第十九話 一線
「……、ってぇ……」
「情けない声だね。鳩尾に踵落とし喰らった程度で」
「死ねるレベルの痛みなんだよなあ……」
「どうしてあんたが私に一撃すらも喰らわせられないかわかるかい?」
「分かってたら僕は倒れてないよ」
「運動神経が悪いわけじゃあない……あんたはむしろいい部類だ。けれども動きがなってない。自身の肉体を、まるで人形のように動かしているようなんだよ。体を操るあんたは、あらゆる状況をどこか俯瞰的に見ている」
「でも、もしも本当にそんなんじゃ……」
「そう。『そんなんじゃあ過去の殺し合いで負けている』。だから、本当に危機的状況なら、あんたは本気になるんだよ。その場にいなくてもわかるよ……彼女との殺し合いは、相当ながむしゃらだったんじゃないの?」
「……ま、そうかもね」
「常に本気でいるってことは、そう簡単なことではない。けどね、今のあんたはそうあるべきなんだ」
「…………」
「だって、あんたは自分の意思で人を助ける組織に所属しているんだから。それでもどうしようもないってなら、あんたが誰かに助けられた時を思い浮かべるんだ。一度くらいあるだろう? どこかの誰かが、あんたの人生に踏み込んできたことが」
表向きの動きはどうにかなるけれど、内面ばかりは干渉のしようがない、と早見さんは言った。
本当に口にするまでもない正論だった。こんなことに気が付かないだなんて僕も抜けている。
僕が一番嫌いなのは自己中心的な人間だ。都合のいい時は優位を保ち、悪い時には平等を望むような、見ているだけで吐き気のする人間。
己の意思で今を生きているのなら、ルールに則って動くべきなんだ。
それに目の前の敵は……真っ当に生きる為に人を殺す——なんとも自分勝手な行動。加えてイケメン。嫌うには十分な条件が揃っている。
「ちょっと浅い感じは否めないけどな……」
退屈な曇り空を見て言った。
仰向けに倒れていた。
どうして……どうして、だろう。
「藍歌くん。君は五秒ほど気を失っていたんだよ」
そうだ、思い出した。
どういうわけか魔力を手にした彼は話にならないくらい強かったんだ。ただの身体強化だってのに、僕を萎えさせるほどの力の差があった。
頭部が痛むものだからおでこに触れてみたら、僅かに出血していた。何を喰らったのかは覚えていないが、とうせこの人に新しい引き出しは無いだろう。殴りか蹴りか、それで突き飛ばされて地面に頭を擦ったというところか。
「また頭かよ」
彼の顔が脳裏に浮かぶ。
そして彼女の死に顔が連想される。
——気持ち悪いな。死んだ後の方が深く関わってくるなんて。
“死人を美化する風潮を、おまえはどう思っている?”
