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無彩色の願望  作者: 哀川
第三章 死線の過去

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第六話 心の底

 いつかのように夢を夢だと自覚する事ができたのならば、目覚めた時に失望しなかっただろうに。


 ×


「おはよう、姫乃。変わらず退屈な朝だな」


 目覚めたばかりで回らない頭の中を彼女の声だけが支配する。

 おかげで僕の意識はすぐに覚醒へと至った。

 ソファーで体を起こして見える景色は、とてもじゃないが退屈なものだ。十五畳の部屋の隅に敷き詰められた本棚に『おもしろさ』を見出せる年齢じゃないから仕方ないのだろうけど。

 えっと、どうしてここに寝ていたんだっけ?


「わざわざ私の部屋で寝るなんてな。良い度胸だ」


 彼女は窓際の机にカバンを置き、深く座った。どうやら仕事帰りらしく、眼鏡で灰色の髪をかきあげていた。

 それが格好良く思えた僕は思わず彼女を見つめる。

 腰あたりまで伸ばした髪は、毛先までもが丁寧にケアされているのが目に見える。人を殺せそうな目付きにもすっかり慣れ、今となってはその奥の優しさすらも感じ取れる、魅力的な二十六歳。つるし妃名ひな

 ああ、思い出した。昨日……金曜日の放課後に担任に理不尽な事で叱られたから、妃名さんの話を聞いて気を紛らせようとしたけど、不在だったからそのまま不貞寝したんだった。

 壁にかけられたレトロな振り子時計は十二時ちょうどを指している。


「ところでだな、おまえの肉体はちょうど十四歳になった。つまりは今日がおまえの誕生日だ。おめでとう」

「どうしてそう言い切れるんですか?」

「勘だ。私の勘はよくあたり、そして外れる」


 そう言ってカバンの中から缶コーヒーを取り出すと自称二十四歳は僕に投げつけた。

 外れるのかよ、とは言わなかった。


「ありがとうございます」


 コーヒーに口をつけたが、特に美味しいとは思えなかった。苦さに顔を顰めた反応に満足したのか、妃名さんは口角を上げた。


「……なんですか」

「いやいや、なんでもないさ。それで、中学の方はどうだ? 転入してちょうどひと月……さすがに馴染めただろう?」

「分かっててそう言ってんなら意地悪ですね」

「悪いな、そういう血が流れてるんだ」


 雑な言い訳に僕は軽く息を吐いた。


「そういえば、昨日生まれて初めて『合コン』ってのを体験したんだがな。天国と地獄の両方を味わったよ。私は最初二十三歳と騙っていてね……バレなかったんだ、私は超絶美女だから」

