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無彩色の願望  作者: 哀川
第二章 黒の正義

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第二十二話 怒り

 いやになるくらい重い瞼をゆっくりと開き、現状を確認すべく立ち上がる。無意識に魂の樹に手をついて、彼女の不気味な微笑みを思い出す。


「──っ」


 反射的に手を離した。そして、樹から距離を取る。

 視線を巡らせた先には……白鏡誠司の死体。さらにその正面に、桜内が樹を背もたれに座り込んでいた。

 ここで、僕の視界が完全に回復したことに気付く。どうやら、白鏡誠司の幻術が解けたらしい。

 桜内は圧倒的に破壊された彼を見て、何を思っているのか。まるで予想もできない。


「——あたしもさっき起きた」僕に視線をやらずに言う。「なんつーかさ、白鏡鈴美……あの女は、やべえ」

「おまえもあの人と話したんだ。……分かるよ、その気持ち。なんだか、話してるだけでも息切れしそうなくらいに疲れるんだよな」

「いや」短く否定すると、地面の石ころを拾って死体に投げつけた。「あんたにゃ分からんよ」


 桜内はその先に続く言葉を発せず、ただ白鏡誠司を睨んでいた。語りたくないというのなら、別に訊こうとは思わない。意味もなく地雷を踏むなんて馬鹿馬鹿しい。

 白鏡鈴美に隠し事は通用しない。彼女なら、桜内の中にいる『もう一人』の存在すらも知っているだろう。

 一つの体に二つの魂。

 そんな彼女たちの気持ちなんて、たしかにそう分かるものでもない。

 僕はそうだな、と呟いた。

 さて……これからどうするか。──いや、そうじゃないな。もう終わったんだ。問題は果たして誰が終わらせたかであって。


「あ。やっほーだね、二人とも」


 白鏡誠司の奥から、東条さんが軽快な足取りでこちらにやって来た。

 ……まあ、この人しかいないよな。


「色奈さん」


 桜内は普段に比べて静かに言った。


「白鏡誠司は赤三葉で押さえる。そっちもそっちで言いたいことはあるだろうけど、それは私も同じ。そもそも授戒からの依頼は『犯人を捕らえる』だったはずだよ。桃春ちゃん、今回はあまりにも勝手が過ぎる」

「……偽物、だったのか」


 桜内は大方予想していた通りなのでは、と思った。勿論僕は全く予想できていなかった。けれど、白鏡誠司がここまであっさりと退場したことに、多少の不信感を抱いていたのは事実である。

 それから、東条さんが何をしたのかを説明してくれた。そして、説明するまでもないであろうが、僕たちがしたことも同じように話した。うんうんと相槌打って頷く東条さんを見るあたり、だいたいは予想の範疇だったらしい。

 多分……この人は、桜内桃春という人間を知り尽くしている。だからここまでの予想ができ、行動に移すことができた。

 全てを打ち明け終えて、しばらく無言の時間が続く。

 東条さんは桜内の側まで足を進め、しゃがみ込んで目線を合わせる。


「私は桃春ちゃんよりも先に一年早く産まれた。でも、それだけで『人生の先輩』を自称する気はないよ。桃春ちゃんも私をそんな目で見ていないだろうしね」


 桜内は咄嗟に口を開いたが、何も言わなかった。それは当然だ。今の流れからして始まるのはお説教。ならば、いちいち間に入るのは間違っている。


「でも、少しだけ聞いて。私は桃春ちゃんの言う《悪の悪》を悪く言うつもりはない。それによって救われる生者も……死者も、きっといるからね。でも、その悪を振るう時には先のことまで考えるべきだよ。殺して収束する事件と、殺して悪化する事件……この二つの区別をしなきゃダメなんだよ。もしもその悪の行為によって涙を流す人間が増えるのだとしたら、私は桃春ちゃんを死ぬ気で止める」

