第七話 出会い
大丘高校の学食はそこまでの広さはないが、場所の確保には困らない。校内の人数が公立の中でも若干少ない上に、大抵の人は学食を週に何度も利用するなんてことはなく、教室で弁当を食べるのが基本なのだから。
「姫乃くーん!」
東条さんが僕の名を呼ぶまでもなく、長机に四人が溜まっているのがすぐにわかった。
窓際に東条さんと井宮。そして「遅すぎんよ」と井宮の隣の桜内が僕を睨む。
桜内の正面にちょこんと座る薔薇はどこか落ち込んでいるようだった。
少し迷ってから、僕は桜内の隣の席に座った。
「浅沼先生に呼び出されてたんだよ」
「あの美人に? なんで? 手ぇ出した?」
「まさか。授業態度で叱られただけ。テスト落とした分、普段頑張れと」
「あー、浅沼先生あるあるだね」
と、東条さん。
「私、去年は浅沼先生のクラスだったんだけどね……」
東条さんの自分語りが始まるところで、井宮が「本題に入ろう」と苦笑しながら割り込んだ。
「天竜寺さんと光野さんの話を聞いた結論を言うと、彼女がどうして魔眼を手に入れようとしたのか、単独なのか団体なのか、それらの情報はまだない。ただひたすらに『過去視過去視』と『お仕事お仕事』と連呼していたらしくて、まともな会話は望めないそうだ」
簡潔な説明だった。
……やはり過去視、薔薇叶未を狙っていた。僕と勘違いしたのは、単純に僕も魔眼持ちだからだろうか。
東条さんは沈んだ顔をしている薔薇の頭に手を乗せて微笑んだ。
「他にも魔眼を狙った者がいるはず。叶未ちゃんは機関を頼れるほどの余裕はないらしいの。彼らは何もボランティアで仕事している訳じゃあないから、それなら仕方ない。というワケで、私たちがタダ働きしようと思います」
東条さんはやはり笑顔のままで井宮、桜内、僕と視線をやった。
「勿論賛成」
と、井宮。
「まあ、異議なし」
と、桜内。
「面倒」と言える勇気が僕にもあればよかったのだが、無償で命を救ってもらった僕が、その恩人に対して反抗できるはずもなかった。
「……いいんじゃない」
いつも通りの調子で言ったつもりだったのだが、表情に出てしまっていたのだろうか、薔薇が不満そうな顔をしていた。
「なんですかその顔! カワイイ後輩の目が危ないっていうのに!」
「カワイイだけで思い入れがないんだから仕方ないだろ」
「ええ……薄情すぎません……?」
「否定しないよ」
適当に流して東条さんを見る。
「でもさ、昨日の機関の人たちはあくまで関係者逮捕には動いてくれるんだろ?」
こっちの世界でいう警察ならば、それは当然のこと。だとして、僕たちのすることっていうのは一体……。
「うん。だから、私たちのすることは至極単純! 組織が捕まるまでの間、叶未ちゃんの安全を確保する。む・しょ・う、でね」
その言葉に薔薇は目を輝かせていた。
しかし僕の右隣の桜内はどこか不服そうだった。
「でもさ、色奈さん。護衛っつっても、一体どうするん? どっかのSP的な真似をするわけ? 二十四時間体制で? はっきり言って現実味なくない?」
もっともな言い分だが、その意見に彼女は一切動じない。
「叶未ちゃんは私の家でお泊まりね。結界は奏斗くんの札を使うから、安心安全だよ」
「うはあ、お泊まり!」
なんだか嬉々としていた。
知り合って間もない人間とお泊まりとか地獄と大差ないんじゃないか……と思っていたのだが、二人は十年来の付き合いのように笑い合っているものだから、地獄というよりは天国に近いらしい。
一体どんな密度で時間を過ごしたらここまで仲良くなれるのか気になるところだが、それよりも薔薇は……。
後で訊いてみるか。
「学校に襲ってくることはないだろうけど、まあ、一応レベルの警戒はしておいてね」
思ったよりもやる事なしな感じに僕は安堵した。
桜内はどこか不機嫌そうで、井宮は何か考え事をしているようで、二人とも普段の明るさは見られない。
「じゃ、解散」
東条さんが手を鳴らしたところで昼休みは残り僅かとなった。
それぞれが教室へと戻る中、僕は薔薇の背中を追った。
彼女が教室に入る直前で僕は声をかける。
「薔薇、ちょっと……」
「わ、ビビった。先輩居たんですね。どうしたんですか?」
