第二十五話 愛
「それは…………大変なご迷惑を……」
後日。
僕は学校をサボり、昼間に法号さんの家を訪ねた。そして、昨晩起こったことをまるまま説明した。
「いえ。僕が勝手にやったことですから」
わざわざ立ち上がり深々と頭を下げる法号さんの母親に僕は言った。少し時間を掛けてから彼女は座る。
「本当に面倒な娘で。なんとお詫びしたら」
「あー……そっか」
みずきちゃんを気にかけているのは法号さんだけ。ここは彼の言う通りだったのか。
ここで何も言わず、みずきちゃんがまた自殺しようとしたらひとたまりもない。
僕は嘆息した。
「みずきちゃんの責任であの状態になったわけじゃないでしょ? 面倒だなんてとんでもない。僕にできることなら、ある程度のことはします。みずきちゃんにそう伝えてあげてください」
それから用意されたコーヒーに口をつけ、僕は「お邪魔しました」と言って玄関へと向かう。
靴を履き、扉を開けたところで、僕は振り向かずに言った。
「みずきちゃんは自分の意思で自殺をやめました。男の僕に抱えられる事を拒否することもなく」
法号さんの言葉を待つことなく外に出た。
あの母親は、今頃どんな表情をしているのだろう。回復の見込みがあると歓喜しているのか、もしくは——。
……考えるだけ無駄だ。
僕にできることと言ったら、偶にお見舞いに行く程度しかない。あとは、法号一家の『絆』とやらに期待しよう。
「絆ね……」
馬鹿馬鹿しい。
ふと空を見上げる。一応問題は解決したってのに曇り空。
いや、全ての問題が解決したわけではないからか。きっと、桜内はまだ動いている。多少の時間を要することになるだろうが、それでもあいつは成し遂げる。そうした確信を抱かせるほどに桜内は無茶苦茶だ。
さて。昨日今日とまともに食べれていないし、このままどこかで食事にしよう。
歩き始めて十分かそれ以上で街の喧騒が近くなる。
本当はコンビニで何か買って家で腹を埋めるつもりだったのだが、なんとなくの気分でマックにしようと思った。近道をする為、比較的人の少ない道を選ぶ。
平日ということが理由か、まったく人がいなかった。
「…………」
だから、小さな橋の真ん中で彼が待ち構えていることにもすぐに気づくことができた。
明日川睦太。彼は欄干にもたれかかり、遠くの大通りを見つめている。
「明日川くん」
八つ当たりに顔面を殴る狂人を、僕はそう呼んだ。
「藍歌がここを通る未来が見えたから」
彼は僕を見ずにいう。
だからなんだ、と言うまでもない。僕は変わらぬ歩調で進む。
明日川くんの横を通り過ぎたところで、「少し話さない?」と言われた。
「悪いけど。……いや、悪いとは思ってないけど」
性格の悪い断り方をする。
橋を渡り切る直前で、彼は言った。
「ありがとう」
不意に踏み出すことをやめてしまう。
呆れた。明日川くんは、みずきちゃんが死のうとしていた未来を見ていたのか。見ておいて、法号さんの時と同様に何もしなかった。『閲覧だから仕方ない』と言えばそれまでなのだが。
しかし……おかしな話だ。別に君が礼を言う必要はないし、僕も礼を言われる覚えはないってのに。法号さんの為でもなければ、みずきちゃんの為でもなく、明日川くん——君の為でもない。
単純に僕の寝覚が悪くならないようにする為なんだよ。
「…………」
僕はどうしてか明日川くんにかける言葉を見つけようとした。三秒くらい考えても何も思い浮かばなかったのでまた歩き始める。
なに、気にすることはない。今度こそ明日川くんとは二度と話すことはないだろう。
……にしても。
まるで彼が見た未来の通りにする為に僕はマックを選んだのかな。そう考えると、ちょっと悔しい思いになる。僕としては彼の顔なんて見たくなかったわけだし。
せめてもの抵抗として、僕は道を左に折れた。
それすらも確定した未来なのかな、と思った。
×
