第四話 訪問者
午後二時に目を覚ますと同時にインターホンの音が鳴り響いた。ぼんやりとする頭を叩いてから意識をはっきりとさせて玄関に向かう。
鍵を外してから扉を開けると、
「こんにちわでーすっ!」
制服姿の元気溌剌な薔薇叶未が敬礼をした。
「…………あー……? 今日って学校あったっけ?」
「あっははー。なに寝ぼけてるんですか先輩。今日は日曜ですよ」
そう言うとけらけらと笑い、どうぞとも言っていないのに上がり込んだ。すごい後輩だなぁと感心して僕もリビングに戻る。
「わあー! 生活感まったくないですね!」
何やら楽しそうな薔薇。リュックを床に置くとソファーに腰をかけた。まあ、当然僕は床に座った。
薔薇が僕の家にやって来た理由。それは僕からアドバイスを貰うため。
昨日語り聞かされた、過去視を保有したが故の苦悩を僕は聞いた。
『本当に、きっかけはなんでもいいみたいなんです。偶然目があった、偶然横を通り過ぎた、偶然手が触れたとか。それだけでその人の過去が流れ込んでくるんです。確率で言ったら十人に一人とかその程度ですけど、結構地獄ですよ。犯罪歴のある人の過去を見たり、好きな人のよくない過去を見たり……本当の意味で信用できる人が少なくなってくるんです……』
たしかにそういわれると、未来を見るよりも過去を見る方が苦痛だと思った。
予測であろうと閲覧であろうと、過去が正しいかどうかは当人に確かめるほかない。しかし、よくない過去を訊ねることはこの娘にはできないだろう。だから『もしかしたら』というモヤモヤを永遠と抱えることになる。
高学年とはいえ小学生の頃からよく耐えて来たものだと、上から目線になってしまうが感心した。
「それで、過去を見る眼……過去視についてだけど」
僕が言うと、薔薇は真剣な表情をし、居住まいをわずかに正した。
「過去を見たら睡眠時間が長くなったりしないか?」
「あー……そうですね。睡眠時間が長くなるって言い方が正しいかどうかわかりませんが、寝不足気味というか、疲れが取れない感じはします」
「そっか……それだけなら特に問題はない。他人の過去なんて見るだけ気にしなければ……」
光野さんも過去視だけ特別な代償があるとは言っていなかったし問題ないだろう。
「それができたら先輩なんて頼ってないですよ! 先輩ってあほですか?」
正論で殴られた。仕方ない……何も考えずに発言するのはやめよう。
よし、『どうするべきか』で策が思いつかないのなら、『どうしようもない』とはっきり告げることで解決しよう。
「過去視を手放す方法はあるよ」
僕は窓の向こう側を見つめて言った。
「マジですか⁉︎」
食い気味に反応する薔薇。素早く僕の前まで手と膝をついた犬のような体勢でやってきた。着崩した制服も相まって“誘っているのでは”と思わせる。
僕は目線を薔薇から逸らして「まじまじ」と頷いた。
「眼を取っ替えりゃいい」
「……………………は?」
「知人が言ってた。魔眼を手放したいと思う人間はそこそこ多くて、そこらの魔術機関に依頼することがあるらしい。価値の高い魔眼に限っちゃ買い取ってくれるそうだ。薔薇のは『予測の過去視』だから……まあ、買い取ってはくれない。高い金払って眼を取り替える手術をすることになる」
僕は考えて適当を言った。予測の過去視なら買い取ってはくれそうだが、当てのある機関はないし、そこまでするとなると時間も人も足りなくなる。僕としては僕だけで薔薇の問題を解決したい……だから、この嘘が最適だと思った。
「あ、結構ですそれ」
またもや素早い移動で薔薇はソファーに座った。予想通り落ち込んだ顔をしている。ここまでくればあと一押しだ。
「手術って怖いですし……そもそもお金に余裕があるわけでもないですしね」
「まあ……だとしたら仕方ない。過去が見えたところで、それは薔薇には関係のない物語だ。そう思って割り切るしかないんだよ」
「結局そういう話になるんですね……」
はあと深いため息を吐いて、薔薇は足を伸ばした。そして短めのスカートにも関わらず膝を抱えるものだから、僕としては本当に目のやり場に困る。
「……先輩は未来が見えて辛いと感じたことはないんですか?」
