第十一話 見えぬ糸
六月九日火曜日。僕は学校を休んで燈明学園へと足を運んでいた。
まさか再びここに足を運ぶことになるなんて——そう思ってしまうのも無理のない話だ。何せここで出会った二人には悪い思い出しかない。……いや、この学園の管理をしている授戒蒼夜も含めて三人か。
しかし、そうか……今思えば、彼女が魔術対策機関を頼らなかったのは自身の悪事を晒すハメになるからだったのか。
「……どうでもいいや」
門のすぐ側の警備室に個人情報を申告し、目的の場所へと向かう。
今回は潜入調査ではなく、施設の一部を借りるだけ。そこで特訓を行うようだ。朝に光野さんからそう電話が来た時は本当に肩を落とした。
『朝からだ』
『え? でも学校が……』
『すまん。もう金が振り込まれてたから行ってやってくれ』
『…………』
まあ、そう言われたら行くよね。
僕としても単位不足などの心配がないこともないし、担任の先生にも申し訳ない気持ちでいっぱいなのだが、依頼料を受け取ったのに投げ出すなんて僕にはとてもできない。一度もらったものを送り返すなんて行為ももってのほかだ。
……学校に行くということの優先順位がそもそも低すぎるってのが根本的な理由なんだけど。
それはともかく、僕は二分ほど歩いて『訓練場』とやらにたどり着いた。
訓練場といっても、その実態は小さな古びた体育館……いや、格技室と言ったほうが正しいように思う。校舎と隔離されている小さな木造建築。古びた外観からかなりの年季を感じる。
燈明学園内の建物はもともと古びた洋館風の建物が多いからこの格技室だけはすごく浮いていた。
建て付けの悪い扉を開けて中に入る。
玄関には二人分の靴があった。靴を脱いで入り込む。
内部には更衣室とトイレ、さらにもう一つ出入り口があった。
横開きの扉を開けると、視界に広がったのは一面畳の部屋。
その中央に正座で向かい合っているのが二人居た。
一人は見覚えがある。ぼくがこの学園に潜入した時に魔術についてさらっと教えてくれたおじさんだ。
もう一人は知らない。黒色のジャージ姿の華奢な女の子だ。濃藍の混じった髪を低い位置に短めのポニーテールにしている。凛々しい顔立ちなんだけど……なんだか不機嫌そうだ。
「おお」おじいさんが僕を見る。「久しぶりだなぁ」
「どうもです。心儀さんが話は通しておいたとのことだったんですけど……」
「全て聞いとるよ」朗らかに答えるおじいさん。「ささ、こっちに来なさい」
言われて僕も二人の近くまで行き、鞄を横に置いて正座した。それぞれを直線で結ぶと距離的に正三角形になりそうな位置。
視線をわずか右にずらすと無気力そうな彼女の姿が映り込む。
「こちらは早見愛海。君の特訓を請け負ってくれた娘だ。成績優秀で優しいから仲良くできると思う。それに同い年だし、話も合うことだろう」
「……おかしいとは思わないかい」
おじさんの言った『優しい』が嘘のように聞こえる声色だった。
「金をもらって訓練させてもらえるなんて。それが依頼だっていうんだから、あんたは得しかないだろう?」
横目で僕を睨みつけている。
おじいさんにとっても初めてのことらしく、
「ほ? 早見さん?」
と困惑していた。
「未来視が無ければ無価値だろうに。こんな投資になんの意味があるんだろうね」
冷静沈着なのが分かる声だ。根暗で陰鬱とも言えるけれど。
心儀さんが魔術対策機関の名で燈明学園と早見さんに依頼をしてそれを請け負った以上、こんなことを言う必要はないはずなのだが。
心の内にしまっておくことができないのかな。まあ、それは僕も同じか。
「さあね。僕も好きでこんな眼を宿したわけじゃない。だから早見さんにそんなことを言われる覚えはない」
だろうね、と言って早見さんは立ち上がった。
「早速だけど、あんたがどれだけ動けるか知りたい。さあ……立ちな」
「え? いきなり?」
助けを求めるようにおじさんの方を向いてみると、すでにそこには居なく、壁際に寄りかかって和かな顔で様子を見ていた。
ここは流されるしかなさそうだ。
「どれだけ動けるかって……一体何をするんだよ?」
僕は立ち上がって訊く。
……訊くまでもないかと自覚した瞬間には、早見さんの右ストレートが目の前に迫っていた。
首を曲げてそれを回避した直後、早見さんは膝裏を僕の首に引っ掛ける。
終わったな。そう思った通りの結果となる。
早見さんの脚力に押されるがまま、頭から畳に叩きつけられた。
「痛……」
畳でこの痛さ……コンクリートだったら死んでるんじゃないか?