僕にとっての非日常とは一区切りつき、日常が再開した。久しぶりの学校……。肺炎という嘘がバレるはずもなく、担任の浅沼先生がひたすらに僕の身を心配してくれていた。心が痛むような痛まないような。
それから一週間が経って、ようやく東条さんと井宮、続いて桜内が学校にやってきた。彼女たちは『後処理』に奔走していたらしい。別に詳しく首を突っ込もうとは思わなかったが、桜内のことは訊くまでもなく、東条さんが教えてくれた(頼んでもいないのに)。
この一週間のうちに白鏡誠司と手を組んで殺人を行った、法号つるぎを除く計六名とその血族が魔術世界からの永久追放をくらったらしい。それが桜内がこの一週間、つまりはゴールデンウィークで行ったこと。僕の予想としては自首を促すかぶち殺すかの二択だったのだが……。まあ、あいつがそれで満足しているというのなら、それ相応の罰なのだろう。よく分からないけれど。
桜内が僕の教室にやって来ると、笑顔を浮かべてこう言った。
『そのうち打ち上げ行くべ』
友達っぽいことするなあ、と他人事のように思って僕は答えた。
『面倒』
五月八日。僕はいつかあいつと約束した黒のヘアピンを購入し、央語舞邸へお邪魔した。みちるの部屋がまだ汚れていないことに一安心。
「きゃわいい?」
ヘアピン一つ付けただけでここまで調子に乗るのもこいつくらいだろう。
僕は肩を竦めて正直に答えた。
「前髪除けるだけで印象は変わるよ。性格は変わらないけど」
何故か嬉しそうに微笑むみちる。
それから「お勤めの時間であります」と言って、机で何やら分厚い本を読み始めた。
「なんかお話ししてよ」
「話なんかしたら本に集中できないだろ」
「できるよ。聖徳太子とは言わないけど、本を読みながらお話し聞くくらい造作もないよ」
なら、と僕は白鏡誠司の一件を語った。魔術世界に縁のない央語舞に語るべきではないとも思うが、僕はみちるを何よりも信頼しているし、みちるもそこそこ僕を信頼している。特に問題はないだろう。
「はあーん」
みちるは本を閉じると、椅子を回転させて僕を見た。
「なんか、愚かな話だね」
「ふうん?」
「だって、誠司ちゃんが失敗した理由は透視の魔眼を早く手に入れようとして《血の契約》を雑に済ませちゃったからでしょ?」
「うん、違いないな」
そこさえうまくやれば、授戒蒼夜が僕たちにヒントを与えることはなかったし、僕たちが白鏡誠司にたどり着くことはなかった。
「よく分からないけど、白鏡ってすごいんでしょ? 人の体を利用しなくとも、一から人体を作ることなんて容易だと思うけどね。そこに魔力? と魂を入れたら完成じゃん。魔眼も魔力があれば正常に機能するらしいし。楽をしようと燈明学園の生徒を使ったのが良くなかったね」
それもまた違いなかった。
結局のところ、今回彼が失敗したのは彼自身の怠慢さが故であり、そこの問題を解決すれば白鏡は透視の魔眼を手にして魔術世界の頂点に立っていた……そんな未来もあり得たのだ。
「お付きの人も分かってたのかな……誠司さんが失敗するって」
彼女のことはよく分からないけど、見た目で判断していいのなら、冷静沈着な人だったと思う。
そんな人が誠司さんの手となり足となり動いていたとしたら。
「たしかに愚かとしか言いようがないよな」
「人は欲望に目が眩むと周りが見えなくなるものだね」
きゃはは、と愉快そうにみちるは笑う。そしてまた唐突にベッドに座る僕の隣に座り、頭を僕の腿の上に乗せた。
「……おまえこれ好きだな」
「ふへへ。早く撫でて」
言われるがままに、僕はみちるの茶髪を撫でる。
なんだか小動物を愛でている気分だ。
「いやーそっかあ〜。姫乃、人殺しちゃったかあ〜」
「……うん、まあ……」
どう言い訳したところで僕が人を殺したのは事実。東条さん曰く、授戒と赤三葉が後処理をしたついでに、僕が人を殺した痕跡も消したらしいのだが。
だからといって、その事実が僕の中から消えることはないけれど。
「軽蔑したか?」