「…………」
“私はね、愚かだと思っているよ。死んだからと言って必死にそいつの良い所を探して口にする場面を見るたびに可哀想に見えてしまう。捏造までし始めたら私でも腰を抜かすだろう。でも——愚かではあるけれど、とても美しいと思うよ。喪っても尚他人を思えるところに、私は美しさを感じる。それで救われるものが一つでもあるのなら、私もそんな生き方に憧れたのだろうがね”
死者の戯言が聞こえた気がした。
それは僕の意識を本当の意味で覚醒させるには十分なほどだった。
立ち上がって彼と対峙した途端……見たことのないものが見えた。
勝機。
そして、知識。
「……ねえ、あなたの名前はなんていうんですか?」
「大笠だよ」
「大笠さん。殺し合うよりもまず訊きたいことがあったのをわすれていました。あなたたちはどうして魔眼を集めているんですか?」
「さあ。俺の立場は傭兵みたいな感じなんだ。もっとも、報酬は金銭でなく殺人なんだけど。魔眼を集めている理由は彼女くらいしか知らないよ。……多分」
「……とにかくあなたは人殺しで、僕を殺したくて、仮に今殺せないとしてもいずれ殺す……ってことなんですかね」
「そうだね。殺してみないことには何もわからないから」
彼は姿を消した。
人払いの結界——これを応用すれば透明人間になると。一度触れてしまえば再び認識が可能となるが、未来視を使ったところでそれは運でしかない。
しかし、こちらから認識することはできなくとも、相手からの殺意が掻き消せるわけじゃあないだろう。
慣れてるんだよ……悪意を向けられるの。
本気——本気だ。
僕は、自身の左手首をナイフで切った。
赤黒い血液が溢れ出る。どれくらい深く切ったのかは考えたくもない。
「……っ!」
左腕を振るい、前方に血液を飛ばす。
二メートルもない距離だ。空中に血が付着した。その血が人払いの結界とやらに適用されたのか、一秒ほどで消えてしまった。けど、場所は分かった。あとは——あの予測が事実であれと祈るのみ。
全ての体重を前方に乗せてナイフで突く。
——が、勿論こんな単純な攻撃が当たるわけもなかった。どころかナイフは何かに(と言っても、彼の手以外にないだろうが)引っ張られすっぽ抜けた。
ナイフは即座に僕の左側に移動し、そして間もなく消えた。
さて。
タイミングは……正直運でしかない。しかしどうしてか、僕には止めれるという確信があった。
魔力を左腕に集中させ、それを盾として顔の前に構える。それとほぼ同時だった。前腕部中央にナイフが突き刺さった。
痛みに悶える暇はない。
すぐさま見えない彼の腹部辺りに右の手のひらを叩きつけ、
「exitium——!」
唱えた。
詠唱に呼応して僕の──否、早見さんの魔術は発言する。確かな破壊音を起こして大笠さんを壁まで吹き飛ばした。
「かはっ……」
息を荒げたのは、彼でなく僕が先だった。
魔力の消耗は体力の消耗と同義——そして、未来視の乱用で頭もすっかり限界だ。
「肋骨……」
彼は腹部を押さえて言う。
「二本だ。すごく綺麗に外れてしまっているよ」
なんだか感心しているように見える。一方で僕は腕に刺さったナイフをどうすべきかと悩んでいた。
「今のは……君じゃないよね。君以外の誰かの力だった」
「そうですよ」力づくでナイフを引き抜く。「僕はあくまで未来を視るだけです」
再びナイフを構える。
しかし彼は佇んだまま、一向に殺意を向けることはなかった。
そしてとうとう「やめだ」と言った。
言ってくれた。
「君は惜しいところまで来ている。予感が確信に変わった。俺は真っ当な人間になる為に、今の君は殺さない——殺せない」
「逃げてくれるんですか?」
「うん。その理由を抜きにしたって、肋骨が外れた状態で暴れるなんてもってのほかさ」
もっともらしいことを言って、彼は女性が居た方とは逆——つまり雪無さんの方へと歩き始めた。
気を失っている彼女の横で足を止めて振り向く。
「この眼を持っていったら自殺する?」
と、雪無さんを指さした。
「します」
「おっかねえ……」
軽く笑って、彼は去って行った。
