第十七話 望み
× 六月十二日金曜日
「空が泣きそうですよ」
「はは、なんですかその言い方。詩人気取り?」
「どうでしょうね。昔は芸術家になりたかったものですから、その名残があるのかもしれません」
二人は和やかに会話を続ける。
「へえ、そんな夢が。しかし、一体どうして諦めちゃったんです? あなたは万能だ。その夢もきっと叶っただろうに」
「夢見た理由がなかったからです。明確に一つを極める理由が、私には見つけることができなかった」
「それで行き着いたのが犯罪集団?」
「ええ。夢のない人間が働く理由は金の為です。ならば、最も効率的に稼ごうとするのは当然でしょう。あなたみたいに狂った願いでもあれば、わたしも、もしかしたら退屈しなかったかもしれませんけどね」
彼女が微笑みかけると、直後に言った通り雨が降り出した。
女性と青年は傘をさして雨を避ける。
並んで歩く二人の前を歩くのは、死相を表した黒縁眼鏡の少女だった。大丘高校の制服が雨に打たれるのも気にせず、恐怖心を曝け出しながら機械的に足を進める。
「そうだ。あなた傘はお持ちですか? あれば差していいですよ。これから死ぬとはいえ、生きている間に雨に濡れるなんて嫌でしょう? ほら、その黒髪も毎日整えるの大変ですよね? すごく綺麗ですし、雨に台無しにされては悲しい限りです」
「——、——!」
少女は何も答えず、鞄から折りたたみ傘を取り出して差した。
「しかし、本当に美少女ですね。こんな娘が魔眼覚醒者だなんて不幸だなあ」
青年は少女の足元から視線を巡らせる。
色白の肌に腰上までの髪、そして今となっては怯えきっているであろう顔を背後から想像し、そしてため息を吐いた。
「でも、きっと君も特別じゃないんだろうなあ。俺は君を殺したところで悲しくならないんだろうなあ。なんとなく分かってきちゃったよ」
至極残念だ、と彼は萎える。
殺すことに躊躇しない。他人の目など誰も気にしない。少女は『異常だ』と思い、さらに顔を曇らせた。
「ふうん? つまり、あなたの求める特別は容姿が関係ないってことですか?」
「みたいです。ま、人間の真価ってのは、容姿じゃあ判別できないものでしょう。だからこんな美少女を殺しても、きっと、俺はまだ人間になれない」
「それはそれは」
彼女はどうでもいいとは言い切れず、彼の話に適当に相槌をうつ。
それからも常軌を逸した会話は続き、二人——否、三人は足を進める。
そしてビルとビルの隙間、街の喧騒が次第に小さくなっていく。
己の死が近くなる雰囲気に、少女はどうしようもない後悔を胸にしている。
しかし、後悔したところでまったく無意味なのだ。それもそう、この少女、雪無夏花に落ち度など一つもないのだから。
彼女は他人との遠距離を保っていた。自分の人生のレールに他人の侵入は許さない。それが将来への安穏を確実なものへとするから、と。
しかし、そんな考えに意味はなかった。
レールへの侵入者というのは、追い払える者と追い払えない者がいるからだ。
あくまで悪いのは魔眼を狙う彼ら彼女らだ。自分が殺される理由、そしてなぜ自分が大声を上げて逃げ出さないのかすらも分からないまま、歩き続ける。
行き止まりまでやってきたところで雨が止む。
夏花は自分の体が自由になったことを自覚し、傘を捨てて振り返る。
「あ、あなたたちは何なの……!」
震える声で言う。
下校時に突如声をかけてきたと思ったら、その時には夏花は自分を見失っていた。そのことも含めての問いかけに、二人は丁寧に傘を畳んでから答える。
「殺人鬼」
小麦色の髪をした青年は雑念のない笑みを浮かべ、
「守銭奴」
女性は含みのある微笑みを見せた。
目を見開く。
彼女の髪の色同様のベージュ色の目は、夏花の心を貫いた。
すると、再び夏花の動きが制御される。瞬き一つできない硬直は恐怖が理由だと夏花は思った。
「私もね、あなたと同じ眼を持っているんですよ。魅了の魔眼の下位互換、《魅惑の魔眼》をね」
「……え?」
魔術師でないうえに魔眼を覚醒させたことを自覚していない夏花にとって、彼女の言うことは当然理解できないものだった。
無知であることに彼女は肩を竦めて夏花に寄る。
「まあ大丈夫ですよ。なんだかんだで、あなたは死ぬだけですから」
