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無彩色の願望  作者: 哀川
第二章 黒の正義

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第二十四話 表裏

 考えなしに総合病院へと走った結果、僕は大きな壁にぶつかった。

 入口が開いていない。当然だ。もうとっくに十一時を過ぎているのだから。


「さて……どうするか」


 入口手前の柱に背中を預けて思考する。

 ガラス張りになっているのでまだロビーに薄明りが灯っているのが分かる。……だからと言って、どうする? 『精神科の患者が自殺すると思うので様子を見せてください』と言ったところでまともに取り合ってくれるだろう。それに、本当に補導されかねない時間だし……。

 なら、どこかの裏口から潜入するか?


「……くっそ……」


 どうして赤の他人の為にここまで悩まなくちゃならないんだ……、なんてことを愚痴っても仕方ない。ここまで来たんだし、やれることをやるだけだ。

 ——ふと。

 僕は未来を見る。

 周りの風景からして、ぼくが居るのは裏口の辺り。そこから侵入し何を恐れることもなく平然と足を進めている。不自然なくらいに自然。

 真っ暗な階段を上り四階に着く。そしてその階の端まで移動し、法号みずきの名前が書かれた扉に手をかける。

 ……そして、右手に握っていた何かを床に捨てた。お札のようだ。黒と赤で不気味な絵を描いているそれは、まるで蒸発するように消えてしまった。

 そこまで見ると、僕の視界は一つの現実を映す。


「……はあ……」


 訳が分からないが、今はこの未来に繋がるように動くしかない。

 僕は重い足を動かして、正面玄関のちょうど真逆に位置する(であろう)裏口へと向かった。

 いくら裏口とはいえ、さすがに警備の目がゼロということもあるまい。さて……ここから僕はどうやってあのお札を手に入れるのか……。

 顎に手を当て考え込んでいると、突然爆発音が僕の鼓膜を揺らした。心臓が一瞬止まったように感じたことをきっかけに僕は振り返った。

 異様な光景に僕は思わず唖然とした。十メートルほど先の道路に爆発した軽自動車があった。それだけならば、特に異様ということはない(感覚が狂っているだけかもしれないけど)。しかし、僕の目の前に息を切らした井宮奏斗が膝をついていたとなれば話は別だ。

 立ち上がってから焦げ茶色の髪をかきあげて、井宮は振り返った。


「藍歌じゃないか」


 顔には切り傷や僅かな火傷跡が目立っていた。


「井宮……何やってんの?」

「まったくだ。何やってんだろうね、本当に」


 井宮は虚しげに呟く。乾いた笑みを溢すと、「お前は?」と訊いてきた。


「……、知り合いの妹が死ぬかもしれないから止めに行きたいんだけど、この時間だから院内に入ることもできないだろうし。どうするか考えていたところ」

「……ふうん」


 簡潔な説明に首を傾げる井宮だが、それ以上訊ねてくることはなかった。


「そうか……うん、そうなると……」

「……?」


「わかった。ほら」そう言うと、井宮はポケットから未来で見たお札を取り出して僕に差し出した。


「これを使ってる間は、誰に認識されることもない。ただ、あくまで自然に行動すること。人の目の前でダンスでもしたらさすがにバレるからな」


 僕は右手でその不思議な道具を受け取った。


「よくもまあ、こんな便利道具をお持ちで……。ところで、お前は何をやってるんだ?」

「俺は……幽霊に殺されかけているんだ。依頼主についでだと押し付けられた。まったく……魔術師を霊能力者と勘違いしてるんだよな、彼らは。その札を使って日の出まで逃げるつもりだったんだけど……」

「いやいや……なんだか大事に聞こえるけど」


 僕はちらりと井宮の背後の車に目を向ける。豪快に燃える光景は、関係のない僕ですら不安を感じさせる。


「なら、このお札はおまえが持っていた方が……」

「藍歌に救える命があるんだろう?」

「あくまでその可能性があるだけだ。もう死んでるかもしれないし、そもそも死ぬ気なんてないのかもしれない。過度な期待をされても困る。ただ安全を確認する為だけなんだよ」