「………………」

「けど、遅れて来た友人に年齢詐称がバレた途端に人気ガタ落ちさ。友人含めて知り合った全員の連絡先削除してやった」

「その合コンに来た人はどんな人たちだったんですか?」

「全員年下」

「……そりゃあ、うーん……」


 よく分からないです、と僕は本音を言った。たしかにその中で妃名さんは浮いていたかもしれないけど、そこまで歳の差がなければ良い物件だと思うのだけれど。


「つまりだな!」妃名さんは不機嫌そうに言う。「人は見た目よりも性格だと言うが、結局のところ年齢も重要事項なんだよ」

「それは当然じゃ……」

「ああ、当然さ……本当の愛を知らん人間で溢れていることがな」


 相当お怒りになられている。相手が見つかっていたらもう少しマシなプレゼントを貰えたんだろうなあ、と思いながらコーヒーに目をやる。

 ……というか、年齢を三歳も誤魔化さなければよかったのでは? 平気で嘘をつく人が好まれるとは思えないし。


「まあいい。姫乃、おまえ何か食いたいモノはあるか? 誕プレってことで、何でも食わせてやる」

「え?」


 缶コーヒーを本気にしていた僕は首を傾げた。


「いいんですか?」

「誕生日を祝うのにコーヒーで済ませようとするのは悪魔くらいだよ。私は天使属性だからな……」

「……嘘くさ」


 不意に笑みが溢れるのを自覚する。

 やっぱり、この人との会話は面白いなぁ。嘘つきでなければモテるだろうに……勿体ない。


「で、どうするんだ? おまえは何が食いたい?」


 普段よりも穏やかな口調で妃名さんは言う。


「あまり出かけたいって気分じゃあないので……妃名さんの手料理でお願いします」

「料理なんて数ヶ月はしてなかったからな……出来が悪くても文句は言うなよ」

「妃名さんなら、きっと文句を言わせないものを作れますよ」


 お世辞でもなく、本気でそう思った。

 妃名さんは自信を得たような笑顔で応じて立ち上がった。


 それから二人で買い物に行った。繁華街で食品だけでなく、妃名さんはケーキも買ってくれた。そこそこの重さがある荷物は全て僕持ち。当然だが相当疲れた。

 けれど、それに見合う……と言うよりは、それ以上に妃名さんの手料理が最高だったものだから、僕の体力は全回復した。

 二人暮らしにしてはあまりにも大きすぎる洋館で食事を終え、少しお腹を落ち着かせてから、妃名さんはケーキを円卓の上に置いた。


「いただきます」


 本日二回目の台詞を口にする。


「少し話をしようか」

「…………?」


 普段見ない無表情で妃名さんは言った。さすがにフォークを置き、僕は姿勢を正す。

 お説教って雰囲気だ。うーん……僕は何か怒られるようなことをしたのだろうか。


「別に説教じゃあないさ。ただ一つ、いい機会だと思ってね」

「…………」

「お前が私に引き取られてからもう二ヶ月だ」

「二ヶ月……そっか、もうそんなに」

「ああ。楽しい時間ってのは早く過ぎるものだからな。おまえも心から楽しいと思っているだろう?」

「そうですね」

「だからこそ不思議でならない」


 強めの口調で、妃名さんは訝しむような目線を天井に送る。どうして僕を見ないのかが不思議だ。


「おまえは私に何も訊かない。何故おまえを養子に迎えたのか? 何故こんなバカ広い館に住んでいるのか? 職業、家族構成等その他諸々。なのに、平気で私に馴染んでいる。何故訊かない? どうして疑問を放っておいたままで楽しく過ごすことができる?」

「なら、訊いてもいいんですか?」

「駄目だ」


 すぐさま僕に顔を合わせ、鋭い翠色が僕を射抜く。


「だからそういうことですよ」

「訊かれたくないだろうから、訊かなかった。けれど、他の理由もあるよな。今の理由は七割程度でしかない。残りの三割は別にある」

「……なんですか? 言ってみてくださいよ」


 苛立つ僕はつい妃名さんを睨みつけた。


「おまえは、他人に興味がないんだよ。誰かと一定の距離を取って、関係の継続だけを目的としている。それは『嫌われたくない』、或いは『嫌いたくない』というおまえの心の弱さが生み出した問題だ。あんな出来事があったら無理もない。けれど、いつまでもそのままじゃあいられないよ」