夏花の眼球に彼女の手が伸びる。
瞳を閉じることすらできない夏花が思ったのは、この女性が恐ろしいほどに魅力的だということだけだった。
——そこに近づく足音が二人分。
道に立ち塞がったのは、藍歌姫乃と早見愛海だ。
「おや」女性は若干目を丸くした。「邪魔が入るのは珍しい……。そして、そっちの地味なあなた、魔眼持ちですね? この状況が作られたとなると……未来視ですか」
「地味な方ってどっちですか。どっちもファッションセンスイマイチでしょ。片方に関してはジャージだし。ダッサ」
青年が軽快に笑うのを見て、愛海は冷徹な眼差しを送った。
「服装一つで顔は変わらないからね。精々印象程度だろう。それにしてもあんたは最悪だね。表に『裏の顔』まで出ているよ」
「へえ、良い目をしているなあ。君が未来視かい?」
「違いますよ」
女性が言う。
「隣の彼です」
「あ、男? の方」
姫乃は口を閉じたままだった。
暗く死んだ瞳の彼の思考を覗くことは難儀だ。顔に出すということの重要性を理解しているからこそ、姫乃はいつもより意識的に表情を殺している。
そして目を瞑り、
再び口と共に開く。
「本当は僕らがあなた達の相手をする必要はなかったんです。未来を視て、それを人に報告する。あくまで観測者として動くのが予定だった」
「それで、どうしてあなたは今ここに居るのですか?」
女性は夏花の首を掴み軽々しく持ち上げる。そして彼女の苦しむ顔を姫乃と愛海に見せつけた。
愛海は表情は変えないものの無意識に歯ぎしりをし、姫乃は応えた。
「さあ……よく分からないです」
「なるほど。つまり、あなたはこの娘になんの思い入れもないし、救う理由はないと」
「その通りです」
冷酷なまでの頷きをする。
それでも姫乃がここに居る理由。
赤の他人を救う為に敵意を向ける理由。
彼はどこか遠い目をして続けた。
「それでも、言い訳ができてよかった」
言い切った途端に、殺意が衝突する。
×
九日から連日学校をサボるわけにもいかず、僕の特訓は十、十一の放課後に行うこととなった。
部活動の面倒さが身に染みるようだった。その日の疲れが明日にも響くということがどれだけの苦痛か、ようやく僕にもわかった気がする。短時間の運動ならまだしも、数時間にわたって動きまくるだなんて僕には無理だ。ましてやそれを日常的に行うだなんて以ての外。
……だとは思うけど、たしかに得られたものもあった。
それは今日、十二日金曜日の放課後、早見さんとの特訓中のことだった。
何の前触れもなく、突然彼女の魔力を認識できるようになったのだ。今までは見えたり見えなかったりと不安定だったが、今日で意図的に見えるようになっていた。
それだけじゃない。魔眼を宿した時の殺意を発露しながらの魔力操作が可能となったのだ。概念操作も意図的——いや、本能的と言った方が正しいような気がする。それも可能となった。
誰かの意思の内側に僕の意思が紛れ込んだような、そんな感じ。
「見えたようだね」
見据えたように早見さんは言った。
殴り合い(とはいえ一方的に殴られているだけだが)を中断して彼女は僕に近づく。
「案外飲み込みが早いんだね。……文字通り」
始まりの情であろう『殺意』を手として魔力を操作することも可能となっていた。
淡い赤……早見さんと同じ色だ。
「どうしてこんな急に……。というか、文字通りってどういうこと?」
「聞きたいかい?」
「聞きたいね」
「私は責任取らないよ」
「随分と勿体ぶるな」
言うと、早見さんは僕から目をそらした。
らしくない仕草に嫌な予感がする。けど、突然成長した理由が知れるなら是非聞きたい。それが今後に活かせるかもしれないし。
「とりあえず教えてほしい。別に隠すようなことでもないでしょ」
「……あんたに渡した『薬』があっただろう」
薬。それはたしかに十日の特訓後に手渡された。ご丁寧にケースに入れられたカプセル状のそれは『疲労回復に役立つ』と早見さんに説明された。
けれど、本質は違うっていうのだろうか。
「アレのおかげってこと? なんだ。それならそうと言ってくれれば……」
「あの中には私の魔術因子を含んだ血液が入ってる」
「……………………………………………………………………………………、…………は?」