 捻くれた返事をすると、井宮はやれやれと肩を竦めた。そして優しげな眼差しで言う。


「救いたい──そう思うこと、それ自体に意味があるんだよ。俺のことはいいから、藍歌は藍歌にできることをやってくれ」

「……、……」


 僕は何かを言おうとして、やめた。

 お札を握り締め、中へと入る。


 ×


 真夜中の病院以上に心臓に悪いものはないだろう。いくら普通の人よりも感情表現が苦手な僕にしたって、幽霊に恐怖することがないこともない。その手の存在が確かなものと知ったのならば尚更のことだ。

 けれど。

 今は自分でも不思議に思うくらいに冷静だ。先程見た未来をなぞるように行動できている。

 法号みずきの部屋の前までたどり着き、お札を捨てる。それが消え去ったところで、僕は扉に手をかけ中に入った。

 内部は暗闇——だなんてことはなく、カーテンが閉められていないので、雲ひとつない夜空が部屋を薄く照らしている。

 足を進めると、少し冷えた風が僕の肌を撫でる。

 窓が開いていて。

 そこから身を乗り出そうとしている、一人の少女が居た。華奢すぎて心配になるほどの体格。顔立ちこそは法号さんに似ているが、髪の毛は彼女とは違い肩のあたりまで伸びていた。


「こんばんは」


 軽いあいさつをすると、彼女は死んだ目で僕を見た。


「…………誰」


 掠れた声でそう言った。当然のリアクションだ。


「僕は……つるぎちゃんの友達だよ」

「…………」


 僕が一歩近くと、みずきちゃんはこちらを向いたまま窓枠に座った。どうやら迂闊に近付かせてはくれないようだ。


「あなたみたいな人は、知らない」

「それはそうだろう。僕がつるぎちゃんと知り合ったのはつい最近だし。彼女は最近はお見舞いに来なかっただろう? なら、君が僕のことを知らないのは無理もない話だよ」

「………………」


 どうやら本当に法号さんはお見舞いに来れていなかったらしい。よかった……とりあえず、このまま法号さんのことを語って信頼を得よう。


「ほんと、このタイミングで僕が来たのは奇跡に近いよね。これもつるぎちゃんが願ったお陰か。こうして君の自殺を止めれるんだから、僕としてもこの上なく嬉しいよ」

「………………」

「……みずきちゃんは、すごくつるぎちゃんに似ているね。可愛らしい顔立ちなんかは彼女を連想させるようだ。きっと、性格も良いんだろうね。僕なんかにも優しくしてくれるくらいには」


 ほんの少しずつではあるが、距離を詰めながら口を開く。


「つるぎちゃんって、本当にいい娘だよね」

「──だった、でしょ」

「…………と」


 そうか……さすがに自殺の目的を忘却するほどおかしくなってはいないか。


「おにいさん。あなた、演技してるでしょ」


 そう言われて足を止めた。二メートルぽっちの距離が異様に長く感じる。


「演技……って、なんのことかな」

「そんな無表情で何か隠しているような人に、お姉ちゃんの友達が務まるはずがないもん」


 この娘はたしか十四歳だったか。心的外傷後ストレス障害……フラッシュバックをきっかけに再入院した。強姦されたトラウマを抱えながら、その割には男である僕とまともに口を聞けている。回復しているのか?