「少し場所変えていいか? ここだと人目がな……」
食堂では人数もまばらだったから誰かに話を聞かれる事はなかったが、一年教室前の廊下だとそういうわけにもいかない。
「うわ」引きつった表情をする薔薇。「えっち」
「じゃねえよ。冗談ならせめて面白いのを頼む」
「先輩は面白くても笑わなそうですけどねー。ま、とにかく話があるなら放課後にでも……」
けらけらと笑う薔薇を見ていると、僕の『心配事』というのも行き過ぎたものか。
「あ、いばらん」
その時。
二人の女の子が、薔薇の背後で足を止めた。一人のポニテでパッと見運動系、もう一人はボブカットの小柄な子。
ポニテの子が声をかけた途端に薔薇の表情は一変して暗いものとなる。垂れた前髪の隙間から覗く瞳……これは極力直視したくないものだ。
「どしたの?」
薔薇は二人に向かい合う。
「あ、いやさ……来週に中学の時のクラスの集まりがあるんだけど……」
「んー、ごめんね。予定があるから」
やんわりと断ると再び僕を見る。
口角を上げているが、寂しげな瞳が彼女の感情の全てを表している。
「やっぱ、今にしますか」
小声で言うと、薔薇は足早に階段を上って行った。
ぽつんと残された僕を含む三人。
女の子たちの足元に目をやると、やはり靴に赤いラインが入っていた。薔薇と同じ一年生……そして、友達なのだろう。
「ぬぅ〜……やっぱ逃げられたあ!」
ポニテの娘が頭を抱えると、ボブカットの小柄な娘が笑顔のまま、
「嫌われるような事したんでね?」
と肩に手を置いて慰める。
「そういうさかきんはどうなの!」
「あたしゃみんなの女神だからそんな事あるわけ……」
「もう! またそうやってはぐらかす!」
うん、なんだか楽しそうだ。
僕が薔薇を追おうと踏み出した時、ボブカットの娘の視線を感じ取る。
「ところで、先輩さんは叶未の彼氏っすか?」
「は?」笑えない冗談に僕は首を傾げた。「どうして?」
「叶未と話してたんで」
「理由になってなくない……?」
「違うんすね」
はあ、とボブカットの娘はため息を溢す。なんだかよく分からないけど腹立つ。
「でもでも! たしかに先輩さんはいばらんと楽しそうに話してましたよね!」
両手を合わせてポニテの娘が歩み寄ってくる。
灰茶色の大きな瞳を輝かせているその様は、まるで『希望』を見つけたようで——何か頼み事でもあるのでは、と僕に思わせた。
……流れからしてあるんだろうなあ。
「あの! お願いがあるのですが!」
東条さんレベルの美少女からのお願いとなると、きっと大抵の男子はなにも考えずに請け負うのだろう。
けれど僕みたいな性格の悪い人間は、
「嫌だ」
と即答するのだった。
「うへえ⁉︎」
ここが廊下だということを忘れているのか、ポニテの娘はいいリアクションをしてくれた。
「理由を聞いても?」
表情を堅くしてボブカットの娘が訊く。
「面倒だからだよ」
「では」指を二本突き出して強気な口調で言う。「コレでどうでしょう」
「…………」
二万……かな。もしくは二千か。二人の様子から真剣さは伝わるが、それでも僕の心を動かすことはできない。そもそも金に不自由していると言うわけでもないんだし……。
「じゃあ、コレで」
と、彼女は中指を折り曲げた。
「値切ってんじゃねえよ」
突っ込む僕に対し、ボブカットの娘は舌打ちをした。人に物を頼んだことがないタイプなのだろうか。
僕が言うのもあれだけど、ポニテの娘とは違って嫌われてそうだな。
唸るばかりの二人を置いて薔薇を追おうとすると、ポニテの娘が僕の腕を掴んだ。
「どうかお願いします! 話を聞くだけでも!」
「…………うん、いいよ」
ちらりと腕時計に目をやってからそう言った。
「でも、今は時間がないからまたいつかにしようか」
「そうですね! それじゃあ、先輩さんの名前とクラスを教えてください」
と、スカートからメモ帳とペンを取り出した。
「私、頭が悪くって。こうしてメモでもしないと忘れちゃいそうで」
「一組の桜内奏斗」
「さくらうちかなと……さんですね!」
僕が階段を上り始めると、背中から「明日にでもお願いしますね!」と元気な声が聞こえた。