「非魔術師を叩き起こすにはこれが手っ取り早いから。まあ、私はあくまで依頼されたからやったわけだけど。案外『呑み込み』が早かったね。適応力が高くて助かったよ。時間が経てば私の記録を覗くこともできるかもしれない」
「ちょっと待って」
「言っておくけど、私は忠告したから」
「きもちわる……」
久々に表情に出た気がする。
「女の子に対して失礼だね」
「男の子だったら失礼じゃねえのかよ……」
力なく吐き出して壁にもたれかかった。
それだけでは足りずさらに脱力し尻もちをつく。
僕の体内には、目の前で涼しげな顔をしている彼女の血液が……。例え美形であれ、他人は他人。そこから思うことはただ一つ。
「きもちわりぃ……」
「二回も言うかい」
早見さんは平然としている。
今ハッキリした。この人は桜内を上回るほどのヤバい人だ。
人は見た目では判断できないという光野さんの言葉がよく分かった。この頭のおかしい人にどんな過去があるのか、想像するだけでも恐ろしい。
「面向かって『気持ち悪い』なんて言われたのは初めてだよ」
「僕も他人の血を知らないうちに呑み込んでたなんて初めてだ」
「まあいい。それで、私の因子は上手く作用しているようだけど、体調が優れないとかはある?」
「今、まさに」
「問題なしだね」
自分勝手の極みに嘆息する他ない。気付かれぬように自分の血を他人に飲ませるその神経にも、もうこの時点で感服するまでだ。
こういう人にだけはなりたくない。
「もういいよ……とりあえず色々と説明を——」
求めたところで、世界が割れる。
×
×
ほんの一瞬。
時間感覚が狂いそうになる。
そう——二つの視界で二つの世界を認識するには、とてつもない時間の差異があった。
これも早見さんの魔術因子の影響か?
それとも——
「あんた」
「…………っ」
「ゆっくり。落ち着いて、視たものを語るんだ」
早見さんは片膝をついて僕に目線を合わせる。異常なのかまともなのか全然つかめない。
眼前の冷め切った瞳に冷静さを取り戻し、僕は未来を振り返った。
「まず……九、十、十一日と未来を視て、コレクターが動き出すのは十六日火曜日だって確定していた。けど、それが変わったかもしれない。奴らが動くのは今日だ」
「そうかい……なるほどね」
「それだけじゃない。話の内容からして、女の方は《魅惑の魔眼》ってやつを持っているらしい」
「魅惑……魅了の下位互換か」
コレクターの彼女と同じ発言に確信を得る。
「心義さんは別の仕事だし、今から機関に事情を話したってすぐには動いてくれない」
「そういうものなのか?」
「警察だってそうだろう」
「………………」
分かるような分からないような……。なんとも捻くれてる言い分だ。
「というわけで、すぐに行くよ。奏斗と桃春に連絡を」
「は? ちょっと待って。僕たちだけで動くってのか?」
迷いない頷きをしてから、早見さんは颯爽と出口に向かう。
タイミングよくその扉が開き、遅れてきた井宮と桜内が姿を現した。
「よっし、今日は視線だけで人を殺す特訓やんよ」
「なあ……どうして藍歌の魔術因子が愛海と同じになってるんだ?」
個性出しまくりの第一声には反応せず、早見さんは変わらぬ声色で言った。
「未来が変わった可能性がある。今から人助けに行くけど、あんたたちはどうする?」
訊くまでもないと思っていそうだ。
早見さんの目。あれは未来を視るよりもどこか正確性がありそうだ。
「コレクターブチコロだわ」
「殺させない」
人付き合いが下手らしいけれど、実は人を見る目があるらしい。
この三人を俯瞰的に見ている僕はどこまでも僕だ。頭で『善良だ』と理解していても、心の奥底では『こうはなりたくない』と思っている。
まあ、それ以前になれないのだろうが。
「いや、でもさ」僕が否定しようとすると三人の視線が集まった。「心義さんは課長さんとして僕たちに依頼したんだろ? なら、彼の部下とかがすぐに動けるはずだし……」
と、自分で言ってて今更気づいた。十六日の作戦は心義さんとこの場にいる四人のみで話が進んでいた。
機関の人間は彼一人だけ。
……いや、でも、まさかそんな……。
「藍歌、覚えておくんだ」
至って真剣な声色で井宮は言う。
「あの人はチキンだ」
つまり。