「まさか。姫乃が殺したいと思ったならそれが正しいよ。あたし全肯定」
そう宣言して、みちるは僕に顔を合わせる。眼鏡の奥の淀みない瞳は、恐ろしいほどの純粋さを表している。
全てを許容するみちるに呑まれそうになる。悪くはないんだろうけれど、良いわけでもないだろう。
僕がみちるから目を逸らすと、それを合図にするようにみちるが口を開いた。
「誠司ちゃんが本当に家族を愛していたのなら全てはうまくいったなんて……おっかしい話!」
「だな……。しかし、これは誰の為の物語だったのやら」
「そりゃあー決まってるじゃん」
指を立てて、宣言するように名前を言う。
「赤三葉だよん!」
「……え、紫橋ちゃん……?」
まさかここで彼女の名前が出てくるとは思わなかった。
そうか……そう考えると、たしかに今回一番の得をしたのは、実質的に白鏡を吸収した赤三葉になるのか。
「ただの財閥が魔術世界の有能グループを手駒にしちゃったんだもんね。あははっ、これからどうなるのかなー?」
「いや……多分だけど、おまえが期待するようなハプニングは起こらないよ」
僕が言うと、みちるは退屈そうに唸った。
別に未来を見たわけじゃない。けれど、東条さんが信頼して赤三葉を頼ったということならば、決して悪いことは起こらないだろう。
紫橋ちゃんも紫橋ちゃんで情緒不安定と性格が悪いことを除けば良さげな娘だし。……彼女にどれだけの権限があるかは定かではないが。
「にしても。おまえは《赤三葉》を聞いたことがなかったのか? 央語舞の人間でありながら……《央語舞財閥》の人間でありながら」
「知ってるかもだけど、覚えてない。思い出すのはめんどっちぃ。お腹減っちゃうから」
「あっそ」
僕は肩を竦めた。
赤三葉財閥……か。まあ、魔術と縁のない人間が関わって大丈夫なのかどうかは、やはり少し不安になるな。
「……って、おいおい。——忘れてた」
赤三葉の家は、毎回魔眼を持って生まれてくる。そしてその特性は他者の心を読み取るもの。
「それって……、透視の魔眼じゃねえの……?」
困惑しながら呟く。
「どしたの?」
みちるが目を丸くして僕を見ている。
こいつを見ていると、なんだか考え事の全てが意味をなさない気がしてくる。
無関心は楽でいい。
無頓着は楽でいい。
無感情は……どうだろう。疲れはしない。それは確実だし、今回の一件で人間関係はやはり面倒だということも分かった。
けれど、そもそもだ。
今の僕は無感情なのか? だとしたら、どうして明日川くんに礼を言われたときに足を止めた?
「…………」
分かっている。僕にだって人並み以下とはいえ感情はある。
桜内のことをうざいと思うし、井宮のことをいい奴だと思うし、東条さんも凄い人だと思う。
良いことがあったら嬉しく思うし、悪いことがあったら苛立つ。
これらの感情は顔に出ることもあるだろうけれど、極力封じ込めようと僕の中の何かが邪魔をする。
心から笑わなくなったのは姉さんが死んでからか。
「姫乃。新しい友達は大切にした方がいいよ」
僕の膝の上で、みちるが笑う。
もう——どうでもいいや。
「分かった」
上辺だけの返事をして、僕は思考を停止する。
×
帰り道。空は紅く染まり始めた時間。今年は例年に比べて暖かい。きっと月末にはブレザーが暑く感じる気温になるだろう。
すぐ横の和平公園ではしゃぐ子供たちなんかは汗をかいて半袖にまでなっていた。
見渡す限りの平穏。裏の世界で何があったのか知る人間はほとんどいない。
何も知らなければ、世界はこんなにも平和だ。
僕も目を瞑ることを覚えようか。いや、魔術師退治の組織に入っておいてそれは無責任か。じゃあ、少なくとも仕事と関係のない時はおとなしくしよう。
そう、例えば。
目の前から誠司さんが何食わぬ顔で歩いてきても僕は何も言わない。言葉を交わすことは、ない。
「過去の記憶は健在かい?」
すれ違う瞬間にそう言われても、僕は足を止めなかった。