もちろん彼女が桜内奏斗という名前の人物を見つけ出すことはできない。僕は学校での存在感皆無だし、彼女らに遭遇することもないだろう。
うん、平和平和。
さてと。チャイムが鳴り響き、廊下にいる生徒らはあたふたと教室へと向かっている。それは至極当然だ。……まあそもそもチャイムが鳴る前に座っておけという話なのだが。
少なくとも大丘で堂々と授業をサボる人間は僕の知る限りではいない。だから、薔薇との会話を誰かに聞かれることはないだろう。
五階に有り余った机と椅子を入れるだけの物置がある。
そこの扉を開くと、通常教室の二分の一程度の広さの場所に丁寧に詰められた机が。その上に、薔薇は体育座りをしていた。
ゆっくりと扉を閉めて、僕も近くの机に座った。
「それで……話ってなんです?」
「いばらんのお友達について」
「………………」
「……悪かったよ。冗談」
目をそらして窓の向こう側を見つめる。灰色の空は、珍しく今の空気を読んだように思えた。
「あの娘たちの過去を見たんだろ?」
直球に言った。
友人であった彼女らの『よくない過去』を見てしまったから、薔薇は距離をとっている。薔薇が過去視を所有していると分かっていたら、それくらいの予測を立てることは容易だった。
「違います」
……はずれた。
「運良く彼女たちの過去は見ていないです。いや、運良くってのはおかしいですね……。だって、他人の過去なんて見えないのが普通なんですから」
「つまり……彼女たちの過去を見たくないから距離をとっている」
「そういうことなのです」
おちゃらけているように見えたのもほんの一瞬。薔薇はすぐに気を落とした。
「本当に大切な友達なんです。幼稚園から一緒なんですよ。……先輩にはいますか? そういう存在」
「……多分ね」
「なら、分かりますよね。突如として友達の『よくない過去』見る可能性がある恐怖……そして罪悪感」
「そのことの話だ。少しの間だけど、薔薇は東条さんと一緒にいることが多くなるわけだけど……大丈夫なの?」
薔薇は目を丸くして口を開ける。呆気にとられた顔のまま、彼女は「意外……」と溢した。
その言葉の意味を説明することはなく薔薇はうなずく。
「大丈夫です。実を言うと、もう見ちゃったんですよ、東条先輩の過去。それも、三十分に五回! でも、なんら問題のない過去でした。寧ろ東条先輩の人間性がよく分かって安心したくらい」
そのペースで他人の過去を見るのは、多分初めてだろう。それ故に得た信頼で、数日のお泊まりにもすぐに同意することができたと。
……まあ、とりあえずは問題なさそうだ。
「……ならいいよ。話は終わり。悪かった、あそこで引き留めなかったら授業に遅刻しなかっただろうに」
「別にいいですよ」
さて……授業途中で教室に入るのには勇気がいるが、それは完全に自業自得だ。
どういう言い訳をしたものか考えながら腰を浮かせると、薔薇が「待ってください!」と言う。
何か心配事でもあるのだろうか。そうなると無視できないし、僕は再び机に座った。
「先輩、一つ勘違いしてると思うんですよ」
「勘違い?」
「はい。『大切な人の過去を見たくないから関わりたくない』イコール『関わった人はどうでもいい』……とか思ってませんか?」
「……、……」
思う思わない以前に、一般常識レベルの認識だ。
赤信号は渡ってはいけない。人を殺してはいけない。これらのように、つまりは至極当然の結論と認識していた。
「違いますから! 私、先輩のことをどうでもいいだなんて思ってませんから!」
胸に手を当てて薔薇が立ち上がる。
「不本意ながら過去を見て、それでその人がとんでもない悪行をしていたら、たしかに私にとってはどうでもいい人で……関わることもしなくなるかもしれません。でも、過去を見て『良い人』だとわかったら別です! 勝手なのは自覚してますけど……」
少しずつ、薔薇が僕に歩み寄る。
「でも! 藍歌先輩はどうでもいい人なんかじゃないです! だって、先輩はすごく良い人だから。関わったことのない誰かのために命を張って戦ったり、友達の妹を必死で助けたり」
水神筒子を殺し、法号みずきを助けた。
だから薔薇は僕を善人扱いすると。