そんな感想を思いつつ、早見さんの追い討ちを警戒してすぐさま立ち上がって距離を取ったが、彼女は腕を組んで突っ立ったままだった。
「……ま、そこらの奴よりは動けるっぽいけど雑魚だね。間違いなく魔眼コレクターに瞬殺される」
「一度襲われたことがあるけど瞬殺はされなかったよ。前言撤回したら?」
「………………」
眉間にシワを寄せた顔は泣く子も黙るほどだ。しかし短気な人だな。こういうタイプの人が二、三番目に苦手だったりする僕としては、特訓は早見さんじゃなくておじさんにお願いしたい。
「うまくやっていけそうだの。安穏安穏。それでは失礼するぞ」
「ちょ……」
おじいさんはまるで逃げるように全力疾走で出て行った。早見さんの顔がそんなにも怖かったのか。
……気まずい空気だけがここにある。
僕も出て行きたいなあと思っていると、早見さんがファイティングポーズを取った。
お互い依頼を請け負った以上、ここから出ることは許されない。早見さんを見て、改めて実感する。
「もう少しやろう。やっぱり雑魚かどうかわからなくなった」
「……私情は含まれてないよね」
「勿論。無論。当然」
さすがの僕でも真っ赤な嘘だと悟る。
しかしその悟りに意味はなく、一方的に畳に投げ飛ばされる状況が続いた。
×
十一時が過ぎたところだろうか。
僕は情けないことに仰向けに倒れている。目の前の天井を見つめながら呼吸を整える様を、汗一つかかない彼女はどう見ているのだろう。
思い返せば酷い有様だ。
早見さんの体術は一切隙がなかった。殴打技、蹴り技、投げ技まで一つ一つが強力だ。最初の一分ほどは多少防御ができたけれど、彼女がペースを少し上げただけで僕は天井を見ることになる。
理不尽──なんてことはないだろう。僕も早見さんも仕事を請け負っただけの事なのだから。けれど、こうも一方的に攻撃されると少しばかりストレスが溜まる。それは僕の弱さが原因だと理解しているが、さすがに一発は打ち込みたいなと思い、防御の一方だった僕もいよいよ自ら攻撃に出た。
……で、ダメだった。
中でも情けなかったのが、不意打ちを見事に避けられた時だ。
早見さんも体力が無限にあるわけじゃない。早見さんが僕を倒して三十回目以上の時、彼女は僕に背を向けて息を整えていた。
——今だ。
そう思って、早見さんに足払いを仕掛けた……ハズだった。次の瞬間には彼女は全体重を僕の右足に乗せていたのだ。体重が軽かったものだからそこまでのダメージにはならなかったけれど、早見さんの見下すような視線はとても痛かった。
「視線だけであれほどとは……」
苦痛の感想を呟くと小さく息を吐き出す早見さんの声がした。
上半身を起こしてみると、壁に寄り掛かった早野さんが見える。彼女は僕を見るというより睨んでいるようだった。
「あんたが雑魚よりも強い雑魚なのは分かったよ」
「結局雑魚じゃんか」
「少なくとも、魔眼コレクターのような警戒レベルの高い犯罪組織相手に通用する力はない」
「……まあ、そうだろうけど」
でも僕は水神筒子には勝った……いや、あれは勝ちとは言い切れないのか。
僕が殺す寸前、彼女は余裕で避けられたであろう攻撃をノーガードで受けた。
どういうわけか、彼女はまったく動かなかった。
あの時は一体——
「とりあえず休憩にしよう」
早見さんの声に意識を戻す。
「あんたは短距離走は得意だけど長距離走は苦手ってタイプらしいからね」
「うん……まじでその通り」