「未来と過去を比較するなんて馬鹿げてる」
「むぅ……。真面目に答えてくださいよ」
「……多分、薔薇ほど辛い思いをしたことはないよ。十二歳から『人の本質』を見抜けるのに、それでも壊れない薔薇ほどは」
「私、もうとっくにおかしくなってますよ」
吐き出すようにいうと、薔薇は顔を埋めた。前髪が崩れる事も気にせずに、ただただ落ち込んでいる。
「好きな人がいたんです」
「は?」
「いや、正確には違いますけど。人気のある男子に告られたから付き合って、好きになった……好きになってあげた的な? ほら、私って可愛いし」
人間らしいやつだなぁ。
「そんなこんなで、ガチで好きになり始めた頃ですよ。彼が『よくないことをしている』……いえ、『していた』過去を見たんです。それで、すっかり冷めちゃって。それだけで済むのならまだいいですけど、嫌いになっちゃったんです」
「……『よくないこと』を……」
具体的に言わないのは、きっと思い出したくもないからだろう。
気持ちはわかる。誰にだって思い出したくもない過去、振り返りたくもない出来事はある。
「怖いんですよ。周りの友達のよくない過去を見たりして嫌いになったらどうしようって……。そう思うと、うまく接することができなくて」
鼻をすする音。小刻みに揺れる肩。誰にでも分かる……薔薇は泣いている。
「私は壊れてますよ。私に好意を寄せてくれる人に対しても、何かよくないことをしているんじゃないかって疑い掛けるんですから……」
人間不信みたいなものか。たしかに、それじゃあ生き難いだろうな。唯一無二の友人を嫌いになるかもしれない可能性なんて、まともな神経をしていたら手放したいと思うに決まっている。
……まあ、僕はみちるが何をしたところで驚いたり嫌いになったりはしないのだが。
「先輩……私、どうしたら——」
ふと顔を上げた薔薇。目端から溢した涙が頬を伝って彼女の膝に持ちた途端、本当に一瞬──いや、それ以下のうちに、ベランダに異常が発生した。
欄干の上に佇む人間が一人……全身黒の服で身を固めた、おさげ髪の小柄な少女だ。中学生かそれ以下に見える。
だからと言って──
「薔薇」
警戒しない理由はない。瞬間移動の如く現れたこと、登る手段がないのにこうして二階のベランダにいること。それだけでも十分だし、なにより……よく知っている、悪意に満ちた微笑みが僕の警戒心を大きく引き上げた。
僕が急いで立ち上がると、薔薇は眼を丸くして驚いた。
口で説明している暇があるはずもなく、薔薇の腕を掴んで僕の背後まで引き寄せる。
同時に、状況が動き出す。
変わらず欄干の上で、少女は器用に爪先立ちをしてくるくると回り始めた。
そのおかしな存在に薔薇も遅れて気付き、「妹さん?」とか抜かしやがるものだから、
「人混みまで全力疾走」
と無視して言った。
さすがに真剣さを察してくれたようで、薔薇は冷や汗をかいて玄関まで走った。扉を開けて出て行った音を聞いて一先ず安心。
その途端にぴたりと少女の動きが止まった。笑顔は消えて、突然と無表情となる。
「……こわ」
思わず本音がこぼれてしまった。少女が笑顔だった時もそう思ったが、いきなりの無表情は結構くるものがある。
それになにより──少女は僕から眼を離さないのだ。大きく見開いたまま、真っ黒い双眸が僕に殺意を放っている。
僕も負けじと眼を逸らさず、慎重に台所まで移動して折り畳みナイフを握った。
殺意の塊と対峙しながら思う。
……わざわざ薔薇を庇うような真似をする理由はなんだろう。今回は特別に助けなければって事情もないはずだし——……。
「……まあ、どうでもいいか」
ナイフを構えると、少女はご丁寧に網戸を開いてから中に入ってきた。しかし土足なままな上にそもそも不法侵入なので感心はしない。
そして表情一つ変えることなく僕を指差し、
「過去視!」
と大声で言った。
「………………」
表情と声色の正反対に驚いてしまった。そして遅れて言葉の重要さに遅れて気付く。
「……『過去視』だって?」
訊き返すも反応はなく、隠す気のない殺意を僕にぶつけるだけ。
「無自覚! フリフリ! あたかもお人形!」