くだらない。
「だから、私は先輩を頼るんです。あなたの過去を見ても、私は勝手に軽蔑したりしない。……安心、できるんですよ」
「……ふうん」
僕が他人事のように相槌を打つと、薔薇は足を止めた。
「先輩?」
他人の顔色を窺う時の自信なさげな瞳。こうも無防備だと、さすがの僕でも言葉を選ぶ。
「不良が信号を守っていたら良い奴に見えるか?」
「え?」
「殺人鬼が野良猫に餌をやったら良い奴に見えるか?」
「えっと……」
「薔薇の考えはよくない。他人の心の全てを読み取ったわけでもないのに、ほんの断片的な情報しか得られてないのに、そうやって人の印象を決めつけるのはダメだ。絶対に後悔する」
薔薇は戸惑うことすらなかった。ただじっと、真剣に僕の目を見つめている。年上の人間から突然の説教だ……僕だったら舌打ちの一つでもするくらいなのに。
「まあ……だから、君の感じてる安心感ってのは『妄想』或いは『錯覚』でしかない。魔眼持ちの人間と会うのが初めてだからって、あまりにも気を許しすぎじゃないか?」
「ということは、先輩は私に気を許していないんですか?」
「僕の場合は許す許さないじゃなくて『どうでもいい』なんだよ。食堂でも言ったけど、やっぱり僕は薔薇に思い入れがない。過去視を持っていると知って驚いたけど……それくらいだ」
「なら、なんで私を心配してくれているんですか?」
若干ムキになったようで、薔薇は勢いよく踏み込んできた。本当に感情表現豊かだ。
「僕が心配しているのは、薔薇が勝手に東条さんに失望して厄介なことをしないかどうかなんだ」
「なら! どうして私を助けるんですか⁉︎」
「仕事」
「お金払ってませんが⁉︎」
「命の恩人に命令されたら仕方ない」
「もぉー! だったら先輩は人の全てを知った上で印象づけてるんですか⁉︎ 他人にばっかり注意しろって、説得力皆無〜!」
「…………」
「先輩みたいな偏見は私にだってありますよ。本当の悪人は自身を悪人と言いません。自称悪人は寧ろ良い人です!」
「……そっか」
僕は静かに頷く。それから僕は何を言うでもなく、立ち上がって薔薇の横を通り過ぎて扉の前に立った。取手に手を触れたところで、
「もう授業に戻るんですか?」
と薔薇が言う。
「うん。自慢じゃないけど、授業態度があまり良くなくてね。サボると怒られる」
「それは本当に自慢じゃないですね……」
でも、と薔薇。
突然右手を引かれた。振り向いて確認すると、当然薔薇の仕業だった。
「お喋りしましょ?」
天真爛漫な笑顔だった。
あまりにも無邪気なその様子は、本当にどういうわけか不快感がなく──
「……選択科目。美術と音楽どっちを選んだ?」
薔薇は僕の問いにキョトンと首を傾げる。無理もない。
「音楽です」
「……分かった。そんじゃあ、お喋りをしよう」
僕は薔薇の手を払って先程の机に座り直した。
ほんの気紛れ……なんだと思う。
本来ならば興味のない相手から好意を向けられても鬱陶しいだけなのだが、不思議と今はそうでもない。
変化の片鱗が表れたのか、無関心が極まった果てなのか。
どちらにせよ、今は目の前の彼女と明日には忘れるような話をする。
それだけだ。
「ひょっとして、一年の時先輩も音楽を選んだんですか?」
「いや。画家になりたくて美術を選んだ」
「ふふ……」
薔薇は軽く微笑み、僕の隣に座る。
「嘘つき!」
×
薔薇と一つの授業を潰しての雑談は思ったよりも早く時間が過ぎた。物置で笑顔の絶えなかった彼女が教室に戻る時、僅かに暗い顔をしていたのが頭に残っている。
彼女の言う安心感というのはどうやら本物なのだろう。
放課後になり、浅沼先生に授業をサボったことについて問い詰められた後の赤点者の補講。
薔薇との雑談と比べて地獄のような時間だった。
放課後に残っているのは部活動に熱意を注ぐ者たちで、玄関で靴を履き替える人たちは補講を受けた僅かな人数で──
「あ」
顔見知りがいたらすぐにでも分かることだろう。
だから、昼休みに出会ったポニテの娘が僕に向かって歩いてきたのだ。
「奇遇ですね! えーと……桜内奏斗先輩!」
「…………」
今日ほど赤点を取った自分を恨む日はないだろう。