僕が僕であったが故に拾った命。それに安心するわけにはいかない。コレクターがあの二人だけとは限らないし、なにより彼がここに来たってことは、あっちの三人に何かあったということだ。まずは雪無さんを安全なとこに……。
と、雪無さんの側まで近づいたところで世界が暗転した。
×
「因子の転移……こいつら、既に線を繋いでいたのか!」
奏斗が言っている間に愛海は空中に十を超える文字を羅列させた。
殺しにかかっていた。それは奏斗の意思を無視した行動であり、だからこそ彼が止める隙を与えないようにリミッターを外した。
善人だろうと悪人だろうと生きるべき。
——くだらない理想だ、と愛海は切り捨てるように指を鳴らした。
すると文字は水色に発光し、立ち上がった女性を……否、一帯を燃やし尽くさんとする蒼炎を発現させた。
「馬鹿——!」
奏斗は咄嗟に桃春を庇い、周囲に対称となる魔力を張り巡らせて中和する。
そして三秒。
ぱん、と愛海が手を叩くと文字と炎は同時に消え失せた。
「びっくりぃ……」
桃春が跡形もなく女性が消えたことを認識し、そう呟いた。
「手応え皆無だ」
「は? あんた、アレを外したって?」
「早めの二回戦だとか言っておきながら、私の攻撃から逃げることに命をかけたようじゃないか。奏斗、奴の魔力は」
「……消えたよ」
「ふん……あんたが認識できないところまで逃げたか、あるいは魔術因子を送り返したか……」
一先ず機関に連絡しようと携帯を取り出そうとする愛海の胸ぐらを、奏斗が怒りに満ちた顔色で掴んだ。
「愛海……俺がさっきのを防いでいなかったらどうなっていた?」
「…………防ぐと信頼していたんだよ。考えている暇なんてなかったからね」
「そう言う問題じゃない……お前は三人も殺すところだったんだ。……一体何を考えてんだよ!」
「何を考えているのかを語るべきはアンタだ!」
傍観する立場の桃春さえも愛海の気迫に鼓動を高鳴らせた。
「あんたは『私が人を殺すこと』に対して怒っているのか? それがどれだけズレているか分かっていないのか? ウケ狙い? それと、あんたの魔術による拘束も甘かった。怪我をしないように配慮したの? お優しいことだね、人殺しに対して」
「人殺しなら殺してもいいのか?」
「もちろん。あいつらに苦しめられた——それに、今もなお苦しめられている人間だっているはずさ。加えて今後も被害者が出るかも知れない。逃げられるくらいだったら、殺すのが最善だよ。過去の被害者もそれを望んでいるはずさ」
「それは償いじゃない!」
「そう」愛海は手を払った。「罰だ」
酷く冷めた物言いに奏斗は言葉を失った。
過去の彼女ならばあり得ない台詞に思えて仕方がなかったのだ。
しかし、奏斗は変化に口出しできる立場にない。身内でもなければ幼馴染でもない。
友人関係——それ以下なのだ。
目標が消えたあの日、奏斗は全てを捨てたのだから。
「そして、当然の結果でしかない。殺されるべき人間は殺されるべきでしょ」
寝言は死んでから言え——
愛海の冷酷な発言に、奏斗と桃春は姫乃の姿を重ねた。
いつからか、燈明学園にいた時の瞳ではなかった。
その奥に精気は見えず、あるのは深い漆黒のみ。
「愛海……何があったと言うんだ」
「何かあったのはあんたでしょうが!」
愛海は怒鳴った。
「くだらない理想ばっか目標にしてっから全てが崩れたんじゃないの⁉︎」
目も耳も塞ぎたくなるような状況に奏斗は苦渋の顔をする。
続く怒声を聞きながらも、桃春は「あたしいらねえなぁ……」と心の中で思い、逃げるようにその場を後にした。
勿論逃げたわけではない。
あそこで思い出話を横で聞くよりも、まずはやるべきことがあった。藍歌姫乃と雪無夏花の救出だ。
「居た……って、えぇええええ⁉︎」
桃春は倒れている二人に駆け寄った。
大量に出血している姫乃は夏花の胸に顔を埋めるようなカタチで倒れていた。
「死んだ⁉︎ 死んじゃった⁉︎」
大慌てで桃春が駆け寄ったタイミングで二人は目を覚ます。
夏花は自分の胸の中心にかかった息のくすぐったさに「ん……」と声を漏らす。姫乃は冷静で、一瞬にして状況を把握した。
少し迷い、そのままの体勢で言った。
「どうもです」
「アホか」
と、再び意識を失うほどの手刀を桃春は姫乃の頭部に繰り出した。