「………………」
この娘との会話が叶うことはないと確信できた。
しかしどうしたものか。多少勘違いしているとはいえ、こいつは僕が魔眼を持っていることを知っている。つまりはコレクターの一員か。
殺していいのかな……というか、殺せるのかな。
「あは」
その疑問に答えてくれるように、少女は動いた。
瞬きをした次の場面では、文字通り目の前——本当に数ミリ先に少女の指があった。
抉り出される。
「う、あ」
床に伏せる勢いで間一髪回避できたのはほとんど奇跡と言えるだろう。
無抵抗のままならすぐに次が来る。
僕は下から少女の右腕を目掛けてナイフを振り上げる……が、それは空を切っただけで終わる。
気がつけば、少女は部屋の端っこに居た。
「…………どうすりゃいいんだ、これ」
たった今理解できた。こいつは殺していい……でも、僕には殺せない。偶然未来を見る以外に、僕はこのリーチの短いナイフをがむしゃらに振ることしかできない。
助けを呼ぼうにも、どうせポケットの携帯に手を伸ばしたところで両眼を抉られて終わりだ。
終わったな。
他人事のようにそう思った。
僕が息を吸って吐き出した時。
見慣れた人物が、少女の右頬を殴った。少女はそれを予見できていなかったのだろう、しっかりと顔を歪ませ、網戸を突き破ってベランダにぶっ飛んだ。
「できるんだよ〜、わたしたちにも」
彼女も土足のままで、そこに居た。スウェットパンツに半袖といったスポーティーな服装をしていて、髪を結んでいる東条さんだった。
いつもとは違う雰囲気よりも網戸と土足が気になる事態なのが残念で仕方がない。
「人払いの結界そのものを身に纏うのはそこまで難しいことじゃあないからね。けれど、あなたにそこまでの技術があると思えない。魔力で身体強化をする程度しかできない私と似ている。つまり、どこかに相方がいるでしょ? さ、教えてよ」
すっかりと気を失っている相手に容赦なく圧をかける。自信に溢れた表情がまた恐ろしい。
「あの、東条さん」
東条さんはこちらを見て、
「ヤッホー、姫乃くん」
手をひらひらとさせて反応した。
「もう大丈夫! なんたってこの私が来たからね」
「うん。どうもありがとうなんだけど」
「……? けど?」
「靴脱いで」
「ああ……うん、そうだね……」
カッコつけてたところに水を差したせいか、東条さんは落胆していた。
そっか……この人、光野さんに憧れているんだっけか。無理がありすぎるんだよなぁ……井宮とかも教えてあげたらいいのに。
そこに狙ったかのようなタイミングで井宮も姿を見せた。よ、と手をあげる彼はちゃんと靴を脱いでいる。
「なんで二人が?」
「うん……彼女に請われてね──と言ったら嘘になるけど」
井宮に遅れ、怯えた小動物のようになっていた薔薇も見えた。井宮の背中越しに僕を視認すると、
「あ、生きてた」
軽い反応を見せた。
そうか……どういう偶然か、薔薇が逃げる途中にこの二人に出会い、助けを求めたというところか。
しかし、井宮の「嘘になる」とはどういう意味だろう。
「いつか試験後にここに遊びに来たことがあっただろ? その時に、なんというか……よくないものに監視されているような気がしてさ」
井宮はベランダで体を起こそうと踏ん張っている少女のもとに寄る。
そしてしゃがみ込み……少女にデコピンを喰らわせる。
すると少女は気絶した。
「だから、このアパートに結界を張ってたってワケ」
「ああ……そっすか」
僕が助けられたのは事実だけれど、そういうのは事前に言ってもらいたいというのが本音だ。つまり、僕が呑気に寝ている間も目を抉られる可能性があったということになる。これがきっかけで目を瞑ること自体がトラウマにでもなったらどうするんだよ(多分ならないけど)。
ともかく安心。……したところで、東条さんはソファーに座って「姫乃くん」と言った。
「……なんでしょう」
「その娘はだぁれ?」
そして薔薇を指差した。
取り付けたような笑顔の内側には、問題を一人で抱えたことに対しての怒りが感じ取れるようだった。
結局。
「僕の友達だよ」
そんな嘘をついたけれど、東条さんと井宮にはまるで通じなかった。