 優しい声色のおかげで冷静さを取り戻す。

 しかし、妃名さんの言葉が耳に入り、脳で理解したとしても、僕は何も返せなかった。どうしようもない問題に思えたからだろう。

 だから、僕は俯くだけで妃名さんの言葉の続きを待つ。


「嫌って嫌われて、それでも続くのが『家族』だ。血の繋がりがなくても、その本質は変わらない」

「じゃあ……」

「家族以外はどうでもいいって? 駄目だよ、そんなんじゃあ駄目だ。いいか、姫乃。人は独りで生きていくことはできないんだ……いずれ破綻する」

「なら、どうしたら?」

「他人に興味を持て」


 妃名さんは簡潔に答える。


「興味を持ち、関心を持ち、多方面に関係を築け。おまえの優しさのカタチを変えるんだ。そうすりゃあ、過去のことなんか忘れて幸せになれるさ」

「簡単に忘れられますかね……」

「まあ、難しいだろうな」


 妃名さんの立ち上がる音がしてまもなく、彼女は僕の頭に手を置いた。


「でも、おまえが幸せになるまで——いや、幸せになった後でも、私はそばに居てやるよ」


 自然と表情が綻んだ。

 この人との会話は、本当に……本来の家族というものを感じさせてくれる。


 あたたかいなあ。

 心底そう思う。


「彼女たちのこと忘れ、平気で他人と笑い合えるような日々が送れることを、私は願っているよ」

「期待に応えて見せますよ、妃名さ——」


 ×


「うるせえな!」


 気付いたときには体を起こしていた。

 嫌な汗をかいている。不快感に耐えれず、僕はすぐに洗面台へと向かった。

 冷たい水を浴びても僕の意識は半分夢の中。それがまた不愉快に思った。

 自分の額を鏡に打ち付ける。

 痛みのお陰で覚醒した意識が、鏡に映る死んだ眼を認識する。

 黒。

 真っ黒。

 色の無い、瞳。

 凡人である僕の唯一の特徴である死んだ目。今はそれが一層際立って見えた。

 しかし、それよりも目立っていたのが涙痕だ。


「……ほんと、情けねえ」


 もう一度顔面に水を当てる。次の瞬間にはいつも通りの僕がそこに居た。

 すぐに自分を取り戻せる事に関しては自身でも高く評価している。

 どれだけ悲惨な夢、そして過去を見たとしても、僕は僕のままだ。遠い記憶の蟠りをいつも憎らしく思うが、それが解消されたとしても僕は文句を言うのだろう。

 面倒な奴だ、藍歌姫乃は。

 リビングに戻って、零時が過ぎ月曜日となった。新しい一日が始まったとはいえ、当然ながらまだ睡眠にしゃれ込むべき時間帯だ。

 しかし、僕は電気を付けて部屋を明るくした。

 既読の小説を手に取って腰をかける。

 眠気がないからというのは事実だ。けれど、それに加えて今は目を瞑ることをしたくなかった。

 思い出したくない過去。

 忘却したくない過去。


 過去視。


「……薔薇叶未」


 僕がこの世で一番不幸だなんて思わない。あの程度の過去で苦しんでいるなんて笑わせると言われても、僕は別にその意見を否定したりしない。

 上には上がいる。それだけだ。

 彼女の問題は彼女の問題でしかなく、どう考えても僕には関係のないことだ。

 今となっては昨日の事だが、あの襲撃者は『過去視』と言っていた。薔薇叶未を狙った襲撃なのは天竜寺さんの報告を待たずとも明確。

 僕が薔薇の為に傷つく理由はない。


「……東条、色奈」


 もう一人の名を呟いた。

 東条さんは名前も知らない僕の命を救ってくれた。彼女があんな無意味なことをしてくれなかったら、僕は今こうして読書もできていない。

 とりあえず僕は東条さんに感謝している。死ぬタイミングを選べるのは彼女のお陰なのだから。


「……、……」


 とくに深く考えることはせず、僕はテーブルに置かれているスマホに手を伸ばす。

 連絡先に登録してある《東条色奈》の名前を押して発信。

 そういえば超絶真夜中じゃん、と思った時には東条さんが出た。


「もいもぃ〜……? 牛乳ならちゃんと飲んでますぅ……」


 滅茶苦茶寝ぼけてた。


「ごめん東条さん……僕だけど」

「? うー……ちょっと待ってね……」


 十秒程無言が続いた後、


「はいはい! こんな真夜中に何事かな?」


 いつも通りの東条さんに戻っていた。当然のことながら、声に若干の苛立ちが混じっている。


「……いや、特別な用があったわけじゃ……」

「……まあまあ、わたしにも夜が怖い時期あったから、気持ちは分からなくもないけどね? でも、高校生にもなってそれは……」

「じゃなくて。一つ質問したかったんだよ。でも、それは今すぐに訊きたいってほどのことでもないんだけど……」


 なぜ今連絡したのかは考えても仕方ない。東条さんには今度何かお詫びするとして、今は質問しよう。


「東条さんはどうして他人を救う?」

「それは……難しい質問だね……」


 てっきり通話を切られるかと思ったが、どうやら東条さんは真剣に考えてくれているみたいだ。

 ……いい人がすぎるんだよなあ、この人。


「人を救ったとして、東条さんには何一つメリットはないと思うんだけど」

「あるよ」


 自信に満ちた声だった。


「誰かが笑顔になったら、嬉しくなるじゃない? それの手助けをできたら尚の事だよ」

「………………」


 正直言って、こわいと思った。

 一円にもならないその奉仕精神にどれだけの価値があるのか、そもそもその精神はどこからきたものなのか、知りたいようで知りたくない不気味さがある。


「姫乃くんはさ、法号みずきちゃんをどうして助けたの?」

「それは……単に、法号つるぎに恩があったからさ。あのままみずきちゃんが死んでいたら、きっと彼女に呪い殺されていただろうし」

「本当にそれだけ?」

「…………」

「即答できないんだね」


 東条さんはどこか嬉しそうだった。いつもの笑顔が容易に想像できる。


「それは、姫乃くんのもう一つの気持ちなんじゃないかな」

「……なるほど……」


 僕が黙ると、「ふふ」と笑い声が聞こえた。


「ま、明日学校に遅刻しないようにね。それと、お昼に学食に来て。昨日の一件で話すことがあるから。おっけ?」

「……おっけ。夜にわざわざごめん」

「気にしなくていいよ。おやすみなさい」


 東条さんは優しくささやいた。


「おやすみ」


 一向に通話が切られないものだから、僕から通話を切った。やっぱ、いい人ってのは自分から切ったりしないんだな。


「……みずきちゃんを、助けた理由」


 寝覚が悪くなるから。この一点だけだと思っていた。──いや、思わせていた。見て見ぬ振りをしていた……のか?


「なんなんでしょうね、先生……」

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