彼は魔術対策機関行動課として依頼したのではなく、その場のノリで——心義心火として依頼したのだった。
「……それじゃあ、仕方ないか」
僕は嘆息してから立ち上がった。
なんだかんだで動く気になったのは言霊のせいだろう。
……どれだけ理由を付け足したところで、それらは結局言い訳でしかないのだが、ないよりはマシだ。
×
殺意を放ったのは三人。
僕のすべきことがコレクターの相手ならば殺意は自然と出ていただろう。
しかし、今の僕にできることは限られている。未来を視て状況を良い方向へと持っていくこと……そして、三人が隙を作った瞬間に、なんの思い入れもない彼女を助け出すこと。
女性が細い首を握る右手に力を込めたところで、気配を消した井宮と桜内が屋上から降下する。
と同時に、早見さんが指鉄砲を女性に向けて「分解終了、再構築開始」と言った。
途端に女性の肘の真下から細い円柱が突き出、彼女の腕を容赦なく弾き飛ばす。
「痛すぎ」
そんな感情は読み取れない声色で女性は言った。
だが、女性は掴んでいた女の子を離したことから、たしかにダメージはあったようだ。
続いて井宮は身体強化を施した拳で女性の頭部を殴り、桜内は例の糸で男の首を締め上げた。
「おおぉ⁉︎」
男は状況が掴めてない。
女性は地面に倒れてピクリとも動かない。
今だ——と、僕は腰を抜かした女の子の元まで駆け寄り、強引に手を引き、そして殺し合いの場を後にする。
目指すは交番……その前に、とにかく人通りの多い道。
この路地裏を抜ければひとまずは——
×
「殺人鬼さぁん」
地べたに伏せたまま奏斗に拘束された彼女は、肺を潰された苦しみに耐えながらも声を出した。
「逃しちゃあ、ダメですよ」
首を無理やりに曲げて桃春を見つめる。
青年の背後から糸で首を絞めている桃春は当然意識していた。
“目を合わせると終わる”
と。
魅了の魔眼は所有者の容姿に関係せず、魅了するという結果だけを発現させる。対して魅惑は所有者の容姿——否、魅惑する相手が所有者を魅惑的に思うかどうかが鍵となっている。
ようは魔術的な対策を練るまでもなく、意識のあり方でどうにかなってしまうのだ。
奏斗と愛海は意識以前に魔術的対策をした。しかし、桃春にそれほどの技術はない。故に取るべき策は必然と限られる。身体に影響を及ぼす魔眼は目を合わせなければなんら問題はないのだ。
目を合わせない。
魅力的だと思わない。
そう、意識していたのだが——。
「……⁉︎」
桃春は青年の意識を落とす直前で糸を解いた。
「やばい、魅入られた! なんで⁉︎」
硬直した桃春の鳩尾に青年の拳が叩き込まれる。身体強化なしで受けたため、桃春は奥へと吹き飛び気を失った。
「じゃあ、ご命令通りに」
青年はそう言って消えた。
瞬きもしていないのに、奏斗と愛海の視界から消え失せた。
「奏斗、早くそいつを落としな」言い切る前に愛海は姫乃たちを追おうとしていた。
が——その時に、ほんの一瞬、魅惑の魔眼と目が合ってしまった。
しまった、と思ったこと自体が不自然だ。
二人は魅惑とは対の魔術因子で防いでいる以上、魔眼はそこまでの敵ではないはずなのに、二人は動くことができなかった。
奏斗ならほんの僅かな時間で彼女の気を落とすこともできた。それを躊躇ったのは彼の意思でもなく——
「しばらく——相手になりましょう」
×
細い道をもうすぐ抜けるといったその時だった。
僕の視界が九十度に曲がってから暗転する未来が視えた。
つまり、これは……背後からの打撃か。
「伏せて」
タイミングは正直運でしかない。
未来を視た直後の回避が正しかったのかどうかは判断のしようがない。
けど、僕が即座に放った回し蹴りが、透明な何か——いや、誰かに当たった。
女の子を僕の後ろに回して距離を置くと、四メートルほど先にコレクターの男が居た。
はっきりと、彼の姿を認識できている。
「あー、そっか」
彼は顔を手で覆った。
「君は未来視だった。忘れてたよ。俺はいつもこうだ……」
「あの……どうしてここに?」
「俺の意思だよ」
「………………」
会話が成立しないタイプの人殺しか。『嫌い』のさらに向こう側を行く、目すらも合わせたくない類の人間。
話し合いも殺し合いも、結果が目にみえるようだった。




