晩御飯を済ましたいという話になった。当然僕や早見さんも誘われたのだが、僕は腹が減っているわけではないので断り、早見さんもどういうわけか断った。
ちらりと出入り口付近で壁に寄りかかり目を瞑っている早見さんに目を向ける。
「………………………………」
「………………………………」
書類に目を戻す。
キッツイ空気だ……。僕が作り出した空気だから文句は言えないのだけれど……なんだかなぁ。
今更思っても仕方のないことだが、早見さんはあくまで協力してくれただけだし、あそこまで言う必要はなかったか。冷静に分析すると全面的に協力してくれた相手に対して無礼極まりない。
よし。ここは一つ、僕らしくないことをしてみるか。
書類を置き、彼女に体を向ける。
「あの。早見さん」
僕の声に反応して右目だけを開いた。
「悪い。言い過ぎた」
「…………へぇ」
早見さんは微笑する。
妙に新鮮な顔だと思った。
「やっぱりあんたはツンデレじゃないか」
「……そうとも。可愛い女の子にはどうも素直になれないんだ」
「——ふ、うん……そうかい」
適当な言葉に早見さんはここで左目も開いて頬を掻く。案外照れ屋さんらしい。意外な一面を見たことに僅かな至福感に似た何かを覚えた。
至福? 至福だって?
この僕が……?
「私も」早見さんは濃藍色の瞳を真っ直ぐ僕に向けた。「悪かったよ。本当はその……あんなこと、思ってないから」
思わず逸らしたくなるほどの澄んだ瞳をしている。
僕は静かに頷くだけで書類に目を戻した。
澄み具合でいったら他の誰よりも負けていないものだから、どうにも顔を合わせ辛い。そんなこと今までになかったし……どう対処すればいいんだろ。
と、初めての経験に困惑する僕の横に早見さんは堂々と座った。
「漢らしいね」
「女の子に向ける言葉じゃないね。やり直し」
悪戯な微笑みで僕の顔を覗く。
悪くねえなぁ……。だけど変わらずどう反応したらいいのか分からないんです。
誤魔化すように書類に目を戻し、話を逸らす。
「にしても……早見さんに井宮も居たのに、まさか逃げられるなんてね」
「馬鹿にしているの?」
「まさか。意外だっただけだよ。彼らが君たちの実力を上回っているだなんて」
話によると、彼らは魔術因子の受け渡しが可能らしい。光野紅葉さんがやった事と同じように。それがどのような利点になるのかといえば、相手を魔術師でないと油断させること、魔力の枯渇を装うこと等々。
しかしそれは簡単に行えるようなことではなく、繋がりのない赤の他人に因子を移動させる為のパイプを作り出すことは秘術に相当するらしく、並大抵の魔術師ではまず不可能。無理にでも繋げると因子の暴発により最悪の事態になると言う。
コレクターのリーダーらしきベージュ髪の女性は井宮の攻撃を喰らう直前に自身の魔術因子の九割を転移させ、残りの一割を彼に暴発させることによって被害を最小限に抑えた……というのが早見さんと井宮の結論らしい。
では、女性はどこから新しい魔術因子を転移させたのか。それはまったく不明。一つ言えることは、大笠さん自体に魔術因子は無く、以前僕の家に襲撃に来た少女も機関で大人しくしていたようなので、あの二人を捕らえたところでコレクターが消えることはないと言うことだ。
まだ仲間がいる……そうと知った時の絶望感は半端じゃなかったな。
「予想よりもできる奴だったことは認めるよ。でもね……最初から殺していい状況だったら、こんなことにはならなかった」
早見さんは目を細める。きっと頭の中に浮かんでいるのは井宮の顔だろう。
「僕にも気持ちは分かるよ」
「ああ……桃春と白鏡を殺しに動いたってやつ? 東条色奈と方向性が違ったから勝手に動いた……だったよね?」
「うん」
と、僕は普段通りの顔のまま水神筒子を殺した感触を思い出した。