「もう……放っておいて……。あたしは、終わりなの」

「終わり? どうして? こうして僕とも話せているんだ。理由は分からないけれど……君は回復している。このままいけば、ご両親だって……」

「無理……男の人と話すだけでも——」


 途端に、みずきちゃんは頬を膨らませた。何かと思うと、続いて胃液を吐き出した。涙ながらに咳き込むみずきちゃんは、飛び降りるまでもなく死にそうに見える。

 回復しているというのは僕の妄想のようだった。


「みずきちゃ──」

「お願い、来ないで…………」


 必死の懇願をされてしまっては、僕はどうすることもできない。

 それ以前に、僕に何もできないことは確定していたのだ。みずきちゃん自身が自殺をやめる以外に、方法は……。


「お姉ちゃんのこと、大好きだった……。あたしが壊れても、見捨てなかった……パパとママと違って。唯一信じれる人が死んで、生きていけると思う……?」

「君の両親が君を見捨てた? そんなのは君の妄想だ」

「心を読むお医者さんが言ってたの。彼の言葉は信頼できる……」

「……」


 誠司さん……あなたはどこまでも面倒な野郎だ。


「あたしはもういいのっ!」


 涙を流しながら、みずきちゃんは叫ぶ。嗚咽し、さらに胃液を溢しながらも続ける。


「いらない子だから、お金だけかかる子だから、もう……いいの。こんなあたし、どうせ幸せになれないよ……」

「…………」


 綺麗事は効かない。

 優しげな嘘も意味をなさない。

 ならば。汚れた真実でこの場を制する他にない。


「……かもね。幸せにはなれないだろう。男性と話しただけで吐くなんて……触れたりでもしたら発作でも起こすんじゃないか? それだけじゃない。君はつるぎちゃんに似ているけれど、あくまで顔だけだ。性格なんかはまるで似ていない。死ぬ死ぬ泣き喚いておきながら、今もこうして生きている。男の僕と話しながらも」


 彼は言った。この娘が『自殺する勇気のある娘だ』と。バカバカしい。蓋を開けてみりゃこんなにも弱いじゃないか。

 雑魚中の雑魚。これならば案外簡単に済むかもしれない。


「メンヘラ体質なのか知らないけれど、そんな面倒くさい性格のうちは絶対に幸せになれないよ。断言する……今の君を見たら、つるぎちゃんだって失望する。君は終わってる」


 涙は止まることなく、むしろ増える一方。これでいい。もしもこれで泣かないのなら、僕ほどに終わっている。


「僕も終わってるんだ。とある天才に『幸せになれない』と断言された。血の繋がった実の姉に殺されかけたんだ。ま、その姉はもう死んだんだけどね。割とその時の事が気が狂うほどには悪い思い出になってる。君より幼い年齢だったから、無理もないんだけど」

「…………」

「僕はそれから幸せを感じたことはない。多分、これからも。未来を見るまでもなく予測できるよ。でも……そんな僕でも『必要』とされたんだ。僕にもできること、僕にしかできないことがあると思えた。僕はね……」


 あの天才が言っていたように。

 僕は、ずっと……


「──変化を望んでいるんだよ。だから、その時は柄にもなく嬉しく思った。僕自身が何かのきっかけで変化するんじゃないかって」

「何かの、きっかけ……」

「幸せになれないとしても、足掻くことはできるよ。それに失敗した時、本当の終わりが来る。だからさ、みずきちゃん」


 僕は躊躇わずに彼女のすぐ側まで歩み寄る。胃液を踏むのも気にせず、真っ直ぐに彼女に目を合わせる。


「もう少し足掻いてみよう。それでもダメだったら、僕も一緒に死んでやるよ」

「どっ……どうして、あなたがそんなこと……」

「君がつるぎちゃんの妹だから。彼女が君の為に人を殺そうと思うほどに、大切にしたいと願った宝物だから」


 法号さんは人殺しをしてまでみずきちゃんを助けようとした。それは自分の身の安全よりも妹を優先するという、どうしようもなく歪んだ絆の証拠。

 だからと言って僕は動いたわけじゃない。この絆に、感動したわけではない。


「……意味分からない…………」


 みずきちゃんは手前に倒れるように崩れ落ちる。

 僕はそんな彼女を受け止めた。

 どうやら気を失ったらしく、僕にぐったりと体を寄せている。彼女の寝息に安堵し、僕は抱いたまま尻餅をついた。

 見上げるとうざったいくらいに綺麗な月が輝いている。


「法号さん。これで貸し借りなしだ」


 はっきり言おう。

 法号さん。僕は君みたいな超お人好しな性格が苦手だ。気持ち悪いとさえ思ってしまう。

 でも。こんな僕に話しかけてくれてありがとう。嬉しかったとは思わない。


「これで法号さんに呪われることもないかな……」


 そう思ったせいか、自然と瞼が重くなった。流れに任せ、僕はみずきちゃんを抱きしめたまま眠りにつくことを選ぶ。


 どうにでもなれ。

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