立ち上がって鞄の横にまで移動して胡座をかき、封筒とコンビニで買った菓子パンを取り出す。
休憩といっても僕にはやることがある。
それは、捕らえたコレクターと被害者の個人情報をひたすら頭に叩き込むこと。未来視の制御ができない以上、こうして情報を頭に詰め込んでいつか未来視が発動することに賭けるしかない。
A4サイズのプリントにはとてつもない量の情報が書かれており、無駄な情報すらも満載だった。こんなのが何枚もあるようじゃ勉強の方がマシだという感覚になってしまう。別に悪いことじゃないんだろうけど。
「……はぁ」
たまった不満を息に込めて吐き出せたらどんなに楽だろうか。
“幸せが全力で逃げるぞ”
そんなことを言われたこともあったっけ……。
「なんで今思い出すかなあ……」
一時間ほどしてプツンと集中が切れた。
視線をプリントから前方へと移すと、壁を背もたれに読書をしながら菓子パンを口にする早見さんが居た。
……僕のじゃん。
「そのパン美味い?」
「未来視ってどんな感じなんだい?」
「…………美味いよな、さすがに。一番高かったし」
「閲覧の所有者は決まって『テレビを観ているようだ』と表現するらしい。世界で共通して、ね。けれど予測は人によって違うらしいんだ。閲覧と同じという奴もいるけど、一人称視点で視ているという奴も居るんだ。あんたはどうなんだい?」
「結構動いたから腹減ってんだけど」
「うるさいね」
最後の一口を飲み込んでから、彼女は立ち上がって僕に近付く。
「私は授業を休んでまであんたに付き合ってやってんだ。これくらいいいだろう」
「でも、それは早見さんの意思だろ。それに機関の依頼を強制されたみたいな言い草だけど、あくまで僕と同じで請け負っただけなんだろ? そんなに授業に出たいなら断ればよかったじゃないか」
「馬鹿だね。機関の依頼はいい点数稼ぎになる。それに、いつか働くかもしれない場所に媚びを売っておくのは当然だよ」
早見さんは腕を組んでやはり僕を見下している。
少し腹立つなあ。そっちの世界なんてほとんど知らないし興味ないってのに。
……煽ってやるか。
「休憩の間に授業にも出られただろ。ひょっとして、そもそも燈明に居場所ないんじゃないか?」
「あんた、そもそもどこの組織だい?」
「…………」
そっか、スルースキルに全振りしているのか……。これは僕も学ぶべきところかもな。
「光野勝って人がトップの名前のない組織。……いや、もしかするとあるかも。僕が知らないだけだったり」
「みつの、まさる……光野勝か」
早見さんは目を細めて繰り返す。通常でもゴミを見るような目付きなのだが、今はそれが比にならないほどだ。
「ということは、井宮奏斗もいるね」
「……はん?」
予想外の名前が出てきたものだから間抜けな声を出してしまった。
だって、想像もつかないだろう。
この悪意の塊みたいなのが、善意の塊と繋がりがあっただなんて。
「あいつは元気かい?」
声色を変えずに早見さんがいう。
「好きなのか?」
「さあ、どうだろう。少なくともここで動揺しないってことは恋愛感情はないはず」
無視されると思った煽りを、早見さんは流すことなく受け止めた。
「けれど……誰がなんと言おうと、私はあいつと友達だ」
この人にはあまりにも似合わない言葉だった。だからこそ、何気ない調子で呟くようにした一言の裏に何か含まれていることを僕でも察することができた。