「………………」


 桜内と井宮は、『東条さんには敵わない』と言っていたか。なるほど……こうして沈黙を選ぶ桜内を見ていると、あの言葉にはたしかな重みがあったのだと分かる。


「分かってるでしょう? 殺すことだけが、全てじゃないって」


 少し迷うようにしてから、桜内は頷いた。


「よし。もう大丈夫だね」


 東条さんが微笑みかけて立ち上がると同時に、桜内も立ち上がった。


「一つ……訂正させてもらうけど」桜内は僕たちに背を向けて言う。「たしかに、あたしは色奈さんを先輩だなんて思ってない」

「うん」


 悲しげに頷く東条さん。


「もっと親しい何かだと思ってる」

「うん⁉︎ 私レズじゃないよ⁉︎」


 ……直後の不意打ちに顔を赤くして反応するものだから、先ほどの真剣さが嘘のように思える。もちろんそんなことはないのだろうけれど。

 東条さんの声を聞いて、きっと桜内は笑った。そして歩いて木々を抜けて道に出る。

 あいつがこれからどこへ行くのか。

 そして、何をするのか。

 それはきっと。


「さて。もう一人にもお説教しないとね」


 振り返ると同時に、東条さんは自分の頬を叩いて気合を入れ直す。

 説教か……いやだなあ。今死ぬほど眠いし、明日にしてくれないかな。

 それに……


「…………」


 僕は大樹を見つめる。

 脳裏によぎるのは、彼女の全てを見据えた微笑み。


「……場所、変える?」


 ×


 午後八時を過ぎた今でも妻城市中心部は喧騒で溢れている。都会特有の夜空には似合わない賑やかさが、言ってしまえば僕は苦手だ。

 少しして名前のない喫茶店へと入る。店内はいつもがらんとしているが、今に限っては誰一人いなかった。光野さんと柩ちゃんはどこにいるのだろう。

 東条さんはいつものカウンター席に座る。僕はちょっと迷ってからその隣に座った。


「さてさて」


 頬杖をついて東条さんはこちらを見る。薄っすらと微笑みかけて優しげな瞳を向けられると、僕としてはどうもやりづらい。


「姫乃くんは何をしたから私に呼ばれたのかな」

「…………うっわ……」


 ひでえ説教方法だ。


「なんてね。回りくどいのはやめよう。姫乃くんは水神筒子を殺したね? それはどうしてかな?」

「……殺し合いの流れになったから。いや、もっと簡単に言えば、僕が桜内に着いて行ったからになるのかな。けれど、それはたしかに僕の意思だから……」


 どうしてだろう。なんだか、この場をうまく切り抜ける為の言葉が見つからない。質問の内容としては鈴美さんとまったく同じなのだから、その時と同じ回答をすればいいのに。

 ──なんて優しげな目。そうか。そんなんじゃなくて……、この目は哀れみを表しているんだ。

 ああ、嫌だな。この人を見ていると、本当に……。


「もう軽い気持ちで殺しちゃダメだよ」


 ほんの一瞬ではあるが、東条さんは微笑みの中にあった哀しげな目を顕にした。


「……、東条さん……」


 この人は一体なにを哀れんでいるのだろうか。

 深いことは考えず、殺し合いの状況になったからと言って人を殺したこと。人を殺しても——平気なままでいられること。

 きっと、この二つだ。これらの事実を哀れみ、そして何故か東条さんが苦しんでいる。

 だから僕は、


「ごめん」


 と言った。この言葉が一番適切だと思った。余計な御託など取り付けるだけ無意味。いや、むしろその方が東条さんを苦しめることになるかもしれない。

 この判断はどうやら正しかったようで、東条さんは「うん」と、静かに頷くだけだった。その時の顔がまた優しく、僕は目を逸らし俯いて言う。


「僕はこれからどうすればいい」

「姫乃くん? 終わったんだよ、この事件は。白鏡誠司はその身を赤三葉に保護された。全て蒼夜さんにも話したし、諸々の処理は授戒がしてくれる。その他のことも……まあ、桃春ちゃんがしてくれるしね」


 そうだった。彼については——この事件については、もう本当に終わったんだ。しかし、なんだろう……、この拭い切れない感情は……。

 白鏡誠司は結局のところ、僕らの目の前に現れていない。あの山にある研究所にこもりっきりだった訳だ。ひたすらに透視の魔眼と鈴美さんの魂を入れる為の肉体製作に勤しんでいた訳で……僕は彼と対峙すらしていなかった。あんな幻を僕に見せておきながらも……。


「叶うなら、一度は本物の彼と話してみたいな」


 普段よりも暗い調子で呟いた。

 多分これは……


「『怒り』だね」


 東条さんが言った通り、これは怒りなのだろう。もっとも、僕が抱いている怒りは、本当にごく僅かなもので、言ってしまえば苛立ちの方が近いだろうけれど。

 そうか……忘れていた。僕って、これでも怒りを宿す程度のことはできるんだよな。


「その感情は生きる上ではある意味で一番大事なのかもしれないね。今の自分を、忘れないようにしたほうがいいよ」

「忘れないよ。しばらくはね」


 ×


 家に帰ると僕は死んだように眠りについた。正直なところ、歩いて帰宅する最中にも眠りについてしまいそうだった。だから、ソファーに横になってから一瞬で意識がなくなった。

 そして、目覚めたのが二十七日の午後十時。


「………………………………………………………………」


 ほぼ丸一日寝ていたことになる。にわかには信じがたい事実だが、スマホが突然とバグることなんて最近ではあまりないだろうし、なにより外は既に暗くなっている。


「あー……月が綺麗だなあ……」


 携帯を投げて現実逃避に呟いてみた。しかし、空腹感がすぐに僕を現実に引き戻す。

 体を起こし、シャワーを浴びてから適当な服に着替えて外に出た。

 いつもながら、夜はまだまだ肌寒く感じる気温だ。夏と呼べる季節になるまではまだ一ヶ月はかかるだろう。

 いつのまにか本来の目的……空腹感を解消するということを忘れて、適当なところまで散歩に出てきてしまった。住宅街を出、人数少ない交差点にいる。辺りを見回すとファミマとローソンがあった。少し迷ってから、僕は信号を渡ってローソンへと向かう——途中で、


「やあ、危険因子」


 彼は不意に背後から言った。

 彼とはそこまで多く言葉を交わした訳ではないし、僕の記憶力もそこまで信用できるものでもない。

 けれど、どうしてだろうか。確信できる。

 僕は躊躇うことなく振り向いた。


「白鏡誠司」


 夜闇に呑まれることなく、その存在感を隠すことなく、ごくごく自然に彼は佇んでいた。

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