「一緒に行動した以上、たしかに文句を言うのは間違っている。そこはあんたの言う通りだよ。だからさ……」
早見さんは両手で僕の頬を掴む。すると、無理矢理彼女と面を合わさせられた。
微睡んだような瞳がこんなにも近い。ほのかに甘い香りのする吐息も肌に感じる。
——喰われる。
そう思うほどに、文字通り目の前の早見さんは魅惑的だった。
「私と一緒にコレクターを殺してくれる?」
「…………」
「地下鉄の席を一人で二人分使っている奴を見ると苛々するでしょ? 威張っている人間の発言で矛盾を見つけたら苛々するでしょ? ……人殺しが生きていたら、苛々するでしょ?」
いつもより優しげな口調だ。
「つまり、早見さんは僕を殺したいの?」
「まさか。あんたの殺人は『誰かの為』の殺人だよ? 罰を受けるべき人間じゃない」
「……けれど」
「けれど世界は甘くない。どれだけ理屈の通った正論を吐いたところで世界は変わらない。何も見えていない馬鹿は馬鹿のままで、きっとあんたを否定する存在は消えない……生きている限り、ね」
——早見さんは僅かに桃色の唇を歪める。
「なあ、一体どうしたんだよ早見さん。考え方自体は理解できるんだけど……こんな……」
こんな距離感で、こんな表情で、こんな会話をして。以前井宮の隣に居た女の子の本心がこれか? 隠していたのか、それとも気付かされたのか。
……まあ、なんでもいいか。井宮抜きで進めるならば揉め事も起こらないだろうし。
多少不気味ではあるけれど、そんな人は今までに沢山いたし慣れている。それに早見さんが桜内と同じ思考をしていると確定した今、とくに危惧するべきことはないだろう。
犯罪者の為に溶かせるだけの命はない。
早く奴らを殺して薔薇を安心させてやるのが最善だろう。
「……——」
同意の言葉を吐く為に息を少しだけ吸って——思い出す。
“もう軽い気持ちで人を殺しちゃダメだよ”
あの時の言葉と彼女の瞳。
僕は心の中で何かを呟いて、真剣に早見さんと向き合うことにした。
「早見さん」
彼女の手を払い除けて両肩を掴む。
「え……ちょ、ちょっと」
立場が逆転すると、早見さんは意外と乙女な反応を見せた。
……そんなことはどうでもよくて。
これもまた僕に似合わない言葉だなと思い、心の中で何回か復唱し、そして口に出そうとした時だった。
「高校生はお盛んだなぁ」
慌てて(思えば慌てる必要はない。むしろ慌てた方が怪しまれるってもんだ)振り返ると、やはり、入り口には心儀さんが居た。
彼は儚いものを見るように視線を送っている。
「十代のうちに恋はする方がいい……いいや、義務化するべきだ。まさか誰も過言だなんて言わないだろうよ」
「過言ですね」
と、いつの間にか立ち上がっていつも通りの顔つきにもどっている早見さんがツッコミを入れた。
切り替え早いな。
「若いうちは勉強だけをしろと自称オトナは言うが、その手の奴らは青い春に何も出来なかったから八つ当たりにそう言っているだけなんだよな。俺は奴らとは違うから安心しろ! よし、じゃあ今日は解散! また明日——」
心儀さんは早見さんの発言を無視した。さすがにすごいメンタルだ。
彼が背を向ける前に僕は言う。
「心儀さん」
「ん?」
「今の僕たちの顔を見ても勘違いだって分かりませんか?」
「んん……あ、なんか冷めてるな……」
ごめんなさいと彼が肩を落としたところで井宮と桜内が戻ってきた。
メンバーが集まり、心儀さんは口角を上げる。なんとも不敵な微笑みに、一体どのような自信を含んでいるのかと、この場に居る四人は膨大な期待を寄せたことだろう。
コレクターの新たな情報か。もしくは、既に捕らえられたのか。後者なら肩透かし感は否めないが平和なことなのは確かだ。
……が、彼はその表情には合わない台詞を口にするのだった。
「悪い知らせと悪い知らせ……どっちから聞きたい?」




